我等が真祖を、語り継げ。   作:白蛆

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覚醒の章、0〜Encounter〜

風が頬を撫でた。

 

無数に、無造作に並べられた木々が、見る見るうちに後ろへと流れて消えていく。凄まじい速度で移り行く景色は、しかし一向に変わり映えを見せることがない。ただひたすらに、薄暗い森の中に木が並べられている単調な光景が、どこまでも途切れる事なく続いていた。

高速で移動しているにも関わらず、体に伝わってくる衝撃はなんとも心地良い。穏やかに一定のリズムを刻む揺れに身を任せつつ、少女はその美しい長髪を風に靡かせながら、ひたすらに前だけを見て森の中を突き進んだ。

 

 

 

–––––––バデュバドム樹海

 

それが、この広大な森の名称である。

どれだけ見回そうとも人工物の一つさえ見つけることのできないこの森は、同時に豊かな大自然が未だ色濃く残された数少ない浄土の一つでもあった。

 

 

 

時は竜大戦前期、大国シュレイドの台頭は留まるところを知らず、その規模は様々な文明を呑み込みながら今なお急速に拡大を続けていた。

そんなシュレイド王国の力をもってしても開発不可能と言われ、未だ人類にとり謎多き未開の地とされているのが、俗に言う"魔境"と呼ばれる地域群であった。

その一つである此処、バデュバドム樹海は、"ファレンスウルフ"と呼ばれる強大かつ大規模な群れを築く非常に危険な動物が数多く生息することで知られており、その危険性から長きに渡り人間による開発の魔の手から逃れ続けていた。

 

そんな"魔境"であるバデュバドム樹海には、実はいくつかの少数氏族が、ひっそりと身を隠しながら暮らしている。

そんな少数氏族の内の一人である長髪の少女……"トゥチカ"は、彼女の相棒である白いファレンスウルフと、まさに人馬一体……否、人狼一体といった様子で、木々の合間を縫うように森の中を突き進んでいく。

 

……と、これまでまるで変化を見せなかった森の景色が、突如として一変した。

無秩序に並んでいた木々が急に途切れ、それによって遮られていた日の光が不意に降り注ぐことで、静かに揺れる水面をまるで無数の宝石のようにキラキラと輝かせる。

 

 

––––––そこは静かな川であった。

 

 

 

「ティグ、そろそろ一休みしようか。」

 

自らの相棒の耳の後ろを撫でながらトゥチカがそう言うと、"ティグ"と呼ばれた白いファレンスウルフは、まるでその言葉に従うようにゆっくりと減速し、川のほとりに座り込む。

ティグが座ったことを確認したトゥチカは、その広い背中から身軽に飛び降りると、乱れた髪や衣服をサッと適当に整え、大きく息を吸いながら背伸びをした。

 

「ん〜っ!……はぁ。今日の森は野生のファレンスウルフの臭いが強いわね。群れの大移動でもあるのかしら?帰ったら氏族の皆んなにも教えないと。危ないってね。」

 

一人そう呟くトゥチカに、水面に口を付けて川の水を飲んでいたティグが「ワゥッ!」と一声吠えかける。その声に振り返ったトゥチカは、ブンブンと尻尾を振るティグの頭を数回撫でると、美しい長髪を腕でかき上げ、ティグの隣に並んで自らも水を飲み始めた。

ずっとここまで自分を乗せて走ってきたティグほどではないとはいえ、小屋ほどの大きさを持つファレンスウルフの上に乗って移動し続けるというのは相応に体力を要するものであり、トゥチカ自身もかなり喉の渇きを覚えていたのだ。

 

一般に凶暴、狡猾、残忍な性格を持つとされている魔境の獣、ファレンスウルフと、まだあどけなさの残る十代半ばといった容姿の少女。その両者が仲良く並んで川で水を飲んでいるという光景をシュレイド王国の人間が見たら、一体どんなことを思うのであろうか。

 

 

しかし、生粋の辺境氏族(かくれびと)であるトゥチカにとって、それはごくごく当たり前の日常であり、逆にそうでない方が異常であると考えている節さえあった。

 

 

バデュバドム樹海南西部、フゥグン氏族。

大国シュレイドの人間にもその存在を知られる事なく森の中でひっそりと暮らす、辺境氏族(かくれびと)の内の一つである。

 

大国の国力を以ってしても開拓不可能だった"魔境"たるバデュバドム樹海にて、細くではあれ彼等が生きながらえているのは、偏にファレンスウルフの恩恵あってのものであった。

ファレンスウルフは通常十数頭程度の群れを築いて活動し、時には数十頭を超える大規模な集団を形成することもある極めて高い社会性を持つ高等動物である。一頭であっても十分過ぎるほどに強大な力を持ち、その上知能も高い。そんな生態系の頂点たるファレンスウルフと調和し、一体になることで厳しい自然界を生き抜くのが、バデュバドム樹海の辺境氏族(かくれびと)の先人達が長い歴史の中で培ってきた"生き残る術"であったのだ。

 

長きに渡り人類の進出を拒み続けた大元の原因であるファレンスウルフの存在によって、生活を支えられている人類もいるというのは、考えてみればなんとも皮肉な話である。

彼等は万物の霊長という地位を捨て、不必要に開拓を進めることもなく、森の中に息づく一生物種として"魔境"の地に静かに根付いていた。

 

 

 

水を飲み終えたトゥチカは、手で口元を拭いながら、ふと顔を上げた。

 

「……誰?」

 

何処へとも無く発されたトゥチカの問いに、しかし応える者は誰もいなかった。ただサラサラという川のせせらぎと、どこまでも深い森が広がるのみである。

しかしトゥチカは、それでもなお周囲を見回すことをやめない。

それが"何"であるのかは分からずとも、"何か"が近くにいることを、彼女は確信していたのだ。

 

 

……トゥチカは生まれつき、不思議な感覚の持ち主であった。

 

人智を超えた超能力とでも言うべきそれは、しかし発動条件も効果もその時によりまちまちであり、他人に見えないものが見えたり、他人に聞こえない音が聞こえたり、不意に寒さや暑さを感じたり……そのくせ意識的に発動することもできない、なんとも迷惑で非実用的な力である。

 

しかし、この時彼女が感じたのは、音でも光でも熱でもない、まるで何かの力が静かに肌を撫でているような、今まで感じていたそれとは全く異なる、ザワザワとした不明瞭な感覚であった。

 

 

「ティグ、こっち。」

 

トゥチカがそう言って森の一方を指差すと、ティグはまるで自分に乗ることを促すように彼女の側に座り込む。それに応えてトゥチカがその白い巨体にフワリと飛び乗り、柔らかな毛皮にしっかりと体を固定したのを確認すると、ティグは先程トゥチカが指差した方向を目指して猛然と走り出した。

 

木々の間を抜け、時には倒木を大きく飛び越えながら深緑を馳ける巨大な白狼。薄暗い周囲からはどうしても浮いてしまう純白というその色合いが、却って逆にティグがこの森を支配しているかのような不思議な感覚を抱かせる。

 

「……近い」

 

より一層強い気配を感じとり、普段の無邪気な表情から一変、視線を鋭くするトゥチカ。その彼女の呟きを聞いて、ティグは僅かに速度を落とした。

 

「止まってっ!」

 

直後、トゥチカは何かに気付いたように、ティグに向けて停止を要請する。ティグはその急な指令に対しても一切の戸惑いを見せることなく、背に乗る相棒に出来るだけ負担をかけないよう絶妙な減速加減で停止すると、チラリと自分の背の上を確認し、トゥチカが顔を向けている方向にゆっくりと歩き出した。

 

 

超感覚を持つトゥチカと同様に、ティグの持つ鋭い野生の勘も、既にその先に存在する強い気配を感じとり始めていた。深い茂みを掻き分け、その気配の発信源に近付くほどに、両者の中にはなんとも形容し難い、抽象的な"予感"が高まっていく……。

 

 

 

 

–––––––森が、開けた。

 

 

 

否、正確にはそこは依然として深い森の真っ只中であり、多少は木の密度が低い場所でこそあるとはいえ、"森が開けた"などという大袈裟な表現は甚だ不適切ではあるのだが……しかしそれでも、思わず"森が開けた"と、そう錯覚してしまうほどの強い存在感を放つ物体が、そこにはあったのだ。

 

「これは……。」

 

トゥチカはその凄まじい存在感を持つ物体を視界に収めた瞬間、即座にティグの背中から軽々と飛び降り、その三つの塊に素早く駆け寄った。

 

「……卵?」

 

どこまでも際限の無い深緑の中に威風堂々と鎮座する、三つの巨大な白い卵。僅かな木漏れ日に照らされてほんのりと明るく輝くそれは、ただそこに存在するというその事実だけで、その空間を完全に掌握しているような……圧倒的絶対的"王の気質"を備えていた。

 

そのあまりにも強力な存在感に、普通の少女であるトゥチカはもちろんであるが、この地における生態系の頂点の一角に数えられるファレンスウルフたるティグでさえも、暫時は息をするのさえ忘れて呆然とそれに見入っていた。

"魅力"というよりは……"魔力"。この存在には決して抗ってはいけないという、生物を根元から形作る本質的な"何か"を引き出させるような力が、目の前の存在にはあったのだ。

 

 

……そうして、ただ呆然と立ち尽くして…いかほどの時が経ったのであろうか?

 

漸く我を取り戻したティグが、未だ呆然としているトゥチカに向けて警告するように低く唸った。

相棒の声によってハッとした表情を見せながら現実に引き戻されたトゥチカは、「ありがとう」と優しく礼を言いながらティグの頭を撫で、ふと周囲に視線を巡らせた。

 

「野生のファレンスウルフの群れが近くにいるわ……それもかなり大きい。斥候かしら?群れから離れているのが一匹……ティグ、ここから離れるよ。」

 

トゥチカの言葉にティグは「グルゥ」と短く応えると、彼女を背に乗せて森の奥へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

《その名は、"運命の邂逅"》

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