魔法少女いろは☆マギカ 1部 Paradise Lost 作:hidon
18404字!!
とても、長くなりましたので、チャプター付きでお送り致します。
目次
※話の途中にある“ ☆ ”をクリックすると目次へ戻ります。
――――一ヶ月後。
――――神浜町参京区。
――――参京商店街
「うわ~スゴイ人集り~!」
みかづき荘から一人で訪れた私服姿のいろはは、商店街に足を踏み入れた途端に見えた光景に感嘆した。
少し前からは想像もできないような人・人・人……老若男女の黒い海が、ワイワイガヤガヤと賑やかな喧騒を響かせながら街道を埋め尽くしている。
街道の両サイドには露天商が横並び、商店街の経営者達が自分の店で製作した商品や料理を振る舞っている。
「よう! いろは」
「葉ちゃん!」
と――――背中からハスキーボイスを掛けられて、振り向いた。
そこにいたのは、故郷の親友――私服姿の皆木葉菜だ。
今回、彼女は地元の魔女退治を累に押し付けて神浜市まで遊びにやってきた。理由は勿論、此処、参京商店街で開かれている『祭典』に参加するためであるが……
「っひゃ~~! すっごい人だな~」
【リヒト】の体験会場は商店街の中心部にある商店街組合事務所――既に皇グループの支社となっている――だが、この人混みを突っ切って進むのは容易では無い。
「うん。何せ、世界初の魔女戦闘シミュレーションシステムが開発されたワケだしね……」
「市内どころか世界中からか……」
いろはと葉菜は顔を見合わせて苦笑。
そういえば、早朝のニュースでは、昨日の夕方から体験会場に行列が出来てたって言ってたような。
人混みをよく見ると、外国人らしき相貌の人たちもちらほら見受けられる。
――――皇グループ会長・皇 稜斗が、【リヒト】を参京商店街組合事務所で一般公開すると発表するや否や、商店街は一躍、世界中から注目の的となった。
祭りが開かれる一ヶ月の間、連日、大手の報道機関が押し寄せ、住民達の生活があらゆるメディアで紹介されることになった。
特に、神浜市に映画の撮影で訪れていた若手人気俳優・松田優次郎が――緊急で組まれた旅番組のゲスト扱いで――訪れてくれたのは正に天からの恵み。
各店舗で製作された伝統工芸品や、料理を高く評価してくれたことで、商店街は一気に活気付いた。
以来、今日まで外部からの来客は一切途絶えた事は無い。
「いろはちゃ~~~ん!!」
――――と、そこで新たな呼び声に二人は振り向く。
見ると、割烹着姿の活気溢れる少女が、走り寄っていた。
「鶴乃ちゃん!」
「よっと」
いろはが名前を呼ぶと、鶴乃は踵でキキーッとブレーキ! いろはの目前で停止すると、真剣な眼差しでビシッと敬礼!!
「お待ちしておりました! 環師匠! 由比鶴乃、只今参上致しました!」
「ちょっと恥ずかしいよ、鶴乃ちゃん……っ! でも、どうして私の場所が分かったの?」
パアッと笑顔の花が咲いた。
「えっへっへー! 師匠が此処で誰かを待ってるって聞いたんで堪らず飛び出してきちゃったっ!」
一体誰が、鶴乃に伝えたのか? 何れにせよ商店街の情報網流石と思わざるを得ない。
「お店は平気なの?」
「開店から超絶忙しいけどお父さんとおんじがいるからねえー!」
ちなみに現在、万々歳の玄関には、「由比鶴乃・10分待ち」の紙が貼られており、来客一同からブーイングが飛び交っていたのは言うまでもない……。
――――今回の騒動で、商店街内で一番特をした店は万々歳かもしれない。
元々、鶴乃のアイドル的人気で経営が保たれていただけに、メディアに紹介されるや否や、彼女目当てに来る客が急増。
お陰様でここ2週間の売上は鰻登りだ。店主の隼太郎曰く、祖父が存命だったころ以上の盛況ぶりらしい。
……相変わらず料理の評価は「50点」より上がることは無かったが……結果よければ全て良しである。
「師匠……!? って、いろは。お前このお姉さんとはどういう関係……?」
すっかり状況に置いてけぼりになった葉菜が問い質そうとするが、鶴乃は隙を与えない。
「おっ! そっちのイケメンは……もしかしていろはちゃんの彼氏かな~?」
隅に置けないな~、と鶴乃はいろはを肘でツンツン突くも、苦笑いを返されて「およっ?」となる。
「いやーそうじゃなくってー……」
「お姉さん。アタシは女。こいつとは只の友達だよ」
葉菜がそう伝えるや否や、鶴乃の目が光り輝く! 即座に葉菜の目の前にぴょんと飛び跳ねると、両手をギュッと握り締める。
「なんとっ! 環師匠のご友人でありましたか!! 私は弟子の由比鶴乃、どうかよろしくお願いします!」
視界全面に映る鶴乃の満面の笑み。
……なんてハイテンション&距離が近い人だろう。葉菜は苦笑いを浮かべながらも自己紹介。
「あー……ア、アタシは皆木葉菜……。へえー、お姉さんが由比鶴乃なんだー」
「あれっ、知ってたの?」
「ニュースでね。でも、テレビで観るより全然別嬪さんだから、気づかなかった」
こういう風に、人の懐に入り込んで素直に褒め称えられるところが葉菜の強みである。
鶴乃は、「えへへー。そうかなー? ありがとー!」と顔を真赤にしてデレデレである。
「良い友だちだね! 師匠!」
「まあねっ」
心から嬉しそうな鶴乃を見てると、いろはも嬉しかった。自然と笑顔になる。
「じゃあ、君、葉菜ちゃんっていったよね?」
「葉(よう)でいいよ。みんなそう呼ぶんだ」
「じゃあ葉ちゃん! 君も特別に、リヒトの会場まで案内してあげる!」
「え、いいの? お姉さん?」
「いいっていいって! 元々師匠は祭りの仕掛け人ってことで特別扱いだし……その親友なら同然だよ!」
人混みをどう突っ切るか考えていた矢先に、正に天の助け。
葉菜の顔がパアッと輝くと、鶴乃の両手を握りしめて大きく振り回した!
「お姉さんありがとーっ!! あ、アタシ最近中華料理に凝ってるんだけど、小籠包の作り方とか教えてくれる?」
「いいよいいよー。お姉さんが万々歳の秘伝を何でも教えちゃうからねー!」
「ふふ……」
早速意気投合する二人の様子を、後ろで眺めながら、いろはは微笑ましく思うのだった。
――――参京商店街組合事務所
鶴乃はそこまで二人を案内すると、「じゃあ、またね」と言って別れた。
リヒトの公開会場となっているそこは、案の定、終わりが見えないぐらいの長蛇の列が形成されている。
並ぶしかない――
「やあ、環さん」
「リヒトの会場へようこそ」
――と思っていた矢先に天の助け。
見覚えのある二人組が現れて、いろはが駆け寄る。
「皇さん! ミコさん!」
「待ってましたよ環さん。お友達の方も、さあ、こちらへ」
稜斗はそういうと、踵を返し、二人を会場の裏口まで案内する。
「え? いいんですか?」
「ありがたいけど……なあ?」
こんなに並ぶ人達を無視して、自分達だけ真っ先にシミュレーションに携われるのは申し訳無い。
いろはと葉菜がお互いに顔を合わせて渋い顔を浮かべると、ミコが横から口を挟んできた。
「御気になさらず。あの人は環さんにお礼がしたいのです」
ボソリとそう伝えてくれるが、いろはは釈然としない。
「え……でも、私、そんなに大したことはしてないですよ」
「真面目と謙虚さは日本人として美徳ですが、人生を豊かにしたいのなら、人の好意に甘える図々しさも必要ですよ」
前を歩く稜斗が後ろを軽く振り向きウインク。
そんなやりとりをしている内に、裏口まで辿り着いた。
稜斗が「どうぞ」と案内したので、いろはは「失礼します」と入ろうとする
「なあ、いろは……」
――直前、真後ろの葉菜から声を掛けられた。
「どうしたの?」
振り向くと、葉菜は稜斗とミコを横目でチラチラ見回していた。なんだかソワソワしていて、落ち着きが無い。
葉菜はいろはの耳元に口を近づけると、ボソッと問いかける。
(このお兄さん……どっかで見たことあるんだけど、誰だっけ?)
「ああ、あの人は……」
皇グループ会長の皇 稜斗さんだよ――――
何気なしに答えると、葉菜が悲鳴と同時に腰を抜かしそうになったのは言うまでも無い―――。
☆
いろはの記憶では、裏口から入ると厨房だった何も無い空間がある筈だが、既に稜斗専用の事務所に改造されており、デスクの上には、最新型のPCやら、商店街に関する資料やら、リヒトの設計書資料らしき分厚い本が並べられていた。
その稜斗だが、この一か月間、本社には戻っていないという。
会長がここに居座って、グループは大丈夫なのか、と聞くと、「今はスマホ一台あれば、どこでも仕事は可能ですよ」と軽く返された。しかも社内の業務把握は全部AIが担当してくれているので問題は無いらしい。
流石はITの寵児――――自分達とは次元が違う。いろは達はただ驚嘆せざるを得ない。
ちなみに寝泊まりはここの二階を使っているらしい。
次いでフロアを一瞥すると、これまた異様な光景が広がっていた。
テーブルに座る来客の前には一台ずつPCが置かれており、それからコードで繋がれたゴーグル付ヘッドホンを頭に被っている。
見覚えのあるいろはは「アッ」と声が出そうになった。あれは、リヒトを体験するときに自分が頭に付けたものと同一だ。
――――ということは、あのパソコンはリヒトと繋がっている?
尋ねると稜斗は首を縦に振る。
リヒトのシステムをアプリ化して、各PCにダウンロードしたらしい。これで自宅でもパソコンと専用ゴーグル付ヘッドホンがあればリヒトを体験することが可能になるのだという。
実用はまだまだ先の話らしいが……。
それにしても――
「魔法少女じゃない人も、混じってる……?」
もう一つ、不思議に思ったところがある。
客層を見渡すと、老若男女バラバラなのだ。魔力反応の無い女性の他に、男性も混じっている。
「まるで〇ード〇ート・オ〇ライ〇じゃんか……。あれ? でも確か、このリヒトって機能向上の為に“誰でも”参加できるって話だよな?」
どこぞの茅〇晶彦だ――と今にもツッコミたそうな葉菜が、祭の公式HPをスマホで開いて、いろはにそう教える。
「そうだったの? ……それって魔女に囚われた一般の人のデータを取る為、かな?」
普段スマホを見ないいろはは、葉菜の言葉に目を丸くした。
そのやりとりにミコが口を挟んでくる。
「それもありますが……会長の遊び心が疼いてしまいまして……」
どこか呆れ返ったようにジト目で稜斗を睨んだ。
彼は苦笑しながら頭を掻いた後、いろはと葉菜が予想だにしない事を口にした。
「この一か月間、リヒトを改良しましてね……魔法少女でない、一般の方もアバターを作成すれば“魔法少女として”参戦できるようにしたんですよ」
「「ええ!?!?」」
つまり、一般人でも“リヒト内なら”魔女と戦えるということだ。
さらっと紡がれた一言に、いろはと葉菜がビックリ仰天したのは言うまでもない。
「実写版〇場晶彦……マジでソー〇アー〇・〇ン〇イン……」
「やっぱり皇さんって……イカレてるっ」
いろはが思わずポロっとそんな言葉を零してしまうのも無理は無い。
何せ魔女に殺され掛けた自分から見れば、普通に暮らす人に同じ思いを絶対にさせたくないからだ。
だが、目の前の奇人は快笑一閃。
「あっはっは! 最高の誉め言葉として受け取っておきますよ! 環さんのお気持ちは分かりますけど、ここまでしなければ魔法少女がどれだけ過酷な戦いを強いられているか、理解して頂けないと思いましてね」
「そ、それはそうかもしれませんけど……っ」
(あのさ、お姉さん。あそこの兄ちゃんほったらかしにしてたらいつか大変な事が起きるんじゃね?)
苦笑するいろはの隣で葉菜がミコに告げ口。
それこそ、茅場〇彦がソ〇ドア〇ト・〇ンライ〇で開催したデスゲーム並の大事件が……
「ミコもマジでこいつヤバイと常々思っていますが、残念ながら止める術を持ち得ておりません。諦めてください」
ミコは溜息を付きながらヒラヒラと手を振って無情な一言。葉菜がガックシと肩を落とす。
「折角ですから、お二人もぜひ参加なさってください」
稜斗が後ろを振り向く。事務所内に丁度、空いているPCとヘッドホンが一台ずつ置かれていた。
「よっしゃ! いろは! やるぞ!!」
「うんっ!!」
二人は意気揚々とシミュレーションに参加したのだった。
――――13:00 万々歳
「で、どうだった? リヒトは?」
「もー凄いのなんのって! なあ!!」
葉菜は未だ興奮冷めやらぬ様子でいろはに振る。
「うん。ちゃんと改善もされてたし、やっぱり皇さんっておかs……凄いなって!」
リヒトによる疑似シミュレーションを一通り体験し終えた後、いろはと葉菜は、万々歳で昼食を取っていた。
葉菜は小籠包。いろはは五目ラーメンを注文し、それぞれの食事に勤しんでいる。
なお、リヒトについてだが、課題であった魔女や使い魔の質感――あの触れた時の形容し難い気持ち悪い触感が、以前試験した時よりもリアルに再現されていた。改めて、皇グループの技術力は凄い。
「で、どう? 葉ちゃん、味は?」
「50点」
葉菜がバッサリ切ると、鶴乃は「やっぱりかー」ガックシ肩を落とす。
「でも、鶴ねーさんと話すのが楽しいから、気にならないよ」
「そう? ありがとう。うちは接客が何よりの自慢なんだ!」
「へえ、そっちは100点満点だから、料理と合わせて150点だね」
合格ラインぶち抜きだね! と葉菜が賛辞を贈ると、鶴乃は嬉しそうに頭を掻いた。
(やっぱり葉ちゃんは上手いなあ……)
彼女の笑顔をあっさり引き出した親友のコミュニケーション能力が羨ましいと思う。
でも……鶴乃が心から笑えるようになって良かった。
出会った時は――怒りと悲しみと後悔。ドロドロに交じり合った負の感情を“笑顔”で強引に蓋をしていたように見えたから。
「……100点満点かぁ」
嬉しさを噛み締めるように鶴乃が呟く。
「鶴乃ちゃん?」
「うん。今までのわたしって無我夢中で100点だけを目指してきたからさ、周りを見てる余裕なんてちっとも無かったんだよ……。でも今、本当にやりたいことを見つけてからは、凄く人と向き合えてる気がするの」
鶴乃はそこでいろはに顔を向けると、屈託無く笑った。
「全部いろはちゃんのお陰だよ。ありがとう」
「そんな……」
「いろは!」
大したことはしてない、と謙遜するが、葉菜に背中をバンッと叩かれた。
「お前が良い奴だってみんなが認めてるんだから! もっと自信持てって」
鶴乃はうんうんと頷く。いろはは「そうかなあ?」と照れ笑い。
「……本当に、いろはちゃんって似てるね」
――――と、そこで、鶴乃の目線が急に細まった。
どこか遠くを見るような、懐かしさに慈しむような瞳で。
「え?」
「いろはちゃんと別れた後にね、思い出したの。本当に大昔の話なんだけど……」
笑顔に微かな寂しさが混じり込んで、いろはと葉菜が口を閉ざし、彼女を見つめる。
静かに語り出した。
――――
それはわたしが、3歳ぐらいだったころかな。
うちの近所に焼き肉屋――もう無いけど――があってね。そこに住んでた6歳年上のおねえちゃんがすごく良い奴でさ。いつもわたしや理恵ちゃん達と遊んでくれたんだ。
面倒見も良くってさ、お店に行ったら必ず焼肉を御馳走してくれたし……理恵ちゃんが男の子に泣かされた時なんてもう大変。
「そいつを
そうそう葉ちゃん。物凄く喧嘩も強かったんだよ! だから、商店街の女の子の間じゃヒーローだったんだ。
……男の子からはもっぱらジャイ〇ンって呼ばれてたけどね……
――――
「ウェルダン……?」
「どうしたの? いろは」
「……ううん、何でもない」
気になった葉菜が尋ねてきたが、首を振って否定した。
――――
突然だった。
お姉ちゃんが引っ越すことになっちゃってね。
うん。いろはちゃんなら、分かってくれると思う。
いつも当たり前にあったものが無くなった時の喪失感って半端無いよね。
すっごいショック! 心の中にポッカリ穴が空いた感じだった。
お姉ちゃんは別れ際に、わたしを抱きしめようとしたんだけど――――
わたしは、お姉ちゃんがもういなくなる現実を受け入れたく無くって。
背中を向けて、逃げちゃったんだ。
……ああ! 二人とも、そんな悲しい顔しないで!
悪いのは、私だから。多分、そのころから、歪んでた……。
え? 葉ちゃん……それは違うって? 自分もそうしたことあるから、気持ち、わかるって?
……ありがとう。
でも、本当に私は歪んでたんだよ。
お姉ちゃんがいなくなったショック。ちゃんとお別れしなかった自分に、すっごくむしゃくしゃしてたんだろうね。
近所の男の子とたまたま会ってさ……そいつがからかってきたんだよ。
「てんめぇ由比ー! お前の爺ちゃんのせいでうちの店は閉まったんだ! ベンショーしろよベンショー!」
……その子の家も中華飯店でさ。
お父さんが急病になって店を閉めなきゃいけなくなったんだよね……。
でも、誰かに、あの子は、やり場の無い怒りをぶつけたかったんだと思う。
それが、たまたまわたしだったのが、悪かったんだ。
「っ!!」
わたしは、本当に自己中で。自分が一番辛いのに、なんだよ! って怒りと、お祖父ちゃんを馬鹿にされた悔しさが噴き出して……。
その子の気持ちを考えてあげられなかった。
カッとなって――――足元に落ちている大きな石を拾って、その子の顔に向かって、投げた。
……大事にはならなかった。軽傷で済んだ。
だけど、お爺ちゃんもお父さんも……家族の誰もわたしを責めなかった。
悪いことをしたのに……誰も何も言わなかった。
だから、馬鹿な考えをしたんだ。
大好きなお祖父ちゃんを馬鹿にした悪者をこらしめた。だから私は正しいんだ。強いんだって。
だけど、おんじだけは違った。ちゃんと叱ってくれた。
「鶴、おめえ、なんであんな真似をしたんだ」
「だってあいつ、おじいちゃんのことわるくいったんだもん」
――――一瞬、おんじが鬼に見えた。
「バカ野郎!!」
って怒鳴られて、顔をパンッ!って思いっきり叩かれた。
痛かった。すっごく痛かったよ!! あんなに痛い思いをしたことは、今も無いよ……。
でも、その後のおんじ……すごく辛そうで、悲しそうな顔だった。
今なら分かる。
多分、人を傷つけるって、そういうことなんだよ。
傷つけた自分だって辛いんだ。相手が痛いのが伝わってしまうから。
そんな当たり前のこと、当時の私は――いや、ついこの間まで――ちっとも分からなくて……。
「おんじのバカ! だいっきらい!!」
わざとおんじの顔を見ないように下を向いて、そんなこと叫んで、
その時、おんじがまた怒鳴ったんだけど、もう何言ってるのか分からないくらい、頭の中ごちゃごちゃでさ……。
『女の子が一人で出歩くのは危ない』
いつもおんじや、おねえちゃんに口煩く言われてた言いつけを破って、離れの公園に行ったの。
うん、そうだね、いろはちゃん。多分、一人になりたかったんだと思う。
商店街の中だと、みんなが知り合いだからさ……周りを心配させたくなかったんだろうね。
――――でもね、わたしは一人になれなかった。
先客がいたんだ。
綺麗な青い髪の、自分と変わらないくらいの女の子。
その子がね、グズってる私に手を差し伸べて、こう言ってくれたの。
――――ひとり? いっしょに、あそぼう。
――――
「青い髪……その子って……?」
いろはが尋ねようとするが、鶴乃は首を振った。
「分からない。名前は聞かなかったから。後にも先にもその子と遊んだのは一回きりで……。よく似てた」
いろはの頭に、電流が走った。
まさか――――つい口を開きそうになる。しかし、
「いろはちゃんみたいに、芯が強かった」
鶴乃のその一言を聞いて、そう思い至った。
――――おいで、いっしょにあそぼう
そう言って手を差し伸べる“あの子”の、海の様に青いショートカットヘアが、ふわりと揺れた。
綺麗な子だって――――子供心にそう思えた。
嬉しかったんだ。こんな暗闇にいるわたしを見つけてくれて。
わたしの手は自然と伸びて、引き寄せられるようにその子の手を掴んだ。
涙は止まってた。
悲しみも、怒りも、悔しさも、あの子の持つ海色に吸い込まれてしまったみたいで。
“あの子”は両親と一緒に商店街に来ていたんだ。
親が普段は忙しくて、いつも近所のお姉ちゃんに面倒を見て貰ってるんだけど、今日は久しぶりに家族全員揃って外出できたんだって。
でも、浮かれちゃったんだろうね。はしゃぎまわってたら、親からはぐれちゃったんだって。
公園に居たのは、目立つ場所にいれば、いつか親が見つけてくれるって思ったからなんだって。
――――それから、わたしたちは、思いっきり遊んだんだ。
“あの子”がピンクのボールを持ってたからね。
でも、その子は両親が忙しいから、普段は一人で遊ぶことが多いんだって。だから、友達とどう遊ぶのか分からないって……そこは、この鶴乃ちゃんにお任せあれってね! わたしは思いつく限りのボール遊びを考えて、その子と時間が忘れるまで遊んだ。
お互いに暗い気持ちを吹き飛ばしたかったのかもしれない――――一生懸命遊んで、わたしたちは笑いあった。
あの時だけかもしれないけど、わたしと“あの子"は確かに友達だった!
だけど――――
日が暮れた頃、わたしの蹴ったボールが道路に飛び出しちゃった。
慌てて取りに行こうとしたら、車が迫ってきててね。
わたし、ボールに夢中で気づかなくって。
クラクションを鳴らされて、ようやく気づいた時には――――
車が目の前にあった。
(あ、どうしよう。もしかして、このままぶつかっちゃうの?)
アドレナリンってやつが過剰分泌したのかな? とにかくその時は一瞬が、何十秒にも何分にも感じられて、わたしは逃げることも忘れて、呆然と変なことを考えてた。
(ぶつかったら、どうなっちゃうの?)
その頃は“死”の概念なんて知らなかったから。
(いたい? ぜったい、いたいよね?)
(いたいって、どれくらい?)
(ころんで、ひざをすりむいちゃうよりも?)
(包丁で、ゆびをきっちゃうよりも?)
(いやだ)(いやだ)(いやだ)
(こわい)(こわい)(こわい)
(たすけて、おとうさん、おかあさん、おねえちゃん、おじいちゃん)
――――考えるだけ、無駄だったよ。
衝突は無かった。
だって、“あの子”が、車を停めてくれたから。
呆然と見つめるだけのわたしを護るように――――こう……両腕をバッ!て広げて立ち塞がってくれた。
車は、あの子にぶつかる直前で停まってた。
怖くて、何もいえずに見ている自分が、情けなかったよ。
――――でも、その時点じゃ、もっと怖い思いをするなんて、ちっとも思わなかった。
「危ねえな、クソガキ!」
車から男が下りてきたの。
威圧感を与えるような低い怒鳴り声。真っ黒いパーカーでフードを深めに被っててさ……顔なんてサングラスと黒いマスクをして隠してるんだよ。
今、思えば、あの男はまともじゃなかった。
明らかに怪しげな大男は、“あの子”の目前でしゃがみこむと、あの子をじっと見つめてた。
わたしは、直感で、怖いと思ったんだ。
だってあの男の視線の先は、“あの子”の顔じゃなくて、お腹とか下半身とか……そっちの方だったから。
「どうやって謝ってもらおうかなあ」
何で顔を見て話さないんだろうって、不気味だった。
――――うん、そうだね。たぶん、
男は、あの子に
囁くように、そう言ってから、男は“あの子”の肩に触れた。
うん……やめてって男に怒鳴りたかったよ! 逃げてってあの子に叫びたかった!
でも、あの頃のわたしは、男のことが怖くて……唇が震えて……声が出せなかった。
男があの子に酷いことをしようとしているのに……何もできなかった。
でも、あの子は。
ちっとも怖気づいてる様子も無くて。
ただ、男を見つめていたんだ。
まるで、仕事中のお祖父ちゃんやおんじみたいに、力強い瞳で。
「ごめんなさい」
「あ?」
あの子が言葉を紡いた。男が眉間をグッと寄せて威圧する。
「わたしたちがご迷惑をおかけしました。もうしわけありません」
その仕草があまりにも優雅で、わたしは思わず見惚れちゃった。
その子はね、両手を路面に付いて、土下座したんだ。
力強い目つきで、男を見据えたまま。
「ごめんなさい。わるいことはにどとしません。ゆるしてください」
そう何度も繰り返して、あの子は頭を下げ続けた。
路面に擦り付けながら、何度も何度も何度も、懇願したんだ。
男は、少し呆気に取られた様子だった。
……うん、そこで、あの子の手を引っ張って逃げちゃえば良かったんだと思う。
わたしは、何もできずに、ただ見つめていたんだ。
あの子を早く助けなきゃって、頭ではわかっていたのに、男が怖くて、自分が傷つくのが怖くて……体が震えて動いてくれない。
でも、それはあの子だって同じだった筈だよ。死ぬほど怖かったのに、自分が悪いことを認めて、ちゃんと謝ってる。
……本当に謝るべきは、わたしだったのにね……。
「じゃあ、一緒に来れば、許してあげるよっ」
男が眉間を緩ませて、急に穏やかな声でそう呟いた直後――――あの子の腕をギュッて引っ張り上げたんだ!
全身がゾッとした。直感でヤバイと思った時には、男はあの子を車まで引きずり込もうとしてた。
大声で叫びたかった。誰でもいいから助けを呼ぶべきだった。
全部頭でわかってた。だけど、口が動いてくれなくって……あの子が乗せられそうになるのを、ただボケッと見ているだけで……
「おい、何してる」
――――でも、正義の味方が現れたの。
聞き覚えのあるしゃがれた声に、わたしはハッとしたんだ!
「っ!」
胸から緊張が一気に解れて、安心したんだ。
男は
あの頃はバリバリの現役だったからね。そりゃもう男は一気に地獄に叩き落された気分だったろうね。
しかも、滅法強くってさ。驚いた隙を逃さず、男に飛びかかると、あの子を掴んでいた腕にビシ!って手刀を落としたんだ!
男の顔が歪んで、あの子から手を離した。すかさず、手首を掴んで背中まで捻り上げると、男は「いだだだだっ」ってうめき声を挙げて……苦しそうな顔で
「き、雉さん……」
って呟いたんだ。
そう! おんじだったの! おんじがわたしたちを助けに来てくれたの!
おんじは男のサングラスとマスクを剥ぐと、頬の古傷をギロリと睨みつけて、
「……てめえ、河原崎だな。ムショ暮らしはとっくに飽きたもんだと思ったが」
河原崎と呼ばれた男は、イタズラが先生に見つかった男の子みたいに罰の悪い笑みを浮かべてたんだ。
「へへ……へ、俺みたいなクズがさ、カタギになるなんて……土台無理だったんだよ」
「だから児童買春か。ふざけてやがるな」
おんじが、男の首をアームロックを決めて。
「へへ……仕方、ねえだろ? あれぐらいのガキの秘部ってのはよ……あんたらの給料の何倍も高く売れ」
る――――と言う前に、おんじは力を込めてグイッと首を締め上げた。
――――男はあの後、警察に突き出されて逮捕された。
――――あの子はいつの間にかいなくなっていた。
お礼が言いたかったのに。
一緒に遊んでくれて、わたしを守ってくれて、ありがとうって。
いろはちゃん。
あの子もね、いろはちゃんと同じだったんだよ。
掃き溜めに落ちたわたしを、見つけてくれた。
何が正しいのかを、身を持って教えてくれた。
人を傷つけずに。
わたしが、最強を目指したのって、多分、その子みたいな強さに憧れたからなんだ。
――――でも、わたしは、どこかで、間違えた。
それから、しばらくして……
商店街の広場では、神浜市のご当地ヒーロー:カミハマンショーが開催され、老若男女問わず、大きな盛り上がりを見せた。
――――ショーの幕が下ろされる様子を遠巻きに眺める一人の少女が居た。
由比鶴乃だ。
父から、休憩を言い渡されて、あてもなく公園へと向かった彼女だが、改めて商店街の盛り上がりに驚嘆する。
――――これは夢か。
無理は無い。
つい最近までは、商店街に人の声が聞こえない日なんてしょっちゅうだったから。
まさか、世界中から人が集まり大盛況する日が来ようとは。
改めて、皇グループ会長・皇 稜斗の影響力は本物であったと思い知る。
――――そして何より。
環 いろは。彼女は本当に何者なんだろうか。
人並みに芯が強くて、優しくて、真面目で……苦しみを抱えている、どこにでもいる普通の女の子。
でも、彼女はぶつかってきた。
掃き溜めに堕ちて、誰にも理解されないところで蹲っていた自分に。
そして変えてしまった。
その純粋無垢な行動力で、自分を――――自分が生きるこの世界を。
以前、自分は神様は気まぐれだと考えたことがある。
環 いろはが、もし、神様の気まぐれで自分の前に降りた天使であるというのなら。
――――そうだ。これは夢だ。神様が、ここに住む人達全てに見せた、一時の夢に違いない。
リヒトの公開が終了すれば。
近い内に、皇 稜斗も東京にある本社へと戻っていくだろう。
――――そうだ。そこで醒めて、終わる。
そして、元通りになる。
商店街は元の静寂を取り戻し、いつまた再開されるかわからない再開発計画に怯える日常が訪れる。
神様は平等だ。気まぐれで幸運も不運も与える。世界はバランスで成り立っている。絶対的、永久的などあり得ない。
不意に、子供の泣き声が聞こえた。
はっと、鶴乃は振り向いた。
未だ熱狂冷めやらぬショーの人混みの中で、その女の子だけが、違う世界に居るようだった。
女の子はえーん、えーんと声を張り上げて泣いていた。泣いている理由はわからない。 親とはぐれてしまったのだろうか?
ただ、これだけの人に囲まれていながら、誰も女の子の事を見向きもしないのが、残酷だった。
(泣かないでよ……)
一瞬、足が竦んでしまった。
その子が、かつての自分と重なって見えたからだ。
暗闇の中で、ただ泣き喚く少女。でも、皆は見ようとしない。だって、興味が無いのだから。面倒くさいことには、関わりたくないから。
(泣いてばかりいたら、わたしみたいになっちゃうよ……)
そう思いながら、鶴乃はゆっくりと、泣いている女の子へ歩み寄ろうとした。
――――あの時の後悔を二度としたくないし、もう誰にも味わわせたくない。
そうだ。かつての自分は言ったことがある。今がその時。
あれ、そういえば、その言葉を誰に言ったんだっけ。
最近超忙しいから、忘れちゃった。
でも、「私も同じだ」って。分かってもらえた気がする。
誰だっけ?
誰だっけ?
「きみ、ひとり?」
――――え?
鶴乃の足が、止まった。
同時に、世界の景色も、一瞬だけ、止まって見えた。
泣いている女の子の前に、彼女が居た。
青い髪の綺麗な人。
「…………!」
鶴乃の頭に、雷が落ちた。
具体的に伝えるなら、脳内にある電気信号全てがスパークし、頭全体に衝撃を走らせた。
――――そうか。そういうことだったのか。
探し求めていた答えが、目の前にあった。
自分があてもなく“最強”を目指し始めたきっかけ。
いつか、彼女のようになりたいと。彼女のように護れる者でありたいと。
あまりにも呆気なさすぎて、信じられない――――
「お姉ちゃんと、いっしょに、あそぼう」
――――いや、今、確信に変わった。
彼女は、彼女だった。
あの時と寸分変わらない仕草と、優しい声色と、女の子を真っ直ぐ見つめる力強い海色の瞳で。
差し伸ばされた手を、女の子はギュッと掴んだ。
ああ、やっぱり、あの女の子は自分と同じだった。
安心したんだ。こんな暗闇で、自分を見つけてくれた人がいたから。
まだ、自分は歩いていけるんだって。生きていてもいいんだって。
女の子は「うん!」と声を張り上げた。悲しみや怒りは微塵も無い、快晴のような笑顔で。
「七海、やちよ……」
不意に、彼女の名が自然と口から紡がれた。
彼女は肩がピクリと竦み、自分の方に振り向く。
「由比、鶴乃……」
「あの、さ――――」
――――あれから、詳しいことはよく覚えてない。
「鶴乃ちゃんっ!」
声が聞こえて、心の底から安心した。
ああ、彼女が居てくれた。暗闇の底にいる自分を、見つけてくれたんだ。
彼女が目前まで駆け寄ると、どっと倒れ込むように、自分の体よりも細い体を抱き寄せた。
「どうしたのっ?」
ごめんなさい、いろはちゃん。
貴女の言うことを守れなくてごめんなさい。
貴女の望むような友達になれなくてごめんなさい。
貴女のように強くないわたしでごめんなさい。
口から全部言ってしまいたい言葉が頭の中を堂々巡る。
だが、感情の飲み込まれたら駄目だ。彼女にだけは、はっきりと頭で伝えないと。
「いろはちゃん、ご……っ、……わたしね、七海やちよに会ったの」
いろはが鶴乃の体をギュッと握り締めた。
「どう、だった?」
えっ、と目を見開いた。どうして彼女がそんな質問をするんだろう。
「わたし、また酷いこと言っちゃった……」
――――そんな……綺麗な着物を着て……何? 主役気取ってんの?
――――ねえ。分かってるよね? 祭りの功労者はいろはちゃんと、皇さんだよ。
――――あんた、何もしてないじゃん。わたしの世界から、大事なものを追っ払っただけじゃん……。
――――祭りが醒めたら、ここは元通りになるんだよ? 皇さんだっていつまでもいてくれる訳じゃない。
――――それがどういう意味か、分かる? 分からないでしょ?
――――わたしたちのことなんて、何も考えて無い癖に……。
――――ねえ、出てってよ。
――――さっさといなくなれよっ! わたしの世界からっ!
「あいつは、“あの子”だった。あの時、わたしにそうしてくれたみたいに、誰かに手を差し伸べてた……」
鶴乃の頬に、熱いものが流れている。
泣いていると感じたから、いろははより強く彼女の体を抱きよせた。
「わたし、嬉しかったんだ! ずっと探してた答えが見つかった気がして、本当に安心したんだよっ!! だけど、口から出たのは……」
憎悪と怨恨――――自分の心を巣食っているそれらは、想像以上に深く根付いていた。
どうして、こうなってしまうんだろうか。
どうして自分は……肝心な時に感情をコントロールできない!
「本当は、そんなこと言うつもりじゃなかったのに……」
涙の暖かさを頬で感じながら、いろはは問いかけた。
「鶴乃ちゃんは、何て言うつもりだったの?」
ごくり、と。
飲み込んだ唾で迫り上がる嗚咽を抑えてから――――鶴乃はハッキリと言った。
「『わたしたち、ちっちゃい頃、一緒に遊んだよね?』って……」
いろはの目が大きく見開いた。
驚き、というよりは、やはり、という確信の表情に見えた。
「友達に会ったような軽い気持ちで、本当にそう聞くつもりだったんだよ。 だけど……駄目だった」
――――感情に負けちゃった。
鶴乃は、いろはの肩を掴んで頬を引き剥がすと、そう言った。
いろはは、彼女の顔を見て、絶句した。
――――ああ、戻ってしまった。出会ったばかりの鶴乃ちゃんに。
ぐちゃぐちゃの感情を、笑顔で強引に蓋をして“自分は平気だ”と誤魔化した。あの頃に……!
「っ!!」
いろはの目がキッと鋭利に瞬いた!
渾身の力で鶴乃の腕をギュッと掴んで、どこかへと引っ張り出す!
「痛っ! ちょっと! いろはちゃんっ、何っ!?」
「認めない……」
「えっ……!?」
絞り出すような、怒りの声。
今まで見たことも無いいろはの様子に、鶴乃は目を丸くした。
「これで終わりなんて、絶対に認めない……!」
「でも、わたしは……もう」
いろはの瞳がカッと見開いた。
「約束したでしょっ!?
「っ!!」
――――鉛を思いっきり殴られたような衝撃が、鶴乃の頭を襲った。
「鶴乃ちゃんが諦めても、私は諦めない! だって私は、鶴乃ちゃんの“親友”だから! おんじさんみたいにはなれないけど、おんじさんの次くらいには鶴乃ちゃんのことを分かってあげたいからっ!」
自分を引っ張るいろはが、夕陽と重なった。
頭から末端まで黄金に染まった彼女が、毅然と言い放つ。
「だから私は、貴女とやちよさんを意地でも向き合わせる! そうしたいのに、それができない貴女を見てるのが嫌だから……そんなの、私の気分が悪くなるだけだから……っ! もう、鶴乃ちゃんを引っ張り上げるのいい加減疲れたからっ!!」
鶴乃ちゃんには、前を向いて欲しい。いつまでも、太陽みたいに笑って欲しい。
それが本当の鶴乃ちゃんだって分かったから、曇るなんて、絶対に許さない。
だから――――
「今度こそ、本当の自分の気持ちを伝えてっ! 全部精算してきてよっ! じゃないと、私」
――――貴女を、破門にするから。
いろはは喉まで出かかった言葉を、寸前で飲み込んだ。
それだけは言っては駄目だと理性が判断してくれた。
「……っ」
鶴乃は何も答えない。
だが、表情は明らかに変わっていた。
掃き溜めの鶴ではなく、一つの決意を固めた人間の力強い顔つきがそこに見えた。
いろはは万々歳の玄関に手を掛けると、思いっきり開く。
ランチタイムを過ぎて閑散とした万々歳に、客が一人だけ居た。
彼女は食べ終わって空っぽになったラーメンの鉢をじっと見下ろしている。
「やちよさんっ」
声を掛けられて、彼女は振り向いた。鶴乃に言われて着替えたのだろうか――――晴れ着では無く、私服姿だ。
彼女はいろはの隣立つ鶴乃を見ると、ほっと一息。
カウンターに置いたバッグを肩に掛けて、席から立ち上がる。
「おお、やっと帰ってきたか、バカ野郎」
「おんじ、ただいま……」
厨房から木地郎が顔を出してくる。
二人がそうやりとりした後には、既にやちよは玄関から外へ足を運んでいた。
「行くのか」
「ええ、安心しましたから」
やちよは木次郎に一言だけ答えると、これ以上話すことはない、と言うように、三人に背中を見せて去っていく。
「やちよさんっ!」
だが、いろはがその背中に声を叩き込んだ。
「貴女は……誰の味方なんですかっ!?」
やちよの肩が、ピクリと竦んだ。
足を止めて、彼女は答える。
「私は、神浜市に住む全ての人達の味方よ。今も、これから先も、ずっと」
「だから、全部一人で抱え込むんですか……!」
「そうする以外に、戦う術を知らないからね」
――――ああ、なんてことだ。やちよさんがまた歩き出してしまった。
近づけたと思っていたのに、どんどん距離が離れていく。
家族でさえ、彼女の心に踏み込むことはできないのか――――
「七海やちよっ」
だが、そこで――――新たなる声がやちよの背中に叩き込まれた。
「わたしたち、ちっちゃい頃……いっしょに遊んだよねっ?」
やちよの足が、完全に止まった。鶴乃の言葉によって、そこに縫い止められた。
「思い出したよ、わたし。ぜんぶ」
やちよは、振り向かないまま、鶴乃の言葉に耳を傾けていた。
「どうして、わたしっていつも遅いんだろう? もっと早く気づいてたらさ、こんなにギクシャクしなかったのに……」
「……」
「分かってるよ。あんたがわたしたちにしたことは、確かに酷いことだった。わたしは絶対に忘れない! でも……っ」
鶴乃は力強く握り締めた拳を解くと、一瞬だけ、奥歯を砕く程おもいっきり食いしばった。
そして……
「もう……終わりにしよう」
穏やかな顔で、そう伝えた。
やちよの頭が、僅かに下がった。彼女が下を向いたのだと分かった。
「あんなこと言っちゃって、信じてもらえないかもしれないけどさ……もうお互いに攻めるのはやめよう! わたしはもう、自分の弱さに嘆いて誰かに八つ当たりしたくない! 誰も、傷つけたくないし、失いたくない……。あんたのこともっ……!」
「…………」
「やちよ、お願いっ! もう一度だけでいいから、あんたと向き合わせて!」
それが、鶴乃が考える、自身が前に進むための方法だった。
「……」
やちよは何も言わず、振り向いた。
氷の様に冷淡な表情。だが、その相貌には夕陽が当たり、白く輝いて見えた。
「……ついてきて、くれる?」
「……え?」
同性でも息を飲んでしまう程の美しさに、呆然と見惚れてしまう鶴乃だったが――――やちよの言葉で我に帰った。
「見せたいものがあるの」
「……!」
鶴乃は迷わずコクリと頷くと、いろはを伴って、やちよの後ろを付いていった。
☆
――――30分後。
――――中央区。
やちよが二人を伴って訪れた先は、中央商店街にある一件の定食屋であった。
入り口に「よねだ」の暖簾を下げたその店は、今月新装開店されたばかりであり、店内はカウンター席しかないこじんまりとしたものだったが、清潔感に溢れていた。
「いらっしゃい!」
カウンター内の調理場でコック姿の店主が陽気な挨拶を送る。まだ三十代半ばぐらいだろうか。笑顔には活気があふれていて親しみやすそうな人柄だ。
やちよ、鶴乃、いろはが横並びになって座る。
「どういうこと?」
わたしお腹空いてないんだけど――と、鶴乃は疑問に思い、やちよを横目で見やる。
「好きなものを頼んでみて」
途端、意味深なものを感じて鶴乃はやちよを睨みつけた。
「……自分が贔屓している店の方が上だって、そう言いたい訳?」
「鶴乃ちゃんっ」
いろはに小声で叱られて、鶴乃は眉に唾をつけた。
いかんいかん――――喧嘩をしたいんじゃないってさっき誓ったばかりだったのに。
「じゃあ……鯖の味噌煮定食で」
気を取り直して鶴乃が注文すると、店主が「あいよっ」と威勢の良い声を張り上げ、調理を進めていく。
――――やがて、料理は鶴乃の前に出された。
「いただきます」と鶴乃は両手を合わせると、鯖の味噌煮を一口だけ、口に運ぶ。
「…………えっ?」
咀嚼して味わっていた鶴乃の目が、突然はっとしたように見開かれる。
「鶴乃ちゃん?」
「
「えっ?」
いろはが尋ねると、鶴乃はゴクリと飲み込んでから、鯖の味噌煮をじっと見下ろして、そう答えた。
「同じ、なんだよ。ふわりと口に広がる味噌の味付け、よく油の乗った鯖の柔らかさ……川野の婆ちゃんちで食べたのと」
鶴乃は驚きのまま、やちよに顔を向ける。視線から、まさか――――という意図を察知してやちよはコクリと頷いた。
てっきり中央区にいる息子家族の元で隠居しているとばかり思っていたのに……
『ヤッホー! 鶴ちゃん!』
――――刹那、いろはと鶴乃は自分の目を疑った。
川野とそっくりな声。
しかし、そこにいたのは川野ではなく……
「ええ!?」
「もしかして、このロボット……!?」
「ええ、『川野さん』よ」
やちよが答える横で、川野(分身ロボット)はピースサイン。
「二木市の大庭さんの店の厨房で見た時、これだ! って思ったわ。これなら、自宅から動いて頂く必要も無く、安全に若い人達に技術指導して頂くことができる……!」
やちよが皇 稜斗に提案した作戦の全容とは、これだった。
中央区で店を開いたばかりの若い経営者達と、参京商店街の老舗の経営者達を直接繋げるネットワークシステムを構築すること。
皇グループなら、それが可能だと思った。
「ばあちゃんは……」
「川野さんと中山さんは協力を示してくれたの。それが神浜の将来につながるのならって……あの人達が呼びかけてくれたお陰で、腕利きの職人やプロが賛同してくれた。シニア層が築いてきた信念や地価を、若い人たちが受け継いでくれると信じてる」
古きものを壊して、全く新しいものに作り変える――――そんな行政を、私は認めない。
最後にそう付け加えると、鶴乃がプッと噴き出した。やちよが罰が悪そうに頭を掻く。
「なんだよそれっ」
「ちょっと、カッコつけすぎちゃったかしら……?」
「いいよ。だって」
鶴乃はやちよの方を振り向くと、
「あんたが、わたしたちのこと、ちゃんと考えてたんだって分かったからっ!」
笑った。
一端の陰りも無い、太陽の様に明るい笑顔に、そこにいる全ての人たちの心を暖めた。
――――夕暮れ。
――――参京公園。
オレンジ色の夕陽が、公園全体を暖かな黄金色に染めていた。
片隅に置かれたベンチの上で、少女が二人、寄り添って座っていた。
七海やちよと由比鶴乃――――
かつて、立場の違いとすれ違いから、二人はお互いに苦手意識を持ち、嫌悪しあった。理解を拒み、時に強くぶつかりあった。
だけど、今は――――一緒にここで夕陽を眺めていることが、こんなにも満たされている。
嗚呼、“あの時”と全く同じだ。
あの頃を取り戻せる日が来るなんて、二人は夢にも思っていなかった。
――――いや、どこかで二人はずっと探し求めていたのかもしれない。
魔法少女になってから、二人はただ、前ばかりを向き続けた。只管に。我武者羅に。後ろを振り向く暇も無い程に。
だが、それは間違いであったと、今は理解できる。
――――そうだ。本当のことはいつも、過去にしか無い。
「ねえ」
鶴乃が呟いた。やちよが「なに?」と振り向く。
「ありがとう。やちよ、こんな世界の片隅で、わたしを見つけてくれて」
それは、あの頃から、ずっと伝えたかった感謝の言葉だった。
やちよはふっと微笑を零すと、穏やかな声色で返す。
「世界は……もっと広いわよ」
「そうだったね」
「今までごめんなさい。由比さん」
もう陽は堕ちる頃だというのに、自分達を照らす夕陽はどこまでも輝いていて、暖かい。
――――と、そこで、二人の足元に何かが転がってきた。
「これって……」
鶴乃が目を丸くする。
それはあの頃、二人で一緒に遊んだ“桃色のボール”だった。
自然と、鶴乃の両手がそれを拾い上げる。
「…………っ!」
何かが、閃くように鶴乃の頭に浮かんだ。
口元が嬉しさを隠しきれず、ニンマリと深い弧を描く。
「ねえ、やちよ
あの頃と変わらない無邪気な笑みで、鶴乃はやちよに振り向くと――
「おいで、いっしょにあそぼう!」
――手を差し伸べた。
やちよは一瞬、呆気に取られたまま、じっとそれを見つめていたが――
「……いいよ。鶴乃
――屈託無く笑って、その手をギュッと握り締めた。
鶴乃が蹴り上げた桃色のボールが、天高く飛翔し、夕陽の残光を反射する。
それが、二人の間に太陽が昇ったかのように見えた。
☆サイドストーリーへ
ようやっと由比鶴乃の話は完結致しました。
作者自身ここまで長丁場になるとは予想だにしておらず、最序盤でたった一人のキャラクターの為にここまで描写を費やすとは……中々に馬鹿げた真似をしたと思っております。
(でも、後悔はしていない)
……実は他にも書きたいことがいろいろあったのですが、それは、次回に後回しさせて頂きます。
次回以降は、またいろは主軸の話に戻らせて頂きます。
フェリシアの足音は、もうすぐ近くに……