1940 ブリタニア タングミーア基地
「おい、ちょっといいか、荻谷」
「あ……はい……。なんでしょうか、若本少尉」
司令室から出てきた信乃はその言葉にわずかに体をこわばらせ、返事を返す。
つい今も、戦闘中の独断行動を咎められたばかりだ。次やれば、営倉に入れるとも言われた。
だが。
怒られるのには慣れている。何処かあきらめにも似た、そんな顔をして振りかえった信乃を見て、徹子は肩をすくめて苦笑した。
「緊張しなくていいぜ。オレはあの石頭とは違ぇよ」
石頭とはこの基地に居る司令官の事だろう。ウィッチ部隊を現場で指揮するのはウィッチだが、基地運営は男性の軍人が仕切っていた時代だ。親の様な年の軍人に説教をされて気落ちをしない少女がいるだろうか。
「ご苦労だったな。酷い事されなかったか?」
「あ……はい……」
ぽん、と頭を叩かれた信乃が思わずうなずく。それと同時に信乃の顔に僅かな戸惑いが生じる。
……怒っていないのだろうか。この人は。
この基地に居る人は、皆どこかぴりぴりしている。自分がどんくさかったり、不器用だったりするせいもあるだろうが、自分を見ると少し怒ったような顔をするのが普通だった。
「ちょっとついて来い。良いものをくれてやる」
「は、はあ……?」
そういって信乃に背を向け歩き出す徹子をちょこちょこと追いかける。
下士官の部屋を抜け、士官室へ。そのうちの一室……徹子の使用している個室に招き入れると、信乃はさらに不思議そうな顔をした。
「いいから入れ」
「は、はい……」
おどおどとした様子で部屋に入る信乃。下士官は個室ではなく数名で一室を利用しているが、士官ともなれば部屋は個室だ。下士官の部屋よりも狭いが、周囲を気にする必要はない。
「まあ、座れ」
そう言い、椅子を指差す。でも、と言う信乃を半ば強引に座らせると、新藤の部屋からくすねてきた瓶を一本信乃に渡して徹子はベッドに座る。
「これが、良いもの……?」
にやっと笑い、徹子が栓を抜いてそれに口を付ける。甘みと炭酸が心地よく喉の奥に流れ込む。
「美味いか?」
同じように口を付けた信乃がこくり、とうなずく。
「サイダーは余り飲まないか?」
「はい……その……」
「良いから飲め、炭酸が抜けると不味くなるぞ」
曖昧に頷きながら炭酸の瓶と目の前の徹子を交互に見つめる。目の前の上官が何を考えているのか推し量っているかのような、そんな複雑な顔だ。
こういったおどおどした所はこいつが遣欧艦隊に派遣された時から変わらない。皆より一回り年が低く、腕は悪くないが、人見知りでやや臆病。
遣欧艦隊のウィッチの中でも、何故この子が派遣されたのか。もう少し内地で訓練を詰んでからの方が良かったのでは、という声もある。
別にこの少女を嫌っているものなどいない。だが、少し戸惑っているのだ。この年で派遣された事に。そして、無謀なまでに敵に食らい付いて戦おうとする事に。
「……いただきます……」
やがて観念したように瓶に口を付ける信乃。
両手で瓶を持ち、舐めるようにちびちびと瓶に口を付けている信乃を見て、ぽつり、と徹子が尋ねた。
「……なあ、どうしてあんなことをしたんだ?」
一瞬びくり、と身を竦ませる信乃の頭を徹子がぽん、と叩く。
「怒ってねぇよ。そんな顔すんな」
責めるような口調ではない。
純粋に気になったから、といった口調で徹子が尋ねる。
あんな事。昼間の戦闘のことだ。ロッテを組んだ上官の命令を無視し、敵に食らい付いて撃墜。そのまま合流せずに戦った。
撃墜数3機。それを新人の、それも12歳のウィッチが成し遂げたのだ。大戦果といってもいい。
だが、怒られた。命令を無視したからだ。
「……とせるから……」
「ん?」
「落とせるから、落としました。あたしには、それが、出来るから……」
「そうか。だが、命令を無視してまでやる事か?」
「ネウロイがいるから、皆傷つくんです。倒さないと……また……」
「あの日の事か?」
びくり、と信乃が体を震わせて徹子を見つめる。
いつも伏し目がちでわからないが、信乃は中々可愛い顔をしているのだ。もう少し顔を上げていれば、周囲からもっと可愛がられる筈なのに。
「……はい」
だが、徹子の言葉にすぐ顔を伏せる。サイダーを飲んで少しは気がまぎれたようだが、それでもやはり言葉は少ない。
「……あたしが、弱かったから……」
しばらくの沈黙の後、ぽつり、と信乃が呟く。手にしたサイダーの瓶の中身をくい、と飲み、吐き捨てるように口を開く。
「あたしが弱かったから、あの時、あたしがネウロイを倒し損ねたから……もっと、強くならなきゃいけないんです……あたしが、弱かったから……」
ふぅ、と徹子がため息をつく。
初戦から酷いトラウマを植え付けられたものだ。はっきり言って、最初の実戦など空に飛べれば御の字、弾き金を引ければ十分すぎるくらいの戦果といっていいくらいだ。
だが、そのせいで自分の目の前で取り逃がしたネウロイが避難民たちを乗せた船を沈めた。結果が全てではないが、考えうる限り最悪の結果となったのは間違いない。
「だからといって、命令無視はするもんじゃない」
「……若本中尉だって、しょっちゅうしてるじゃないですか」
お。うっかり口にしたのかもしれないが、中々こいつは曲者だぞ。
思わず苦笑しそうになるが、敢えて押し殺す。
「おい、仮にもオレは上官だ。今の発言は……」
「あ……それは、その……」
すこし慌てた様に顔を上げる信乃。
「冗談だ」
信乃がはぅ、と息を吐く。
「見た目によらず、頑固だな。お前は」
不器用ともいうが、短所は長所でもある。
「……そっか。まあ、そうだよな」
ぽつり、と呟く。流石に引きずるか。あれだけの惨事を目の当たりにすれば。
「……解った」
徹子もサイダーを飲み干して、静かに口を開く。
「強くなりたかったんだな、萩谷は」
信乃は無言のまま、こくり、と頷く。
その姿は誰かに重なる。
自身の魔力を制御しきれず、或いは、自分の弱さを恥じて、泣いていた幼馴染たちの姿に。
「なら、オレが強くしてやる」
「……え?」
ぽつりと呟いた徹子の言葉に、思わず信乃が顔を上げた。
翌日。
朝早く、空も白みかけていた頃。突然の声が部屋に響いた。
「おい、起きろ萩谷!!」
「へ……若本中尉……?いったいどうし……あ……」
眠っていたところをたたき起こされ、わけも解らずストライカーの格納庫へ引っ張って行かれ、朝食代わりの握り飯を二つ、徹子から手渡される。
「食べろ、オレの作った朝飯だ」
「あ、はい……」
何故ハンガーで食べる必要があるのか。首を傾げながらもおにぎりをほおばる信乃に、徹子がまるで散歩に行くかのような口調で口を開く。
「よし。食べたら空に行くからな。準備しろ」
「あ、はい……はい?」
「特訓だ!!特訓、オレも暇だしな、みっちりやるぞ!!」
「えぇっ!?」
わけもわからぬままおにぎりを二つ腹の中に押し込み、10分後には信乃と徹子は空に上がっていた。
「それじゃあ、ルールは簡単、背後を取って相手のズボンを先に5枚撮影した方の勝ち」
扶桑ではよくある格闘戦の練習方法だ。要は背後を取るための訓練だ。
カメラを手渡され、信乃が顔を上げる。
そして。
「これで5枚目だ」
「あぅ・・・」
全然歯が立たなかった。
同じ機材、同じ練習でどうしてここまで差が出るのか。
「はぁ、全然駄目だな、萩谷」
その言葉に少なからずショックを受けた様にうなだれる信乃。実戦を重ね、それなりには実力がついてきたと思っていた矢先にこれである。
「解るか、オレに負けた理由」
「……はい」
この年にしては信乃は模擬戦では滅法強い。それは痛覚を察知できる固有魔法で、撃たれる寸前に攻撃を回避できるからだ。
だが、カメラのシャッターには痛覚は無い。
固有魔法を封じられた状況でここまでの差が出る理由。
それはつまり、純粋に飛行技術が劣っている。
それも天と地ほどに。
うなだれる信乃の頭を叩き、徹子が口を開く。
「なぁに、そのくらいじゃないと鍛えがいが無い。これから特訓だ!!ビシビシ行くからな!!」
「え!?」
それから、ひたすら練習漬けの日々が始まった。
朝も昼も、休みは昼の給油の間、おにぎりを二つ三つほおばるだけ。日が暮れるまで空を飛び、夜になって休もうとすると徹子が現れ部屋に連れ込み、サイダーや紅茶を飲みながらぐだぐだと話を聞かされる。説教ではない。単なる世間話だ。
その話は自分の身の上からリバウにいる親友たち、そして、上司や同僚の愚痴など様々だ。
しばらくは黙って聞いてた信乃だったが、話を振られるうちに色々な話をしていた。故郷の事、家族の事、ウィッチになりたかった理由。好きな映画や本の事。
「お、扶桑海の閃光か。お前もアレでウィッチに憧れた口か?」
「はい。加東圭子さんに憧れてました。肩を負傷しても敵に弾を当てるところが格好良くて……実際ウィッチになってみると、肩を痛めていようがいまいがあんな風に弾が当たらない事は良く解りましたけど」
「お前が下手クソなだけだ。どうしてそこだけは全然成長しないんだ」
「うぅ、そう言われても……」
「……というか、あのシーン。オレもいたんだけどな」
「へ?出てたんですか?若」
本気で問い返してくる信乃の頭を思い切りなで回す徹子。わしゃわしゃと髪を乱され、信乃が悲鳴のような笑い声をあげた。
いつしか信乃は徹子にすっかり懐いていた。呼び方も『若本中尉』から『若』へと代わり、おどおどしたような雰囲気はなりを潜めていた。
人と触れ合わず、任務ばかりをこなそうとしていた時。いつもいつも思い出していたあの日の人々の助けを求める声が、チリチリとする胸の痛みが、徹子といる時は不思議と受け入れられるような気がしていた。
一緒に訓練をして、戦い、ジュースやお茶を飲みながら談笑して、夜も更ければそのまま眠りにつく。
そうすると翌日には再び徹子が信乃を引っ張って飛行場まで連れていく。
毎日同じような日々が続いた。
戦闘がある日もお構いなしに、徹子は信乃を二番機につけ、徹底的に振り回す。命令違反をしている余裕などない。何しろ命令が『兎に角敵に突っ込んで搔き回せ』だの、『オレの撃ち漏らした奴、全部撃て』だの、無茶振りばかりなのである。
くたくたになって帰投すると、すぐさま練習を再開する。どこにそんな体力があるのか。
そんな毎日を繰り返して何か月たっただろうか。徹子の部屋に泊まるのが当たり前になっていたどころか、ベッドの脇に自分用の布団まで用意され、まるで泊まり込みで修業を受ける弟子のように、徹子と一緒に過ごす生活が続いていった。
いつしかそれが当たり前になり、そして、それがそのまま続くと思っていた。
だが。
「なぁ、ハギ」
「はい、若。なんですか?」
連日の特訓と戦闘の疲れでふらふらになりながらも、サイダーの瓶を手にしながら笑顔で尋ね返す信乃に、徹子が不意に真面目な表情で告げる。
「ハギはもうオレが教えられることは全部身につけた。訓練はもう終わりだ」
「え・・・?」
笑顔が凍り付く。一瞬で疲れが吹っ飛んだ。
「ど、どういうことですか?あたし、何か悪いことでもしましたか?」
捨てられそうな子犬の様な目で徹子を見つめて聞き返す信乃に、徹子が小さな笑みを浮かべる。
「ちげぇよ。免許皆伝だ」
そう言い、徹子が信乃の私の頭をいつものようにわしゃわしゃと撫でる。
「近々部隊編成があるのは知ってるだろ?」
「はい、オラーシャ方面で大規模な反攻作戦があるって……」
「遣欧艦隊からも先行して何人かウィッチが派遣される。その一人がお前だ、ハギ」
「……え?」
「お前の活躍を知った向うのお偉いさんが、是非呼びたいって事だそうだ。こんな事、滅多に無いぞ」
固有魔法もそうだが、徹子の下で信乃はめきめきと実力を付けていた。徹子にはまだ及ばないが、並大抵のウィッチには負けることは無いと徹子は太鼓判を押していたし、信乃もその自信はあった。
そして、それが認められた。13日で敵ネウロイを大型、中型合わせて18機の公認撃墜。これは扶桑海軍、否、扶桑皇国でも歴代一位となる高密度撃墜記録だ。
仲間の援護があったとはいえ、これだけの記録を打ち立てるウィッチはそう多くない。他国の部隊の耳に信乃の名前が届くのも、時間の問題だったと言える。
しかし。
「そ、そう……ですか……」
「おいおい、そんなに緊張すんな。オレ達もすぐに行くから、それまで向うで戦果を挙げてこい」
「……その、緊張じゃなくて……」
だが、信乃はその言葉にぽつり、と呟く。
嫌だ。
この人と別れたくない。
「……ハギ」
「……あたし、その……」
無理です。そう言いかけた時、徹子が口を開く。
「そうだな、お前はまだまだだ、特に射撃。こればっかりはどうしようもない。お前ほど才能の無い奴は初めて見たぜ」
あう、と信乃が更に首を下げる。
「……だけどよ、お前には敵に食らい付く度胸も、技術もある。どんな敵でも近づけば必ず弾は当たる。そうだろ?」
「……」
「それだけじゃないぜ。最近明るくなったからな。前はオレ以外の奴とはまともに話せなかったくせに、今じゃ他の奴等とも仲良くやってる。大丈夫。違う国の奴でも、今のお前なら仲間になれる。辛くなったら手紙でもなんでもオレに寄越せ。飛んで行ってやるからよ」
その言葉に信乃が顔を上げる。本当ですか?と尋ねる信乃に、徹子が大きく頷く。
「ああ。任せろ」
そういって信乃の頭を撫でる徹子。
……大丈夫。こいつは強い。きっと、どこに行っても大丈夫だ。
……だが。
徹子が、その判断が、大きな間違いだったと知るのは、もう少し後の話である。