我等が真祖を、語り継げ。 作:白蛆
生き物の焼け付く不快な臭いが、ツンと鼻腔を劈いた。
死屍累々……その状況を示すならば、まさにそんな言葉がぴったりである。冷たい地面に横たわるファレンスウルフは、もう二度と立ち上がることはなかった。
そして…………
……血溜まりに一匹佇んで、純白の"龍"は満足気に翼を広げた。
その体は、死屍累々の地獄でなお、何者にも染まることなく、一切の穢れない純白を保ち続けていた。
◇◆◇◆◇
「トゥチカ、戻ったか。」
ティグに乗って集落へと戻ってきたトゥチカに一番に声を掛けたのは、彼女の父親であるラングだった。トゥチカはその声によって彼の方を振り返ると、真剣な表情をして言った。
「父さん、お話があります。」
トゥチカのその目に宿る静かな焔を見て、これは只事ではないと察したラングは、すぐに洞窟の奥へと彼女を案内しようとする。しかしそんなラングに対して、トゥチカは「ここでいいわ」と言った。
今彼等がいるのは何ら遮るものの無い集落のど真ん中である。ここで話せばその内容は他人にも丸聞こえだ。それでもいいとはどういうことだろうかとラングが首を捻っていると、それを横目にトゥチカが周囲にも聞こえるような声で言葉を発した。
「この近辺の森に現れた謎の生物によって、ファレンスウルフの群れが壊滅状態になりました。」
ザワッ……と。
集落を包み込んでいた喧騒が俄かに静まり返る。ラングは驚きのあまり目を見開いて娘に問いかけた。
「な、何を!?」
「彼等では成すすべもなかった……20頭の群れが命を犠牲にして戦っても、その化け物には汚れ一つ付けることが出来ませんでした。恐ろしい光景だった。」
しかしトゥチカはそんなラングを無視して口早に言葉を紡ぐ。
そうして、一瞬訪れた沈黙は、その後から紡がれたトゥチカの言葉によって、先程とは全く違った性質の喧騒へと変わっていく。
集落の人々は、トゥチカの言葉を信じることが出来なかった。ファレンスウルフはこの森の生態系の頂点……そのファレンスウルフと共存している彼等は、なによりもファレンスウルフという動物の強さを知っていたからだ。
だが、同時に彼等にはトゥチカに対する厚い信頼もあった。若いながらも真面目で優秀、嘘なんて理由がある時にしか吐かない……何より、普段は軽い彼女の口調が今は敬語であることが、冗談では済まされないということをありありと物語っていた。
つまり本当に……あのファレンスウルフの群れがやられたというのか?
混乱する人々の様子を横目に見つつ、ようやく落ち着きを取り戻したラングは突然驚きの行為に出た娘に、他には聞こえない声で囁きかける。
(どういうことだ?この件は秘匿するはずではなかったのか?)
(実際にこの目で見てきてわかりました。今回の問題は既にそのレベルに無いことを……父さんは周辺の氏族長を集めてください。ファレンスウルフの群れが壊滅したということは……)
(…………っそうか!)
野生のファレンスウルフはこの森に住む人間達にとっても大きな脅威であったが、同時に彼等はシュレイド王国のこの地への進出を妨げる重大な要因の一つであった。広大な縄張りを巡回し、縄張りを侵した相手には容赦しない……その性格と元来持つ強大さによって、彼等はシュレイド王国の侵攻に対する最後の障壁の役割も果たしていたのである。
それが今は、劇的に弱体化している。
もちろん、あの"龍"という存在はファレンスウルフよりもさらに強大な存在であろう。しかし所詮は一匹であり広大な森を巡回することによる索敵能力ではファレンスウルフに遠く及ばないし、観察した限りでは縄張り意識がそこまで高いとも思えない。
……つまり、今この森は無防備なのだ。
(
トゥチカはラングのその言葉を聞き届けると、未だ戸惑ったままの人々に目を向けて、声を張り上げるように言葉を発した。
「ちょっといつもより時期が早いけど、北へ移動を開始しましょう。もう少し奥地に行けば流石にそこまでは手を出しては来ないはずよ。ただ……私はもう少し残ってあの"龍"のことを観察してみたいの。」
トゥチカのその言葉に……ラングは何も言わずに黙って頷くが、それ以外の人々は心配そうな表情を浮かべてそれぞれに言葉を発する。その殆どが彼女の身を案ずるものであった。
「何だと、トゥチカさんは一人残るのか!?」
「ダメよ、まだ若いんだから!」
「それなら代わりに俺が!」
「大丈夫。」
だが、トゥチカのそのたった一言で、彼等は一様に黙らされた。
それをさせるだけの気迫が、その言葉にはあったから。
そしてトゥチカは、いつのまにか彼女の隣に控えていたティグを撫でると、己の身を案じてくれていた人々に向けて、得意げに笑って言ってみせるのだ。
「私の相棒……ティグの逃げ足はファレンスウルフ1よ。そう簡単にやられはしないわ。」
◇◆◇◆◇
バデュバドム樹海の制空権を支配する、グレーターレイヴンという巨大な大鴉の足に捕まって、トゥチカは上空から"龍"の姿を観察した。集落の皆と別れ、観察を開始してから既に10日目、これまで"龍"はたまに紅雷を発生させたりファレンスウルフの死骸を貪ったり、あとはせいぜいたまに羽搏いたりする程度で、特にこれといって特別なことは何もせず、後は寝ているだけという怠惰な生活を送っていた。
「イェルヴァ、もういいわ。降りましょう。」
トゥチカがそう言って自分を捕まらせて飛ぶグレーターレイヴンに声を掛けると、グレーターレイヴン……イェルヴァはその言葉に従って、"龍"からは出来るだけ遠ざかるように森の中へと降下していった。
ある程度まで高度が下がったところで、トゥチカが自らイェルヴァの足を離してフワリと地面に飛び降りると、そんな彼女をティグが出迎えた。……その足元に巨大な鹿の死骸を置いて。
「あらティグ、ありがとう。ご飯獲ってきてくれたのね。」
トゥチカがそう言ってティグを褒めると、ティグは誇らしげにワゥッ!と吠えた。その姿は狼というよりは犬である。いや、ティグの普段の行動の節々にはそんな雰囲気があったのだが。
ともあれ、トゥチカはティグが獲ってきてくれた獲物を早速彼女の腰にある山刀で切り分け、予め干して乾かして置いた薪を組むと、火打ち石を使って手慣れた様子で火を起こし、その肉を豪快に焼いて食べ始めた。
彼女は栄養補給に時間をかける主義ではないので、その食べ方は年頃の少女としては若干汚いが……今それを咎める者はここにはいない。そうして仲間と共に気楽な食事を楽しみながらも、トゥチカは今日までの10日間で見てきた"龍"に対する感想を整理していく。
まず、鈍感。
警戒心が薄いというか、野生的でないというか……こちらの姿が気付かれたような様子が全く無いのだ。よく観察しているとわかるのだが、目の配りや歩き方が……"森の素人"そのものなのである。生まれたばかりと言ってしまえばそれまでなのだが……もっと本能レベルの話で、アレは森の生き物では無いのではないかというのが正直な感想だった。
ただし、それは一定距離を置いていればの話。どうやらあの"龍"には感じ取れる『間合い』というものが存在するらしく、そこに侵入すると圧倒的な超感覚を発揮するようだ。虫で試したのでまず間違えないだろう。つまりは、一定距離を置いていれば基本的には安全であるということである。
次に、温厚。
というよりは怠惰。縄張り意識はほぼゼロだと考えていいだろう。
食料があるうちはその場を動こうともしないし、動いた時はせいぜい水を飲みに行く程度。目の前を野生動物が通っても普通に眺めているだけだった。正直自然を舐めているのかと怒鳴り込みそうになったが、相手が相手なので自制する。
そして、知的。
まず、遊ぶ。"遊ぶ"という生態を持っている生き物は大抵知能が高いグループに分類されるが、あの"龍"は細長い尻尾の上に卵を乗せてコロコロ転がすという中々に器用な遊びを行なっていた。
時々雷を使って何かをしているし、実は見た目よりは高い知能を持つ生き物なのではないだろうか?というか、動作の一部が妙に人間臭いこともその印象をより強めているような感じがする。
そんなこんなで続けてきた"龍"の観察も、いよいよ今日で10日目になるが、この日、ある大きな変化が生じた。
––––––––ゾワリ、と。
それはつい先日感じたばかりの悪寒と、全く同一の種類のモノ。慣れからか始めて感じた時よりは幾分か弱く感じるが、それは間違えなく……
「……目覚めの波紋。」
《その名は、"運命の波紋"》