魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
いろははしばらく硬直していた。
当たり前だ。初対面の人間にいきなりそんなことを申し出されれば誰だって困惑する。
「!! で、弟子って……私、そんな大それた人間じゃ」
時間にして3分程、直立不動状態から我に返った。いろはは慌てふためきながら、否定しようとする。
「でも、七海やちよには勝ったんですよね!?」
「うっ……」
が、矢の様に飛んできたその言葉に詰まるいろは。否定はできない。既に神浜中にはそう知れ渡ってしまったのだから。
しかも鶴乃のこの勢い。事実を言ったところで信じてはもらえないだろう。
「お願いします!」
鶴乃は頭を勢いよく90度に下げる。
「で、でも私には、しなくちゃいけないことが……」
いろはは美代に視線を送る。自分が用事があるのは彼女なのだ。
しかし、
(いろはくん、いいのですかな?)
(え?)
美代からテレパシーを受けた。いろはは目を丸くして彼女を見つめる。美代の目が不敵に光った。
(わっちに用事があるのでしょう?)
(そ、そうですけど……)
(なら鶴乃くんの話を聞いてやってくだされ)
(ええ!!?)
いろはは驚くものの、こうなったらやむを得なかった。視線を再び鶴乃に戻すと、彼女は相変わらず上体を直角に倒したままだ。いろはの答えを待っているのだろう。
いろはは一度深呼吸。勢いの良さはともかく彼女は真剣そのものだというのが伝わった。なので、こちらも真剣に答える。
「わかりました」
その言葉に鶴乃は頭を上げる。緊張が溶けたのか、パアッと笑顔の花を咲かせた。
「本当ですか?」
「でも、由比さん。私から一つ、お願いしてもいいでしょうか?」
いろはは毅然と言い放つと、鶴乃はビシッと敬礼のポーズを取って「なんなりとっ!!」と答えた。
「まずは、貴女の事を、よく教えてください」
☆
あの後、美代は図書館に用事があると告げて、別れた。
いろはの提案を快く受け取った鶴乃が、向かった場所は「Taiyan」というラーメンカフェだった。
カフェ、と付くだけあって、いろはの知っている一般的なラーメン店からは掛け離れていた。
カジュアルチックな雰囲気で、静かな店内に穏やかなジャズミュージックが心地よく響き渡っている。
客層も若い女性の比率が多かった。
「あのう、私……少し前に食べたばっかりなんですけど」
「小腹くらいは空いてるでしょ」
鶴乃は勝手にそう決めつけると、同時に呼び出しボタンを押してしまう。
いろはが唖然となっている内に、定員がやってきた。店の雰囲気に相応しいバーテンダーの様な出で立ちの青年だ。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「あ、えっと……」
困惑するいろは。何せメニューを見る前に鶴乃が呼んでしまった。しどろもどろでいると、鶴乃が代わりに答えた。
「ラーメン一つに、餃子一皿で」
「かしこまりました」
青年は恭しくお辞儀すると、厨房に戻ってしまう。
「あの、由比さん……」
慣れた様子で注文したことから常連なのだろうが――――自分の意思を無視して、勝手にアレコレ決める鶴乃に、いろはは眉を顰めた。
彼女をじっと睨みつけると、鶴乃は苦笑い。
「あはは、ごめんごめん。でも、
「……??」
何か含んだ様な言い方をする鶴乃に、いろはは首をかしげるしかない。
しばらく、他愛ない会話をしてると、店員が料理を運んできた。
「おまたせ致しました」
「ラーメンはわたし、餃子はこの子で」
また勝手に――――いろはは鶴乃を睨んだが、先の言葉から顧みるに何か意味があるのかもしれないと思った。
店員が去ると、鶴乃はラーメンを啜りだした。
お腹は空いていないのだが、やむをえない。いろはは意を決して、目の前に置かれた餃子を箸で掴んで、パクンッと、半分ほど口に運んだ。
(……!!)
皮はパリパリと香ばしくて、歯で破ると中から肉汁が溢れ出てくる。
「おいしい……!」
思わず、いろははそう呟いてしまった。こんな餃子、今まで食べたことが無い。
瞬間だった。鶴乃の目が鋭く瞬いた気がした。
「由比さん……?」
突然の眼光にいろはは息を飲む。目を丸くして見つめると、鶴乃はラーメンを啜る口を止めて、ハア、と溜息を突いた。
「美味しいよね、やっぱり」
「あの、由比さん。一体どういうことですか?」
また意味有りげな事を呟いた。
何も考えていない様に見えて、自分が「おいしい」というのを計算済みだったらしい。
怪訝な表情で鶴乃を見ると、顔から笑みが消えていた。僅かに眉間に皺が寄っており、苦々しさが表現されていた。
「環さん、わたしの家もね。中華飯店なんだ」
「そう、なんですか」
鶴乃は一度視線を自身のラーメンに映し、そしていろはの餃子を見た。
「で、ここで出されてる料理はさ……」
次いで鶴乃は、周囲を見渡す。周りに店員がいないことを確認すると、いろはに聞こえるか聞こえないくらいの小さい声で、こう呟いた。
――――もともとうちで開発したものなんだよ。
「……え?」
静かに入ってきた一言に、いろはの脳は雷に撃たれたような衝撃を受けた。
「そ、それって……!」
いろはは思わず立ち上がりそうになるが、鶴乃はどうどうと、手を下げる。
「落ち着いて」
いろはは慌てて姿勢を戻すと、身を乗り出して、小声で鶴乃に問いかけた。
「それって、どういうことですか……?」
「うちはさ、元々神浜市内じゃ一番の中華飯店だったんだよ。だけど……5年前におじいちゃんが死んじゃって……」
鶴乃は顔を俯かせながら苦々しく呟いた。何か複雑な事情があるのかもしれない。
そう察したいろはは真剣に耳を立てる。
「お父さんは元々おじいちゃんとは折り合いが悪くて、店を継ぐ事に消極的だったし、お母さんは散財ぶりが酷くてさ……家計は火の車だったんだよ」
「そう、ですか……」
先程の明朗快活ぶりを発揮してた人物とは同一とは思えない程に、鶴乃の声色は沈みきっていた。
余程の苦労を抱えて生きてきたのだろう。自分とは比べ物にならないほどに。
だが、大切な家族を失った悲しみ、それによって齎される苦悩は形は違えど、いろはも経験していた。
故に、鶴乃の気持ちが薄っすらとではあるが分かった気がした。沈痛な面持ちで受け止める。
「もう店を畳まざるをえない。みんな、そう思ってた時にね……現れたんだ。アイツが」
「アイツ……?」
「日秀源道が……」
鶴乃の視線は、店の奥で壁付けされている60インチ程の大型テレビに向かっていた。
丁度ドキュメンタリー番組の再放送が映されており、70~80代程の車椅子に乗った老紳士が紹介されていた。
「神浜市の都市化に多大な貢献を果たした、偉大なる実業家……どこのメディアもそう持ち上げてるけどね、実際はそうじゃない」
テレビでは源道が和やかな笑みを浮かべて、インタビューに答えていた。
鶴乃の瞳が血走った。
「アイツは……怪物だよ」
静かに聞こえてきた鶴乃の声には、今まで聞いたことのない憎悪の感情がありったけ表現されていた。
いろはが息を飲んで、鶴乃を見つめる。
鶴乃は、一度呼吸をしてかぶりをふった。感情を落ち着かせると、いろはに顔を戻して話を続けた。
「当時の神浜市は、国から提案された都市開発を行う為に、最大の資金援助先だったサンシャイングループの提案を全部飲み込んでたんだ」
「…………」
いろはは、黙って鶴乃の言葉を耳に傾けていた。
「それが始まりだったんだよ……」
鶴乃がテーブルに置いた両手が、わなわなと震えだす。
「奴らは、神浜市で経営難に陥っている老舗の店に次々と手を付けて、支配していったんだ」
「そんな……」
「わたしが住んでる参京区にも、奴らの手は及んだの。知り合いの店や工場は次々とあいつらの軍門に下って……ついにはうちにまで手が回ってきた」
鶴乃が奥歯をグッと噛み締めた。怒りを噛み殺すのに必死なのだ。
「その、源道さんって人が、何を言ったんですか……?」
「日秀源道はサンシャイングループの代表だよ……あいつはうちの現状を知るなり買収を持ちかけてきたの。うちの店『万々歳』を、「Taiyan」の二号店に改装したいって」
「Taiyanって……!」
いろはがギョッとする。思わず大きな声が出そうになった口を慌てて抑えた。
この店の名前だ。それが意味することは一つ。
「承諾してくれれば、家計を助けるって持ちかけてきたの。お父さんとお母さんは幸運が降りてきたって喜んでたけど……私は、そうじゃないって思った。絶対何か企んでるって思った」
「それは……?」
「あいつらの目的は、ひいおじいちゃんとおじいちゃんが生涯を懸けて守り続けてきた、料理のレシピを手に入れる事だったんだよ……!」
その内容に、いろはは愕然となった。鶴乃は、頭を抱えて絞り出す様に声を挙げた。
「お父さんとお母さんには……?」
「うん伝えたよ。だけど二人とも信じてくれなくて……だからおんじに頼ったの」
「おんじ……?」
「亡くなったお爺ちゃんの弟。親戚の中で万々歳の事を大事に思ってるのは、その人しかいなかったの」
激情がだんだん抑えきれなくなってるのか、鶴乃の声が震え出す。
「おんじが駆けつけてくれて、お父さん達を説得してくれたお陰で、店は奪われずに済んだの。だけど……あいつらは別の手を使ってきた」
日秀源道は鶴乃の店が火の車であることは既に承知済みだ。つまり、このまま店を続けられたとしても、継ぐことに消極的な隼太郎では長くは持たないと踏んでいた。
だから、こう切り出してきた。
☆
『我々の要求が聞き入れられないのならば、こちらは大人しく諦めるしかないですな』
記憶の中で、おんじこと、由比木次郎の罵声に日秀源道は溜息を吐きながらそう返してきた。
『ですが、現状の万々歳をどう続けていくおつもりですかな? 鶏太郎氏がお亡くなりになられた今、経営の方は絶望的と思われますが』
しかし、瞳の力強さは一切失われていなかった。脅すような声色で、木次郎に突きつけた。
『ケッ、てめぇらなんぞの力を借りなくても、万々歳は昔から地元の人たちに愛されてんだ。信用がある限り、続けていけるさ』
『それは理解し難いですな。跡取りの隼太郎さんは、鶏太郎氏が亡くなる直前まで、我がグループの通信会社にお勤めなされていた。聞けば、鶏太郎氏とは折りが悪くて、店を継ぐつもりは無かったとか』
源道は射る様な瞳で木次郎を見た。
『店を残したいと思った貴方が彼を呼び戻したのでしょう。しかし……無礼を承知で申し上げますが……料理人としてはてんで未熟者の彼に、果たして鶏太郎氏の後が務まるのでしょうか?』
冷ややかに告げる源道に、木次郎は負けじと睨み返した。
『それは俺たち家族でなんとか支えていく』
手段が無い訳ではない。
木次郎もまた万々歳の人間だった。兄が正式に跡を継ぐまで彼もまた、父・雀七から料理の指導を受けていたのだ。警察に就職した為、料理人の道は潰えたが、中華料理を作る事と、時代に合わせた新しい味の研究は趣味がてら続けていた。
それに、店には父と、兄が残してくれたレシピがある。それさえあれば……どうにか、
『どうしても続けたいおつもりですか……』
源道は、哀れな、と言いたげに微笑を浮かべると、小さく首を振った。
『この店を大切に思っているのは俺だけじゃねえ。兄貴の孫娘もだ。アイツはこの店と兄貴が大好きだった。だから、俺は将来この店をアイツに継がしてやりたいと思っている。その為には、どうしても店は残さなくちゃいけねえんだ』
『ほう……』
木次郎の決意は決して独りよがりのものではなかった。それを知った源道は感心した様な表情を見せた。
『なるほど、そこまでの意地があるとは、この源道……感服いたしました』
だったら早く帰れ――――木次郎はそう願ったが、源道の顔を見た瞬間、それは叶わないと思った。
彼の目は、何か良からぬ事を思いついた様に妖しくギラリと光っていた。
『由比木次郎さん、貴方のその決意……是非とも汲んで差し上げたい』
『なんだと……?』
一体、何を企んでいる。木次郎が胸中で浮かべた疑問を、源道は見透かしたのか、フッと笑った。
『ご心配なさるな。万々歳に我が社はこれ以上手を出しません。ただ、救う、それだけです』
それだけ言うと、源道は去っていった。
☆
「あいつは……源道はっ!」
鶴乃の瞳が赤く染まっていた。彼女はテーブルを叩き割らん勢いで強く叩いた。
「あの後、おんじが居ない隙を見計らってお父さんに近づいたんだ……!」
「何を、言ったの……?」
「『お爺ちゃんのレシピを譲れ』って……! 『そうすれば店の修繕と最新機器の導入、娘の大学進学までの費用は工面してやる』って……! お父さんは、その要求を飲んじゃったんだ……あいつらに言われるまま、代々受け継いできた、家宝にも等しいレシピを、渡しちゃったんだ……!!」
言いながら鶴乃は苛立ちを抑えきれなくなってきていた。頭をグシャグシャと掻きむしり、涙ぐむ様な声でまくしたてた。
「そんな…………」
いろはは絶句するしか無い。
奪われたレシピがどうなったのか、先程の鶴乃の言葉から大体想像は付いた。
恐らく、使われているのだ。この店の料理に。かつて、神浜一と呼ばれた中華飯店のレシピの内容が―――――
「おんじは念の為にって、コピーを取っといてくれてたんだけど、それも無くなってた」
見越した上で、奪われたのだろう。連中は用意周到だった。
「………………」
いろはは、沈黙するしかない。鶴乃になんて声を掛ければいいか、わからなくなっていた。
「しばらくして、お父さんの口座に莫大なお金が振り込まれててね。お父さん、それを見て喜ばなかった」
「どういうことですか?」
「ようやく、目を覚ましたの。お金に目がくらんだ自分が情けないって。お爺ちゃんの大事な物を売り飛ばしてまで店を残したんだから、自分がしっかり守らなきゃって……」
鶴乃を顔を上げると、僅かにはにかんだ。
「お父さんは、昔お爺ちゃんに教わったことをどうにか思い出したり、おんじに教わりながら、レシピを新しく作っていったの。お爺ちゃんには全然敵わないけど、人柄は良かったから、地元の人たちが徐々に来てくれるようになって……なんとか続けていけたの」
「そうですか……」
いろははホッと一息付いた。
「でもね、これで終わりじゃない」
「え?」
「始まったんだよ。苦しくて、思い出すだけでも胸が焼ける様な戦いが、始まったんだ」
冷え付いた言葉が耳に突き刺さった。
鶴乃の形相を咄嗟に見て、いろはは肝が冷えた。
彼女の『怒り』は、まだ底が見えない。