魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost   作:hidon

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 前回投稿から二週間以上も経ってしまいました。
 言い訳をするなら、正月始めの業務が人手が無くて多忙で、休みの日にガッツリ休んでしまったのと、新年会の連続で、執筆する余裕がなかったとです……。


FILE #28 お互いに歩み寄る為に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「叔父さん、一体……っ!?」

 

 どういうことだ――――と疑問を挟み込むことすら許さなかった。

 男が赤く滾った目で甥を一睨みすると、それだけで震え上がってしまう。

 

「隼、おめえの根性は一から叩き直さなきゃいけねえようだな」

 

「……っ!」

 

 甥の顔が強ばる。何か言いたいらしいが、恐怖のあまり口が動かない様子だ。それだけ、男の怒気は凄まじかった。

 彼は甥への用は済んだとばかりに、顔を別方向に逸らす。

 

「紀子さんよ」

 

 次に標的にされたのは甥の妻だ。彼女の両肩が、狼に追い詰められた小動物の様にビクリと跳ねる。

 

「あんた、自分が腹痛めて産んだ子が、あんなに暗いとこで苦しんでいるのに、何とも思わんのか?」

 

「……!」

 

 紀子の目が驚いた様に見開かれる。彼はそこでようやく木次郎の怒りが沸騰している要因に感づいたらしい。

 言わなければ気付かないのか――――とても母親とは思えない。

 木次郎はそのざまに、呆れた様に目線を落とすと、はあ、と溜息を付いた。

 

「それは……気にしなかった訳じゃないですけど……」

 

 嘘だ。自分が言わなければ気にも留めなかっただろう。

 木次郎は、紀子の口から絞り出すように出た言葉が只の「言い訳」だと見破ったが、一先ず聞いてみることにした。

 

「で、でも! あの子だってもう16ですよ! そのぐらいになれば自分の事は自分で出来るようになる筈だって、亡くなったお義父さんも言ってましたし……! 私だって……」

 

 紀子はそこでクッと歯噛みすると、瞳に涙を溜めて、哀憫を顔面に表した。

 確かに、兄貴はそういうだろうが、だからって『放っとく』なんてことはしない。

 それに『私だって』とはどういう意味だろう。「大変な思いをしているから、娘の面倒は見きれない」とでも言いたいのか。だとしたら噴飯ものである。自分に母親の資格は無い、と言っているようなものだ。

 

「そうだよ叔父さん!」

 

 沈痛な表情を浮かべる妻を見ていられなくなったのか、亭主がすかさず飛び込んだ。

 

「紀子だって家事に店の手伝いにお義母さんの世話で大変だったんだ! 大目に見てあげてくれよ!!」

 

 自分が居た頃はもう少しマシに見えた甥の目は、すっかり曇って……いや、腐ってしまったらしい。

 こいつの目はもう何も現実も真実も映し出していないのだろう。

 

「大変、か」

 

 木次郎は甥に呆れかえり、深い嘆息。

 こいつは先程お前と鍋を囲んで団欒していたじゃないか。大変と感じる要素は微塵も無かった。

 木次郎は、再び鬼の眼で紀子を見下げる。

 

「便利な言葉だなあ? え? 紀子さんよぉ?」

 

「っ!!」

 

 胸中を見透かされた様な脅し文句に、ギクリとする紀子だが、隼太郎が噛み付いてきた。

 

「叔父さんッ!!」

「黙れ隼ッ!!」

 

「……っ」

 

 だが、その勢いも束の間。木次郎の一喝によって呆気なく萎縮してしまった。

 そして、甥夫婦を見つめながら空気が震撼するほどの怒声を張り上げる。

 

「てめえらは親だ! 店や家がどうこう言う前に果たさなきゃいけねえ責任があるだろう!!」

 

「それは……」

 

 だが、今回ばかりはどうしてか、甥も負けてはいられなかった。拳がわなわなと震えだす。

 

「そうかもしんないけど……! でも、叔父さんは一緒に住んでないから知らないんだよ! 紀子の事も、お義母さんのこともっ!!」

 

「ああ、知らねえ。分かりたくもねえしな」

 

 必死の訴えの様ではあったが、目が腐った者の言葉など木次郎にはどこ吹く風だ。あっさりと受け流されてしまった。

 隼太郎が更に忌々しさを募らせ、今にも飛びかからん程の形相で睨みつけてくるが、彼は意に介さない。

 そろそろ頃合いか。

 別に甥と取っ組みあっても負けるつもりは無いが、余計な茶番を広げる事は避けたい。事態はさっさと終息させるに限る。

 木次郎はズボンのポケットに手を突っ込むと、綺麗に四つ折りされた二枚の紙切れを取り出した。そして、ちゃぶ台まで歩み寄ると――――

 

「こんな馬鹿な真似をしやがる連中のことなんてなあっ!!!」

 

 バン、と叩きつけた。再び空気が震撼。

 三人が唖然とした顔でテーブルの上に叩きつけられた“それ”を凝視する。

 

「こ、これって……」

 

 隼太郎が、紙切れに記載された内容を目にした途端、驚愕のあまり体が硬直した。

 

 

『¥ 7,000,000』

 

 

 最初は、見間違いだと思った。目の錯覚か何かだと思った。

 目をゴシゴシと擦って、もう一度確認。

 紙に書かれていた文字が、紛れも無く現実のものだと理解した途端――――背筋がゾッとした。

 聞いたことの無い商品名の隣で、見たことも無い桁の数字が列挙していた。

 

「えっ……!? えっと……!!」

 

「「!!!」」

 

 現実を受け止めきれずただ顔を蒼褪めて混乱するだけの隼太郎とは別に、妻と義母は、全身が粟立つような感覚に襲われた。端正な顔が恐怖で引き攣り老婆の様に変貌していた。

 隠していたものを、一番見られたくない人に見つかってしまった――――そんな思いがありありと映っていた。

 

「これは、違うのよっ!!」

 

 まるで絶叫の様に声を張り上げると慌てて二枚の紙切れを奪い取るにして、懐にしまった。

 だが、目先に仁王立ちする鬼の如き男にとっては無駄な抵抗だ。寧ろ、自分の行いだと教えているようなものだ。彼の目が更に赤く滾っていく。

 

「何が、違うってんだ?」

 

「っ!!」

 

 筆舌に尽くし難い怒気を孕んだ眼光。

 紀子は、追い詰められた兎の気持ちを初めて知った。

 全身が酷く寒い。震えが収まってくれない。恐怖のあまり瞳に涙が溢れてくる。言い訳をしなければならないが、頭の中はグチャグチャに書き混ざってしまって、言葉が作れそうにない。

 鬼の口撃は止まらない。

 

「ケイマン……早速調べたが、ポルシェの高級モデルだな。なるほど、二人で(・・・)旅行するには快適そうだ」

 

「「…………!!」」

 

 紀子と美江の顔が蒼褪めていく。まるで彼に熱気を吸い取られていくかのように。

 

「どうやらあんたらにとって、隼も鶴乃も眼中に無かったらしいな。それで? そんなモンを買う金はどこから捻出したんだ?」

 

「「…………」」

 

 追い詰められた二人は罰が悪そうに揃って目を反らすと、口をムッと噤みだす。

 それしか抵抗する術が無かった。

 

「そ、そんな……! 俺の口座からは一円も……!」

 

「隼」

 

 慌てふためく甥だが、どうも大袈裟だ。

 その態度を見て何かを察したらしい。木次郎は一瞬だけ彼を横目で見た。

 

「後で話がある」

 

「!……」

 

 刺さる様な眼光と同時に胸中を見透かされた様な一声に、彼はギクリと肩を強張らせると、弱弱しく頷いた。

 そして黙り込む女性一組に再び、鬼神の眼を向ける。

 

「言いたくねえならこっちから言わせて貰うぜ」

 

 木次郎は、小動物の様に縮こまって震える二人に向かって、ゆっくりと歩み寄る。

 そして、屈んで目線を合わせると、囁いた。

 

 

「親父と、兄貴の遺品」

 

 

「「…………っ」」

 

 二人は無言を貫く。しかし、表情はあからさまに崩れて泣きっ面になり、全身がガタガタと震えだした。

 それが、肯定と告げていた。

 

「俺の目が黒い内に勝手に売るたあ大した度胸だなぁ。それで? どこの質に入れたんだ?」

 

「ま、まだ……売ってない……!!」

 

「の、紀子!!」

 

 恐怖に耐えきれず紀子が口を割り始めた。母が咄嗟に抑えようとするがもう遅い。

 木次郎は形相が更に険しくなる。紀子の心臓がバクバクと鼓動する。もう破裂しかねない。その前に白状した。

 

「ネットオークションに掛けただけなんですっ!! そしたら1000万の値が付いちゃって……! そしたら、お母さんが車を買おうって言いだしたんです……っ!! 私も話に乗って勢いで……」

 

「や、止めなさいっ!」

 

 必死に娘の口を塞ごうとする美江だが、木次郎の矛先は既に向いていた。

 

「ってこたあ、まだ家にあるってことだな?」

 

「!! は、はい……!」

 

 あまりの気迫に、美江の小さな心は観念した。早々に口を割る。

 

「現金が私の口座に振り込まれ次第、こちらから郵送する手筈でしたから……」

 

 成る程、金が入っても、隼太郎や鶴乃にはバレないようになっていた訳か。

 木次郎は目の前の老婆に更に忌々しさを募らせた。もし男だったら殴り飛ばしていたかもしれない。

 

「で、どこにあるんだ?」

 

「それは………………」

 

 木次郎は怒りを抑えて問いかけるも、美江は口を噤んだ。

 この後に及んでまだ抵抗する気か――――!!

 木次郎の怒りがいよいよ沸点を超えた。

 

「俺はどこにあるのかと聞いてるんだっ!!! 人の話が聞こえねえのかっ!!!」

 

「ひいっ!!」

 

「て、テーブル! テーブルの足です!!」

 

 紀子が涙を零しながら指さした方向に、木次郎の赤目がギロリと向いた。

 よく見ると、色は同じだが、形や高さが自分が居た頃に置いてあったテーブルとは違っていた。

 

「隼、退けろ」

 

「は、はい!」

 

 隼に、テーブル上の食べ物を下ろさせると、両手でひっくり返した。

 テーブルの足は円筒状になっており、底に蓋が付けられていた。捻り回すと緩んで開いた。

 同時にジャラジャラと、金品が流れ出す様に出てくる。木次郎の瞳が途端に鋭さを増した。全て見覚えがあるものだ。

 

「決定的だな」

 

 著名人から感謝と友好の代わりとして受け取った宝石やお守り代わりのペンダント、本人の所有物だった年代物の腕時計――――それらは全て、父と兄の遺品だった。

 冷え付いた言葉が、後ろの三人を震え上がらせた。誰かの息を飲む様な音が聞こえてくる。

 

「分かった」

 

 木次郎は金品を懐にしまうと、立ち上がって後ろを振り向いた。

 この家を支配していた筈の三人はすっかり怯えて竦んでいる。こんな連中に鶴乃は潰されそうになったというのか、と思うと、余計に腹が立った。だから、

 

「もうお前らに、ウチは任せられねえ」

 

 力強く、はっきりと伝えた。

 こいつらに家を守ることも、店を続けることも不可能だ。ましてや鶴乃の世話も任せられそうにない。同じ家の人間として……いや、同じ人間として、心底情けない限りだ。

 

「これからは家の事も店の経営も俺が仕切らせてもらう」

 

「そんな、叔父さん……っ!」

 

 自身の決断に、甥が不服に感じたらしい。

 何か反抗しようと立ち上がるが、一睨みするとすぐに縮こまった。口を噤んで、正座する。

 

「てめえらの言い分は一切受け付けねえ」

 

「で、でも……店の事は亭主に……!」

 

「任せた結果がこのザマだ」

 

 紀子も反抗するべく立ち上がって訴えようとするが、彼の言葉にピシャリと一刀両断された。

 それ以上は何も言えず、甥と揃って正座する。

 次いで木次郎は、元凶たる老婆へと目を向けた。

 

「それから、津和吹さんよ」

 

「……何かしら?」

 

 恐らく向こうもその自覚は僅かばかり抱いているらしい。木次郎に対して、身構えつつ問いかける。

 

 

「あんた、出てけよ」

 

 

「ッ!!?」

 

 途端、老婆の皺塗れの顔が屈辱に歪んで般若の様に変貌した。

 

「そんなっ!!」

 

 実娘も思わず驚きを口に出していた。

 あんな狼藉を働いておきながら、自分はまだここに居座れると思っているらしい。

 

「ウチじゃあ、働かざるもの喰うべからずだ」

 

「…………っ!!」

 

 はっきりそう言われた事が悔しいらしい。美江の身体がわなわなと震えだす。

 

「人んちに転がり込んで遊び呆けていると思えば遺品食いつぶしやがって。とんだ寄生虫だな、あんたは」

 

「っ!!」

 

 怒りをどうにか抑え込もうとしていた美江も『寄生虫』には流石に堪えたらしい。

 般若の形相が真っ赤に染まった。勢い良く立ち上がって激情を顕わにする!!

 

「なによっ!! どうせそんな骨董品、置きっぱなしにしたところで只の我楽多じゃないっ!! お金に変えた方がまだ使い道があるわっ!!」

 

 ヒステリックに怒鳴り散らす老婆に対して、木次郎は実に冷静だった。

 

「こいつは万々歳が戦後から歩んできた歴史を示す象徴だ! あんたは店を亡き者にしようとしてやがる……」

 

「くっ……!」

 

 感情を波立たせず、毅然とした態度で応戦する木次郎。その力強い眼光に、美江の口がグッと止まる。

 

「もういいわっ!! 折角仲良くしようと思ったのに、そんなこと言うだなんて信じられないっ!! こんな家、こっちから出ていきます!!」

 

 負け惜しみの様に喚くと、木次郎が支配する居間から逃げるように背中を向けて、早足で出ていく。

 

「ちょっと、お母さん!」

 

 紀子がその後を追う様に居間を出ていく。木次郎は構わず言葉をぶつけた。

 

「おう。今日中に荷物纏めて朝一で消えろ。痕跡一つ残さねぇでな」

 

「叔父さんっ!! お義母さんと紀子に謝ってくれっ!」

 

 流石に聞き捨てならないと、隼太郎が立ち上がって怒鳴るが、

 

「黙れ隼ッ!!」

 

「ひ……っ!!」

 

 案の定、木次郎の熱に油を注ぐだけだ。即座に怒鳴り返され、隼太郎は情けない声を上げながら尻もちを付く。

 

「そもそもてめえが家主としてしっかりしてねえからこんなことになったんだろうが!!」

 

「それは……!」 

 

「これではっきり分かった!! てめえが只のボンクラのままだって事がなッ!! 鶴乃の面倒はこれから俺が見る!! 反論も手出しも一切無用だッ!! いいなっ!!」

 

「……っ!」

 

 隼太郎は何か言いたげな恨めしい形相で木次郎を睨み付けながらも、彼の言葉に縦に頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美江と紀子が自室にこもった後、木次郎は甥を伴って、二階の兄の書斎へと足を踏み入れていた。

 まるで泥棒に荒らされた様な部屋の惨状を見た途端、甥の顔は驚愕に青褪めた。

 あの鶴乃が、誰よりも明るくて、優しい家族思いの鶴乃が――――これを引き起こしたというのか。信じたく無い気持ちと、娘がここまでの癇癪を起こすまで放ってしまった後悔の念が下腹部を刺激して、うっ、と嘔気付いた。

 ようやくこの唐変木は現実を認識したらしいな、と木次郎は冷ややかに甥を横目で見る。

 鶴乃はいなかった。

 大方、部屋に戻っているのだろうが、今はそっとしておいた方が良い。

 

「…………」

 

「…………」

 

 部屋の明かりを付けると、無言で、畳の上に散らばった衣類や書籍といった散乱物を片付け始める木次郎。

 甥も彼に合わせるかのように、無言で片付け始めた。

 

「………………………………」

 

「………………………………」

 

 外は未だ嵐の筈だが、二人の耳に聞こえるのは、万々歳の祖・雀七が生前の頃から所有していた木彫りの時計の、時を刻む音だけ。

 静寂が空間を支配していた。

 二人は只管、片付けに集中する。まるで自分たちの後悔を払拭するかのように。

 

「………………………………壊したかったのか?」

 

 時間にして10分経ったぐらいか――――木次郎が突然、静寂を破った。

 甥の身体がピクリと反応した。

 

「………………………………何の事だい叔父さん?」

 

「しらばっくれるな」

 

 甥は核心を付かれた時、普段なら自分に怯えすくむ筈である。

 しかし、この時ばかりは違った。何も感情が乗ってない、凍てついた声色が帰ってきた。

 

「鍵の有りかを知っているのはお前と鶴乃だけだった筈だ」

 

「…………」

 

 隼太郎の表情がいつになく固くなったように見えた。

 

「あいつらに話したのは、その思惑があったとしか思えん」

 

 静かだが刺さる様な指摘が、隼太郎が顔をキッと歪ませた。

 

「…………ああそうだよっ!!」

 

 いつになく激情を顕にした形相から、怒号が響いた。

 

「昔っから叔父さんはそうだなっ!! 俺がどんなに白を切ったってすぐ暴いちまうんだ! 警察の性だが知らんけど人の心を暴くのがそんなに気持ちいいのかっ!!」

 

「……!」

 

 極力感情を表には出さなかったが、内心驚いていた。

 甥がこれ程までの激情を顕にするなんて思ってもみなかった。

 

「そうだよ! こう言えばいいんだろ!! 『全部俺のせいだった』ってさ!! そのとおりだ!! 俺だ!! 全部俺がやったんだよ!!」

 

「…………どういうつもりだ?」

 

「どういうつもりだって!?わからないだろうな、叔父さんには!!」

 

 隼太郎の怒声にはあからさまに憎悪の感情が混ざり込んでいた。

 適当に上着を拾い挙げると、グシャグシャに丸めてから、勢い良く畳に向かって投げ付けた! 初めて見る甥の態度に木次郎は目を丸くするしかない。

 

「親父は最低の人間だった!!」

 

「……!?」

 

 思っても無い言葉が飛んできて、木次郎は耳を疑った。

 

「母さんが死んで泣いている俺に親父は何も言葉を掛けてくれなかった! ただ世間体を気にして俺を跡取りにすることしか頭に無かったんだ!!」

 

 呆然と甥を見つめる木次郎。

 

「あいつの頭の中はいつも、万々歳の存続と、お爺ちゃんが築き上げた商店街での立場を保つことだけだった…………俺と母さんのことなんてあいつにはどうでもよかったんだっ!!」

 

「隼、そいつぁ」

 

 違う。兄はそんな薄情な人間ではない。

 だが、伝えようとした言葉は、隼太郎の怒りにかき消される。

 

「そのせいで、俺がどれだけ苦しんだか、わかるか…………親父の外面がよかったせいで、俺はいつも親父と比較されて生きてきた。ボンクラだの、能無しだの、ノロマだの言われ続けて。誰も俺自身のことなんて見ようともしなかった」

 

「…………」

 

 何を言っても無駄かもしれない。

 木次郎は何も言わず、静かに耳を傾けた。

 

「万々歳なんて絶対継いでやるかって思ってたよ……。だから、親父とは違う形で幸せになってやるって決めたんだ。サンシャイン通信に勤めてようやく俺個人を認めてくれる人が出来た。紀子と結婚して、娘達が生まれた。願いが叶ったと思った矢先だった」

 

 

 ――――鶴乃が、親父に懐いた。

 

 

 首を深く俯かせて、呟かれた言葉には、確かな絶望があった。

 

「父親の俺よりも、親父の事が好きになったんだ……っ! 親父も鶴乃の事が気に入ったみたいで、俺よりも(・・・・)深い愛情をあいつに注いだ……! それが、許せなかった」

 

 隼太郎が抱えた頭を振り回す。木次郎には、纏わりついて離れない憑き物を必死で祓おうとする仕草に見えた。

 

「あいつが、万々歳と親父の話をする度に、笑って聞き流してたけど……本当は屈辱で胸が震えたよ。結局、俺は親父に敵わないんだって、思い知らされるんだからなぁ……っ!」

 

「それでも、店を継ごうって決めたのは……」

 

 隼太郎はそこで乾いた笑みを返して、

 

「誤解しないでくれよ叔父さん。叔父さんは俺にとっちゃ数少ない理解者で味方だった。叔父さんにだけは恩を返すつもりだったよ」

 

 すぐに顔を険しくした。

 

「でも、親父は許せなかった。俺の人生を台無しにした上に鶴乃も奪われたんだ。紀子に鍵の有りかを伝えたのは、俺なりの復讐だ。親父の痕跡なんて、この家から何もかも消えさっちまえばいいって思ったんだ……!」

 

 木次郎は眉間に皺を寄せて何も言わずに俯いた。

 甥は愚かな人間だ。経営者としての資格も、家主としての威厳も、父親としての自覚も微塵も無い。

 だが、甥がこんな風になってしまった責任は、自分にもあった。

 彼を幼少から知っていたが、その気持ちを気づけなかった自分も愚かだった。何故もっと早く気づけなかった。そうすればここまで荒むことは無かったのに。

 

「結局、馬鹿だよなぁ…………」

 

 激情を一通り吐き終えた隼太郎の顔は、憑き物が落ちたようにも安堵していたが、寂しそうにも見えた。

 

「鶴乃のことがまるで見えて無かったよ。あいつが傷ついてるなんてちっとも感じなかった。親父みたいになりたくないって、あんだけ思っていたのに…………結局、親父と同じことをしてたんだ」

 

 商店街の再開発のこと、店の名誉のこと――――思えば鶴乃は必死だった。

 しかし、自分はそんな鶴乃を拒んだ。憎き父の背中を追いかけんとする鶴乃を認めたくなくて、抑えつけようとした。

 木次郎が来てくれなければ、この部屋の惨状よりも、もっと重大な事態が発生していたかもしれない。

 そう思うと、後悔の念が急激に押し寄せてきて、堪らず溜息を吐いた。

 

 

「…………同じ(・・)だ」

 

 

「え?」

 

 聞いた木次郎の口から、思っても無い言葉が囁かれた。隼太郎が目を丸くする。

 

「俺も、兄貴のことが嫌いだった」

 

「叔父さん……?」

 

 木次郎が顔を上げた。遠くを見つめる様な目の先には、木彫りの時計がある。

 

「ガキの頃、兄貴と二人で店を守り抜いてほしいと親父によく言われたよ。だが、俺はそうしたくなかった」

 

「それって……!」

 

 もしや、と言いたげに甥が見てくる。彼の考えはすぐに察した。

 

「お前と同じだ、隼。ガキの頃から兄貴と比べられてきた」

 

「!!」

 

「兄貴は頭が良かった。親父が一を教えれば十まで理解しちまう。商店街や学校でも、兄貴は愛想が良くってなぁ。皆から好かれたし、羨望を集めていた。でもな……」

 

 細められた木次郎の瞳が剣呑さを増した。当時の悔恨を思い出しているのか、明らかな怒りの感情が感じられた。

 

「俺はこの通り、愛想なんざ微塵もねえし……何も持ってない、只の凡人だった。だから…………嫌った」

 

 隼太郎は初めて叔父から聞く話に何も言えなかった。

 木次郎が警察官となったのは、『自分達とは違うやり方で街の人達に貢献していく』と決めたから――――と、亡き祖父・雀七がそう教えてくれたことを思い出した。だから、ずっとそうだと思いこんでいた。

 叔父も偉大なる人物だ。自分とは天と地程の差がある。

 だが、違った。

 料理人の道では如何に努力を積んでも、兄は超えられない。そればかりか、兄と永久に比較される屈辱の人生を歩むことになる。

 それが嫌になって、叔父は逃げ出したのだ。

 彼もまた、自分と全く同じ経験をした、一人の凡夫に過ぎないのだ。

 

「3年前に、兄貴が死んだとき……俺は、安心した」

 

「…………」

 

 木次郎はぐっと目を閉じて、ポツリと呟いた。隼太郎は顔を俯かせて、黙り込んだ。

 

「『ああ、これでもう兄貴と比べられることはねえんだな』って……全く、俺も大概、馬鹿だよ」

 

「叔父さん……」

 

「でもな隼、これだけは言わせてくれ」

 

 木次郎が急に、強い光を伴った瞳で、甥を見つめた。

 

「?」

 

「兄貴は、お前のことを――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

☆ 

 

 

 

 

 

 

「愛していた。そうじゃなきゃ大学卒業までの学費は工面してくれなかったって。不器用だけど、お父さんのことは大切にしてたんだって。だから、わたしを……鶴乃を愛してやれって……。おんじがそう言ってくれたんだ」

 

「そう、ですか……」

 

 鶴乃は部屋にこもっているふりをして、物陰で二人のやりとりを聞いていた。

 当時の辛さを思い出したのか、鶴乃の言葉は震えている。

 表情も、長い話をずっとしたからか、疲れが見え始めていた。

 

「どうして、なんだろうね」

 

 鶴乃が笑う。どこか自嘲してる様に見えて心配になった。

 

「……?」

 

「同じ家族なのにさ、どうして分かりあえなかったり、憎しみあったりしちゃうのかな」

 

 両手を伸ばして、彼女の手を包み込むと、微かに震えていた。

 

「いろはちゃんはさ……同じ経験をした事って、無いの?」

 

 不意に投げかけられた質問に、目を見開いた。

 

 

 

 

『でも、これは仕方の無いことなんです』

 

『お姉ちゃんは、私の邪魔をするの?』

 

 

 

 

「よく……分かりません」

 

 不意に脳裏に、母と妹の、二つの言葉が過った。

 一つは書き置き。もう一つは夢の中だったが、あれは確かに自分の家族から投げかけられたものだった。

 

「私は、家族と喧嘩した事、ありませんから。憎んだことだって、ありませんから」

 

「そう……」

 

 当然か。と、鶴乃は思う。自分と同じ経験をしてる者なんてそうそういやしないか。

 

「でも、もしかしたら、私だけが気付いてないだけで。家族の誰かからは、そう思われていたのかもしれないんです」

 

「? それって……?」

 

「私、妹を愛してました。ずっと大事にしているつもりでした。……でも、あの子から見たら、私の好意はうざったいだけで……もしかしたら、ずっと気持ちの邪魔をしていたんじゃないかなって……思ったんです」

 

「その、妹さんは……?」

 

「どこにいるのか、分からないんです」

 

 いろはが思いつめた様に顔を俯かせた。あちゃ~、と鶴乃は苦々しい顔で額をパチンッと、叩く。

 

「ごめんっ! そんなこと分からないで、わたしばっかり話しちゃって!」

 

「いえ……由比さんは何も悪くないです。寧ろ、安心しましたから」

 

 咄嗟に謝るも、いろはは穏やかに笑い返した。

 意味が分からず、鶴乃は目を丸くする。

 

「え?」

 

「不謹慎かもしれないけど、私と同じ気持ちの人がいたんだって。最初は由比さんのこと、凄く元気の良い人に見えたから、合わせられるか心配だったけど……でも、これで仲良くできるかもしれないって思ったんです」

 

 屈託無い笑みを見せるいろはを、鶴乃は少しばかり呆然と見つめた。

 

「そっか。ありがとう」

 

 そして、彼女が歩み寄ろうとしているのだと理解して、心から嬉しくなった。

 だから、笑顔で返した。

 いろはも、ようやく笑ってくれたのだと思って、心から安心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




サイドストーリーへ

ジジイが活躍してばっかで本当にスイマセン……。


ようやく私生活が落ち着いてきたので、次話は早めに書き上げたいです……。

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