鬼の目にも涙【完結】   作:トマトルテ
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淫ピという不名誉な名前を払拭したくて華扇ちゃんの過去話を書きました(棒)
もう、淫乱ピンクなんて呼ばせない!(キリッ)


二話:茨木華扇の一夜の過ち

「もし、そこの釣りをしている貴方(あなた)

「ん? えーっとお嬢さんは? 僕に何か用でもあるのかい」

「私は茨木(いばらき)華扇(かせん)。用…と言えば用ですね。妖怪が人間を喰らうという用があります」

 

 人里から大きく離れた山の渓流。

 そこで、釣りをしていた男の前に1人の茨木華扇と名乗る少女が現れる。

 

 花のように艶やかな桃色の髪。同じ色調の宝石のような瞳。

 身に纏うは胸元に一輪の花を咲かせたチャイナドレスのような赤の服。

 左の手首には、自らを縛れるのは己の信条のみと顕示するように鉄の鎖をはめている。

 

 そして何より、少女の頭にある2本の角(・・・・)が彼女が鬼ということを示していた。

 

「へぇ、妖怪(ようかい)が僕に用かい(ようかい)

「……貴方、私の角を見て何も思わないのですか」

「立派な2本の角だね。でも、寝返りをうつのが大変そうだ」

「なるほど……貴方は鬼である私に喧嘩を売っているのですね?」

 

 妖怪と出会ったというのも関わらず、ダジャレをかましてくる男に華扇は青筋を立てる。

 しかし、それでも男は雲のように掴めない顔を浮かべるだけで、逃げる素振りすら見せない。

 

「喧嘩なんて売らないさ。僕が売るのは釣った魚ぐらいなものだよ」

「そういう態度を喧嘩を売るというのですよ」

「へぇ、勉強になったよ。じゃあ、喧嘩を売ったんだから何か勝負をしないとね」

 

 男の勝負をするという言葉に、華扇はまたもや面を喰らってしまう。

 鬼は人攫いと称して人間に勝負を挑むのが大好きだ。

 しかし、こんな風に勝負になったのは華扇としても初めてである。

 

 そもそも、喧嘩を売る気が無かったのなら謝るのが普通だろう。

 やはり、この男は自分をおちょくって喧嘩を売っているに違いない。

 そう思って男を見つめるが、その瞳には戦意が欠片もないのだから不思議なものだ。

 

「まあ、鬼はどんな勝負も真正面から受けて立ちます。ですので、貴方が提案するものを受けて上げましょう。喰べる側から喰われる側への譲歩ですよ?」

 

 だが、今は気にする程のことではない。鬼はどんな勝負も真っ向から受けて立つ。そして、その圧倒的な力を振るい、人間や他の妖怪を蹴散らしてきたのだ。今更、少々おかしな人間を相手にしたところで何も問題はない。

 

「それじゃあ、どっちがより多く駄洒落(ダジャレ)を言えるかで勝負しようか」

「え?」

 

 問題はないはずだったが、目が点になる華扇。

 

「じゃあ、僕から行くね。布団(ふとん)()飛ん(とん)だ。はい、次はお嬢さんだよ」

「え、え? えーと……カ、カエル(かえる)がひっくり返る(かえる)?」

 

 どんな勝負も受けると言った手前、逃げられずにダジャレを言ってしまう華扇。

 それと同時に自分は何をやっているんだという、凄まじい羞恥心が襲い掛かってくる。

 

「あははは! 面白いダジャレだね。僕も頑張らないと、新郎(しんろう)心労(しんろう)

 

 しかし、そんな彼女の気持ちなど知らないとばかりに、男は次々にダジャレを繰り出す。

 

「ね、ネコ(ねこ)寝込(ねこ)んだ!」

 

 なので、華扇もダジャレを返して行くしかない。

 そして、その度に恥ずかしさでゴリゴリと精神が削られていく。

 妖怪は精神的な攻撃に弱い。そのため、寒いダジャレを言う度に華扇はダメージを負っていく。

 

「うーん…ありきたりだな」

「貴方のダジャレも大して変わらないでしょう!?」

 

 それだけでも辛いのに、たまに男が真顔で講評するものだから羞恥心が倍プッシュされる。ワザとやっているのだとしたらこの男は物凄く性格が悪い奴だと、華扇は頬を赤らめながらに思う。そんな状況で、ダジャレ勝負は続いていく。

 

「お金はおっかねー」

「ぞ、象だぞう!」

「店頭で転倒する」

「虎が捕らわれた!」

「56点」

「微妙な点数をつけられた!?」

 

 真顔で多種多様な寒いダジャレを放ってくる男。

 顔を真っ赤にしながら、自分にとって身近な動物系のダジャレを言っていく華扇。

 勝負は最初の内は拮抗していたが、続けば続く程に豊富なレパートリーを持つ男が有利になる。

 そして、遂に。

 

(さかな)割かな(さかな)いと。さあ、お嬢さんの番だよ」

「う…っ。言おうと思ってたのが言われた」

「さあ、どうしたんだい? もう出ないのかい?」

「…………ま、参りました」

 

 ネタが尽きてたっぷり10秒程、鬼がこんな負け方をしていいのかと悩んだ末に華扇は負けを認める。思いもよらぬところから精神攻撃を受けまくったのもあるが、勝負は勝負。それを否定することは鬼である彼女にはできなかった。

 

「きょ、今日の所は見逃してあげます! しかし、またこのような人間が来るべきでない場所に顔を出すのなら覚悟をしておくのですね!」

 

 しかし負けたことで羞恥が一気に襲ってきたのか、華扇は顔を真っ赤にして一目散に逃げだす。普通は鬼や妖怪に勝った人には、財宝や武器が与えられるのだが今の彼女にそんな余裕はない。

 というか、刀でもあげた場合は『駄洒落丸』などという名前が付けられて、恥ずかしい逸話と一緒に後世まで語られてしまいそうなので却下である。

 

「……面白いお嬢さんだったな。さて、釣りの続きでもしようか」

 

 華扇が涙目で逃げ出していったのを見送り終えた男は再び竿を手に取る。

 

 鉄臭い味のするつばを、咳と共に地面に吐き捨てながら。

 

 

 

 

 

「やあ、また会ったね、お嬢さん」

「……覚悟をしておきなさいと言ったのを忘れたのですか?」

「忘れてないさ。でも、覚悟をしておけば来てもいいんだよね?」

 

 後日、男と華扇は再び川で出会うこととなった。

 鬼である自分を全く警戒していない男の姿に、華扇は頭を抱えたくなるがすぐに切り替える。

 

「へぇ…覚悟しているということは、食べられても良いということかしら」

「物騒だね。人と妖怪でも喰う喰われる以外の関係を築いたっていいじゃないか」

「フン、鬼は人を食う。それ以外の関係はないわ。そもそも、食われる覚悟以外に何か覚悟することがあるとでも?」

「君はせっかちだね、まあいいや。鬼は勝負が好きなんだろう? だから、勝負を挑む覚悟さ」

 

 勝負という言葉に、微妙な顔をする華扇。

 本来ならば喜んで受け入れるところなのだが、この前のダジャレ合戦を思い出したのだ。

 そのため、彼女はこの前の二の舞とはならないように尋ねてみる。

 

「……一応聞いておきますが、勝負内容は?」

「ダジャレは…この前やったからやらないよ? だから、そんな嫌そうな顔をしないで欲しいな」

「べ、別に嫌そうな顔なんてしてないわ。私も同じ勝負は飽きると思っただけよ!」

 

 あの勝負はもうコリゴリだと思っているのがバレて、何とか誤魔化そうとする華扇。

 男はそんな彼女の仕草に苦笑しながら、釣竿を2本取り出す。

 

「今日の勝負はこれさ」

「釣り…ですか。まあ、それなら」

 

 華扇は取り敢えず、恥をかくようなものでないことにホッと息を吐く。

 

2時間(一刻)の間に、どっちがより多くの魚を釣れるかを勝負しよう」

「構いませんよ。得手としているわけではないですが、全くの素人というわけでもありませんし」

「得意じゃないのかい? だったら僕は10匹釣ったらやめるよ」

「……は?」

 

 しかし、男の次の言葉を聞き流すことが出来ずに怒りの瞳孔を向ける。この男は今、鬼に対してハンデをつけると言ったのだ。誇り高い鬼がそのような舐められた真似をされて怒らないわけがない。

 

「鬼相手に人間が譲歩…? 笑えない冗談を言うのね」

「怒らせたかい? でも、僕は職漁師だ。この道においては玄人だと自負しているよ」

「玄人も素人もないわ。私は鬼で、貴方は人間。私があなたを食べる捕食者側よ。上位の存在に対して下位の存在が譲歩するなんてあり得ない」

 

 男のハンデ宣言に華扇は2本の角を強調し、牙を剥き出しにして威圧する。

 妖怪はその実力に関係なく人間を下に見ている存在だ。

 特に鬼はそこに力の象徴である誇りが絡み、下に見られることをこれでもかとばかりに嫌う。

 故に売られた喧嘩は全てお釣りまでつけて買うという性格になるのだ。

 しかしながら、男はその性格を知ってか知らずかさらに鬼の地雷を踏む。

 

「でも、前の勝負は僕が勝者なんだから、僕の方が上の存在だよね?」

 

 プツン、と華扇の中で何かが切れる音がする。

 

「ふ、ふふ…ふふふふふ…! いいでしょう。そんなに言うのなら好きなようにやりなさい。ですが、私は手を抜きません。倍の20匹…いえ、100匹は釣って吠え面をかかせてあげます!」

「そうかい、楽しみにしてるよ」

「ええ、私も貴方が泣いて許しを請う姿を見るのが今から楽しみだわ」

 

 売り言葉に買い言葉とばかりに会話を交わし、華扇は男から釣竿を奪うように受け取る。

 そして、竿が軋み上げる程に強く振るって川の中へと糸を飛ばす。

 男の方も、その様子を笑って見ながら静かに糸を垂らす。

 

 こうして、鬼と人間の2回目の勝負が始まった。

 

「よっ、まずは1匹目」

「…………」

「うん、2匹目だね」

「………!」

「おっと、今度は2匹同時で一気に4匹だ。今日は運が良いや」

「……ッ」

 

 それは圧倒的な勝負だった。

 中々釣れずに段々とイライラとした態度が醸し出されてきている華扇。

 その反対側で、まるで魚の方から釣られてくるかのようにあっさりと釣り上げる男。

 釣りに詳しくない者でも分かる。素人と玄人の差というものが。

 

「さ、竿を交換してもいいかしら」

「同じものだから変わらないと思うけど、どうぞ」

 

 しかし、自分達鬼は上位の存在だと言ってしまった手前、それを認めることは出来ない。

 なので華扇はまるで人間が竿に何か細工をしたのだろうとでも、言うように交換を求める。

 それに対して、男は本当に何もしていないので簡単に交換に応じる。

 

「よし、これで10匹目だ。それじゃあ、僕は昼寝でもしているから頑張って」

「ま、またふざけたことを…!」

「それじゃあ、お休み」

 

 それでも結果は変わらない。男はあっという間に10匹の魚を釣り上げると、宣言通りに釣るのをやめる。そして、鬼の目の前で無警戒に横になってすぐに寝息を立て始めるのだった。

 

「な、なんで釣れないの?」

 

 遂には男が使っていた餌に変えて、場所も男が釣っていた場所に変える華扇。

 だというのに、彼女の釣竿には全くと言っていい程当たりがないのだ。

 普段釣りをする時だって、こうも釣れないことはない。

 

 彼女は焦りと混乱で竿を握る手に広がる汗を何度もふき取る。

 加えて、幾度となく場所や餌を変えて釣ろうともがくのだったが、全て水の泡となるのだった。

 そして、2時間(一刻)が経ち、男が目を覚ます。

 

「ふわぁ……おはよう。それで魚は釣れたかな?」

「…………」

「ん…ああ、やっぱりボウズか。気にしなくてもいいよ、良くあることだから」

「……に、人間に慰められるなんて」

 

 華扇の籠を見て、中に何も入っていないことを確認すると男はポンと彼女の肩を叩く。

 そんな鬼としてあまりにも情けない自分の姿に、思わず華扇は涙ぐむ。

 

「というか、やっぱりってなんですか。何か私が間違いでも犯していたの?」

 

 それと同時に、男のやっぱりという言葉が気になり食いかかる。

 

「んー…知りたい? じゃあ、釣った魚でも食べながら話そうか」

 

 それに対して男はのんびりといた口調で答え、近くから乾いた落ち葉や木の枝を拾い始める。華扇はそうした男の全く緊張感の無い態度に、ひょっとして自分は妖怪として脅威に見えていないのかと思い悩んでしまうが、すぐに切り替えて自分も焚火の燃料を集め始める。何のことはない、彼女も魚が食べたかったのだ。

 

「よし、焼けたよ。はい、どうぞ」

「ありがとう…ございます」

「それで、君が魚を釣れなかった理由だったね」

 

 焼けた魚を華扇に渡して、自身も頬張りながら男は話す。

 それに対して、華扇の方も負けたためか大人しく魚を咀嚼しながら話を聞く。

 別に食べ物に夢中になっているわけではない。

 

「まあ、理由は簡単だよ。君が足るを知らなかっただけさ」

「足るを知る……」

 

 華扇の言葉に頷き、男は続ける。

 

「自分の身の程を知り、多くを求め過ぎないことだよ」

「足るを知る者は富む……老子の言葉ね」

「そうなのかい? 僕は釣りの師匠から教わったんだけど、偉い人の言葉だったんだね」

 

 幾ら金があっても満足をすること知らなければ、その者の心はいつまでも貧しい。

 あれが欲しい、これが欲しいと際限のない欲望に突き動かされるのではなく。

 自らの内面へと目を向けて、今持っているものに満足をすることこそが真の幸福なのだ。

 そんな中華の偉人である老子の言葉を、華扇は魚と共に苦々し気に噛みしめる。

 

「まあ、話を戻すけど、魚は個よりも種を守る生き物なんだ。自分が釣られることで仲間が助かるなら喜んで釣られてくれる。だから、僕も必要な数しか釣らない」

「それで、最初から10匹と決めてたのね……」

 

「僕と君の違いは釣りの技量以上に、必要以上に釣ろうとしたかそうでないかだよ。種としての生存を考えるなら、100匹を釣ろうとする竿ではなく、10匹しか釣らない竿の下に行くのは自然なことだろう?」

 

 そう言って、男は新しく焼けた魚を華扇に渡す。

 まるで、今あるものだけで自分は満足していると彼女に伝えるように。

 

「僕はもうお腹いっぱいだから後は食べていいよ」

「貴方はまだ、一匹しか食べてないでしょう?」

「昔から胃が弱くてね。たくさんは食べられないんだよ。僕はもう満足さ」

 

 気の抜けた笑みを向けられ、華扇は悩んだ末に魚を受け取る。

 勝者が酒を呑めと言えば、敗者は断れないのと同じ理由だ。

 別に、良い具合に焼けた魚に目が眩んだわけではない。

 

「足るを知る…ね。鬼は貪欲だから一生理解できない考えでしょうけど」

「分からないのなら、僕に釣りで勝つのは一生無理だろうけどね」

「む…言うわね、弱い人間の癖に」

「言うさ。強い鬼に勝ったんだから」

 

 売り言葉に買い言葉。だが、先程とは違い剣呑な空気は流れていない。

 華扇はクスクスと笑い、男も穏やかな笑みを浮かべる。

 

「人間……じゃあ呼びづらいわね。貴方の名前は?」

「僕かい? 僕は天道、天道(てんどう)守治(しゅうじ)だよ」

「天道ね。じゃあ、今度からそう呼ばせてもらうわ。私のことは華扇と呼んでいいわよ」

「華扇だね、綺麗な響きだ」

 

 お互いの名前を交換し合う人と鬼。そうして2人の関係は続いていくのだった。

 

 

 

 

 

 だが、人と妖の関係が長く続くはずもない。

 いや、もっと言えば彼の時間は他の人間よりも短かった。

 

「ちょっと天道! 貴方、血を吐いてるじゃない!?」

「ああ……生まれた時から体が弱くてね。持病みたいなものさ、華扇が気にすることじゃない」

 

 定番になった川での釣り勝負をしている際に突如として、吐血した天道。

 慌てて華扇が、何事かと助け起こすが当の本人は気にした様子を見せない。

 病魔がその体を蝕んでいるのだとしても、天道はいつも通りの笑みをみせるのだ。

 

「気にすることじゃないって……どう考えても普通の状態じゃないわよ」

 

 それが何故だか、妖怪であるはずの華扇の心を無性に荒れさせる。だから彼女は、その苛立ちの根源を消すために天道の病を治そうとする。

 

「……そうだ。私の『茨木の百薬枡』でお酒を呑めば貴方の病気は治るわ」

「へぇ、便利なものを持っているんだね。でも、僕には使わなくていいよ」

「どうして…? 病気を治したくないの?」

 

 しかし、彼女の申し出に対して天道は首を横に振る。

 その理由が分からずに、食って掛かるように問い詰める華扇。

 彼女のそんな姿に天道は驚いたように目を見開くが、すぐに気の抜けた顔で笑う。

 

「足るを知れ。僕は僕の天命に満足している」

 

 病弱な体に生まれた不幸も、人より長く生きられぬ運命も関係ない。

 天道は全てに満足し、あるがままに全てを受け入れているのだ。

 だから、抗うということをしない。

 

 彼は人間ならば、否、命を持つ全ての存在が持っている生への執着が希薄なのだ。

 

「僕は何も求めない。与えられた天命とこの体があれば他には何も要らない」

「本当に……それで後悔はないのですか?」

「ああ、後悔のしようがない。僕は恵まれ過ぎている程に恵まれている。今だって鬼と仲良く時間を過ごせるなんて夢のような体験をしているしね」

 

 鬼と人間。本来は相容れぬはずの存在が並び合っている奇跡を天道は喜ぶ。

 その余りにも眩しすぎる姿に、華扇は目を逸らして小さく吐き捨てる。

 

「……仲良くはないでしょ」

「そうかい、それは残念だ。人間と妖怪が一緒に笑い合うのも素敵だと思うんだけどね」

「幻想ね。人と妖怪が共存なんて出来るわけがないわ」

「僕は出来るって信じてるよ。ま、湿った話は終わりだ。いつものように楽しい勝負をしよう」

 

 何事もなかったように釣りに戻る天道。華扇はその後ろ姿に何か言葉をかけようと口を開くが、結局声は出てくることはなく唇を噤むのだった。人間の生き方に鬼である自分が口をはさむ理由はないと自分の心に嘘をついて。

 

「鬼と人間は喰う喰われるだけの関係…この勝負だって私が天道を食べるためにやっているだけ」

 

 鬼が人間如きに心を乱されるわけにはいかない。ただの餌に惑わされるな。

 人間と妖怪がただ平和に過ごすことなどあってはならない。

 鬼の矜持を守るために華扇は鬼の証である角を触りながら、心の中で何度も繰り返すのだった。

 

 何度も、何度も、何度も。心の奥底から湧き上がる否定したいという気持ちを押し殺して。

 

 そうして、彼女は無為に月日を過ごしてしまう。

 

「華扇……また釣り勝負をしよう。今日こそは僕に勝てると良いね」

「貴方…っ。そんなによろよろな人間が…ッ…鬼に勝てるとでも?」

「あははは……今度ばかりは負けて食べられるかもね」

「天道…貴方は……」

 

 月日は残酷に天道という人間を蝕んでいた。ある夜に華扇の前に姿を現した時、彼の命は既に風前の灯火であった。それでも彼はいつものように気の抜けた笑みを浮かべて、華扇へと勝負を挑む。華扇の心に何かとてつもなく熱いものが溢れ出しそうになるが、彼女はそれを無理矢理押し留める。

 

「いいわ、始めましょう。今日こそあなたを食べてあげるわ」

「ははは、期待しているよ」

 

 そして始まる最後の勝負。

 すると、どういう訳か開始早々に華扇の竿は大きくしなりドンドン魚が釣れて行く。

 逆に、いつもなら真っ先に釣る天道の竿には全く当たりがない。

 

「……なぁ、華扇」

「……なにかしら」

 

 ポツリと、水面にしずくを落とすように天道が声を零す。

 

「君と出会ってから楽しかったよ。色んな勝負をしたり、話をしたりして」

「…………」

「人間と鬼が一緒に笑い合える夢が見れて楽しかった」

 

 天道の目が自分の方を向いているかも分からない。

 しかし、それでも華扇は顔を上げることなく黙って川の流れだけを見つめていた。

 

「でも…夢は夢だ。いつかは目を覚まさなきゃいけない」

 

 静かな声だった。

 頭の中に直接語り掛けているのではと思う程にか細い声。

 だとしても、華扇の耳は一言一句聞き逃すことなく天道の声を吸い込む。

 

 

「ありがとう、華扇。君と過ごした日々は、僕にとってどんな財宝よりも価値のあるものだった」

 

 

 ただのあなたが傍に居てくれる。それだけで全てが満たされた。

 

 そんな言葉に華扇は声が出なかった。何かを言葉を返さなければならないのは分かる。

 しかし、何を言えばいいのか、自分が何を言いたいのかが分からない。

 何かが壊れて変わるのが怖くて、心で暴れ狂う感情に名前を与えることが出来なかった。

 だから。

 

「……そう」

 

 そんな気の無いような言葉を返すことしか出来なかった。

 

「さようなら……親愛なる鬼さん」

 

 トポン、と。最後の声と共に天道の竿が川に落ちる音が辺りに響く。華扇がそれに吊られて、恐る恐る顔を上げるとそこには眠るように目を閉じる天道があった(・・・)。もう、目を覚まさない何度も見たことのある人の死体が。

 

「これで……勝負は私の勝ちね。約束通り貴方を食べてあげるわ」

 

 華扇は立ち上がると、熱にうなされたようにフラフラと天道の下に行く。

 

 

「いただきます」

 

 

 そして、彼の体に残った温もりを確かめるようにその首筋に牙を立てる。

 

 コリリ、コリリと骨を齧る音が静かな川べりに響く。

 ズルリ、ズルリと血を啜る音が背筋を這うように反響する。

 ゾブリ、ゾブリと肉をはむ音がえも言わぬ不気味さを醸し出す。

 

 妖怪が人間を喰らう。この時世ならばどこでも見られる当たり前の光景。

 だが、しかし。1つだけ違う点がこの光景にはあった。

 

「違う…違う…どうして…? 人間を食べているのに…どうしようもなく飢えていく…ッ」

 

 華扇は髪の毛の一本すら無駄にしないように丁寧に男を喰らっていく。

 しかし、幾ら彼を喰らっても何も満たされない。心に空いた穴はぽっかりと空白のまま。

 食べれば食べる程に、どうしようもなく心が飢えていく。

 

「……足り…ないの…足りないッ…足りないッ!」

 

 頬から口元にかけベットリとした赤黒い血をつけた鬼。

 本来ならば、喜悦に染まっているであろうその顔は、今は耐えきれぬ喪失の痛みに歪み。

 その瞳からは―――血の涙が止めどなく滴り落ちていた。

 

「いくら食べても貴方が足りない! 何も満たされないッ! 貴方が―――傍に居ないッ!!」

 

 血に塗れながら鬼は慟哭の声を上げる。

 その形相は愛する者を失った人間にだけ許される表情、絶望を浮かべていた。

 

「やっと…やっと分かった…! 私は貴方を食べたかったんじゃない…ッ。

 鬼と人間の関係なんてどうでもよかった! 鬼の誇りも要らなかったッ!

 私はただ―――貴方と一緒に居られればそれだけでよかったんだッ!!」

 

 今の今まで隠し、押し殺してきた愛という感情が決壊したダムのように溢れ出してくる。

 一度溢れ出したそれはもう止まらない。嗚咽(おえつ)と涙と共に次々と零れ落ちていく。

 『足るを知れ』。ただ、男と共に生きることで満足しておけばよかった。

 華扇は血溜まりの中に1人沈みながら己の過ちを吐き出す。

 

「どうして天道の言葉を信じなかったんだろう。鬼と人間が共に生きていく道だってあったはずなのにッ。彼の伸ばした手を掴んでいれば何かを変えられたかもしれない…! そうすれば、彼だってまだ生きてくれていたかもしれないのにッ! 寿命を延ばしてくれたかもしれないのにッ!!」

 

 血を吐き出すような、懺悔と後悔が延々と続いていく。

 誰も止められない。ただ1人の鬼が自らを糾弾し続ける痛々しい光景だけが流れる。

 

「ああ…そっか…こうなった理由は単純。私が……鬼だったからだ」

 

 一頻り叫び疲れた時、それまでの叫びが嘘のように華扇は凍る程に静かな声を出す。

 

「鬼だから一緒に居られなかった。鬼だから人間の言葉を受け入れられなかった。

 そう…そうよ。私が鬼だったからこんな結末になっちゃったのよ。

 もっと人間に…人間を知ることが出来さえすれば……だから」

 

 今度は狂った般若のような笑みを浮かべながら華扇は笑う。

 そのまま、彼女はおもむろに自らの2本の角(・・・・)に手をかける。

 そして。

 

 

「―――私は人に近づきたいッ!!」

 

 

 力づくで鬼の象徴である自らの角をへし折ってしまうのだった。

 

「天道…せめて貴方の見た夢を。人と鬼が共に笑い合えるような幻想を実現させて見せます。そうすればきっと……貴方の居ない飢えも満たされるはずだから」

 

 角のあった場所から噴き出す鮮血が、体中を赤く染め上げるのも気にせず華扇は歩き出す。

 彼女の姿は、どこまでも、どこまでも失った男の幻影を求め彷徨い続ける悲しき幽鬼。

 それこそが今の茨木華扇という少女だった。

 

「こんなことを言う資格はありませんが、どうか見守っていてください天道。

 ……愛する男を喰らってしまった―――大悪党を」

 

 そう、男が入っている自らの腹に向かって呟き、彼女は大粒の血の涙を流すのだった。

 




血塗れで涙を流しながら角をへし折る華扇ちゃんが思い浮かんだので書きました。
次回はこれのハッピーエンドバージョンです、お楽しみに。それでは感想・評価お願いします。


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