空に太陽があるかぎり   作:練り物

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20話 知っている/知らない表情(かお)

 残暑は鳴りを潜め、過ごしやすい陽気が続く。春、夏と経て、早くも季節は折り返し地点を過ぎ、秋がやってきた。

 読書の秋。スポーツの秋。食欲の秋。

 本来、季節など関係ない文化的な行為に、“秋”という言葉を添えてまるで特別なものにしようとする意図はわからないが、その影響から余人が活発になるのは事実。

 

 羽沢珈琲店(ウチ)も、その風潮に合わせた結果──────

 

 

 

 

 

 

 

ひゃ、ひゃい!では、これから羽沢珈琲店、第二回お菓子教室を開催しましゅ!」

「声量が迷子だぞ」

 

 

 緊張からか、抑揚を見失ったつぐみを案じる。

 第二回、と我が従妹(いもうと)が言ったように、羽沢珈琲店がお菓子作りの教室を開くのは二回目になる。

 

 事の発端は例によって叔母の思いつきだ。

 ふとした時に舞い降りて来る神託には、叔父も従妹(いもうと)も振り回されてばかりだ。

 

 それを三日前に聞かされた俺は、擁護はおろか、苦言を呈さざるを得なかった。そのせいで叔母が予想以上に落ち込んでしまったらしいが、これで少しは懲りてもらいたい。

 で、こうして当日は居る者たちで対応することになってしまったわけだ。

 

 

「ぜ、前回が好評だったため、こうして二回目の教室を開講することができましたっ!」

 

 

 参加者たちの視線が集まる中、つぐみが開講の挨拶を続ける。たどたどしいものの、伊達に生徒会にいない、というわけか。

 

 

「これも皆様のご愛好のおかぎぇ

 

 

 ぎぇ。

 

 

 ………………しん、と空気が固まる。

 

 

 沈黙に包まれた教室に、とうとう耐えられなくなったつぐみはこちらに顔を向ける。

 

 

お、お兄ちゃぁん……

「……こうなるのか」

 

 

 今すぐ逃げ出したくなるような失態を晒し、半泣きのつぐみからバトンタッチする。

 …………不得手だが、所望とあれば従おう。

 

 背後にいる仲間に目配せする。

 こくり、と頷くのを確認し、口火を切った。

 

 

「羽沢和那だ。このイベントを発案したもののロクに企画すらせず、段取りを丸投げした計画性のない叔母の代わりを務めることになった。この店の料理人(シェフ)としては最大限を尽くすつもりだ。それと──────」

「助手の若宮イヴです! 不束者ですが、よろしくお願いします!」

 

 

 俺ひとりならともかく、今回はつぐみとイヴがいる。であれば、互いがフォローし合えば滞りなく終わるはずだ。

 

 …………それに。

 

 

 

「……よろしくお願いします」

 

 

 

 知っている顔もいるようだ。

 では、できるだけ恥のない働きを見せるとしよう。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 後髪を束ね、ヘアゴムで結う。

 エプロンの紐を少し強めに結びすぎたかしら、と思いながらもシャツの腕をまくる。この準備も随分と慣れたはずなのに、今日はどこか余計な力が入ってしまっていた。

 

 羽沢珈琲店、二回目のお菓子作り教室は前回よりも賑わっている。羽沢さんがさっき言葉にしたように、第一回の成功が実を結んだ結果なのだろう。前回よりも会場が少しばかり手狭に感じてしまう。

 

 当然、参加者が増えたのもある。

 けれど、今日はそれ以外にも理由があるのかもしれない。

 

 

「カズナさん、今日は何を作るんですか?」

「見てわからないのか?」

「み、見てもわからないのは当然なので、今日はスイートポテトを作りますっ!」

 

 

 先ほど涙目になっていた羽沢さんと、今回から参加となったアシスタントの若宮さんの間に挟まる、白い人。

 カズナさん──────と呼ばれた彼は、私のように後頭部に髪を束ね、参加者の視線を一身に受けていた。

 

 薄々、気づいてはいた。彼が羽沢珈琲店のキッチンを任されていることは、羽沢さんからの伝聞や、夏祭りの屋台で偶然会ったときの身の上話から察することはできる。

 ただ、こうして目の当たりにすると、どうも世間の狭さを痛感させられてしまう。

 

 …………それにしても。

 

 

「………ポテト」

「紗夜さん?」

「な、なんでもないです。気にしないでください」

 

 

 小首を傾げる羽沢さんの視線から逃れるように、調理台の方へ体を向ける。

 ポテトはポテトでも、じゃがいもではなくさつまいも。ジャンクではない、スイーツの作り方を学ぶ場と改めて己に言い聞かせる。

 

 気を取り直して、調理台に今回使う材料たちに向き合う。

 さつまいも、生クリーム、バター、卵……その他の調味料諸々。それらの分量等々を脇においたメモに手早くまとめた。

 

 

「じゃあ早速……って、お兄ちゃん! 何勝手に剥いてるの!?」

「なぜ止める。時間は有限だぞ」

「な、慣れてない人がいるんだから、もう少しゆっくりやってってば!」

 

 

 書き終えた頃には、もう既に何か始まっていた。彼の前にあるまな板の上には、既につるつるに皮が剥かれたさつまいもたち。

 

 その間およそ一分。

 目を離した隙にボウル一杯分の皮剥きを終えていた。

 

 仕方ない、と言葉を溢した彼はまた別のさつまいもを一つ取り出し、まな板に置く。もう一度手本を見せてくれるみたいだ。

 

 

「まずは皮を剥く」

 

 

 さつまいもを転がす。

 包丁を横から切り込みを入れ、そのままひと振り。紫色の薄皮が宙を舞う。

 その繰り返し。一見、単調に思える動作でも、そのひとつひとつが無駄なく、洗練されている。やがて、紫色だったさつまいもは身包みを剥がされてしまう。

 

 ………恥ずかしいことに、今の私では何が起きているのかさっぱり理解できなかった。

 

 

「あ、兄は包丁を使ってますが、慣れてない人はテーブルにあるピーラーを使って、皮を全部剥いてください!」

 

 

 参加者の人たちから出た安堵する声に心底同意する。

 あんな芸当、猿真似すれば確実に怪我人が出てしまうもの。

 

 

「そして切る」

「え、えっと、さつまいもをサイコロの形になるように切ってください。何かコツとかってある?」

「ない。あとで潰す以上、不格好でも問題ない」

 

 

 といいつつも、遠目からでは不格好の様子がわからないほどには均一の大きさに切られていた。

 さつまいもの数だけ手本を目の当たりにするけれど………速すぎて再現できそうにもない。

 

 続いて、正方形に切られたものをボウルに戻し、計量器に入れられていた水を全て注ぐ。

 

 

「切ったものを水につけ、アクを抜く」

「ぜ、全体に水に浸かるくらいにしてください。じゃあ、ここまでやってみましょう!はい!」

 

 

 ぱん、と、羽沢さんの手拍子を皮切りに各々は調理台に向き合う。

 

 ……いよいよここから実践の時間ね。

 ええと、まずは洗ったさつまいもと、このピーラーを持って………む、む。

 

 

「あの、すみません、羽沢さん」

「なんだ」

 

 

 すかさず視線をこちらに向けるお兄さん。

 ……失念していたけど、彼も“羽沢さん”なのね。

 

 

「……いえ、妹さんの方です。失礼しました」

「そうか」

 

 

 

 紛らわしい言い方をしてしまったことを自省しながら、こちらに駆け寄ってくれる羽沢さんに質問する準備を整える。

 

 

「はい。どうしました、紗夜さん?」

「皮はどれくらいの厚さまでを指すのですか? ピーラーでどこまで剥いていいのかわからなくて……」

「あ、それなら紫色の皮だけなので、そこまで力を入れなくてもいいですよ」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 

 羽沢さんの教えに従って、ピーラーの持つ手を動かす。力加減、というのは苦手だけど、何度かやればコツは掴める。

 

 で、今度は包丁で小さく切る、と…………むぅ。

 

 

「すみません、羽沢さん」

「どうした」

 

 

 再びお兄さんが反応してしまっていた。

 いけない。気をつけようとしたばかりなのに、繰り返しになってしまった。

 

 

「……………度々失礼しました。妹さんの方です」

「………そうか」

「はい! 今行きますね!」

 

 

 笑顔でこちらに来てくれる羽沢さんと対照的に、無表情のまま腕を組んで視線を外すお兄さん。

 こうして見比べてみると、二人は全く似ていないように思えて………いや、似てないわね。

 

 いけない。包丁を持ちながら余計なことは考えないようにしないと。

 自分を戒めながら、再度羽沢さんに向き合う。

 

 

「サイコロ状と言うのは、どれくらいの大きさで切ればいいのでしょうか?」

「そうですね、大体一センチくらいの正方形に……ならお兄ちゃ───あ、兄が切ったものを持ってきますので、それを参考にしてみてください!」

「はい、ありがとうございます。羽沢さ───」

 

 

 ここで、ハッとした。

 三度も同じ間違いをするわけにはいかない。いい加減、私も学ばないと。

 

 

「…………………」

 

 

 お兄さんも、じっ、とこちらを見ている。

 ………申し訳ないけど、あの眼つきで見られると、さすがに私も少しだけ身が縮こまってしまうので、控えてもらいたい。

 

 こうならないためにも………仕方ない、わね。

 

 

「つ、つぐみ、さん」

「───はいっ!」

 

 

 ぱあっ、と花開く羽沢さ───つぐみさんの笑顔。前々から名前で呼ぼうとしてたけど、実行に移せなかった名前呼び。

 少しだけ恥ずかしかったけど、私達の距離が縮まった気がして、こちらもつられて口角が上がってしまう。

 

 改めて、お兄さんの方を見る。

 相変わらずの無表情だけど………不思議と、彼の口も緩んでいるように見えた。

 

 …………もしかして、あえて(・・・)彼は苗字に反応することで、私が名前呼びをするきっかけを作ってくれたのでは、と。

 

 さすが、あのつぐみさんのお兄さん。

 どこか抜けているような様子でも、しっかりと人の事を見ている。侮れないわ。

 認識を改めて、私は作業に戻った。

 

 

「あの、羽沢さん。ちょっといいですか?」

「…………」

「羽沢さん?」

「む、つぐみではないのか」

「いえ、貴方です。あの………」

 

 

 その間にも、お兄さんは他の参加者からも質問を受けていた。自分のことで精一杯なので、その受け答えの様子まで伺うことはできなかった。

 

 

 閑話休題(作業に集中しましょう)

 

 

 皮を剥く。切る。そして、火を通す。

 湯を張って茹でる───のは機材の関係上、電子レンジで代用することに。

 

 

「………お兄ちゃん、どうしよう?」

 

 

 レンジが仕事している間、参加者たちは手持ち無沙汰になる。

 すると、お兄さんが机の下から何かを取り出した。

 

 

「───で、温め終わったものがこれだ。そしてこれを………」

「ま、待って! 何でそんなに用意周到なの!? あと、今、説明されても誰もついていけないよ!?」

「なぜだ。あの料理番組を参考にした。世間一般ではこのスピードが標準なのではないのか?」

「あれはあらかじめスタッフさんが用意してくれるの! 他の人はそんなことしないよ!」

「………………そう、だったのか」

 

 

 ………おかしいわね。

 無表情だけど、今、お兄さんの背後に雷が落ちたような気がするわ。

 

 

「イヴ、そうなのか?」

「私が番組に出させていただいた時、スタッフの方からは“伝統芸”と説明いただきましたよ?」

「ふむ、誇張が目に見えてわかるが、テレビ関係の人間が言うなら確かなのだろう。尺の都合によって生まれた伝統的な芸能演出……やはり興味深い。では、出来上がったものが───」

「い、今はテレビ番組じゃないよ! すみませんっ! 皆さんは気にしないで、今までの作り方のメモを見直してみてくださいっ!」

 

 

 あわあわと慌てふためくつぐみさん。

 いきなり漫才が始まったけど、他の参加者の皆様も笑いながらメモに向き合っている。

 若宮さんはともかく、お兄さんはどうして突然………まさか。

 

 この何気ないやり取りの中でも、実はお菓子の味を向上させる秘密があるのでは───?

 以前、今井さんから聞いたことがある。

 

 

『お菓子作りって、一見無駄のように見える作業も、実は食べる人のための気遣いになったりすることもあるんだよねー』

 

 

 あの時、未熟な私では真意を全て汲み取ることはできなかったけど、今ならわかる……気がする。

 

 

「ダメなのか……では、余った材料で大学芋でも作るか」

「もう! 今日はスイートポテトを作るんだよ! 他の作ったら混乱するってば!」

「カズナさんカズナさん。大学芋があるなら、高校芋はあるのですか?」

「ふむ、聞いたことがないな……試作してみるか」

「ふ、二人とも自由すぎるって……」

 

 

 項垂れているつぐみさんには悪い気もするけど………念のためメモ用紙を裏返し、ペンを走らす。

 いつか役に立つことを信じ、このやり取りの議事録を残すことにした。

 

 

 チン、と特徴的な機械音がする。

 温まったボウルを火傷しないように取りだし、竹串で芋を刺す。崩れてしまいそうになるほど簡単に刺さる。

 ………これが、火は芯まで通っている証、と。これも書き残しておかないと。

 

 

「熱いうちに潰す」

「熱いので気をつけてくださいね!」

 

 

 さて、今度はこれらを潰す(マッシュする)のだけど──────

 

 

「っ」

 

 

 思ったより、力がいる。

 幾ばくか体重をかけながらやっていても、すぐに疲れてしまう。

 

 

「紗夜さん? 大丈夫ですか?」

「結構、力が、必要です、ね。ふぅ、コツとかないでしょうか?」

「コツ、ですか?」

 

 

 つぐみさんの視線はお兄さんの方へ向く。

 ……何やら若宮さんとお話されているようね。

 

 

「カズナさん、これ使ってもいいですか?」

「すり鉢か。構わないが、使い方はわかるのか?」

「はいっ! こうして棒を中心にして、擦るように回せば……」

「ほう、自然薯の要領か」

「ジネンジョ? とろろではないのですか?」

「ああ、自然薯というのは──────」

 

 

「た、楽しむことだと思います!」

「つぐみさん?」

 

 

 今、思考を放棄しかけたのは気のせい───いえ、確かにそのとおりだわ。

 若宮さんのように、こういった工程の中にも何か楽しみを見出して、試してみることが一番、と言う意味ね。さすがつぐみさん。

 

 と、考えていたら、もう原形は無くなりかけていた。

 ………もっと、潰したほうがいいかしら?

 

 

「では、熱いうちに他の材料を加えるぞ」

「えっと……テーブルのバターと砂糖、塩、を加えて混ぜてください!」

 

 

 一方、次の工程に進んでしまっていたので、マッシャーは別のところに置くことにした。

 次は、調理台に置かれたバターなどの調味料を入れていくわけで…………むぅ。

 

 

「つぐみさ───」

 

 

 呼びかけて、口を噤んだ。

 羽沢さんが、小学生の子どもの参加者の相手をしていたから。

 

 邪魔をしてはいけないので、他の人に助言を乞う事にする。

 

 

「………………………」

 

 

 じっ、と、お兄さんが静かにこちらを見ている。

 目つきが、こわ………いえ、鋭くて、まるで内面まで見透かされているようで、居心地が悪い。でも、背に腹は替えられない。

 

 

「…………あの、すみません。混ぜる、とはどんな状態になるまで混ぜれば良いのですか?」

「この段階なら、あくまで材料が混ざればそれでいい」

「はい。ありがとうございます」

 

 

 必要最低限のアドバイスを受け取り、言われたとおりに調味料たちを全てボウルに入れる。

 

 

「全部入れたのか」

「………何か問題でも?」

「いや、本人がそれでいいのならそれでいい」

 

 

 ………もしかして、何か間違ったことをやってしまったかしら、なんて考えながらも、お兄さんの意味深な発言は気にせずにかき混ぜていく。

 

 

「で、さらに生クリームと卵黄を加えて混ぜて、その後に生地を鍋に移し替えて、弱火で熱しながら混ぜてください!」

「あの………」

「俺が混ぜたものを参考にしろ」

「あ、ありがとうございます」

 

 

 質問する前に、彼のボウルを押し付けられる形で答えられてしまった。

 確かに、このような大雑把な加減は口で説明されるより実物を見た方がわかりやすい。

 

 木製のヘラを手に、手早く全体を混ぜていく。次第に、はじめは固形気味だったさつまいも達も、一つの生地としてまとまり始める。

 

 

「生地がまとまったら、火傷しないように注意しながら手で形を整え、卵黄と生クリームを混ぜたものを表面に塗ってください!」

「形を整える、ですか。あの、型抜きとかは───」

「別に使っても構わないが、クッキーとは違い、火は通り方にムラができやすい。こちらとしては勧めるつもりはない」

「なるほど」

 

 

 その点はクッキー作りとは違うのね、と関心しながらも疑問符が浮かぶ。

 では、一体どんな形がいいのかしら……と考えていた時、妙に大仰な動きをしていた若宮さんが視界の端に入った。

 

 

「へい、おまちっ!」

「い、イヴちゃん……だからここお寿司屋じゃないよ……」

「つぐみはああ言っているが、あれはあれでシンプルで理にかなっている。参考にするのもひとつの手だ」

「寿司、ですか」

 

 

 であれば、こちらとしてもイメージしやすい。

 上手くできるかはわからないものの、とりあえず若宮さんが作ったものに倣ってみようと、生地に手を伸ばした───

 

 

「待て」

「っ!」

 

 

 が、手首を掴まれる。

 直に伝わる体温と握力、そしてゴツゴツとした掌の感触。咄嗟のことに、ビクリと体全体が動いてしまった。

 

 

「先ほど自分が弱火で温めたことを覚えていないわけでもあるまい。率先して火傷を負おうとする酔狂な真似は止した方がいい」

「す、すみません」

 

 

 …………完全に迂闊だったわ。

 寿司、というのはあくまで形の話であって、作り方の話ではない。危うく火傷するところだった。

 怪我の危機に瀕していたためか……それとも別の理由からか、動悸が止まらない。

 

 ふぅ、と深呼吸して、心を落ち着かせる。

 …………言い方にどこか棘を感じたけど、指摘はもっともだわ。気を抜いてしまっている証ね。集中、集中しないと。

 

 

「こ、こほん。あとは、アルミホイルのシートにのせて、オーブンで焼けば完成ですっ!」

 

 

 数割ほど大きくなった声で次の工程へ誘導するつぐみさん。何かあったのかもしれないけど……後で聞いてみましょうか。

 

 指示のとおり形を整え、ホイルを巻く。

 密着しないように生地を天板の上に乗せ、オーブンに投入する。あとは焼き上がりを待つだけ。

 

 小窓から、焼き上がりの様子を覗き込む。

 徐々に、徐々にだけど、表面の水分が蒸発していることは窺える。

 

 

「思っていたよりも単純ですね」

「他にも手の施しようはあるが、お前たちに教えても充分に使いこなすことができるとは思えんからな。この程度が落とし所だと判断した」

「む」

 

 

 つっけんどんな返答だけど、言っていることは間違っていない、と思う。

 曲がりなりにも、この人はプロ。

 さっきもその腕を目の当たりにした以上、理解することはできる。

 

 それよりも、少し気になることがある。

 

 

「あの、いいんですか?」

「何がだ?」

「いつの間にか、羽沢さ……つぐみさんが仕切っていることです」

 

 

 気がつけば、この場を取り仕切っているのはつぐみさんだった。実演していたお兄さんは、なぜか途中から私に付きっきりになっている。

 

 進行に文句をつけるつもりはない。

 けれど、役目を引き請けた以上、最後まで全うしないのはいかがなものか、とも思ってしまった。

 

 

「何やら思うところがあるようだが、問題ない。元より、今日の講師は俺ではなくつぐみだからな」

 

 

 ………つい、目を丸くしてしまう。

 今、耳を疑うようなことを仰ったような。

 

 

「今回の講師を志願したのはつぐみ自身だ。求められたから俺から切り出したが、講師役を務めるにはいささか荷が重い」

「いえ、さっき『お母様の代わりを務める』と仰ったはずでは………」

「確かに、思いつきだけでここまでの人間を集めた傍迷惑な叔母の代わりを務めると言ったが………そもそも叔母が講師をするとは言った覚えはない。俺はその尻拭いに駆り出された一人に過ぎん」

 

 

 散々な言われ方をされているお母様。

 家族間の仲については………こちらから触れるべきではない、として。

 彼は羽沢珈琲店のコックと自称したはず。なら、講師としては彼の方が相応しいのでは、と思ってしまう。

 

 

「ようやく調子が出てきた、と言ったところか。さて、フォローはこれで充分だろう」

「何が………あの、ちょっと!」

 

 

 有無も言わさず、お兄さんはこの場を離れていく。引き留める隙すら与えてくれなかった。

 

 この光景に、既視感を覚えてしまう。

 初対面の時も、ああやって去っていった。どうも、あの人は勝手に話が終わったものと判断してしまう癖があるように思ってしまう。

 夏祭りのときも“口下手”と自称していた以上に、そもそも思考にズレがあるようにも思えてしまう。

 

 

「おまたせしました……あれ、紗夜さん?」

「あっ、はざ───つぐみさん?」

 

 

 没頭しかけた思考は、つぐみさんの声によって中断させられる。

 つぐみさんは可愛らしいミトンとともに、オーブンの黒皿を手にしていた。

 

 

「あの、スイートポテトが焼き上がったのでいっしょに食べようと思ったんですけど……まさか、おに───兄が何か気に障ること言っちゃいました!?」

「い、いえ、そんなことないですよ。お誘いありがとうございます。若宮さんも呼んで一緒に食べましょう」

「よ、良かった〜………あ、今、兄がコーヒーを用意するので、ちょっと待っててくださいね!」

 

 

 いつの間にか、使用済みの調理器具が無くなっているテーブルの上でエプロンを畳む。

 椅子に座って待っていると、すぐにつぐみさんと若宮さんがスイートポテトとコーヒーを持ってきてくれた。

 

 少し不格好なそれを一切れ口にする。

 元来さつまいもが持つ甘さと、滑らかな食感が心地良い。自分がこれを作ったと思うと、またひとつ成長できたことを実感できる。

 

 

「紗夜さん、今日の私の進行、おかしくなかったですか?」

「そんなことはありませんでしたよ。私も、またひとつ勉強になりました。お二人とも、今日はありがとうございました」

 

 

 功労者二人に労いとお礼を。これからもよろしく、と気持ちを込めたそれを、二人は微笑みながら受け取ってくれた。

 

 その後、簡単に今回のお菓子教室について反省会が始まった。開催の宣言の際に、噛んでしまったつぐみさんが可愛かったと言う若宮さんと、林檎のように顔を赤くするつぐみさん。その様子を、温かく見守る私。

 

 日菜の分も持って帰ろうかしら、と考えながらも、余ったスイートポテトを口にした──────はずだった。

 

 

「………これは」

 

 

 違和感を覚えた。明らかに、私達が作ったものとは何もかも違う。

 ホイルから剝がしてもベタつくことはないし、食べても溢れることがない。されども、固すぎず歯を使わずともほぐれる食感。

 また、さつまいもの風味以外にも、蜜のような味が加わっているような、気がする。

 

 歯がゆいことに、私では、このスイートポテトにどれほどの秘密が込められているのかは計り知れない。

 

 

「サヨさん、それ、カズナさんが作ったものですよ」

「え、ええ、そうですよね」

 

 

 同じものを、こうして作ったばかりのせいか、以前宇田川さんからいただいたクッキーと同じ──────いえ、それ以上の差の開きを感じる。

 

 …………ちらり、と、つぐみさんを見る。

 彼女も、同じようにお兄さんが作ったスイートポテトを口にしていた。

 普段、食べなれているためか、表情には単純な賛美だけでなく、納得や懐古の感情が窺える。

 

 やがて、満面の笑顔を浮かべて、惜しみない感想を口にした。

 

 

「えへへ、お兄ちゃんはすごいなぁ。やっぱり、敵わないや」

 

 

 

 

 ──────そこには、私の知らない表情(カオ)があった。

 

 

 

 

「…………何が違うのかしら」

 

 

 無意識に漏れた、その言葉こそ、一体何に向けられている言葉なのかもわからない。

 ただひとつわかることは、今の一瞬において、私はつぐみさん(・・・・・)を通じて別の誰か(・・・・・・・・)を見ていた(・・・・・)ことだけだった。

 

 

「さ、紗夜さん?」

「サヨさん?大丈夫ですか?」

 

 

 私の顔を覗き込む二人の声が、現実に引き戻す。いけない。また心配させてしまったみたいね。

 

 

「いえ、何でもないです。それより、つぐみさん。これは、本当にお兄さんは私達と同じ材料と工程で作られたのですか?」

「は、はい。材料も作り方も同じはずですよ」

 

 

 ………ますます奇妙ね。

 差異が生まれることには何か理由があるはず。

 

 ───何か、あのお菓子教室の中に見落としがなかったかしら?

 ───もしかしたら、お兄さんが付きっきりになったのは、私に何かを伝えようとしていたのではないかしら?

 

 思考がぐるぐると回る。その度に増す衝動は、強迫観念めいた焦燥よりも純粋な───けれど、そんな綺麗なものでもない何かだった。

 

 ………とにかく、今日学んだことは一刻も早く反復が必要ね。

 

 

「あ、でも兄なら分量とか独自に調整をしていても不思議じゃ……紗夜さん?」

「すみません、つぐみさん、若宮さん。これから私は議事録をまとめるので、これで失礼します。あと、お兄さんにもよろしく言っておいてくださいますと助かります」

「さ、サヨさん! ギジロクって何でしょうか!」

「さ、紗夜さーん!?」

 

 

 出口前で、お二人に礼をして店を出る。

 静止する声に後ろ髪を引かれながらも、私は歩みを止めなかった。

 

 お菓子作りは、あくまで音楽との相乗効果を狙って始めたもの。

 おかげで、つぐみさんや今井さんとも交流を深めることはできたけど………やっぱり、音楽が第一なのは今でも、これからも変わらない。

 

 …………ただ、他にも大切なことが学べそうな、そんな予感がする。

 

 Roseliaのギター氷川紗夜としてではない。

 氷川日菜の姉の(・・・・・・・)氷川紗夜として、大切な、そんなものが、彼から得られるかもしれない。

 

 見当違いの可能性もある。

 でも、もう心に火が灯ってしまった以上は、真偽を確かめないといけない。

 

 ………以前の私なら『バンドに支障をきたすことをわざわざやる必要はない』なんて切り捨てると思う。

 バンドの時間を疎かにするつもりはないけれど………賭ける価値はあると、今なら思える。

 

 後髪を束ねたままだったことに気づいたのは、家に着いた後だった。

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 想定よりも遥かに盛況だったな、と考えていたら、激しく自己主張をするドアベルを耳にする。

 後片付けと、つぐみたちのコーヒーの用意、それと拗ねた叔母への差し入れのために席を外していたが、何があったのか確かめるために店内に戻ってきた。

 

 見れば、つぐみたちと共にいたもう一人がいなくなっていた。教室自体は既にお開きとなっており、今は参加者たちの休憩時間なので帰っても問題はない……が。

 

 

「む、もう帰ったのか」

「う、うん。議事録とか何とか言ってたけど……お兄ちゃん、また変なこと言ってないよね? あと、何かいい感じだったし……

「心外だ」

 

 

 じとっ、とした視線を向ける従妹に反論する。

 

 俺としては従妹(いもうと)が世話になっている身として、俺自身の顔馴染みとして、精一杯尽くしたつもりだ。

 調味料は半分ずつ入れた方がいい、など色々とアドバイスを言いそびれたがな。

 

 …………それに、他にも何かを盛大に勘違いと買い被りをしているようにも感じた。

 

 

「実際、お前たちの目には不快に思われているように見えたのか?」

「う、ううん。そんなことなかった……と思う」

「私もそんな風には見えませんでしたが……ライブ前のサヨさんはあんな感じだったような気がします」

「あ、それわかる! キリッとしてて大人っぽいよね!」

 

 

 ライブ………ふむ。

 やはりバンド繋がりだったか。つぐみたちのAfterglowといい、イヴのパスパレといい、音楽に縁がある者たちばかり集まるな。

 

 

「であれば、俺には関わりのないことだ──────そんなことより、よくやったな、二人とも。片付けは粗方終わった。これで休憩を取るといい」

「…………えへへ、じゃあ、いただきます」

「はい、カズナさんもお疲れ様でした! 一緒に休憩しましょう!」

「ああ」

 

 

 三人目のコーヒーは俺が処理することになった。休憩がてら、余ったスイートポテトを口にする。

 ……潰し方や火の通り方は荒削りだ。

 しかし、分量は間違っていないし───何より真面目さや真摯さが伝わってくる。

 

 店で出すには力不足でも、少なくとも俺にとっては好ましい味のように感じた。

 向こうがその気ならば、次に来たときは改善点を挙げるとしよう。はて、余計な真似でなければいいのだが。

 

 小休止として、コーヒーを口に含める。

 一度舌をリセットさせた後、最後の一口を放り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「そういえばお兄ちゃん。このスイートポテト、私達と同じ作り方したの? 味とか食感とか違うけど………」

「何を言っている。それは試作した“高校芋”だぞ」

「こ、高校芋……え、もう試作したの!?」

「なるほど、これが高校芋……どうりで黒蜜の味がすると思いました! カズナさん、作り方を教えていただけませんか?」

「完成したらな」

 

 

 …………今度、この高校芋の試食にも付き合ってもらえるといいのだが、快諾してくれるのとを祈るばかりだ。




 サンタさんへ

 クリスマス限定つぐみをください。

 つみれより
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