鬼の目にも涙【完結】   作:トマトルテ
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一話:伊吹萃香と食えない男

「こんな時間に山を歩いてるなんて危ないねぇ、鬼が出ても知らないよ?」

「誰だ?」

 

 太陽も沈み、今は闇が支配する世界。(あやかし)がうごめき始める時間。

 夜となれば人は家に籠るのが鉄則。だというのに、1人の男が暗い山道を歩いていた。

 そこへ、声をかける何かが現れる。

 

「伊吹萃香―――鬼さ」

 

 その何かはニタリと牙の生えた口を吊り上げ、男の前へと姿を現す。

 背は童女と言っても差し支えない。しかし、少女の目は力強く見る者に格の違いを教える。

 何よりその頭に生える二本の角こそが、鬼という強者である証であった。

 

「鬼か、俺は鬼には用がない。悪いが先に行かせてもらう」

「ククク…剛毅だねぇ、あんたは。でも、私は今酒のつまみを探している最中なんだ。丁度いい所に活きの良い(さかな)が来たんなら逃がす手はないね」

「俺を食うか。人からは食えん奴だとよく言われるんだがな」

 

 鬼だと正体を明かしたにもかかわらず、全く表情を変えない男。

 そんな姿に萃香は面白そうに笑い、目を細める。

 

「鬼の胃袋を舐めてもらったら困るよ。骨だって融かすんだ。煮ても焼いても食えなくてもしっかり消化してやるさ」

「それは困ったな。今食われるのは不味い」

「そう言いながら、あんたは逃げないね」

「鬼相手に逃げきれるわけがない。走るだけ時間の無駄だ」

 

 それだけ聞けば男は鬼を前に生を諦めているように聞こえる。

 しかし、対峙する萃香から見れば全くそのようなことはない。

 男の瞳はまるで生を諦めていない。ただ、ひたすらにこの先の道に進むことだけを考えていた。

 

「ふーん、時間に追われてるってやつかい?」

「その通りだ。母が危篤という知らせを受けてな。こうして夜道を急いでいるわけだ」

「なるほどねぇ……」

 

 萃香はジッと男の瞳を見つめる。鬼は嘘が大嫌いだ。

 故に閻魔とまでは行かずとも、嘘を見抜くことには長けている。

 そんな嘘を見抜く鬼の目が男の心の底まで透かすが、それでも男は動じない。

 

「嘘じゃあなさそうだね」

「なら、早く通してくれるとありがたいんだが?」

「そいつは無理な相談さ。鬼の目にも涙と言うけど、今の私は面白い人間に会えてご満悦なんだ。あんたをただで離す気はないよ」

 

 ニヤニヤと牙を見せながら笑う萃香に、男は疲れたように溜息を1つ吐く。

 

「はぁ……そういう言葉は可憐な女子(おなご)に言われたかったもんだな」

「失礼だね、私も可憐な女子だよ」

「可憐な女子は人を食ったりしないだろ」

「女子だって誰かを馬鹿にしたくなることだってあるさ」

 

 お互いに皮肉を言い合うように語り合う人間と鬼。

 この調子では、いずれ夜が明けてしまうかもしれない。

 そう思った男は、声に力を入れてある提案を切り出す。

 

「鬼、ここは1つ賭け事をしてみないか?」

「へぇ……人間が鬼に勝負を挑むかい」

 

 人間から鬼へと挑まれる勝負事。他の妖怪であれば断ることもあるかもしれない。だが、鬼が断ることはない。鬼は強い。そして、勝負事を好いている。故に人間から勝負を挑まれれば真っ向から受けて立つ。自らが強者であることを自覚しているが故に、小細工などはせずに横綱相撲を取る。

 

「ま、条件次第だね」

 

 といってもこの伊吹萃香という鬼は、嘘はつかぬともズルをしたりはするのだが。

 

「まず、方法はこの小銭を投げて表裏どちらが出るかで決めるものだ」

「ククク…鬼に力じゃ勝てないから運に頼るのか。まあ、良いよ」

「そして、俺が負けたら命を獲れ。お前が負けたら金輪際俺に手を出すな」

「うーん……金輪際は長すぎるかな。せめて、あんたが母親の元からここに帰ってくるまでだね」

「なら、それでいい」

 

 やけにあっさりと条件を下げることを許可した男に、萃香はおやっと思う。

 ここに帰って来るまでなのだから、母の見舞いが終わった後に萃香が男を殺すのは自由だ。

 その言葉の裏の意味に気づかぬ男だとも思えない。

 

 しかし、母親が危篤という事実を考えれば、急いで受け答えがいい加減になることもあるか。

 そう結論付けて、勝負へと頭を戻す。

 

「じゃあ、お前が小銭を投げろ」

「私が? いいの?」

 

 さらに予想外の行動に萃香は思わず目を見開いてしまう。

 小賢しい人間のことだから、小銭を投げる時にイカサマの1つや2つはしてくると思っていた。

 しかし、男は全てを鬼に委ねると言うのだ。

 

「鬼は嘘を嫌うらしいからな。まさか、自分の手で(・・・・・)イカサマをしたりはしないだろう」

「……ハ、言ってくれるね」

 

 男が挑発するように告げると、萃香は獰猛な笑みでそれに応える。男の企みはイカサマをすることではなく、イカサマをさせないことだったのだ。確かに鬼の力をもってすれば風を巻き起こしたり、声で空気を振るわせたり、地面を揺らすことで小銭の裏表を自由に選ぶことが出来る。

 

 もし、男が自分で小銭を投げて小細工を企んだのなら、萃香は自身の能力を使ってほんの少し(・・・・・)のズルを行っていたかもしれない。だが、自分の手で投げるのならそのようなことはしない。何故ならば、それは卑小な人間相手に鬼である自分が勝てぬと思うことと同義だからだ。

 

 相手に勝つため小細工を練るのは自身を弱者と認めること。

 ならば、強者である鬼は小細工をしてはならない。

 

「いいよ、お望み通りに全てを天に任せてやろうじゃないか!」

「ああ、こいつで対等だな」

 

 男から勢いよく小銭を奪い取ると萃香はニィっと唇を吊り上げる。

 それに釣られるように男も楽しむように笑う。

 

「そっちから選びな、人間」

「俺は表だ、鬼」

「じゃあ、私は裏だね。さあ、どっちが出ても恨みっこなしだよ!」

 

 キーンと、甲高い音を立てて小銭が萃香の手から打ち上げられる。

 高々と天へと上がった小銭は重力に従い地面へと落ち、コロコロと転がっていく。

 そして、ピタリと男の足元で止まる。

 

 

「表だ。俺の勝ちだな」

 

 

 ニヤリと勝ち誇った笑みを見せつけるように男は笑う。

 

「ちぇ……私の負けか。今夜の酒は不味くなりそう」

「1人しんみりと呑むのも悪くはないぞ?」

「私は勝利の美酒を味わいたかったんだよ。……まあ、今日ぐらい我慢するか」

 

 足元の小銭を拾う男を眺めながら肩をすくめる萃香。

 しかし、その顔には言う程の険はない。

 久々の人間との関わりで彼女も結構満足しているのだ。

 

(それに、この人間が母親の元から戻ってくれば勝負は無効だ。その時にまた遊ぶさ)

 

 これで終わりではない。鬼は目を付けた人間を簡単には離さないのだ。

 

「ではな、俺は行かせてもらう」

「ああ、精々他の妖怪に食われるんじゃないよ」

「鬼が人を心配するとはな。明日は槍でも降るか」

「ホント、あんたは失礼だね。こんな可愛い女の子が心配してあげてるんだから喜びなよ」

「その女子が俺の命を狙っていなければ素直に喜べたんだがな」

 

 皮肉気な言葉を最後に残して男は足早に去って行く。

 その後ろ姿を見ながら萃香は思う。

 

「……せっかく目をつけたんだ。逃げられないように見張っておこうか」

 

 彼女の『密と疎を操る程度の能力』を使えば、目に見えぬ霧となって男を監視することなど容易い。鬼から逃げたのだ。母の危篤という緊急事態でもなければ、二度とこの山に来ることもないだろう。

 

 しかし、それでは困る。逃がす気はないのだから見張って逃げられないようにしよう。

 最悪、この場所にすぼめてやれば良い。

 

 そう考えて、萃香は男の後をコッソリとつけるのだったが。

 彼女の予想は良い意味で裏切られることとなる。

 

「……素直にこの山を戻ってくるなんて予想外だよ。妖怪に食われるって思わなかったの?」

 

 母を看取り、葬儀を終えてきた男は何食わぬ顔をして萃香と出会った山に戻ってきた。

 流石の萃香もその危機感の無い行動に呆れて、心配するようなことを言ってしまう。

 だが、しかし。男はそれに対して人を食ったように返すのだった。

 

「まさか―――怖い鬼さんが守ってくれていたからな」

 

 その言葉に萃香は思わず言葉を失う。

 

「……気づいてたの? 私が見張ってることに」

「いや。ただ、ここに戻ってくるまでという条件付きで見逃したのなら、妖怪らしく人間を信用せずに見張ると思っただけだ。そうすれば、他の妖怪は鬼であるお前を恐れて姿を現さないだろうからな」

「だから、あの時簡単に条件を下げることを呑んだのか……」

 

 いけしゃあしゃあと語る男に萃香は呆れ果てる。

 この男は妖怪という存在を信頼していないが、信用しているのだ。

 鬼である萃香が自分の獲物をそこらの妖怪には渡すはずがないと。

 手を出そうとすれば追い払うと信じて、護衛役としてみせたのだ。

 

「さて、これで賭けの約束は果たされたな。どうするまだ俺を食うか?

 まあ、その場合は、またお前に賭けを挑ませてもらうがな」

 

 そして、この堂々とした言いっぷりである。

 力は無くとも鬼に堂々と勝負を挑み、自らの命を懸け金にする度胸。

 常に酒に酔っている自分以上に酔狂と言わざるを得ない。

 

「……まったく、あんた本当に食えない人間だね」

「よく言われる」

 

 だから、萃香は鬼らしくあっぱれと目の前の人間を認めてやるのだった。

 

 

 

 

 

 それからどういう訳か鬼と人間の交流は続く。

 酒を酌み交わしたり、男の家の修繕を萃香が手伝ったり、単純に話をしたりした。

 

「お前、いつまで俺に付きまとう気だ?」

「もちろん、あんたを食うまで」

「食えないって自分で言っただろ。腹壊すぞ」

「あんた相手ならお腹を痛めてもいいよ」

「はぁ…あん時にもっと上の条件を飲ませればよかったな」

 

 それは一言で言えば腐れ縁。萃香が本気になれば、瞬きをする暇すらなく男は殺されるだろう。別に、あの時の賭けでの約束は既に果たされているのだから、いつでも男を襲うことは可能だ。だとしても、それをせずに萃香はダラダラと男と関わり続ける。

 

 男をその腹の中に収める時があるとすれば、正々堂々と賭けに勝った時と彼女は決めていた。男の方もそれを理解しているのか、あれ以来萃香との勝負を避けて賭けの誘いをのらりくらりと躱すことにしている。

 

「あんたも大分老けたねぇ。ついこの間まで若造だったのに」

「お前は変わらんな。俺と2人で村に出たら爺と孫に間違われるだろうよ」

「アハハハ! 若く見られるのはいいけど、そこまで行くと流石に勘弁だね」

「全くだ。こんな恐ろしい孫娘なんて欲しくはない」

「おい、こんなに可愛らしい女子に対してそれはないだろ」

「出会う度に、命を懸け金にした博打の誘いをしてくる奴のどこが可愛らしいんだか」

 

 2人の関係性は変わらない。されど、時は流れる。男は自然の流れに従い老けていく。

 鬼だけが何1つ変わることなく残酷な時間を目に焼き付けていた。

 

「なぁ…鬼」

「……なんだい、人間」

「初めて俺達が会った場所に連れてってくれ。悪いが、もう足が上手く動かないんだ」

 

 さらに時は流れ、やがて男に終わりの時が間近に迫る。

 その時になって、男は萃香にお互いが初めて会った山に連れて行ってくれるように頼んだ。

 萃香は二つ返事で了承し、男を背負ってその場所まで向かった。

 その背にかかる、命のあまりの軽さから来る動揺を決して悟られないようにして。

 

「着いたよ。けど、こんな場所で何をするって言うのさ」

「それゃあ、賭けに決まってるだろ。お前が勝ったら俺を食って良いぞ」

 

 あの時から随分と時間が経っているというのに、変わらない挑発的な笑みを見せる男。

 萃香の方も思わずその顔につられて獰猛な笑みを見せる。

 男を食うことにはもうそれ程執着していない。

 ただ、男と勝負できることは彼女にとって何よりも楽しいことだ。

 

「いいよ。それで、あんたが勝ったら何を望む? 鬼の財宝? それとも別の何か?」

「そうだな、特に必要なものは……ああ、すぐ必要になりそうなものがあったな」

 

 男は萃香の問いに、人を食ったような表情で答える。

 

「俺の墓を作ってくれ。豪勢なやつでな」

「な……」

「鬼の作った墓に入る人間など前代未聞だろ。そうすりゃ、俺は後世まで語り継がれるだろうよ」

 

 萃香が目を逸らそうとしてきた、死という現実をさらりと告げた男は懐から小銭を取り出す。

 それはあの日使った小銭と同じものだった。

 

「さて、今回は俺が投げさせてもらうとしよう。お前はどっちを選ぶ?」

「……裏だ」

「あの時と同じか。いいぞ、俺は表だ」

 

 男が小銭を構える。

 そして甲高く、しかしどこか弱々しい音を立てて宙へと飛ばす。

 

「おい、人間!」

 

 しかし、その瞬間に萃香は気づく。

 男が特定の面が出るようにイカサマをして投げたことに。

 ショックだった。何だかんだ言ってこの男は正々堂々と勝負をすると思っていた。

 

 しかしながら、その淡い信頼は裏切られたのだ。

 萃香は怒りを隠そうともせず、感情のままに能力を使う。

 そうして、男が出そうとした面の逆が出るように調節してみせる。

 

「残念だったね、人間。その程度のイカサマなんて鬼には通用しないよ」

「……そうだな。残念だ」

「さあ、鬼相手に嘘をついた愚かさを私の胃袋の中で悔い続けな」

「いや……お前の腹の中じゃないさ」

 

 さあ、どうやって落とし前をつけてやろうかと牙を打ち鳴らす萃香。

 だが、男の方は心底残念そうな顔をして小銭の方を見つめるばかりである。

 一体裏になった小銭に何があるのかと、苛立ち気に自身も目を向けた所で萃香は目を見開く。

 

「あれ? なんで小銭が表に…」

 

 確かに自分は男が出そうとした面を逆にしたはずだ。

 男が勝つには表を出すしかないのだから、当然表の逆は裏。

 そこまで考えた所で萃香はハッとする。

 

「あんた……まさか、初めからイカサマで裏を狙ってたのか」

「ん、まあな……」

 

 萃香の問いに、どこか気まずそうな顔をして頷く男。萃香は男が自分がイカサマを妨害するのを見越して、初めから裏を狙っていたのかと思ったが、どうやら表情から考えてそうではないらしい。どういうことかと、目で問いかけてみると観念したように男は口を開く。

 

「最初から俺はお前に勝ってもらうつもりだったんだよ」

 

 男の言葉が萃香には理解出来なかった。

 鬼が勝利を人間に譲ることはあっても、人間から譲られることなどあり得ない。

 故に彼女は怒声を上げる。

 

「何でだ!? 何でそんな下らないことをした! 鬼が譲られた勝ちを喜ぶと思ってるのかッ!」

 

 その怒鳴り声のあまりの大きさに、山中の鳥が逃げるように飛び立っていく。

 しかし、怒鳴られている当の本人である男は全く動じることなく答える。

 

「どうせ死ぬなら、惚れた女に食われて死ぬのも悪くないって思っただけさ」

 

 寂しそうに、それでいて心の底から安心しているような声を出す男。

 反対に告げられた方の萃香は先程の怒声が嘘のように黙り混む。

 

「なあ、鬼。酒のつまみに俺を食ってはくれねえか?」

 

 自分の命をやっても良いと思う程に男は萃香に気を許している。

 だが、その事実に喜ぶべきか、悲しむべきか分からずに彼女は無言で瞳を震わせる。

 

「お前の血と肉になって、一緒に生きて行くってのも悪くない」

 

 反対に男はどこまでも穏やかな瞳で萃香を見つめている。

 ただの人間が見つめているだけ。

 だというのに、鬼である彼女がその視線に耐えることが出来ず、子供のように叫び散らす。

 

「ふざ…けんな…ッ! 骨と皮ばかりの老いぼれなんざ、誰が好き好んで食うかよッ!!」

 

「そうか……鬼にも食えないもんがあるんだな」

 

 血を吐くような萃香の叫びに、男は本当に残念そうに息を溢す。

 その仕草がどうしようもなく気に触って、彼女は音が鳴るほどに歯ぎしりをする。

 

「だったら、お前に遺せそうなもんは言葉ぐらいか……一回しか言わねえから良く聞いときな」

 

 そんな萃香に仕方のない奴だと男は小さく笑い、最後の力を使って声を絞り出す。

 

 

(あい)してる、萃香」

 

 

 実に身勝手な言葉だった。

 最後の最後に初めて彼女の名前を口にし。

 相手が何かを言うのを待つことすらなく、男は瞼を閉じて。

 そうして、2度とその目を開くことはなかったのだから。

 

「……鬼を愛してるだって? 勝手なことを言うのも大概にしなよ。相手の返事を聞くこともせずに眠りこけるなんて身勝手過ぎる…ッ」

 

 萃香は男の肩を揺する。しかし、反応はない。

 分かっている。相手はもう自分の声が届かない場所に行ってしまったことぐらい。

 だとしても、声の限りに叫ばずにはいられなかった。

 

「ふざけるな! 返事ぐらい返させろよ!! 何1人で満足して逝ってるんだ!? ほんの5文字の言葉ぐらい聞いていけよッ!!」

 

 慟哭の声は天を、地を震わせる咆哮へと変わる。

 彼女の声だけで木々はへし折れ、山の獣は全て逃げ出す。

 そして、その声は村に住む人間の耳にも届き、鬼の怒りに身を震え上がらせる。

 

「ふざけるな! ふざけんな!! ふざけんなよッ!!」

 

 有らん限りの声で叫ぶ。

 されど、その声が男の耳に届くことはない。

 一晩中、否、丸一日、声が枯れるまで叫び続けても結果は同じだ。

 

「人間……」

 

 やがて、疲れ果てて叫ぶのを止めた時、鬼は嘘のようにか細い声を溢す。

 

「鬼は約束を守る。賭けはあんたの勝ちだ。だから、墓を作ってやるよ。ただし、イカサマをしようとしたんだ。お望みの立派な奴は作ってやらない。……私だけが知ってる小さな墓にするさ」

 

 萃香はそうポツリと呟くと、男の亡骸を抱えて山の頂まで登っていく。

 山頂に着くと、彼女は言葉とは裏腹に自らの手で丁寧に穴を掘る。

 そして、傷つけないように細心の注意を払って亡骸を穴の中に埋めるのだった。

 

「名前も刻んでやるもんか。私だけが分かればいい」

 

 今の自分がどんな表情をしているのかを忘れるように、萃香は忙しなく鬼でなければ動かせないような大岩を男の墓の上に運ぶ。

 

「……でも、何も刻まないのも寂しいか」

 

 萃香は憂いのある瞳で、岩を見つめる。やがて、何かを決めたように頷くと、その堅すぎる爪で岩に5文字の言葉を彫り込む。そして誰にも、いや、墓の下にいる男以外には見えないように文字を刻んだ面を地面につける。

 

「うん、これでよし。しょぼい墓だけど文句があるなら言い返してきな」

 

 そう言って見るが、返事があるはずもない。

 萃香はその事実に寂しそうに目を細め、出来たばかりの墓に酒をかける。

 

「……今日は旨い酒が飲めそうにないからあんたにやるよ」

 

 瓢箪の中が空になるまで酒をかけると、男から顔を隠すように萃香は背を向ける。

 

 

「たく……最後の最後まであんたは食えない男だったよ」

 

 

 最後に酒とは違う温かな水滴を一粒だけ地面に零し、鬼は霧となって消えていくのだった。

 




次は華扇ちゃんで一本書いてみようかなと思ってます。
それでは感想・評価くださると嬉しいです!



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