深夜の森。獣でさえも寝静まっている静寂な森に一人の少女がいた。
年の程は若く、腰ほどまで伸びた蒼髪。サファイアの様な青い瞳。タレ目でおっとりさを感じさせる。同年代の上背と比べると少し低いぐらい。学校制服の様な格好の少女は、森の巨大な木に寄りかかって座っている。少女の隣にはカゴが置いてあり、キノコで溢れている。そして、本を読んでいた。
本の表紙には『キノコ大全集』と書かれており、少女はうんうん唸りながら読んでいる。分厚いその本には、大抵のキノコ類の詳細が記されており、少女がこっそりと学校の図書館から持ち出した物だ。
「はぁ……課題が出されてたとは思わなかったなぁ」
「授業中に寝ているからこんなことになるのよ」
赤い少女が、向こうからやって来た。青い少女と同じ格好だ。
肩口までの赤髪。緑翡翠の瞳。眼つきは鋭く、高圧的な印象を受ける整った顔立ち。青い少女と比べると印象は正反対と言ってもいい。
「ありがとう、エルザ。手伝ってくれて……」
「勘違いしないで。同室の貴方が恥を掻くと私まで、飛び火するから仕方なくよ」
赤い少女、エルザはふんっと鼻を鳴らしながら手に持っていたカゴを地面に降ろす。そのカゴの中もキノコで溢れていた。課題として提出するヒノキノコを始めとして、数多くのキノコがカゴに入っている。色取り取りの集まった姿は若干の不気味さを生み出していた。
「それにしても、貴方にしては珍しいじゃない。アナスタシア。授業中に寝るなんて」
「うん。何でか、妙に眠くて……夜しっかり寝たはずなんだけどなぁ……」
首を傾げるアナスタシア。あっと声を上げる。
「そういえば、夢を見たんだ」
「夢?」
◇
石が転がっている荒れ果てた荒野にアナスタシアは立っていた。
周りには何もない。元は草原だったのだろうか、所々に草花の生えていた痕跡が残っていた。しかし鼻に届くのは草の匂いではなく、花の匂いでもない。
今まで嗅いだことのない匂い。
嫌悪感はない。逆に香しい匂いに感じ、鼻息が荒くなっていく。言いようもない空腹感がアナスタシアを包み込む。いつの間にか閉じた口から息が漏れ出していた。吐き出した息の音にはっとして辺りを見渡すと世界は、一変していた。
辺りには、何かが転がっている。人間だ。うつ伏せに、横向きに、仰向けに、眼を閉じて眠っているかのように転がっている。道に落ちている石ころの様に、物言わぬ物体が見渡す限り存在していた。
その光景にアナスタシアは……何も感じなかった。感情の揺らぎもなくただ、当然の如くその光景を眺めていると……
チリンチリン。
鈴の音。凄惨な光景には不釣り合いな愛らしい音。その音に振り向けば、一人の影が立っていた。
◇
「……って言う夢」
「何とも言えないわね」
「えー、結構怖かったのに」
「でも、最後の影って何よ。はっきりしないわね」
夢の影。
人影のその姿は、頭に焼き付いている。
コートを着ていたような形の影は、アナスタシアを見つめていた。見つめてくるその視線は鋭く、厳しいものだったがどことなく優しさを感じさせる視線だった。
「さ、そんな夢の話は置いておいて早く帰るわよ」
「あっちょっと待ってよー」
森の出口へと向かうエルザ。慌てて本を閉じると、カゴを手に取ってエルザの後へと続く。
「とにかく、明日が提出期限なんだし早く戻って準備しないと」
森の中を早歩きで進みつつ、エルザはアナスタシアに話しかける。
「ごめんね。エルザまで付き合わせちゃって」
「はぁ、繰り返し言うけど、別に貴方のためじゃないって。自分のためよ」
アナスタシアの謝罪にエルザはそう返すが、その耳は赤い。あまり素直ではないエルザの事をアナスタシアは好いていた。案外お人好しなことを知っていたし、今回の深夜の散策も口ではああ言っているが心配でついて来てくれた。
アナスタシアにとってエルザは間違いなく親友の一人だ。
「……ありがとう、エルザ」
アナスタシアはそう呟いて、エルザの後に急いでついて行く。
暗闇の森の中、アナスタシアとエルザの二人は順調に出口に向かっている。深夜の静寂の中二人が歩く音が、耳へとこだまする。葉っぱがカサカサと音がする度に何かピクリと身体が反応してしまう。どうにも静寂の中聞こえる葉の擦れる音は耳にこそばゆい刺激を与えてくるようだ。
アナスタシアは時折耳を触りながら道を進んでいると、突如エルザが立ち止まった。
「どうしたの?」
「しっ……あれ」
どうしたと声を掛けるアナスタシアを、エルザは自分の口に指を当てて制止する。そしてゆっくりと前方に指を向ける。指を向けた場所は森が一時的に開いて草原になっている地帯。その草原の中心に亀裂が入っていた。空間に入ったその亀裂は、バチバチと音を立てながら少しづつ広がっていく。
「……ひび?」
「そうみたい。でも一体何が……」
エルザがそう呟いたと同時、亀裂に異変が起きた。亀裂は幾何学模様を作りだして、赤く輝く魔法陣が空中に浮かび上がった。そして、魔法陣からそれは現れた。
砕け散る魔法陣。
アナスタシアとエルザは召喚された存在を目にした。
その姿はまさに獣。四足歩行。前足、後ろ足、両方に鋭い爪を持ち、熱い息を吐くのだろう口からは、白い息と獲物を噛み砕くための牙を覗かせる。顔立ちは猟犬に似ており、本来、耳があるはずの場所には、羽のような形の角が生えている。そして一番の特徴は、全身に走っている亀裂だろう。
「わあぁぁ!?」
「あれは……何……!?」
思わず、声を漏らしてしまう二人。
エルザは気づいたがもう遅い。獣はもうこちらに気づいている。
「―――――――――!!」
雄叫びを上げて二人のいる茂みへと突進する獣。踏み込む度に足の着いた地面から火花が散っている。余程の高温なのだろうか、白い蒸気が獣の足から漂って、白い尾の様に棚引いた。その軌跡は獣の体を更に大きく見せる。
「やるしかない!ナーシャ!」
「う、うん!」
エルザはアナスタシアの愛称を呼びながら、自分を奮い立たせる。アナスタシアも真剣なエルザの表情を見る、そして、愛称を呼んでくれた親友に応える為、震える足で立ち上がる。
「私が切り込む!ナーシャは援護して!」
「分かった!」
獣との距離はそう遠くない。後五秒もすればここにたどり着く。冷静に状況を見ながらエルザは手を前にかざす。エルザの口から流れるのは、力をもたらす魔法の詠唱。エルザの得意な炎の魔法。
「『
エルザは紅の魔法陣から現れた炎の剣を手に取って走り出す。茂みから飛び出した時には、獣はもう目の前に迫っていた。
「やああああぁぁ!!」
「?!」
叫びを上げて炎の剣を振り下ろす。突如、姿を現したエルザに面食らった様子の獣は、その剣をまともに身に受けて後ろに下がった。
ブスブスと煙を上げる獣の身体。切り傷から煙が上がっているが特に気にする事もなく、エルザを睨み付ける。傷の痛みよりも、傷を付けられた怒りの方が勝っているらしい。
「―――――――!!!」
「…っ!」
怒りの叫びを上げてエルザに飛び掛かる獣。スピードは速いが一直線の単調な突進。受け止めることはせずに、エルザは容易くかわすことが出来た。自身の攻撃がかわされた事に獣は更に怒る。怒りが徐々に身体を発達させていくように、体の亀裂は広がっていく。
「――――――!!!」
「!、さっきより、攻撃が速く……」
怒りによって攻撃が苛烈になっていく。突進を止めて、爪で襲い掛かる獣の攻撃に、かわし切れないエルザは剣で受け止めていく。しかし少しづづ押されてきていた。
「『
「?!」
獣が爪で切り裂こうと前足を振り上げた瞬間。水の弾丸が、獣の体を吹き飛ばす。
声を上げる間も無く吹き飛ばされた獣。その隙に、距離を取ってエルザは息を整える。
「はぁ…はぁぁぁ……」
深呼吸しながら、剣を構える。
いける。エルザは確信していた。
獣の注意を自分が引き付けて、その隙にアナスタシアの魔法をぶつける。獣が狙いを変えたのなら、その逆。私が後ろから獣の背中を狙い撃てばいい。
◇
獣は怒りに燃えている。アナスタシアの水の魔法によって濡れた体からは、亀裂から発せられる熱によって、蒸発した水が蒸気として立ち上っている。体を覆う白い蒸気には、火花が混じっており、ある種幻想的な光景を作りだしていたが、それを作りだしているのは、悍ましき獣だ。
前足、後ろ足を地面に埋め込む様に力を込める獣。獣が体を揺すり始めると亀裂から音を立てて、背中から何かが這い出てくる。虫の羽化の様に生まれ出てきたのは、悪魔の姿の怪物だった。四足から二足歩行に変わった悪魔は、歌声を上げる。
「――――――」
「ひっ…」
悪魔の歌声がエルザに襲い掛かる。感じたのは”憤怒”。怒りの力。小さく悲鳴を上げたエルザは、震える手を必死に押さえつける。しかし震えは収まらず、息も絶え絶えなエルザは、見えてしまった。
「あ、ああああああああああ!!」
自分が死ぬ光景。
実際に見たわけでもない、ただ頭の中に流れた空想の光景でしかない。しかし、恐怖に支配されいるエルザにとってそれは、途方もない現実感をもって襲い掛かる。
「ああ、いやっあああ。やめ、て!ああっああ」
獣の爪で、獣の牙で、獣が自身の体に喰らい付く悪夢のような、虚像を叩き付けられたエルザはその場に倒れ伏す。頭を抱えて、いやだいやだと子供の様に駄々を捏ねて死を否定している。だが、それでは何も変わらない。何故なら……
「laaaaa」
死という紛れもない現実が、もう目の前に立っているのだから。
「エルザっ!!!」
その時アナスタシアが悪魔に切りかかる。蒼色の刀身の双剣を振り下ろすが悪魔は易々と掴み取る。悪魔の身長は高く、エルザ達なら見上げなければ顔が見えないほど高い。頭の上で剣を掴み取られたことで、アナスタシアの足は地面には付かない。
「っ、せいっ!!」
悪魔の腹に、蹴りを繰り出すアナスタシア。悪魔は魔力を纏った蹴りに思わずよろめいた。よろめくと剣から手を放す。自由となった剣を振るって剣技の構えを取る。
「はぁぁぁぁぁ!!」
蒼色の魔力を纏った乱撃が悪魔を切り刻む。抵抗することもなく剣戟を受けた悪魔は、森の木々にまで吹き飛ばされる。土煙を巻き上げながら、姿を消した悪魔。
「エルザ!大丈夫!?」
「あ、ああ……」
顔面が蒼白となったエルザに肩を貸して、その場から逃げ出そうとする。エルザは身体に力が入らない様子で、人一人分の重さがアナスタシアに圧し掛かる。
「ナ、ナーシャ。にげ、逃げて……」
「嫌だ。置いてなんていけないよ!」
苦悶の顔をするアナスタシアに、エルザは自分を置いて逃げろと声を掛ける。それを拒否しながら、歩いていく。
正直重い。だが私のこの肩に一人の命の重さが乗っている。自分の親友の命だ。絶対に手放さない!!
「―――」
「!?」
目線を上げれば、奴がいた。
奴の顔は獣の時とは違い、無表情に見つめてくる。だがその目には、憤怒が宿っている。逃がさない、必ず殺すという黒い意志が瞳から覗かせた。
咄嗟にエルザに覆いかぶさるアナスタシア。エルザは払いのけようとするが力が入らず、抱き寄せられる。エルザに届くのはアナスタシアの心臓の鼓動。ほんの少し安心したエルザは、最後を覚悟してぐっと眼を閉じた。だが……。
◇
一発の拳が、悪魔を吹き飛ばす。きりもみ回転をしながら悪魔は空中に投げ出され、戸惑いの声を上げる。
一体何が起こった?もう少しであの娘の魂を喰えたのに……そして、あの蒼い……
最後に見たのは、蒼色の龍が、自分を睨み付けている。ただそれだけで動けない。空中で金縛りにあったように体の自由を奪われる。抜け出そうと何とかしてもがくが無意味。迫りくるのは、剣の一閃。それをあっけなく受けた悪魔は、砂となり消え果た。
◇
静寂となった森の中、アナスタシアはエルザを背負って歩いている。緊張の糸が切れたのか、エルザは気を失い、歩くことはできなくなった。
背中に乗せたエルザの体温は暖かい。生きている。アナスタシアにとってこれ以上ない結果だ。時折、姿勢を直しながら、森の中をゆっくりと歩いている。アナスタシアはエルザの柔らかさ、暖かさに安心を覚えながら、先程のことを思い返していた。
自分たちを救ってくれた戦士。
すんだ蒼色の装甲。インナーは黒く、フルフェイスの兜は龍を形作っている。腰には輝く剣を携えた蒼い龍の戦士。勇ましさの中に、神々しささえ感じる荘厳な姿に目を奪われていた。
気づくと、悪魔の姿は消えており、元に戻った草原には、アナスタシアと気絶したエルザ、そして、龍戦士が残っていた。
「あ、あの。助けてくれてありがとうございます。貴方は一体……」
「まぁ、取りあえず間に合ったようで良かったぜ」
見た目に似合わない軽い口調に少し面食らう。しかし、微動だにせず発言したはずの龍戦士は、自身の胸元を小突く。すると、痛て。とその声が聞こえる。
「やめろって。お前、人と話すのは苦手だろ?だからこうして俺が代わりにコミュニケーションをだ、痛いって」
カツン、カツンと小突く度に、痛いと声を上げる。その光景に何も言えないでいると……
「お嬢ちゃんからも言ってくれないか?いい加減、話を聞けって」
「へ?、あ、あの」
「ほら、話が始まるからやめろって」
アナスタシアが話し出すと、胸元から手を放した。奇妙に思うアナスタシアだが、ここにいた経緯と助けてくれたお礼を話した。最後に頭を下げると龍戦士は、両手を上げて振る。何だろうと首を傾げるとまた龍戦士の胸元から声が聞こえた。
「別にお礼はいいってさ。取りあえず早めに帰ったほうがいいぜ。まだこの辺りは不安定だからな」
「は、はい」
アナスタシアは気絶したエルザを背負って歩き出す。龍戦士は送っていくと言ったが、断って早々にその場を離れた。正直なところ、早く、学校寮に戻ってエルザの治療をしたかったし、龍戦士を怪しんでいたからだ。命の恩人とはいえ、深夜に鎧を着込んだ人物に警戒しないという感情は、アナスタシアにはなかった。
(今はとにかく、エルザを……)
慣れない森の中を、アナスタシアは進んでいく。
◇
「さてと、助けたのに警戒されちまっているがどうする?あぁ?どうもしない?……まぁそうだと思ったけどな。取りあえず、魔獣は一匹目だ。まだまだジャンジャン出てくるだろう。まだひよっこの学生じゃ自衛するのもギリギリのラインだ。え?魔獣は俺が倒す?ドライだねぇ。まぁそれがお前の使命だ。俺はそのサポート役に過ぎない。明日は学校だ。早めに帰ることを進めるぜ」
感想、批評などしていただければ、幸いです。