チリチリするの   作:鳩屋

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第一部 JG54 リヨン臨時基地
プロローグ ―あたしが空を飛ぶ理由―


 1940 ブリタニア近海

 

 そこはまるで、地獄だった。

 

『こちら扶桑海軍遣欧艦隊『龍驤』所属、若本一番。ネウロイの全消滅を確認、周囲の部隊へ、当部隊は引き続き生存者の救出に移る』

 

『こちらHMWタングミーア基地所属航空部隊、扶桑及びリベリオン各部隊へ、協力感謝する。近隣の部隊並びに基地へ、当海域にて多数の民間人負傷者を確認、受け入れを求む』

 

『こちらリベリオン第8航空群第56戦闘航空隊、我が基地に民間人の受け入れ準備あり。負傷者の救助に移る』

 

『こちら扶桑海軍遣欧艦隊所属、空母龍驤。現在当該海域に向け移動中。負傷者はこちらでも引き受ける』

 

 次々に飛び交う魔導無線。

 

 大破した輸送船と、それに乗っていた多数の民間人。

 ブリタニアへと疎開する途中のオラーシャからの護衛輸送船団の中、ネウロイの襲撃を受け、航行不能になった一隻が取り残され、そして水没したのだ。

 生き残った多くの人々がこちらに助けを求めるように手を振っている。

 冬の海の温度は人の体温を遥かに下回り、ネウロイの瘴気もごく微量ながら周囲に漂っている。

 一分一分が容赦なく人々の命を奪っていく。海に放り出された人々は少なく見積もっても三桁に及ぶが、この空域にいるウィッチは十数人。

 人数も、時間も足りない。

 

「どうすれば……一体どうすれば……」

 

 扶桑皇国のウィッチ、萩谷信乃はその光景を前に立ち尽くしていた。

 体が震え、思うように動かない。視線を逸らしたくても、海の上に漂う人から目が離せない。

「落ち着け、萩谷」

 そういって肩を叩いたのは若本徹子。扶桑海軍遣欧空母艦隊に所属する信乃の長機であり、上官だ。

「ぁ……は……はい……」

 乾いた声で返事を返す信乃。そんな信乃に徹子は殊更冷静に、否、冷徹に告げる。

「聞け。あそこにいる全員を助けることはできない。だが、お前が何もしなければ、助かるはずだった誰かが死ぬ。お前がそれでいいなら、ここで震えていろ」

「っ……」

「いけるよな」

「は……はいっ!!」

 徹子の言葉に信乃は震える歯を食いしばり、拳を握りしめて頷いた。

 

「ウィッチだ!!」

「ウィッチが来てくれた!!」

「助けて!!助けて!!」

 人々がウィッチ達を見て口々に叫ぶ。

 そのあまりの多さに信乃は愕然とした。ガルネリウスの板という言葉を知らない信乃だったが、昔学校の図書室で読んだ芥川の作品の蜘蛛の糸にでもなった気分だった。

「そんな……誰から助ければ……」

 その時信乃の目に、板にしがみつくようにして震えている一人の老婆が目に入った。顔色は蒼白を通り越して白に近く、細い体はガタガタと震え、今すぐにでも海から引き上げなければ命に関わるだろう。

「おばあちゃん!!こっちに!!」

 考える間もなく、信乃は声を上げた。その声に周囲の人間が信乃を見、そして理解する。

「よかったなばあちゃん!!ウィッチが来てくれたぞ!!」

 男の一人が震えながら老婆に微笑む。

「ウィッチの嬢ちゃん、うちの婆さんを頼む!!」

 おそらく息子か孫だろう、一人の青年が信乃に向かって叫んだ。

「了解しました!!おばあちゃん!!捕まってください!!」

 そういって手を伸ばすが、その手を押し戻し老婆は首を振った。

「おばあちゃん……?」

「私はもう無理よ、それよりも……」

 そういって老婆が指をさしたのは、信乃の背後、赤子を海水に濡らすまいと必死に船の残骸に捕まる一人の若い母親だった。

「誰か、この子だけでも」

「可愛いウィッチさん、老い先短い私はいいから、あの人たちを助けてあげて……」

 白い顔に笑みを浮かべ、震えるか細い手で信乃の手を握る老婆。

「そんな、でも……」

「お願い、あの子たちには未来があるわ、私と違って……」

 周囲の人へと目を向ける。皆、助かりたいのは一緒だ。だが、老婆の言葉に皆頷いた。

「ウィッチの嬢ちゃん。ばあちゃんのいうことを聞いてやってくれないか?いつも頑固でいう事を聞いてくんねぇんだけどよ、今回ばっかりはばあちゃんが正しいぜ」

「そうだな、赤ん坊は殺しちゃなんねぇよ。なぁ、頼むよ、お嬢ちゃん」

「誰もあんたを恨んだりなんかしないさ。行ってくれ」

 その場にいる誰もが寒さに震えながらも、信乃を促すように口を開く。

「っ、はい、っ」

 そういうと、信乃は母親の元へと近づく。

「早く!!捕まってください!!」

「ありがとう。でも、私はいいから、この子をお願い……」

 息も絶え絶えに母親はそういって信乃に赤子を手渡した。

「でも……」

「いいの、それに……」

 そういって母親が顔を海面の向うへと向ける。

「こっちにも子供がいるんだ!!」

「頼む!!この子だけでも!!」

 次々に周囲から声が上がる。この人たちは今信乃に助けられなければ死ぬことを知っている。それでも子供を最優先に助けようとしている。

「お願い、子供達を助けてあげて。貴女みたいに小さい子には酷かもしれないけど……お願い」

 信乃はすがるように空へ瞳を向け、逡巡するように口を開きかけ、そして一度閉じる。中途半端に伸ばした手のひらを握り締め、口元に無理やり笑みを浮かべ。だが、放たれたその言葉は僅かに震えていた。

「……大丈夫、きっと、きっと今すぐに他のウィッチが助けに来ます。だから……」

「ええ、ありがとう。またこの子に会うためですもの……頑張るわ」

 悲しい嘘に、優しい嘘が答える。

「さぁ、行って」

 こくり、と頷き信乃は母親に背を向けた。何かを振り切るように、逃げるように。

 銃や糧食、持っている荷物を片っ端からを海へと捨て、少しでも体を軽くする。一人でも多くの子供を抱えるために。

 抱えられるだけの子供をかかえ、信乃はエンジンに魔力を送る。高度をあげる信乃の耳に、誰かの声が僅かに聞こえた。

 

「待って、まだうちの子が……」

 

 そこは、まさに地獄だった。

 

「……泣いてるの?」

 抱きかかえた子供が信乃に尋ねる。

「……ごめんね……あたしが弱いせいで……」

 子供たちが気丈に泣かないでいるのに。

 なんであたしはこんなにも無力なのだろう。

 たった二本の手と、小さなこの体で。

 多くの人々を見捨ててきて。

「おねえちゃん?大丈夫?」

 気丈でいなくてはいけない。子供たちに心配をかけないためにも。

 赤ん坊と子供を二人、空いた手と背中に預けながら、信乃はそう自分に言い聞かせているが、瞳からは涙がにじみ、口を開けば声が震える。

「ほかのうぃっちのおねえちゃんたちがいるからだいじょうぶなんでしょ?」

「そうだよ、きっとパパもママも助けてくれるよ。泣かないで、ね?」

「……うん」

 子供たちの無邪気な言葉が信乃の心をえぐる。

「ほら、おねえちゃん、赤ちゃんが笑ってる」

 その言葉に信乃が目を見開く。

「……もし、パパとママが居なくても、私も、赤ちゃんもきっと頑張るから」

「っ」

「だからおねえちゃんもわらって、ね?」

「そう、だね」

 ああ、なんて弱いのだろう。あたしは。

 こんな子供たちにまで励まされて。

 赤ん坊の笑顔を見て、信乃は泣きながら笑顔を作った。

 

 子供たちを空母に降ろし、燃料を補給する間も惜しく再び飛び立つ。そしてまた数人の人を救助し、踵を返す。

 幾度となく船と海を行き来し、その度に人々の声は少しづつ少なくなっていた。

 しかし、それは助けを待つ人が減ったという意味ではない。いや、減ってはいる。

 

 助けを待っている人の定義を『生存者』という括りで捉えるのであれば、確実に減っている。

 

「……」

 

 静かになった海を見つめ、信乃は震える拳を静かに開いた。

 信乃は最初に助けようとした老婆に手を伸ばしかけ、そして止めた。

「……ごめんね、おばあちゃん……」

 海の上を漂いながら、動かなくなった人々を見て信乃はつぶやく。

「ごめんなさい……皆……」

 あの時、子供を助けて欲しいと言った老婆とその息子。

 子供を優先させるため最後まで海に残った大人たち。

 自分よりも他の子供を優先させた母親。最後まで助けを求めていた親子。

 どれだけの時間を過ぎたかを考えれば、奇跡すら望めない。それなのに再びこの場に戻ってきた。偽善的な行為と言われればそのとおりだ。

 周囲には幾人かのウィッチ達が同じように海域にとどまっていた。

 涙で瞳を濡らすもの、無表情で海を見つめ続けるもの。悔しそうに罵声を上げるもの、じっと唇を噛み締めるもの、一途の望みをかけ、声を枯らして水面へ呼びかけるもの。皆、気持ちは同じなのだろう。

 最後まで救助活動を諦めない、という名目もあるが、そこに生存者などいないことは十分に把握している。奇跡などそう起こるものではない。

 それでも。

 目の前の光景を前に、有り得ない奇跡を願う。返事をしてほしい。助けを求めてほしい。

 これだけ多くの人々の命を背負うなど、10代の少女達には荷が重すぎるのだ。

 だが、そんな気持ちを断ち切るような魔導無線が、信乃の耳にも届いた。

『ウィッチ各員に次ぐ。偵察機より、生存者の全救助を確認した。早急に海域を離脱し、原隊に復帰せよ。繰り返す……』

 そう。生存者は全て救助した。

 助けきれなかった、多くの人々()()()目の前のモノたちは、最早生存者ではない。

 

 限界だった。

 

「~っ……!!」

 その場で瞳をぎゅっと閉じ、信乃は堰を切ったように嗚咽を漏らし始める。

「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」

 

 それは、ありふれた出来事。

 何百万の人々が逃げる中で失われたわずかな端数。ごく小さな出来事に過ぎない。

 だが。

 その出来事ですら、一人の少女の将来の向かうべき先を決めてしまうには、十分すぎる重みがあった。

「あたしが強ければ……もっと強ければ……」

 

 拳を握りしめ、慟哭する少女。

 その日の後悔は、鈍く痛む火種となり、いつまでも、いつまでも、12歳の少女の胸をチリチリと焦がし続けた。

 

 そして、それから4年。

 

 少女は変わらず、欧州の空にいる。

 

 

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