0.
きっと、あの頃の私は。
ただ、何もかもを諦めていただけでした。
☆
1.
転生、という言葉がある。
俗に言う生まれ変わりのことで、近頃の界隈では記憶を持ったまま、というのが枕言葉としてよく用いられている。
またその転生にも種類あり、生まれ直した時から自覚しているタイプと成長した後にひょんなきっかけで思い出すタイプとあって、細分化すればまだまだあるが、本題には関係がないのでこの辺でやめておこう。
さて。では、なぜ私がいきなりこんな話をしたかといえば、その理由は単純明快。私も生まれた時から前世を自覚していた人間であるためだ。
とはいったものの、私は前世が何の変哲もない社会人で且つ男性であったのでこれといった特別な知識は有していなかったし、死因もろくに覚えていない。しかし、今世の未来を考えるには、その中にあった知識だけで十分だった。
テレビ画面の向こうには、眩いほどのライトに照らされて、しかしそれに負けない程に個々人が煌めいているアイドル達が映っている。どうやら、つい最近行われたライブの一部のようだった。
彼女たちは今となっては日本では知らない人などいない程のトップアイドルだ。そしてそのセンターに立つ彼女、彼女のその名前を、その顔を、性格も、声も、歌も。今ほど人気が出るより前、それこそ生まれたその瞬間から私は知っていた。
『天海春香』──そして、彼女の周りに立つのは765プロダクションのアイドル達。天海春香と同じく、名前なんて簡単に諳んじることが出来る。
つまりこの世界はアイドルマスターの世界で、きっとその先の別の物語にも繋がっているのだろう。
何故なら私は、今世の私の名前は『島村卯月』であるのだから。
2.
『島村卯月』。
アイドルマスター シンデレラガールズにおける属性の一つであるキュートの顔。
誕生日は4月24日で血液型はO型、利き手は右で趣味は友達との長電話。
『頑張ります!』が口癖で努力家。アイドルになる前にはアイドルを目指して養成所に通っていた。
アニメではメインに抜擢され、終盤につれて人気も更に上昇、放送終了後には見事五代目シンデレラガールに輝き、今やシンデレラガールズを代表するアイドルと言っても過言ではない立場にいる。
……今の私とは似ても似つかない境遇である。
当然誕生日や血液型、利き手は同じで外見も同じだけれど、それ以外は全く異なると言ってもいい。
そもそもとして、私は『アイドルを目指さない』選択肢をとったのだから。
思うに、『島村卯月』を彼女足らしめる要素は三つある。
一つ、自らを表現することのできる表情。
二つ、純粋なまでにアイドルを憧れることのできる心。
三つ、不安や苦悩、葛藤を飲み込んで進むことのできる精神。
まず私は前世では男だった故にお姫様の様なアイドルに強い憧れなんて持ちようなどなかったし、出来れば不安や苦悩とは無縁でいたい、低きに流れる性格をしていた。性格に関しては今も同じだ。
そんな私がアイドルなんて無理に決まっている。ならば前世と同じ職に就いた方が仕事が分かっている分まだマシというものだ。
故に、私はそれこそ『普通の女の子』として生きていくことに決めたのだ。
3.
「あっ! そういえば、きいてきいて! うちのお母さんがさ、コンサートのチケット貰ったんだって!」
昼休み、お弁当の時間中。今日一緒に食べている三人のうち一人が不意に話を切り出してきた。
昨日のドラマがどうだった。あの芸能人がかっこいい。そんな毒にも薬にもならない話題の中降ってわいた新話題に誰かがまた相槌を打つ。
「うん、それで?」
「知り合いから用事が入ったからってもらったらしいんだけど、興味があるなら友達と行ってもいいよって! っていっても、二枚しかないんだけど……誰か一緒に行かない?」
「へぇー、いつ? っていうか誰の?」
「誰って言われたら少し困るんだけど……ほら、なんていったっけ。美嘉ちゃん……城ヶ崎美嘉とかの……」
「えっ、それってもしかしてウィンターフェス!? 346の!」
「あっ、そう! それ!」
隣からおぉ、と感嘆する声が漏れる。
当然かもしれない。346プロダクションもとい美城プロダクションと言えば、有名芸能人も多数在籍している大御所である。近年満を持して参入したアイドル部門も、短期間で高垣楓や城ヶ崎美嘉といった実力のあるアイドルを輩出し、近頃は私たちのような高校生の間でもよく話題にあがることがあった。
そんなプロダクションのライブ。きっと近頃名前の上がるアイドルが多く参加するに違いない。
「うーん、ごめん私はパス。アイドルとかあんまり興味ないしねー」
「わっ、私は行きたい! あっ、でも……確か来週? だよね?」
「うん、確か来週の日曜日」
「あー……ごめん、私無理だ……もーちょっと早ければ……いやいや早くても無理だったかも……?」
「えー、何? もしかして彼氏とデートとか?」
「えっ!? ちっ……違うよ!?」
「じゃあなんなのさー、言ってみなよほらほらー」
私はお弁当を食べながら、そんな光景にクスリと笑う。
彼女に彼氏(幼馴染らしい)がいるというのはもはや公然の事実で、事あるごとにからかわれている。
前世でも彼女のいる友人はからかいと言う名の嫉妬攻撃を一身に受けていたし、男女でこの辺はあまり変わらない。
「んー……じゃあ、卯月はどう?」
「えっ、わっ、私!?」
「うん卯月ってアイドルは興味ない? それとも予定あったりとかする?」
「うーん……予定はなかった……と思うんだけど」
興味は当然、ないと言ったら嘘になる。
これでもアイドルマスターのファンだった私にとって、346オールスターなんてシンデレラガールズのライブそのものだ。私の担当だったアイドルはまだデビューしていないけれど。
しかし、やはり一抹の不安が即答を避けさせた。
「……うん、帰ったら念のため予定の方をちょっとお母さんに聞いてみるね」
「本当!?」
「うん、予定が大丈夫だったらすぐに連絡する……って、皆もう昼休み終わっちゃうよ、早くお弁当食べちゃわないと」
私がそういうやいなや、三人とも時計を見ると慌ててお弁当をかきこみ始める。
私はそんな彼女達に少しばかり苦笑しながら、お弁当の蓋を閉じた。
4.
「お母さーん、ただいまー」
鍵を開けて家に入ると、お母さんがパタパタと居間の方から駆け足で出てきた。
私のお母さんは、自分で言うのもなんだけど美人で、人当たりが良い。本来の島村卯月はこんなお母さんの人の良さを存分に受け継いで成長してきたのだろう。
「お帰りなさい」
「ただいまー……っていっても、すぐにまた出かけるね」
「いつもの?」
「そう! あと、今日もお弁当美味しかったよ!」
「あら、そう? ありがとう!」
鞄の中から空になったお弁当箱を渡すと同時にお礼を言う。するとお母さんは頬に手をあてて顔を綻ばせた。
前世の私だったら絶対に放っておかない可愛さである。
そんなお母さんへの想いを振り切って、制服と鞄を置きに部屋へと向かう。
私の部屋は、割とシンプルな部屋である。
カーテンやら家財道具やらはお母さんに任せた(というか部屋を貰った時からそうなっていた)のでかわいらしいが、ベッドや机は少しばかりお高いだけで普通だ。
自分で揃えたので女の子しているのはベッドの上にあるぬいぐるみぐらいだろうか。前世から寝る時には何かを抱いていなければ寝つきが悪い性格だったのでその辺りは沢山揃えてある。
あとは本の量が少し多いぐらいのものだ。こちらは別に、女の子らしくはないけれども。
「ふぅうっ……っとと、早く着替えないと」
鞄を机の横に引っ掛けて、思わずベッドに腰掛けるが慌てて立ち上がる。
私の座右の銘は有言実行。そのぐらい刷り込ませないとサボり癖のある私はすぐに休んでしまう。
制服はまとめて壁に掛け、クローゼットを開けると一番前に並んでいたジャージを引っ張りだす。
ピンク色のジャージは毎日お母さんが洗濯してくれて、私のクローゼットに戻してくれている。本当にありがたい。まだ洗剤の香りがする、気がする。
いそいそと着替え、次は準備運動。首、肩、腕、手、腰……と、上から順番に足まで関節を伸ばしていく。
最後に髪をポニーテールに結び直し、準備完了だ。
私は部屋を出るとそのまま玄関に向かい、今度はローファーではなく運動靴を履く。
とんとん、と爪先を床で叩いて足を靴に押し込んだのち、扉に手をかけて居間にいるであろう母親に声をかける。
「それじゃあ、いってきまーす!」
「はーい、気をつけてねー!」
遠くから聞こえてくる声を見送りに、私は駆け足で家を飛び出した。
目指すは付近では一番大きな公園。行うのはランニングだ。
5.
「ふーんふんふーん……あっ、こんにちは!」
「こんにちは、島村ちゃん」
「こんちはー!」
鼻歌を歌いつつ移動がてらウォームアップ。途中、近所の顔見知りな親子にすれ違ったので、立ち止まって挨拶。
こういうちょっとしたやりとりが近所付き合いでは重要だとお母さんをみていてよく知っている。
「今日もランニング? 毎日偉いわね」
「いえいえ日課ですから、大丈夫です!」
向こうももう私がランニングに行く途中であると気がついているので、手短にすませつつ、最後にもう近くですが気をつけて帰ってくださいねと言って子供の方には小さく手を振る。
にぱっ、と笑みを浮かべて母親と手を繋いでいない方の手をぶんぶんと振る姿を見ると、思わずこちらも笑みが零れ落ちた。
さて。今の人が言っていた通り、私は中学生の頃から放課後に毎日ランニングをしている。
それは体力はあって損するものではないと知っているためであるし、この体型を維持するための適度な運動としてでもある。
また、先ほども言ったサボり癖も一因だ。無理矢理にでも習慣をつけておかないと後が怖い。
折角恵まれた環境で恵まれた容姿を持っているのだから、それを維持することぐらいは『普通』の範疇であるだろう。
……あんな大きい一軒家に住んでいて、更に高校もどちらかと言えばお嬢様系の学校で。普通とはなんぞや、と言いたくなることはしばしばあるけれども。
それから少しして、無事に公園に到着する。
いつもは公園内のコースを五周、少し休んでから更に五周。大体一周が一キロであるので、大体十キロほど走ることになる。
始めた当初は一周ちょっとで限界だったが、今はここまで引き伸ばせた。いや、この程度まで、とつけるべきだろうか。
別にフルマラソンとかに挑んでみる気はないけれど、私だとハーフマラソンでも走りきれるかどうかが心配だ。
いつものスタート位置が近づき 、公園の時計に目を向けると時刻は十一時五十七分を指し示していた。それなら目標時間は十二時何分かな……とまで考え。
「えっ!?」
思わず二度見した。
しかしやはり時計は十二時前を指し示しており、私の大体の帰宅時間である四時半前後でない。どうやら電池切れで止まってしまっているようだった。
しかしながら昨日まではちゃんと動いていたというのに……まぁ、いつだって止まってしまうのは突然だ。今回は仕方がない、タイムは気にしない方向で行こう。
そんなことを考えつつぴょんぴょんと跳ねて靴がキチンと足にフィットしていることを認めたのを最後に、よしっ、と気合を入れて私は地面を蹴った。
6.
「はぁーっ、すぅーっ、はぁーっ……」
五周を終えた私は、十数秒だけその場で膝に手をつくが、すぐに頭を上げて足を動かす。まだ走るためにクールダウンとまではいかないが、息を整えるまでは身体を動かすのが普通だろう。
身体から蒸気が立ち上がっている感じがする。吐く息がとても白く、口の中の唾が粘っこい。
小さな風が吹くと、それがまた心地よさを感じさせる。
なんだかんだ言ったけれど、実のところ私はランニングは嫌いではなく、むしろ好きな部類に入る。
特に身体一つあればどこでだってすることのできる運動であるし、何より取り立てて何も考えなくてもいいところが好みだ。
走っているその瞬間だけ、何もかもを忘れて自由になれる。
……逆にいうと終わった時に再び、先延ばしにしていた問題に触れなければならないのだが。
息が整ってきたので木陰に腰を下ろし、若干ぼんやりとした頭で考える。
「……コンサート、かぁ」
思い出すのは今日の昼休みのこと。
お母さんに聞くまでもなく予定はないし、コンサートに行くと言えば返事一つで許しをくれるだろう。
しかし勿論、私にとっての問題はそこではない。
何度も言っている通り私には前世の記憶があり、そしてアイドルマスターについてもそれなりに知っている。且つ、プロデューサー……つまりファンでもあったのだ。
そんな私が何故コンサート、それも応援していたアイドルが出るというのに即答をしなかったのか。その答えは単純だ。
私がアイドルという存在を避けていた。ただそれだけのこと。
それに対して何故、と問われたなら。これに関しては心配症という他ないが、私は『島村卯月』を警戒したのだ。
『島村卯月』はアイドルに憧れ。
『島村卯月』は舞台に立ちたいと願い。
『島村卯月』は遂にシンデレラへと相成った。
幼い頃の夢を叶えてしまうほどの強い憧憬が、もし私の中に残っていたなら──?
今の私は生まれた瞬間から私であったために、そんなことはないというのはわかっている。
しかし、もし仮に私がアイドルに憧れを持ってしまったら? そしてもし罷り間違ってアニメのシンデレラプロジェクトにスカウトされてしまったら?
考えるだけでも恐ろしい。
そう考えてしまう私はやはりどう考えてもアイドルなんてできないし、するべきでない。『普通』であることが一番だ。
閑話休題。
そういうわけで家にいる時についていたテレビやドラマで見知った名前が出演しているのはみるけれど、アイドル活動はあまり見ないようにしていたわけだ。
しかし、今はもう高校一年生の冬である。
『島村卯月』がアイドルになったのは十七歳の高校二年生。彼女はなんでも卒にこなせる才能を持つわけではなく、アニメでは長い間養成所で燻っていた様子が見られていた。アイドルになれたのはその努力が実ったともとれる。
(だったら……もう、大丈夫かな?)
今からアイドルを目指すのは難しい。
出来なくはないかもしれないが、私にそこまでの忍耐力や無駄になるかもしれない努力をする勇気はないのだ。
もし仮に、私の中の『島村卯月』がアイドルになりたいと囁いてきたとしても、もう手遅れであると納得してくれるであろう。
「よしっ……それなら、帰ってすぐに連絡しなくちゃ」
その瞬間一際強い風が吹き、止んだと同時にぶるっと身体が一度震えた。
今は冬、雪などは降っていないとはいえ流石に少し休憩しすぎたかもしれない。健康を保つための運動で風邪でもひいたりしたら目も当てられない。
一息に跳ね起きて見えるところの草を弾き落とし、念のため脚の筋をゆっくりと数十秒ずつ伸ばしてからランニングを再開する。
つい癖で時計をちらりと見てしまったが、走る前から変わらず、時刻は十二時前を指し示していた。
7.
コンサートに行くことは許容した。
これから再びプロデューサーとして影から彼女達を応援するのだ……なんていうのはいいんだけど。
「あのー……どうしてこんなことになっているのでしょうか?」
「なんで敬語?」
「な、なんとなく?」
私は今、カラオケボックスにいた。
それも昨日昼食を食べた三人だけでなく、本日部活がないクラスメイト全員で、だ。
なんでもない日なのにちょっとした打ち上げみたいになっている。
「なんでもないってことはないでしょ?」
「そうそう、卯月ちゃんのカラオケ記念日だもん」
「それは……そう、だけど」
そうなのだ。実は私、今世では初カラオケである。
今まで色々な人と遊んではいたが、カラオケだけは徹底的に回避していた。
そりゃあ知っている歌はある。でもそれの悉くはアニソン……こちらではアイドルソングだし、それでアイドルファンとでも思われでもしたら堪らない。
だから今まで避けていたのだが……どうしてこうなった。
話の流れはこうだ。
返事をした翌日、放課後にその彼女にカラオケに誘われた。
どうしてかと聞くと、当然コンサートの曲の予習であると答えられる。CDもいいのだが、折角二人で行くのだから一緒にしようと思い立ったらしい。
それを断るためについ『カラオケには行ったことがない』と答えると皆に戦慄が走って、緊急学級会議が行われたのだ。
議題は『島村卯月とカラオケに行った人がいるかどうか』。無論結果は私は行った覚えはないので誰もいないである。
そうしたら何故か、予定が空いている人全員で一緒に行く羽目になった。
曰く、『カラオケを一緒にしたこともないなんて友達とは呼べない!』らしい。いやいや、確かにカラオケだけは避けていたけれどゲーセンだとかボーリングだとかショッピングやアドベンチャー施設に遊びに行ったりもしているのだけれど。
……まぁ、皆が皆私に構っているわけではなし、大騒ぎする口実に使われただけかもしれないけれど。
つらつらと思い出して苦笑をしていると、また一つ歌が終わる。
『場が温まったから、次は卯月!』とデンモクを押し付けられたが、未だに曲を決めかねている。
346プロ、つまりシンデレラガールズの歌で好きなのは『流れ星キセキ』に『Yes! Party Time!!』、『Near to You』がパッと思い浮かぶけれど後者二つはともかく、『流れ星キセキ』なんてあるわけもない。
というか、それぞれのアイドルに知らない曲がちらほらあるんだけど? 確かに個別曲が一つ二つしかないわけがないんだけど……そんなところをリアルに即しなくても!
全体曲も『とどけ!アイドル』や『輝く世界の魔法』などの数曲しかなくて、しかも歌われた後である。
同じ曲を歌ってはいけないというわけではないが、そういう流れでもなければ結構度胸がいるものだ。『おねシン』? あれは一番最後に歌うものだ。
「卯月ー? 早く選ばないとこっちで勝手に選んじゃうよー?」
「えっ、ちょっ、ちょっと待って!?」
もうどうにでもなーれ!
私は目に付いた見覚えのある曲を入力する。すると待ってましたとばかり次の曲名がでかでかと画面に表示された。
「島村卯月、歌います!」
宣言と同時に、緩やかに流れ出るような旋律。
透き通っているようなメロディー。
これこそは六代目シンデレラガールの歌である、『こいかぜ』だ。
8.
『こいかぜ』で我慢の箍が外れた私は続いて『アップルパイ・プリンセス』、『Naked Romance』を続け様に歌った。特に『Naked Romance』は振り付けつき。
ライブDVDやデレステのMVを何度も見返した私に隙はなかった。意外と覚えているものだ。
その後からはてんやわんやの入り混じり。ソロ曲なのに二人で歌ったり、 笑いながらマイクを譲り合ったり奪いあったり。
「──♪」
気分良く、鼻歌なんか歌ってしまったり。お風呂なので良く音が反響した。
島村家のお風呂は広い。
ああやって夢中になって楽しんでいると、ちゃんと自分が女の子をできているようで本当に安心する。
「……えへへ」
先ほどまでのことを思い出して、思わず笑いが零れ落ちる。
……うん。こうして、私は生きていければいい。
普通に学校に通って、普通に勉強をして、普通に友達と遊んで。
普通に進学して、普通に就職して、普通に恋──は、色んな意味で少し難しいかもしれないけれど。
それでもこのままでいい、このままがいい。
湯船から身体をあげて、そのまま風呂椅子に腰掛ける。
湯気で曇った鏡にボディーソープを軽く塗り、洗い流す。
「…………」
鏡に映る私は、私のことをただじっと見つめていた。
9.
夢だ。
はっきりとわかる。これは夢だ。
私とテレビ。それ以外に何もない空間にて、私は画面に映るそれをじっと見ている。
紡がれる舞台の演目は、『アイドルマスター シンデレラガールズ』。
少女達が魔法にかけられ、シンデレラに登りつめる正しくシンデレラストーリーの物語。
最終話。
画面に映る少女達はみんながみんなキラキラと眩しく輝いている。
それは、いつかに誰かが夢見たもの。
それは、誰もがいつかと夢見たもの。
眩しいお城。
素敵なドレス。
優しい王子さま。
現れたのは王子様ではなく魔法使いであったけれど。
それでも、少女達は遂に『シンデレラガールズ』になったのだ。
夢を、願いを叶えることができたのだ。
『…………』
私は暗闇の中、ただ見ている。
『島村卯月』の笑顔を、ただ見ている。
10.
時は巡って、ウィンターフェスティバル当日。
開演五分前で既に会場のボルテージは高く、始まった瞬間に天元突破してしまうのではと思う程だ。
そんな中、私はといえば。
「っ、はぁ、はぁ……ふぅ〜……間に合ったぁ……」
冷や汗を垂らしつつ、安堵の溜息を吐いた。
四方八方は白い壁に囲まれ、右の壁にはロール状になった紙が取り付けられている。
そして私が座っているのはドーナツ状に穴の開いた椅子のようなものであり……
もうお分りいただけただろうか。そう、トイレである。
待ち合わせの駅に少し早く到着してしまったので、付近の意識高い系喫茶でなんとなくフローズンラテを頼んでしまったのが運の尽き。
そもそも雪も降っているのにフローズンとか何考えてるのって意見もあるだろうけれどそれは気分で選んだのだから何も言わないでほしい。
半分ぐらいをゆっくりと飲んだあたりで連絡が入って、残りを一息に飲み干したのだ。
恐らくそれが原因で腹が冷えてしまい、席についてから少ししてからお腹の具合が悪くなっていった。
だが開演直前、入口付近のトイレは並んでいる人は少ないにせよ満員状態。
そのため私はその時は波が引いていたために他のトイレを回ろうなんていう阿呆な考えをしてしまい、探している途中に大きな波が来て(女の子的に)死にかけることになってしまったのだった。
その直後に見つけたトイレが偶然一つ空いていたからよかったものの、空いていなければビッグウェーブに耐えきるしか道はなかったので本当に安心したのだ。
と、リラックスモードでトイレの紙を手繰り寄せようとしたところでトイレの中まで聞こえていたホール内の歓声がいつの間にか聞こえなくなっていることに気がつく。
もしやと思い携帯の時間を見てみると、四時ジャスト。開演直後で、恐らく諸注意をしているであろうタイミングだ。
急いで紙で後始末をして手を洗い通路に飛び出るも、辺りを歩いている人などスタッフさん含め一人も見当たらなかった。
これは本格的にやばいと思い、通路を駆ける。先ほども言っていた通り、私の席に近い入口付近のトイレは混んでいたため少し遠くまで来てしまったのだ。
少し走ると、遠くに納品が遅れたのか花を並べているスタッフさんが目に入る。通路を塞ぐようにしているがすり抜けるようにすれば抜けられるだろう。
そう思い少しスピードを上げると、突如として曲がり角の向こうから人影が飛び出して来た。
いや、向こうにとっては私が飛び出して来たのだろうけれども。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
私はとりあえず飛び出して来た彼女を咄嗟に受け止め、きれずに私の進行方向へと弾いてしまう。私はそのまま尻餅をついた。
その先には背を向けて花を運んでいるスタッフさんがいて──
「あっ、危ない!」
11.
「っ、っ……!」
「っ…………あー、びっくりした」
私が弾いてしまった女の子は頑張って耐えようとしたのか、背筋をピンと伸ばしたまま斜めに立っていた。
というのも、スタッフさんが彼女の肩を両手で掴んで抑えきったためだ。恐らく私達のぶつかった音と声でこちらに注目が向いたためになんとか受け止めきれたのだろう。花も倒れていなかった。
スタッフさんはふぅ、と溜息を一つ吐いて彼女の身体をぐっと押すと、彼女は一歩二歩進んだ後にくるりと振り返って頭を下げる。
「っとと、すっ、すいません!」
それを見た私も慌てて立ち上がって、彼女の隣に並んで頭を下げた。
「わっ、私が、ごめんなさい! 急いでて、スタッフさんの横をすり抜けれると思ってて! いや、そうじゃなくて、ええと、とっ、とにかく、ごめんなさいっ!」
「すいませんでしたっ!」
「本当に、ごめんなさいっ!」
「いやっ! 私の方が階段を登りきったばかりで周りが見えてなかったから! すいませんでした!」
「いえっ! 私の方こそ急いでで角から人が出てくるなんて思ってなくて! ごめんなさい!」
「いやいや、私の方が──」
「いえいえ、私の方が──」
呼応するように隣の娘から謝罪の言葉が飛び出たのに対して再び私も謝罪する。
ガランとしているエントランスホールにただ私達の謝罪だけが響く。
そこに一つの咳払い。間違いなく一番迷惑を被ったスタッフさんのもので、私達は途端に口を噤んだ。
「……あー、二人とも、一体何の勝負してるの?」
「勝負なんて!」
「私はただ、本当に自分が悪いって!」
「わかった、わかったから。とりあえず顔を上げて──」
と、同時。
『わぁああああああああああ!!』と割れるような歓声がホールより通路に漏れて来た。
私と隣の彼女は思わず顔を上げてしまい、顔を見合わせる。
キョトンとしたような、しまった、とでもいいたげな様々な感情が混じった表情。おそらく私も、同じような表情をしているに違いない。
するとスタッフさんが私達の顔を見てか、我慢できないとでも言うように吹き出した。
「ぷっ、ふ、ふふ……二人とも、なんて顔をしてるの……ふふっ」
「だっ、だって……」
「ライブに間に合わなかったから……」
もしかしたら、まだ時間がかかるかもしれない。
そう思うとこんな顔になってしまうのも当然であった。
スタッフさんは
「いいよ、わかった。花も無事だし、私もちゃんと周りを見てたら二人に注意喚起も出来たから」
「えっ、と? それじゃあ!」
「うん、行きなよ。ライブ、楽しみにしてたんでしょ?」
「あ……ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
ほっとした感情と、遂にという期待感。
二つ、いやそれ以上の感情が組み合わさり、私達は自然に笑顔を浮かべて再び顔を見合わせて、向かい合わせで手を握っていた。
明るい、向日葵に似た花咲く笑顔。嬉しさが伝わってくるようなそれを見て、私もまた一層笑みが深まったことを自覚する。
そんな私達を見てか、スタッフさんも嬉しそうな笑顔を浮かべた。
その瞬間、私の心に疑念が湧き上がる。
『どこかで、こんな光景を、見たような』────?
そんな私の疑念を晴らすように、スタッフさんがぱんぱんと手を叩いて私達を現実へと引き戻す。
「ほらほら、行くなら早くしないと。一曲目から聴かないとライブも楽しめ──」
「──少し、待っていただけますか」
11.57
スタッフさんの声を遮ったのは、階段下から聞こえていた低い声だった。
私達が下を向くと、肩にスタッフの腕章をつけたスーツ姿の厳つい顔をした男性がこちらを見ていた。
私達が彼を見たことを確認すると、彼はゆっくりと階段を登って私達に近づいてくる。
「け、警備員……かな?」
「で、でしょうか……?」
違う。
口ではそう言っていても、記憶はそうではないと言っている。
聞き覚えのある低い声に、黒のスーツ、見るものを威圧する強面の顔。
ほぼ間違いない。
しかし間違いであってほしい。
だが、その願いはきっと届かない。
11.58
「……何ですか。ここに飾る花なら、無事にあるので、今から飾るところなんですが」
スタッフさんが上まで上って来た彼の前に怖じけずに立ちはだかる。
私たちを庇うように立つあたり、本当に先程のことは既にけりがついた、ということなのだろう。
しかし、彼は首を軽く横に振った。
「いえ、そういうことではありません」
「じゃあ、どういうこと……ですか」
「それは、……まずはこちらを受け取っていただければ、と」
彼はスーツの内側に手を入れて、何かを探る。
しかし目的のものはなかったようで、右手を自らの首に当てながら少し頭を下げた。
「……申し訳ありません。名刺を、と思ったのですが丁度切らしていたようで」
少し頭を下げる動作にだけでも隣の女の子が驚き、私の服を掴んだ。やはり慣れていないと怖いものなのだろうか。
だがかく言う私も、身体を動かしてまで驚かないだけで堅っ苦しい雰囲気に身体が固まってしまっているし、仕方がないことかもしれない。
そんな私達の様子を見てとったのか、スタッフさんが手早く向こう用事を済ませようと語気を強める。
「……それで、何の用なんですか。この二人はライブを聴きに来てるんだから、早くしてよ……してください」
その言葉に、彼は『渋谷凜』、『本田未央』、そして──『島村卯月』を一瞥する。
何かを逡巡するかのように目を瞑り、そして開く。
その瞳には、何かしらの決意が宿っているようにも見えた。
「皆さん──」
11.59
私は、『アイドルを目指さない』選択肢を選んだ。
私にはアイドルになる理由がない。
私にはアイドルになれる実力がない。
私にはアイドルになりたい動機がない。
そして何より。
私はアイドルの『島村卯月』にはなれない。
それは前世がある故に。
それは男であったが故に。
それは純粋無垢でないが故に。
私という異物を内包している以上、どう努力しても、どう足掻いても私は『島村卯月』にはなれない。
しかし、同時に私は島村卯月である。
前世を覚えていても、基準となる価値観が男性のものだとしても、『島村卯月』の皮を纏っている存在である。
だから、私は。
アイドルになれなくても、『島村卯月』になれなくても。
それでも。
それでも。
それでも────
0.
「アイドルに、興味はありませんか」
それでも────私は、