前回の余韻を吹き飛ばすつもりで書きました。どうぞ。
「ありがとう、華扇。君と過ごした日々は、僕にとってどんな財宝よりも価値のあるものだった」
「あ……」
ただのあなたが傍に居てくれる。それだけで全てが満たされた。
天道の言葉を聞いた瞬間に、華扇の中の鬼の誇りや人を食うという本能が壊れていく。
溢れ出す激情が彼女の意地を押し流し、ずっと心の底にあった感情を表層に押し上げる。
抗えぬ感情。誇る者も、憎む者もいる。しかし、それを小さなものだと言えるものは居ない。
その感情に人は―――愛という名をつける。
「……待って…お願いだから置いて行かないでください…!」
「華扇…?」
自覚した。自覚してしまった感情を隠し通すことなんて出来はしない。
失いたくない。愛した人間が死ぬなんて華扇には耐えられなかった。
だから、彼女は天道の下へと一目散に駆けていく。死神が彼を攫って行ってしまう前に。
どうしても伝えないといけない言葉があるから。
「死なないで! どんなことをしてでも生にしがみついて!」
「生にしがみつく…?」
「そうよ! 死ぬことに満足しているなんて言わないでッ!」
驚き竿を川に落とす天道の前で、華扇は『茨木の百薬枡』を取り出す。
そして、その中へ零れる程に勢いよく酒を注ぎこむ。
もちろん彼女が飲むためではない。天道に呑ませて病を打ち消すためだ。
「さあ、これを飲んでください! 貴方が死にかけているのは寿命ではなく、病のせい。それならば、病気さえ治せば貴方はまだ生きていられる!」
百薬枡を天道の目前に突き付けて、声を震わせながらに叫ぶ華扇。
そんな彼女の必死な姿に天道は目を見開くが、やがて寂しそうな笑みで首を横に振る。
「ありがとう、君の気持ちは素直に嬉しいよ。でも、僕はこれでいいんだ。全てに満ち足りている。これ以上に望むことなんて何もないんだよ」
足るを知る。天道は穏やかな顔でこれ以上は何も求めないと言う。
満ち足りた人生が終わるだけだ。何一つとして後悔はないとゆっくりとまぶたを落とす。
そうして、目覚めることの無い眠りに落ちようとする。
だが。
「うるさい! 生きろッ! 私を置いて死んだりするなんて許さないッ!!」
「――ッ!?」
天道の口には、甘く芳潤な匂いのする酒が流し込まれる。
息をしようとすれば、否応なしに酒を飲み込まなければならない状況。
その余りに強引な行為に驚いて彼が目を開くと、そこにはさらに驚くべき光景が広がっていた。
お互いの息を感じられる程に近づいた顔。
リンゴのように赤く染まった頬に、それを彩る細く長いまつ毛。
そして何より、決して離さないとばかりに交わった淡い桃色の唇。
端的に言えば、華扇は天道に接吻をしていたのである。
「口…移し?」
「求めて…私を求めてよ……」
「なん…で…そこまで」
「私を望んで。共に生きたいと望んで」
百薬枡に入れた酒を口に含み、それを口移しで天道に強引に飲ませる華扇。
当然、天道は抵抗しようとするが鬼の膂力で腕を抑えられては身動きが取れない。
その間にも華扇は、彼の口内で百薬枡の酒を全て押し込もうと激しく舌を
「私は貴方が傍に居れば何も要らない。でも、貴方が消えたら永遠に満たされない」
「で、でも僕は…自分の人生に満足しているんだ」
「知っているわ。だから、私と生きることを求めて。幾ら貪っても足りないと求め続けて」
「君と生きることを……」
華扇が自分の想いをぶつけると、天道は逃げ場を求めるように目を右往左往させる。
だが、そんなことを欲深い鬼が許すはずもない。
「―――私だけを見て」
再び熱い酒の口移しを行う華扇。
今度は先程よりも深く。何より、与える側だというのに相手を貪るように唇を重ねる。
もはや、相手の病気を治すという目的を覚えているのかすら怪しい。
ただひたすらに、彼女は目の前の愛する男を求めていた。
「愛しています。貴方が居さえすれば他の全てが要らないと思えるほどに」
「華扇……」
「お願いだから生きてください。貴方の居ない世界なんて私には耐えられない…ッ」
華扇の瞳から一筋の涙が流れ落ちる。
ガラスのように輝くそれは彼女の心を反射しているようで、偽りなどなく透き通っていた。
「困ったな……女の子の涙には弱いんだ」
だから、天道も覚悟を決めたように静かに呟き、彼女の涙をその指で拭いとる。
そして、そのまま腕を伸ばして『茨木の百薬枡』を掴み、中の酒を一気に飲み干すのだった。
「天道…! ありがとう…ありがとうッ」
その望んだ光景に彼の隣では、華扇が嬉しそうな顔で今にも泣きそうな声を零している。
彼はそんな彼女に恥ずかしそうに首筋を掻いていたが、やがてポツポツと語り出す。
「……今まで、寿命を延ばすことは邪悪だと思っていたよ」
「それはどうして?」
長く生き続けることが悪だと語る天道に、華扇が問いを投げかける。
「ただ長く生きることを望むのは暴食と同じだ。
遠くを見つめるように天道は語っていく。
彼は今まで人生の美しさこそが、満ち足りた心につながると思っていた。
それも間違いではないだろう。しかし、それだけではないと今ならばわかる。
「でも、今ようやく分かったよ。生きるということに良いも悪いもないんだ。ただ生きたいと願う。それこそが生命の輝きを生み出すものだったんだ」
鬼のように誇り高く生きる。人間のように美しく生きる。
大悪党のように醜く生きていく。全ての生き方に上等も下等もないのだ。
生きている。ただそれだけで、生命は宝石のように光輝くのである。
「醜くてもいいんだ。天に逆らうことになっても構わない。ただ僕は―――君と生きたい」
「……私と共に生きることを…望んでくれるのですか? 本当の本当に…?」
天道が自分の想いに応えてくれたことが、自身でも信じられずに震えた声を出す華扇。
そんな彼女を、彼は病気が治り力強くなった腕でグッと引き寄せて。
「うん、君が欲しい」
優しい口づけを贈る。
その不意打ちの接吻に、華扇は今まで散々唇を重ねてきたことも忘れて口をパクパクとさせる。
「ははは、顔が真っ赤で赤鬼みたいだよ」
「う、うるさいわね。鬼は不意打ちが嫌いなのよ!」
「ごめん、ごめん。鬼じゃないから知らなかったよ」
「知らなかったと言えば何でも許されるわけじゃありません。大体、貴方もこれからは……あ」
そこまで言って、華扇はあることを天道に言い忘れていたことに気づく。
何事かと不思議そうな顔を向けてくる天道に、彼女は軽く咳払いをしてから向き直る。
「1つ貴方に言い忘れていたことがあるわ」
「ん? なんだい?」
「百薬枡で酒を呑んで病気を治すと、心と体が段々と鬼に変わっていくのよ」
「僕が…鬼になる?」
予想だにしなかった事実を告げられて目をしばたかせる天道。
そんな彼の仕草から、華扇の脳裏に断られてしまうかもしれないと一瞬の不安がよぎる。
「まあ、嫌だと言っても無理やり私が飲ませてあげますけどね」
だから、艶めかしく唇を舐めて彼を誘うように上目遣いを送る。
もっと自分を求めさせるために、自分と生きたいと望ませるために。
華扇は鬼の誇りも捨てて、1人の女として彼の「鬼になっても構わない」という言葉を乞う。
「そっか…それじゃあ仕方ないな。鬼に近づくとしようか」
しかし、そんな彼女の不安とは裏腹に天道はあっさりと頷く。
「人間から鬼に近づけば、人間と鬼が一緒に笑い合える方法が分かるかもしれないしね」
「まだ、そんな夢を言っているの?」
「夢じゃないさ。現にこうして人間と鬼は心を通じ合わせているじゃないか」
迷いなくそう言い切り、天道は力強く華扇を抱きしめる。初めは慌てて突き放そうとする華扇だったが、彼の胸板から伝わると鼓動の温かさに抗うことが出来ずに、諦めたように自分から男の胸に顔を埋める。
「そう…ですね。何も
「遅すぎることなんてないさ。僕はこうして生きているんだ。妖怪と喰う喰われる以外の関係性をもった人間としてね。ま、今からは鬼になっていくらしいけど」
妖怪は人間を襲い、人間は妖怪に怯える。
そんな本分も確かに重要だろう。しかし、それだけの関係しか築けないわけではない。
人間と妖怪が並んで酒を酌み交わし、笑い合う。
そんな幻想だって良いではないか。
「人も鬼も妖怪もみんなが一緒に笑い合う。そんな幻想が叶えば、きっと世界すら愛で満たせる」
「人間と妖怪の共存……それがあなたの夢?」
「そうだね。例え都合の良い夢見物語だとしても、きっとそれは目指す価値のある夢なんだ」
「そう……」
鬼と生きていくことを望む人間が居たっていい。
人間との争いを望まない鬼が居たっていい。
自由とはそういうものだ。
「……私も一緒に見ていいかしら、その夢を」
華扇は天道の夢に思いをはせ、自らもそれを追いたいと願う。
そもそも鬼が、妖怪と人間の在り方という鎖に縛られるなんてどうかしていた。
鬼は自らが望むままに生きていく。邪魔なものはその剛力で全て破壊しつくす。
そんな鬼が、たかだか妖怪と人間の関係という枷に縛られるなど、ちゃんちゃらおかしい。
鬼を縛ることが出来るものは鬼自身の信条のみ。
故に、妖怪と人間が相容れないという常識の鎖など引き千切ってしまえばいい。
それが、真にあるべき鬼の生き方というものだろう。
「ああ、もちろんさ。目が覚めるまでずっとね」
「フフ…それじゃあ、私をずっと離さないでね?」
だから、ここから追って行こう。愛した男と一緒に果て無き幻想を。
「約束するよ」
「鬼が嘘をつくことは許されませんよ。鬼になるなら覚えておきなさい」
「もし、嘘をついたら?」
「私が地獄の底まで追って行って、捕まえて上げます」
「それは怖い」
執念深い蛇を現すように、チロチロと舌を動かして見せる華扇に天道は苦笑する。
そして、あることを思い出す。
「そう言えば、もう
「……すっかり忘れてたわ。というよりも、私の勝ちで良いのですか?」
「負けは負けさ。言い訳するなんてみっともない」
勝負のことなどすっかり忘れていた華扇が、本当に自分の勝ちで良いのかと問う。その問いかけに天道は軽く頷く。やたらと潔くなっているのは、百薬枡の酒で鬼に近づいている証なのか、はたまた先程の勝負などもうどうでもいいと思っているのか。
「さて、どうする。何か欲しいものでもあるかい。それとも……約束通りに僕を食べるかい?」
それは分からないが、天道は敗者の務めをこなすべく華扇に告げる。
その顔にもう自分が喰われることはないだろうという余裕の笑みを乗せて。
「……そうね。何もしないというのも面白くないわね」
だが、そんな笑みが華扇のプライドに触った。
確かに自分は既に本当に欲しいものを手に入れている。
しかし、それは求めることをやめるということにはならない。
「え、えーと…もしかして怒ってる?」
「いいえ、怒ってはいませんよ。ただ欲しいものが分かっただけです」
華扇はニッコリと寒気がするような笑顔を浮かべて、ズイッと天道の方に身を乗り出す。
そして。
「―――いただきます」
再び接吻を行う。
先程までとは比べ物にならない程に長く、激しく、情熱的に。
まるで、魂を貪ろうとするかのように舌を這わせ、男を逃がさない。
天道の呼吸が苦しくなる程に続け、解放されたと思った瞬間に再度唇を重ねる。
そうして、一瞬とも永遠とも思える時間の交わりを終え。
華扇はゆっくりと、唾液を糸のように引きながら口を離す。
「貴方の全てを食べさせてもらいます……嫌だと言っても逃がさないんだから」
桃色の髪よりもなお赤く上気した顔で、華扇は天道の耳に息を吹きかけるように囁く。
そんなことをされたものだから、天道は呆然としたまま彼女を見つめ続けることしかできない。
「か、華扇……」
「ふふふ、絶対に離さない。貴方は私のもの、私は貴方のもの。そのお礼と言ってはなんですが」
愛しい男の頬を優しく撫でながら、華扇は誘うように火照った体で
今まで心の奥底に押さえつけられていた愛は、解放された結果止まるということを忘れた。
天道が傍に居てくれれば、それだけで満たされるという言葉に嘘はない。
だが逆に言えばそれは、唯一の愛が向かう対象として依存関係にもなり得るということである。
「―――私の全てを食べさせてあげるわ」
妖艶な笑みで華扇は天道の唇をなぞり、その指に付着した唾液を舐めとって見せるのだった。
これだけ書けば淫ピという不名誉な名前も払拭できましたよね。
次回は勇儀姐さんで書きます。
後、これは小ネタですが主人公の名前『
これは東方茨歌仙7巻の「私の理念は天道と共にある!」という華扇のセリフからとったのと。
『天道守治』の漢字を並べ替えて『
つまりは茨木童子の恋人関係だった説のある鬼の酒吞童子になるように作りました。
IFでは主人公は鬼となるので、その関係で萃香とは別の『しゅてんどうじ』と呼ばれるようになったという妄想です。