我等が真祖を、語り継げ。 作:白蛆
"龍"が、目を覚ました。
それは静かな覚醒であった。
ゆっくりと顔を上げ、まるで欠伸でもするかのようにその場で大きく伸びをすると、"龍"は静かに立ち上がり、どこまでも晴れ渡った空を仰ぐ。
どこか威厳に欠けたその仕草は……しかし完全なる自然体である。逆にそうである事こそが、この存在が生まれついての"強者"であることを、より明確に印象付ける結果を齎していた。
トゥチカは額に浮かぶ汗を拭い、ゆっくりと生唾を呑み下す。
"龍"はまだ彼女の存在に気付いていない。
しかし、僅かな音だけでもこちらに気付かれてしまうのではないだろうかと……あるいは敢えて無視しているだけで、実は既に気付かれてしまっているのではないかと……そんな思考さえ浮かんでくるほどの……恐怖にも似た感情。
ただその姿を視界に収めたというそれだけで、"蛇に睨まれた蛙"のように萎縮してしまう。
少女が……人類が初めて目にした"龍"とは、得てしてそういう存在であった。
……と、その時トゥチカは、"龍"がその場で瞑想するように目を瞑っていることに気が付いた。
–––––––森が騒つく。
"龍"の周囲に何か未知の力の対流が生まれ、それらはゆっくりと渦巻き、"龍"の身体を包み込む。それと同時にトゥチカが感じ取ったのは、"龍"を中心とした森の生命力の高まりであった。
それ自体は、ほんの小さな変化でしかない。しかし恐ろしいのは、その中心にいる"龍"という存在が、
そうしてしばしその場で渦巻いていたエネルギーの対流は……突如としてその動きを変え、"龍"の口元一点に集まり始めた。
大地を流れる生命の奔流……それらが集中すると共に、"龍"の口腔内に真紅の光が灯り、より一層輝きを増していく。
(……何?)
––––––刹那、一条の赫光が貫いた。
「……っ!?」
容赦なく突き進む紅き雷光の暴力に、蹂躙された大気は激しい破裂音を響かせ、直撃した巨木はまるで樹冠から根本まで裂けるように容易く破壊される。
バデュバドム樹海に生息する木は非常に硬い。それこそ、小屋ほどの体躯をもつファレンスウルフが激突してもビクともしないほどに。それもこの地への人間の侵攻を妨げてきた大きな要因の一つであった。そのはずであったのだ……。
その大木が、まるで小枝のように圧し折られ、ズゥン…と重々しい音を立てながら大地に倒れる。
トゥチカはその様子を、ただ呆然と眺めていることしか出来なかった。
もし、あの"龍"が少しでも気紛れを起こそうものなら……焼き払われていたのは自分のいる木であったかもしれない。もしそうなったら、自分は確実に死んでいた。
一切の悪意なく、まるで寝覚めに一発と言わんばかりの軽い雰囲気で、どんな生物にも等しく死と破壊を齎す……なんと危うい存在だろうか。
……そこまで考えたトゥチカは、ふとあの"龍"がつい昨日生まれたばかりであることを思い出した。
つまり、容易く大木をへし折ったその"龍"は、まだ子供なのだ。
もし、これ程の力を持つ存在が……子供特有の、無邪気なる残虐性を持っていたとしたら……
……世界が、危険だ。
–––––––刺し違えてでも、ここで処分するべきか……。
矢筒から矢を取り出し、そこに掘られた溝にロゥヴンの牙から滴る毒を塗った。緊張で乾いた唇を舐めずって潤いを与え、否応無しに早まっていく呼吸を無理矢理に整え、未だこちらの存在に気付いていない"龍"の眉間目掛けて矢を番える。
「…………!」
……しかしトゥチカは、限界まで引き絞った弓を、静かに収めることにした。
まだ敵となることが決まったわけではない。
判断はもう少し観察してから下すべきであろう。
……そのような建前以前に、その存在に矢が通用するとは思えなかったのだ。
トゥチカは矢筒に矢を戻し、弓を背負い直すと、丁度あの"龍"がいる場所に、ある感じ慣れた気配が接近しているのに気が付いた。
それは昨日も感じ取った、ファレンスウルフの群れの気配。これまではこの近辺に棲むどの生き物よりも強者の貫禄を持っていると感じていた筈のその気配は、しかしこの"龍"という存在を見た後では、酷くちっぽけなモノに感じてしまう。
トゥチカは"龍"に気付かれないように木から飛び降り、シュタッと身軽に着地すると、自分の相棒であるティグを待機させてある茂みの方へと走り出した。
相棒の帰還を感じ取ったティグは、ピクリと耳と尻尾を立てた。
伏せていた身体を起こし、その気配がする方に目を向けると、予想通りその視線の先にはこちらに向けて走ってくるトゥチカの姿が。しかし、ティグの予想とは違い、その様子は何やら焦っているようにも感じられた。
「ティグ、直ぐに走れる!?お願い、ファレンスウルフに警告するの!」
トゥチカがそう言うと、ティグは直ぐにググッと身体を伸ばし、促すように彼女の前に座り込む。そして、彼女が自分の背に飛び乗ったことを確認すると、トゥチカが示す先に向けて一目散に走り出した。
焦りの表情を浮かべるトゥチカ。自分の背中越しに彼女の感情を読み取ったティグは、よりその速度を上げていく。
木々が凄まじい速度で後方へと流れていく光景を横目に、一つの風となって木々の隙間を突き進むティグとトゥチカ、そしてロゥヴン。
大きく回り込むように森の中を駆け抜けた彼等の前に、とうとう二十匹ほどのファレンスウルフの集団が姿を現した。
その姿を確認したトゥチカは、矢筒から抜き払った矢を弓に番え、やや上方に角度を付けて放つ。放物線軌道を描いて飛んだ一本の矢は、群れを率いるリーダー個体と思わしき先頭を歩いていたファレンスウルフの目の前に突き刺さった。
直後、ファレンスウルフ達が立ち止まり、一斉に後ろを振り向くと同時に、ティグは大きく跳躍してその群れをまるごと飛び越え、群れの進行方向の前に立ち塞がる。
フワリと着地したティグが一声吠えると、ファレンスウルフ達の視線は彼等に集中した。
突如後ろから現れた存在に対し、警戒心を露わにして唸り声を上げるファレンスウルフ達の前に、しかしトゥチカは臆することなく声を張り上げる。
「この先にいる存在と戦ってはならない!今すぐ自分達の巣に帰りなさい!」
トゥチカのそんな叫びに対し、しかしファレンスウルフ達は何も答えない。当然だ、人間の言葉が凶暴な野生動物に通じるはずがない。論ずるまでもない事実である。
ファレンスウルフ達はジリジリと囲み込むようにトゥチカ達に距離を詰めていき、今にも飛び掛からんばかりに恐ろしい形相で牙を剥く。そんな状況に置かれてなお、トゥチカは彼等を救うために声を上げ続けるのだ。
「あれはドラゴンよ、私達とは全く違う生き物なの!貴方達が束になったってアイツには敵わない……みんな死んじゃうわ!」
必死に訴えかけるトゥチカを、リーダー格のファレンスウルフは真正面から睨み付けた。同種であるティグでさえ少し萎縮してしまうような眼光に……しかしトゥチカは決して視線を晒すことはせず、リーダー格のファレンスウルフと見つめ合う。その瞳には、優しく猛々しい焔が宿っていた。
–––––––そして、両者の距離は極限まで接近し……、
「グォゥッ!」
リーダー格のファレンスウルフがトゥチカから視線を外して周囲に向けて吠えると、トゥチカ達を包囲していたファレンスウルフ達は、急に興味を失ったかのようにティグの横を通り抜け、"龍"のいる方へと歩き出した。ファレンスウルフ達が一匹、また一匹と"龍"のいる森の奥へ消えていき、やがてその場にはトゥチカ達とリーダー格のファレンスウルフのみが残されることとなる。
その様子に呆然としているトゥチカに、リーダー格のファレンスウルフはもう一度視線を戻し……暫し彼女の姿を見つめると、何も言わずに仲間の後を追って森の奥へと消えていった。
「………あ、」
ファレンスウルフ達の姿が完全に見えなくなると、トゥチカの口からそんな声が漏れ出した。直後、彼女の目からは粒のような涙が止めどなく溢れてくる。
–––––––ファレンスウルフ達の群れに、雌や子供が居ないことに、気付いてしまったから。
勝てないことなど、彼等は百も承知であったのだ。
自分達の力では敵わないことなど、他でも無い彼等が、何よりも理解していたのだ。
……だから、せめて自分達が"龍"の餌となって、雌や子供達が襲われるのを防ぐことで、彼等は群れを残そうと考えたのだ。
森の中に紅き閃光が瞬き、けたたましい破壊音が鳴り響いた。
誇り高き狼達の遠吠えが、皮肉のように爽やかな晴天の空に、どこまでも虚しく響いて、やがては消える。
––––––––森がいつもの静寂を取り戻すのに、さほど時間はかからなかった。
《その名は、"運命の敗者"》
白蛆(作者)が大好きなのはねぇぇぇ、
誰にも顧みられねぇような端役に感情移入することなんだヨォォォォ!!
だから別にルーツちゃんが悪いとか思ってませんよ?