空に太陽があるかぎり   作:練り物

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 ペルソナコラボのイラストが公開されましたね。
 ひまりのパンサーは林檎的にはどうなんでしょうね。もう一般公開されているなら「あーだめだめエッチすぎます」なんてことはないんでしょうが、いっそのこと審査基準を公開して欲しいですよね。

 そう言えばツイッター始めました。
 制作の裏話とか呟くかもしれないので、よろしければフォローお願いします。基本的には多々買ったり語彙力のないオタクになりますが、そこはご容赦ください。→@Indian_kamaboko
 
 では、今回は前後編です。よろしくお願いします。



13話 きっかけの“きっかけ”(前編)

「なぜここにいる、つぐみ」

「ま、待って、お兄ちゃん!さすがにいきなりそんな質問されてもわからないよ!?」

 

 

 ある日の夕方、店番をしている中で戻ってきた兄から発せられた一声がこれだった。

 『ただいま』とか『おかえり』とか、家族らしいやり取りの前にこんな言葉をぶつけるあたり、やっぱりお兄ちゃんだな、と逆に安心してしまうくらいだ。

 

 

「今日は練習のはずではなかったのか?」

「あっ、そういうこと…………実はスタジオの予約が入れられなくて中止になっちゃったんだ。連絡してなかったっけ?」

「ああ、てっきり練習するものだと思って、既にスタッフに差し入れを渡してしまった」

「そっかー、それなら………ええっ!?」

 

 

 それはまずい。

 私達がいない以上、スタッフさんたちはずっと差し入れを抱えていなければならなくなる。本来、スタッフに預ける事自体が利用上グレーな行為なのに、さらに迷惑をかけてしまうとなると、今後のバンド活動にも支障があるかもしれない。

 

 

「大変!すぐに連絡しないと!」

「ケーキのように冷蔵の必要がなかったことが幸いか。とにかく俺が責任を…………む?」

 

 

 踵を翻してスタジオに戻ろうとしたお兄ちゃんだけど、何か違和感を感じたようで足を止める。おもむろにスマホを取り出して確認すると、どこか安心したような表情になった。

 

 

「…………いや、その必要はなくなったようだ」

「えっ?」

 

 

 お兄ちゃんがスマホの画面をこちらに差し出したところ、そこにはやたら特殊な文字で彩られたメッセージ。送信主は一目で理解できた。

 

 

「あこちゃんからだね」

「ああ」

 

 

 メッセージの内容としては、スタッフさんが間違ってお兄ちゃんの差し入れをRoseliaの人たちに渡してしまったという旨だった。

 

 

「今日はあこ達に譲るとしよう──────だが、次があるとは思わないことだ」

「つまり、二度も繰り返さないように気をつけるってことだよね」

 

 

 漫画とかでよくある捨て台詞はさておき、Roseliaならあこちゃんやあの人(・・・)もいる。今回の件については、結果的に無駄にならずに済んだのなら良いや、と、そう思うことにした。

 

 これがある一件のきっかけ──────そのさらにきっかけとなる出来事だった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「…………やってきてしまったわ」

 

 

 休日の昼前、徐々に人通りが増える商店街に、私──────氷川紗夜はあるところで立ち尽くしていた。

 

 事の始まりは昨日。

 苦しい争奪戦の果てに借りられたスタジオの一室で練習をしてた際に、突如宇田川さんから差し入れが投じられた。

 

 出されたものは何の変哲もないバタークッキー。

 普段、今井さんや私が持ち込むようなものと同様の手軽な菓子類だった。

 

 問題は、その質にあった。

 

 

『えっ、ちょっ、やばっ!何これっ!?意味わかんないんだけど!?どうやったらこんなの作れんの!?』

『………これは確かにすごいわね。今までリサのクッキーにはないような感覚ね』

『すごいなんてものじゃないって、友希那!完全にプロの仕事だよ!うっわ~……こんなの食べさせられたら、アタシもちょっと慢心してたって思い知らされちゃうな~………』

『い、今井さんにそこまで言わせるなんて………』

 

 

 湊さん、今井さん、私を含めた三者が揃いも揃って唸ってしまった。

 経験が浅いとはいえ、曲がりなりにも料理──────お菓子作りに触れた者なら一口で理解できてしまうような、ある種の理不尽さすら感じてしまう代物だった。

 

 それだけなら、奮起するだけで済んだ。

 問題はその後の会話だった。

 

 

『そうね、リサ。音楽と同じように、私達には慢心する暇はないわ』

『ええ、勿論です………ところで宇田川さん?これは誰が作ったんですか?』

『え?カズ(にい)ですよー』

『あこちゃん、それって………』

『うん!つぐちんのお兄ちゃんだよ!』

 

 

 ………………お兄ちゃん。

 

 …………お兄さん。

 

 ……兄。

 

 

「まさか羽沢さんに兄弟がいたなんて………!」

 

 

 お菓子教室で親密になった羽沢つぐみさん。

 不器用な性格をしている私にも、ペースを合わせて接してくれる彼女には何度癒やされたことか。

 

 そして、かく言う私も妹がいる。

 またひとつ共通点が増えたことには嬉しく思うけど、まずは真偽を確かめなければならない。

 

 そっと静かに扉を引く。

 ドアベルの音も些細な大きさになったけど、羽沢さんはこちらを振り向いてくれた。

 

 

「いらっしゃいま………あ、紗夜さん!」

「おはようございます、羽沢さん。早速ですが、いつものお願いします」

「はい!ふふっ、何か常連さんみたいですね!」

 

 

 ああ、心が落ち着いていく…………。

 このやり取りだけでも私にとっては多大なリラクゼーション効果が表れている。意外と私は単純な人間ではないのかとも思うが、それはそれとして当初の目的を忘れるつもりはない。

 

 

 辺りを見渡す。

 …………羽沢さんの他に従業員はいない。変わった点とすれば、やたらと店に入り浸っていたはずの黒ずくめのスーツの男性が、今日は不在にしていることくらいかしら。

 

 

「今日は羽沢さんだけですか?」

「え?裏にお父さんとお母さんがいますよ?午後からイヴちゃんが入ってくれますし、お兄ちゃんは今日は一日休みですけど」

 

 

 ──────“お兄ちゃん”。

 

 羽沢さんがそう口にした瞬間を見逃さなかった。

 

 

「羽沢さん、やはり(・・・)ご兄弟がいらっしゃったんですね」

「あ、正確には従兄なんですけど………やっぱり?」

 

 

 …………いけない、失言をしてしまったかもしれない。

 これではまるで、私が羽沢さんのお兄さん目当てに来ているように誤解されてしまう。あくまで、それは会話のきっかけとなればいいと考えているだけで他意などないのに。

 

 

「い、いえ、こちらの話です。それで、そのお兄さんは──────」

「おーい、やってるかー?」

「あれ、巴ちゃん?」

 

 

 気を取り直したところで、やってきたのは巴さんだった。普段通りに見えるけど、どこか息を切らしている。

 

 

「おっ、つぐ。悪いけど、カズのやつ見なかっ──────あ、紗夜さん、おはようございます」

「ええ、おはようございます。巴さん」

「で、お兄ちゃんなら外に出ちゃったけど………何かあったの?」

「いや、今年も夏祭りの出店関係で運営の

おっちゃんが『わからないことがある』ってな……」

「ああ、またかぁ………」

 

 

 巴さんが用があるのは、“カズ”と呼ばれている羽沢さんのお兄さんらしい。夏祭り関係の要件で、しかも、羽沢さんは“また”と言っている。

 

 

「何の話ですか?」

「あ、大したことじゃないんですけど、ここの商店街の近くの神社でやる夏祭りで、店を出す側はあらかじめ申請が必要なんですよ」

「ええ、まあ当然ですね」

「そこまではいいんですけど、実際にカズ──────ああ、つぐの兄ちゃんなんですが、そいつが出した書類がですね………」

 

 

 スッ、と鞄の中から一枚の紙を取り出す。

 クリアファイル越しから見える文字をざっと流し見する。こういった作業は普段から慣れているので、すぐに全体像を把握することができた。

 

 

「…………別に記入漏れがあるわけではないようですが」

「違うんですよ、問題はここです」

 

 

 巴さんが指し示したのは出店の内容に関する記載欄。枠の中には簡単に『串焼き』とだけ記されていた。

 

 

「これは………また難しいね」

「ああ、さっぱりわからん」

「………普通に串焼きじゃないんですか?」

 

 

 書類の中身より、首を傾げる二人の方に違和感を覚えた。

 実に簡潔かつわかりやすい内容だと私は感じたけど、どうやらそうではないらしい。

 

 

「いや、紗夜さん。アイツの言葉をそのまま解釈するのは危険なんですよ。去年なんか“たこ焼き”って申請して、いざ当日に“タコの丸焼き”を出してきたりしますから」

「え」

 

 

 ………タコの、丸焼き?

 タコって、あの八本足の海産物のはず。たこ焼きはタコの身を使うけど、丸焼きとは一体?

 

 

「ちなみに、一昨年は?」

「…………“タイ焼き”でした。皆、普通のたい焼きか、奇をてらっても鯛の丸焼きが出てくると思ってたら、ムーハンとか言う子豚の丸焼きを出しやがったんですよ」

 

 

 ムーハン………ムーハン?

 この間、あるテレビ番組に出演した日菜が食べたと聞いたことがあるような覚えがある。確か、バンコクやタイの料理だった…………ああ、なるほど、“タイ(・・)”でメジャーな豚の丸“焼き(・・)”、と言うことね…………冗談のセンスについては私はわからないけど、実現させる行動力は目を見張ってしまう。

 

 

「吊るされている子豚が結構グロテスクで、遊びに来た子どもが泣いちゃったりしたよね………」

「そのくせ、美味い上に繁盛するから(たち)悪いよな…………」

 

 

 名称や出自はともかく、昨今は食べ物とされる動物の姿を想像できない子どもも少なからずいるとのことだ。冗談みたいな話だけど、魚が切り身の状態で海を泳いでいると思っている子どもも少なからずいるらしい。

 そんな子供にとって、いきなり動物の丸焼きが視界に入ってくるのは、確かに刺激が強すぎる。トラウマにならなければと願うばかりだ。

 

 

「今年は串焼き、ですか」

「問題は“何を焼くのか”だね!」

「おっ、さすがカズ検1級!足りない言葉がどの品詞なのかはすぐにわかるんだな!」

「ううん………言葉はわかっても、思考まではわからないことがあるから、私もまだまだだよ!」

「は、羽沢さん?」

 

 

 …………カズ検?1級?

 聞きなれない単語ばかりで若干置いてけぼりにされている気がする。

 羽沢さんも、この奮起する表情は応援したくなるけど…………それは目指すべき方向としていいのかしら?

 

 

「串焼きって言ってるんだから、やっぱ肉か?」

「うーん。それははぐみちゃんの店と競合しちゃうから、お兄ちゃんが選ぶとは思えないなぁ」

「なら、海産物系か?まさか、これでスイーツ系はないだろ?」

「言い切れないよね。極論だけど、串のまま焼けば、何でも“串焼き”になっちゃうし」

「だなー」

 

 

 さすがに常識的な範囲内でやると思うけど………随分とその、飛躍的な思考をお持ちの方なのね。

 そのタイプの人間は、前もっていくら対策をとったところで、さらに上のことをやらかすのが常。普段からの教訓を伝えようか、まごついていたら、巴さんはため息を吐きながら立ち上がった。

 

 

「本人に聞くしかないか。しゃーない。後でアタシが適当に電話で聞くわ」

「ごめんね、巴ちゃん。お兄ちゃんが迷惑かけちゃって」

「気にすんなよ。正直、みんな面白半分でカズが何の屋台出すのか楽しんでる節あるからな。じゃ、紗夜さんも失礼します。あ、よかったら夏祭りも来てください!」

「え、ええ」

 

 こういった祭事の運営は骨が折れるものだと痛感させられながら、巴さんの背中を見送る。

 あそこまで奮闘している姿を見せられると、足を運んだ方がいいような気がしてきた。

 

 

「紗夜さんもごめんなさい。せっかく来てくれたのにこんな話聞かせてしまって」

「気にしないでください………何というか、随分変わったお兄さんなのですね。この間のお菓子教室にはいらっしゃらなかったので、正直驚きました」

「うう、それも否定できないです………あ、今度またお菓子教室をやることになったんですけど──────」

 

 

 ──────と、他にも色々と話をした。

 

 けれど、ちょうど客の出入りが激しくなる昼時よりも前に店を出る。いくら顔見知りとはいえ、混み合う時間帯にまで長居をするのは羽沢さんにも迷惑をかけてしまうからだ。

 

 帰路につきながら、今日話したことを振り返る。次のお菓子教室の話、お互いのバンドの近況、エトセトラエトセトラ…………丸山さんたちのような“女の子らしい会話”よりも固いかもしれないけど、それでも羽沢さんは嫌な顔ひとつせず付き合ってくれた。

 

 特に盛り上がったのはお互いの兄妹の話。

 羽沢さんのお兄さんはどうやら振り回す側のようで、話し始める前にこんなことを口にしていた。

 

 

『あ、あらかじめフォローしますけど、お兄ちゃんってかなりストレートでデリカシーがない言動をしちゃうことありますけど、悪気は一切ないので………その………色々と容赦してください!』

 

 

 本人に改善させる、と言わないあたり、羽沢さんもかなり手を焼いていることがわかる。そんな前置きの後に語られる突飛なエピソードの数々は、我が妹をうっすらとイメージしてしまった。

 

 

「変に気になっちゃったわね………」

 

 

 ほんの少しの同情と、より一層親近感が湧いた──────そんな時だった。

 

 

「ちょっと!何してるの!?」

 

 

 のどかな商店街の外れ、比較的人通りが少ない道で、そんな悲鳴にも似た声が響き渡った。

 思わずその方向を振り向くと、やたら大仰な帽子と大型犬であるアフガンを引き連れた年配の女性が声を荒げていた。

 

 

「そこのあなたよ、あなた!そんなの私に近づけないでよ!」

 

 

 女性の指が示す先には、ユリの花が象徴的な花束と、それを抱える長身白皙の男性。

 男性はゆっくりとそちらを振り向くと、特に悪びれたようすもなく平坦に口を動かした。

 

 

「そうか、それはすまなかったな」

「なんなの、その態度!謝罪のつもり一切ないでしょ、貴方!?見なさいこれ!花粉が付いたでしょ!?何とか言いなさいよ!」

 

 

 年配の女性が見せつけるように帽子を突きつける。花粉なんて粒以下のものなぞ見えるはずもない。特徴的な赤い色をしたユリの花粉すら、遠目からでは見ることはできない。私だけでなく、周辺にいる者が皆、このいざこざに注目していた。

 

 今の一連の会話からして、一方的に男性が迫られていることは明らかだった。この街の住人は気性が穏やかな人たちが多いけど、中にはあのような難癖をつける人もいる。

 

 ……………せっかく羽沢さんのところで癒されたのに、こんな現場に出会すなんて。

 こんな心情的に悪影響を及ぼす場面は見たくないので、野次馬をすり抜けて去ろうとした──────その時。

 

 

「確かに、それは一大事だな」

 

 

 ぱさっ、と、物が落ちる音が耳に残った。

 男性が手に持っていた立派な花束を落としたからだ。花束は真っ逆さまに落下し、幾枚かの花びらが地面に散乱してしまうが、それに構わず足早に女性に近づいていった。

 

 彼は気に止めずに女性の前でしゃがみ込み、年配の女性──────が引き連れていたアフガンの毛並みを確認する。

 

 

「………外観からは花粉の付着は確認できないな。家に戻ったらブラッシングと、念には念を入れるなら獣医に診てもらうといい」

「はあ!?この子は関係ないでしょう!ちゃんと私の話聞きなさいってば!いい?私の夫は──────」

「その話は今聞く必要はあるのか?この場で優先するべきなのはこの犬の命だろうに」

「なんでアンタなんかに指図されなきゃならないのよ!話しているのは、私なの!口答えするんじゃないわよ!」

 

 

 ………もはやヒステリックとも言えるほどに支離滅裂で、完全に周りのことが頭に入っていなかった。

 あんな人に絡まれた彼の不運を嘆くばかりだ。

 

 それでも、彼は微塵も狼狽えることない。

 

 

「そうもいくまい。ユリの花粉がペットの犬に直接、あるいは衣服から間接的に付着することを懸念する気持ちはわかるが、まずは確認が第一だからな」

「──────は?」

 

 

 ようやく、女性の方が口を噤んだ。

 

 …………ああ、なるほど。

 あの男性が心配していたことを理解できた。

 

 花の茎や花粉は誤って人体が摂取してしまっても、そこまで大きな変調を与えるものではない。

 ところが、犬猫にとってはそうではない。

 特に、ユリの花粉は選りすぐり。少量の花粉ですら摂取すれば死に至ることがある猛毒だ…………と、白金さんが言っていたことを思い出した。

 

 男性は優しく毛並みや皮膚を確認している。

 心地よさそうに撫でられているアフガンは置いて、今度は男性の方から口を開いた。

 

 

「…………その反応から見るに、自分の衣類にしか気をつけていなかったようだな。なるほど、貴女にとってこのペットも、その夫とやらも、己が着ている衣服と同じように存在価値を誇示するための手段に過ぎないというわけか」

 

 

 飼い主なのに、お前はペットの危険すら察知できないのか。

 違うだろう。お前が案じるべきなのは愛犬だったはずだ。自己顕示の精神と衣類を気にするよりもまず、それを考えもしなかったのか?

 

 口にはしないにしても、彼の鋭い眼光は訴る。

 

 

「特段、その在り方に口を挟むわけではないが、このような場で声を大にするのはやめておくといい。周りが口にはしないにしても、その価値とやらは間違いなく下方に向いていることに気づいた方が良いのではないか?」

「あ、あ、なた……ねぇ……っ!もう頭に来た!こうなったら出るとこに──────」

「ふむ、法律は弱者の味方だ。きっと、そのペットも、貴女の矜恃も守ってくれるだろう。そうしたいのであれば好きにするといい。俺は逃げも隠れもするつもりはない」

 

 

 畳み掛けるように発せられる煽る言葉は、確実に相手の冷静さを乱していく。今にも暴力を振るわれようとしているほどの剣幕にも一切飲まれることなく、毅然とした姿勢で正面から向き合う彼。

 

 この場の趨勢は決した。

 遠目から伺っている者の誰もがそう感じたことだろう。

 

 

「…………………ふんっ!」

 

 

 もう顔すら見たくない、と言わんばかりの嫌悪の表情を隠そうともせず、踵を返す年配女性。

 連れて帰ろうとしたアフガンは、主人を害した相手に特に吠えることもなく、一瞬立ち止まって男性の方を振り向いた後にリードに引かれて去っていく。

 

 その背中を呼び止めようとしたのか、男性は手を伸ばして声をかけようとして──────やめた。

 背後から彼とは別の中年の男性が肩に手を置いたからだ。

 

 

「良いって兄ちゃん。あんな贅沢な服拵えるやつはそんな端した金なんか求めてねぇし、むしろ兄ちゃんの方が弁償される立場だろ」

「そうなのか。だが………」

「いやー、それにしても清々したぜ!ったく、あの婆さんって他の店にも粉かけて頭下げさせるクレーマーだったからな…………」

 

 

 中年の男性の言葉に一部の野次馬が頷く。

 

 ………なるほど、この一件は今回が初めてというわけでもなく、商店街の人たちにとっては悩みの種だったようだ。彼らにとって、あの白皙の男性はそんな鼻つまみ者を払い除けた功労者というわけね。

 

 しかし────大袈裟かもしれないけど────そんな英雄視された彼の表情は、未だ無表情のまま。むしろ、一層陰りが増したかのようにも伺える。

 

 

「…………失礼する」

「おう!今度来たらサービスしてやっから、また来な!あっ、今年の夏祭りは何出すんだ?」

「申請中だ。受理されるまでは口にできん」

「律儀だねぇ、ったく。まあ楽しみにしてるわ!じゃあな!」

 

 

 男性はこの場を離れようとする。

 そんな彼に私は途中で屈みながら足早に近づいていった。

 

 

「あの、落としものです」

 

 

 渡したのは、先ほど彼が落とした花束。

 ………落ちる角度が悪かったのか、既に茎が折れてしまっているものが何本か見受けられた。

 

 

「ああ、感謝する」

「あの、どこに行くつもりですか?」

「あの犬のところだ」

 

 

 …………歩き出した方向を見て、もしやと思ったけど、まさか本当にそうだとは思わなかった。

 

 

「理由はどうあれ、俺があの犬を危険に晒させたことは弁明の余地がない。せめて、医者に診てもらい、命に別状がないかだけでも──────」

「──────やめておいたほうがいいと思います。今行っても、あのお婆さんの機嫌を更に損ねるだけです」

 

 

 かと言って、この人がそこまで責任を負う必要はないはずだ。いちゃもんのように飼い主からあれだけ当たり散らされ、花は折れてしまい、本人も酷い目にあったはずなのに。

 

 

「きっと、あの犬もその気持ちだけで充分だと思っていると、私は思います」

「……………そうか……………そうか」

 

 

 己に言い聞かせるように呟いたその言葉からは、無理矢理自分を納得させているようにも見えた。

 ………確かにあの犬については心底無事であってほしい気持ちは痛いほど共感できるけど、その心配を第一にするのは飼い主であるべきはず。

 形はどうあれ、こうして指摘された以上は、まずは自分で病院に連れて行くことが飼い主としての当然の義務だろう。

 

 ようやく、手に持っていた花束を渡す。

 全てが全て駄目になっているわけでもないけど、こんな無惨な姿になってしまったのが実に口惜しかった。

 

 

「…………ご愁傷様です」

「気にすることもあるまい。元を辿れば、俺の不手際が招いたことだ。素直に買い直すことにしよう」

「まだ無事な花もありますが………買い直すのですか?」

「人に渡すものだからな。是非もない」

 

 

 …………それは確かに買い直す必要があるわね。

 ただでさえ花のプレゼントは嬉しいにしても扱いに困る部分はあるのに、ましてや折れた花なんて渡されても喜ぶ者なぞいないだろう。

 

 

「ただ、困ったな」

「何がですか?」

「今日は木曜日だ」

 

 

 言われて私もはっと気がついた。

 今日は祝日とは言え、本来であれば平日の木曜日であったはずの日だ。そして、花屋は木曜日を定休日とする店が多い。

これでは、代わりを用意することができない。

 

 

「──────少し待ってください」

「その必要はない。こちらにも伝手はある」

 

 

 近隣で営業している花屋を確認しようとしたところで、彼の手で制される。その手に持っていたスマホを流れるように操作する。

 

 

「よし」

「何が『よし』なんですか………あの、ちょっと!」

 

 

 時間がない、と言わんばかりに彼は足早にこの場を去ってしまい、私は遠くなる背中を見送ることしかできなかった。

 勝手に納得して、勝手にどこか行ってしまった。有無を言わさないあの態度、確かにあれでは相手をヒートアップさせてしまうのも無理はないわね。あのアフガンの身を第一に心配していたところは好感を持てるけど、これは日菜にも気をつけるように言ったほうが──────

 

 

「…………あら?」

 

 

 ついさっきも似たような感想を抱いたような気がした。あの時は羽沢さんのお兄さんの話をしていたような。

 …………偶然でしょう。さっきの男性は寡黙なだけだ。あんな人が、打ち上がる花火の音をかき消すほどの『ソイヤ』を出すほどの無茶苦茶な人間とは思えないもの。とにかく、この場ではそのように断定した。

 

 思わぬハプニングはあったけど、最終的にはスッキリとした心情になれた。

 

 途中、この季節には似合わないような、どこかで見たことのある黒ずくめのスーツの男性とすれ違ったけど、どこか夢見心地のまま気にせずに帰路に戻ることにした。

 




 今回出てきたクレーマーおばちゃんは多勢に無勢だったのを見て退けることができる人間なのでまだ良心的です。この手の極まった人間になると周りすら気にせずに暴力も振るうので、まともに相手にしない方が身のためです。

 余談でした。後半へ続きます。
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