1941 オラーシャ
「……乃、信乃ってば」
その声に信乃はふらつく足を止めて振り返る。そこへ背の高い少女が一人、こっちに向かって小走りにかけてくる。
「……何?」
「何って、さっきから声かけてるのに無視するんだもん」
金髪の髪と同じ太い眉を軽く釣りあげて咎めるように口を尖らせるそばかす交じりの少女の言葉に、信乃が僅かに申し訳なさそうに眉をすくめる。無視をしたつもりはない。耳に入らなかったのだ。
「ごめん……」
「もう……薬の副作用?ひどい顔だよ」
そういう少女も中々に酷い顔だ。青ざめたような顔に少しこけた頬、目の下にはうっすらと隈が出来ている。恐らく自分も大差ないのだろう。任務前に接種した薬が切れた後の疲労感にさいなまれるこの感覚は、ついこの前に13歳を迎えたばかりの子供の体には強すぎる苦痛だ。
「……それで。どうしたの、ケリー」
「あ、うん、それなんだけど……」
躊躇いがちにケリーと呼ばれた少女が口を開く。
「……休暇がもらえることになったの、次の任務の後」
「そう……よかったね」
信乃が薄く微笑む。信乃たちの任務は体力以上に神経を大きくすり減らす。既に3回、この任務にあたっているケリーはそろそろ限界だろう。
「……良かったけど、よくないよ」
信乃の言葉に、きっ、と眉を吊り上げる。
「信乃が休みを譲ってくれたんでしょ?どうして?どうしてそんな事するの……?」
「……それは……」
「信乃、一体何回任務をこなしたと思ってるの!?そろそろ下がらないと、死んじゃうわよ!!」
「……あは、強行偵察の回数ならあたし、もうトップエースだ」
「っ!!」
乾いた音が響く。
ケリーが信乃の頬を叩いたのだ。足で体を支えようとするが踏ん張りがきかず、信乃がその場にぺたん、と倒れこむ。
「痛いよ……それに、上官に手をあげちゃダメでしょ、一応あたし、隊長だよ」
「関係ないわよ、そんなの……」
ケリーの目に涙が浮かぶ。
「……あんたが隊長なんて、私はそもそも認めてないんだから。13歳の、妹と同い年の子を、固有魔法が便利だからって何度も敵の巣に突っ込ませるなんて、控えめに言って狂ってるわ!!」
ケリーはBoBから戦っているベテランだという自負がある。年も信乃より4つ上だ。理不尽な戦場も、自分よりも年下のウィッチが撃墜されていくのを見たのも一度や二度ではない。
だが、この部隊はそんな戦場の狂気すらかすんで見える……否、その狂気そのものを圧縮して具現化したような、そんなおぞましさすら感じる。
この小柄で華奢な、はっきり言って頼りない少女を隊長と担ぎ上げ、敵の本拠地に放り込む。
もし自分が彼女の親や兄弟なら、こんな命令を出した奴を殴ってでも止めさせるだろう。
「誰かがしないといけない事だよ?あたしには、それが出来るんだから」
信乃が答える。どうしてわからないの?といった顔に、ケリーが顔を悔しそうにゆがめる。
第3統合航空飛行隊『ヴァジェト』。
信乃の『チリチリ』を含む、『魔眼』や『未来予知』など、防御や索敵に適した固有魔法を持つウィッチで構成された、強行偵察を目的とした部隊だ。
……いや、そうだった。
今では固有魔法を持つウイッチは信乃一人。後は皆命を落とした。
強行偵察の任務は酷く単純で、ひどく残酷だ。
すなわち、カメラを持った一人のウィッチをその他のウィッチが護衛し、ネウロイの拠点、或いはネウロイの巣そのものに飛び込み、カメラを手に情報を収集し、その間は護衛のウィッチがそれを守る。カメラのフィルムが尽きるまでそれを行い、そして人数を減らして帰投するか、或いは全滅する。
『ヴァジェト』という全てを見通す目を持つアフリカの神の名を与えられた第3JFSは、現在行われている『タイフーン作戦』及び『ダイナモ作戦』において、その偵察任務、特に強行偵察を専門に行う部隊で、信乃はこの部隊の二代目の隊長を務めている。
信乃の前の未来予知の固有魔法を持つ隊長は任務中に仲間を庇って命を落とした。信乃が2度目に強行偵察を行った時の事である。
この部隊においては生存確率が限りなく低い場所から生き残って戻る事だけが至上命題だ。信乃の固有魔法と適応能力がこの部隊に置いて最もその条件に適っている。それだけの理由で、信乃は部隊最年少の13歳で二代目の隊長となった。
そして、信乃はその後、強行偵察を成功させ続けた。
通算10回以上も強行偵察に参加し、ネウロイの巣、或いはそれに準ずる危険地帯を偵察し続け、生き残ったウィッチは他に居ない。
信乃が初めて行った時のメンバーのうち、生き残ったのは信乃を除いて一人。魔眼を持っていたその彼女は目の前で隊長が自分を庇って命を落として以来、精神に異常をきたして本国に強制送還された。その後の事は聞かされていない。
その後、信乃が隊長を務めてから現在に至るまで、追加人員は湯水のように消費され、名前を覚える余裕もない。
この部隊に人員を裂いていた各国も、貴重な固有魔法を持つウィッチを消耗することを避け、捨て駒のように普通のウィッチを差し出すようになった。
まるで、戦場における人身御供だ。
現在の部隊員は信乃とケリーを含め4名。殉職者はその倍を優に超える。
しばしば部隊の内外から解散を求める具申が起こってるが、現状で彼女たちは既に多くの戦果をあげすぎていた。それに、強行偵察が犠牲を強いるものであることは当然であり、彼女たちがいなければ誰かがその役を追わなくてはいけない。そうすれば、もっと多くのウィッチが犠牲となるというのが部隊存続を進める上の言い分だ。
「ケリー、言ってたよね。ブリタニアに妹がいるって。あたしと同い年で、もう一度会いたいって。お母さんの作ってくれたシチューとお父さんのローストビーフがもう一回食べたいって……あたしはそれをしてほしいの」
「……っ」
よろよろと立ちあがりながら信乃が口を開く。
「あたしの事はいいから、ケリーは自分の事を考えて。あたしも、出来る限り頑張るから」
「信乃、貴女は……」
「明日の任務が終われば、サトゥルヌス祭までに帰れるよ。タイフーン作戦だって、もうすぐ終わる。だから、生き延びて、ケリー」
13歳の少女にケリーは何も言い返せなかった。目に深い隈を作り、血色の無い顔に、だが、真っ直ぐな瞳だけは失っていない少女に、思わずケリーが言葉を飲み込む。
「解った……だけど、『隊長』も死なないで。それだけは約束よ」
「うん、約束……あたしは大丈夫」
ケリーの言葉に信乃が薄い笑みを浮かべて小指を差し出す。
「……何?」
「扶桑のおまじない。小指と小指を絡ませて、呪文を唱えるの」
その言葉にケリーがおずおずと小指を差し出す。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のます、指切った」
扶桑の言葉で信乃が呪文をとなえ、指を話す。
「どういう意味なの?今の言葉」
信乃が意味を教えると、ケリーが眉をひそめた。
「地味に物騒なおまじないね」
「針を千本も飲みたくないもん。絶対に約束は、守るよ」
翌朝。
「健闘を祈る」
オラーシャ軍の将校の服を着た壮年の男に短い訓示を受け、信乃たちはストライカーユニットに足を通し空を駆けていた。
短い訓示に豊富な加食。干し肉ではない新鮮なトナカイの肉を贅沢に使ったシチーとガリア産の年代物の赤いブドウジュース。そして、希望者には精神に影響を及ぼす薬物の投与。
ブドウジュースは苦手な若年のウィッチも含め、部隊の全員が薬物の投与だけはそれを要求した。
最後の晩餐だ。
編隊の中心にいるのはカメラを手にした信乃。そして、右翼にケリー、左翼と後方に他のウィッチがつける。前回の任務で二人の殉職者を出した為、この二人は今回が初めての強行偵察となる。
今回の偵察対象はネウロイの巣。膨大な犠牲を払いついに近づくことに成功した、人類の忌むべき攻撃目標。
全員が殆ど言葉を交わす事も無く、ただひたすらに目標に向かって空を駆ける。ネウロイに補足されないよう、雲に身を隠しつつの高高度を保っての飛行となるが、皆経験を積んだウイッチ、高高度を不得手とする零戦を駆る信乃を始め、編隊を崩す者は一人もいない。
「隊長、巣が見えてきた」
カールスラントの制服を着た右翼につけるウイッチが口を開く。名前は聞いていたはずだが、薬の副作用が酷い時に聞いたせいか、信乃は直ぐに思い出せなかった。
「了解。作戦続行が不可能だと判断したら速やかに離脱するように。皆、命を無駄に捨てないでください」
先程投与された薬の影響で、地上とは打って変わった凛とした声で信乃が答える。それは痛覚も和らげるが、固有魔法のチリチリまで鈍らせることは無い。むしろ神経を昂らせ、チリチリに集中させることが出来る為、戦闘行動に限って言えば、信乃の固有魔法との相性は非常に良かった。
「むしろもう不可能っぽい気分ですわ」
軽口を叩いたのは信乃の後方に付けているオラーシャの制服を着た髪の長いウィッチ。
「ターシャ、今逃げ出したら私がアンタを撃墜するからね」
冗談とも本気ともつかぬケリーの言葉に皆が小さな笑い声をあげる。信乃も笑いながら、そうか、こっちがターシャだったかと記憶の糸を辿っていた。
「突入後は9時方向へ旋回、弾を打ちまくってシールドを張って、偵察終了の合図まで粘って逃げる。以上です」
信乃が命令を出す。アバウトと言えばアバウトだが、それ以上の複雑な作戦行動など不可能な事はケリーも理解していた。他のウィッチも、殆ど投げやりともとれるその指示に、改めて強行偵察の恐ろしさを感じていた。
「それじゃあ、行きます……3,2,1……」
突入。
信乃の合図と共に、一気に魔導エンジンを吹かす。ユニットの出せる限界速度で一気にネウロイの巣のある雲の中へ突入する。
途端に体が引き裂かれそうな無数のチリチリとした感覚が信乃を襲う。震えそうになる手を必死に沈めながらシャッターに指をかける。両脇、後ろでは狙いを定める余裕もなくそれぞれが手にした機関銃のトリガーを引く。シールドを張りながらひたすら飛び回り、信乃がシャッターを切る。
まるで蜘蛛の巣か、或いは無数の細いワイヤーの様な腕で絡み合うネウロイの群体。それはまるでニューロンと、それを繋ぐシナプスのようでもある。人体に飲み込まれてしまった非力な病原体のように、巣の中身の全容を目の端で追いながら飛び回る『ヴァシェト』のウィッチ達。
全てのフィルムを使いきるまで1分にも満たない。だが、その時間の中で生きながらえるのはほぼ運任せに近い。
シールドの脇をネウロイのワイヤーの様な体の一部が、ビームがすり抜ける。上下左右、全方向から襲いかかる熱線はとてもじゃないがシールドで防ぎきれるようなものではないが、張らないよりましだ。チリチリから身をよじっても更に多くの殺気がチリチリと信乃の肌を焦がす。ネウロイの腕が飛行服を裂き、熱線が黒い火傷の跡を体に残す。それでもカメラを切り続ける。10秒も経過しない後、背後から悲鳴が聞こえる。
チリチリが背中に集中する。オラーシャのウィッチが落とされたのだろう。最期を看取る余裕もなく、信乃はシャッターを押し続ける。左右に付けたウィッチが悲鳴と罵声を上げる。だが、まだ声は左右から聞こえる。大丈夫、生きている。
30秒くらいが経過しただろうか。左から聞こえていた悲鳴がふと途切れた。同時に左側のチリチリが強くなる。高度を下げてやり過ごす。視界の隅で黒い塊が蠢いている姿が見えるが、それ以上の事は解らない。目を向ける間もなくその方向へカメラを向け、闇雲にシャッターを切る。濃密すぎるネウロイの瘴気に頭がくらくらするが、まだカメラのフィルムは残っている。シャッターを切り続ける事しか、この地獄から抜け出すすべはない。
そろそろ50秒が経過しようとした時だった。
どん、と信乃の体に衝撃が走る。同時にぐちゃり、とトマトがつぶれるような音と共に、何かが視界を遮った。
全身を殴られたような痛みに一瞬被弾したのかと思ったが、そうではない。
視界を遮るそれを咄嗟に拭うと、視界の隅で『何か』がいくつもの破片となって巣の奥へと消えていくのが映った。
それを確認している余裕はない。それを知ってしまう事を感情が拒否する。
四方八方から襲うチリチリとした感覚から身をよじる。
シールドを張り熱線を受け流し、拭った手を見るとべっとりと赤い鮮血が袖を汚していた。ぬめる手から滑り落ちないようにカメラを構え直し、シャッターを切る。程無くしてシャッター音が途切れ、手にしたカメラがフィルム全てを使い切ったことを信乃に伝えてくる。
「作戦終了、全機離脱せよ、作戦終了」
予定通りに魔導無線に向かって声を掛け、後はそのまま全力で直進。チリチリする箇所を守るように背後にシールドを張り、次の瞬間。
目の前に眩しいばかりの青空が広がった。
ネウロイの巣を抜けた、その事に気が付いたのは、暫く飛んでから、ちらり、と背後を振りかえった際に黒い積乱雲のようなそれが遠ざかっていくのを確認したからだ。それまではここがあの世なのか現実かどうかの判断すらつかなった。
「……」
体の右半分が冷たい。左手で頬を撫でると、そこにはべっとりとした赤黒い液体がこびりついている。
「……そっか、終わったんだ」
ぽつり、と呟き針路を基地へと向ける。
周囲に僚機の姿はない。速やかに帰投するため、任務後の集合場所などは設けていない。後は『生きていれば』個々別々に基地へ帰投するだけだ。
真っ直ぐ基地に向かいながら、魔導無線に声を掛ける。
『こちら『ヴァジェト・ワン』、作戦終了、帰投する、繰り返す、こちら『ヴァジェト・ワン』、作戦終了、帰投する。繰り返す……』
応答が届くまで。壊れたラジオのように、信乃はその言葉を発し続けた。
基地で出迎えてくれたのは担架と応急処置用の道具を手にした衛生兵と、どこかで見た事のあるウィッチ達だった。
滑走路に降りたった血まみれの信乃をみて皆が愕然とした表情をする。無理もない。それだけの出血をしていれば、今直ぐにでも処置を行わなければ、命にかかわるのは容易に見て取れる。
「萩谷准尉、大丈夫ですか!?衛生兵!!処置の準備を!!」
信乃に駆け寄り身体を支えてくれる長い髪のオラーシャのウィッチの言葉に、信乃が口に笑みを浮かべてぽつりと答える。
血に汚れる事も厭わずに。
優しい人だ。だけど、自分は大丈夫。
大丈夫なのだ、自分は。だから、これ以上余計な手をかけさせるわけにはいかない。
「……大丈夫です……これ……あたしの血じゃありませんから……」
確か、偉い人のはずだ。お世話にもなった。あたし達がこれ以上空を飛ばないように、何度も具申してくれた。ああ、なのにどうして名前が思い出せないのか。
さっきから現状認識があやふやだ。薬のせいか、いろいろな事が思い出せない。
信乃の肩を掴むオラーシャのウィッチの腕が震える。
信乃の言葉の意味を理解した瞬間、血にまみれるのにも関わらず、そのウィッチは自分より頭一つ小さな信乃の体を抱きしめた。
「……ごめんなさい……萩谷准尉……ごめんなさい……」
綺麗な顔をくしゃくしゃにゆがめ、その目から涙を零す嗚咽交じりのウィッチの言葉に、その場が重苦しい雰囲気に包まれる。
だが、信乃はただひたすら休みたかった。
固有魔法を使い過ぎたせいなのか、ネウロイの瘴気にあてられたか、或いは薬の副作用なのか。頭がふらふらして意識が朦朧とする。
強行偵察の後のウィッチに見られがちな後遺症だ。思考も霞がかっており、カメラを誰かに手渡した後は何があったかよく覚えていない。からからに乾いた喉を誰かの差し出してくれた暖かい飲み物で潤し、体を洗いたいと呟けば、誰かがシャワー室へ自分を案内してくれた。
一介の飛曹長がここまでの厚遇を受けるのは、それが彼女のこなした任務がいかに重く、困難だったかを示している。
本来であれば時間制限のあるシャワールームを一人で好きなだけ使っていいと言われた。
べっとりと赤黒く染まった飛行服とボディスーツを脱ぎ捨て、シャワーの栓をひねって体中にこびりつく液体を流れ落す。
排水溝に注ぐ水は赤い色に染まり、洗い流しても流しても、ぬるっとした感覚と鉄のような臭いはどうしても抜けない。
ふと、髪を擦っていた手に何かが引っ掛かり、目の前に何かが転がる。どうやら髪に絡まっていたようだ。
首を傾げて『それ』を摘まみ上げ、シャワーの水でそれを洗う。
よく見るとそれは人の指だった。
恐らく、先程の戦闘でバラバラになったケリーの一部が血と共に髪にくっついていたのだろう。
しばらく無感情な瞳でそれを見つめていたが、体を洗う邪魔になるので、それを捨てようと排水溝へと手を伸ばしかけたその瞬間。
ふと、小さな声が頭をよぎった。
『嘘ついたら針千本のーます』
指、切った。
「……」
ぼんやりとした顔で排水溝に伸ばしかけていた手を止める。
信乃と同じ年の妹に、もう一度会いたい。
家族皆でママの作ったシチューと、パパの焼いたローストビーフを食べたい。
……今、あたしは何をしようとしたのか。
信乃は捨てようとしたそれをそっと握りしめる。
これは、捨ててはいけない。
霞がかった思考の中で、ようやくその事に思い当たった。
きっと彼女の父と母と妹にとっては、これがたった一つの彼女の形見なのだ。きっと必要に違いない。今年のサトゥルヌス祭を、家族皆で過ごすために必要なものなのだ。
大切なものなのだ、これは。
ふと、視界がにじむ。
シャワーが目にはいったのか、だが、シャワーを閉じても視界は元に戻らない。
ぽろぽろと、ぽろぽろと瞳から涙が流れる。固有魔法にさいなまれるよりもずっと強く、胸がチリチリ、チリチリと痛む。
自分を心配そうな目で見つめてくれた背の高いブリタニアのウィッチ。
自分の為に悲しみ、怒り、そして、命を落とした彼女と、もう二度と会う事は出来ない。
「約束……したのに……」
彼女の名前も顔も視界も、全てが滲んでぼやけて思い出せない。
大切なモノが体から抜け落ちていく。ネウロイの熱線よりも、任務の過酷さよりも、彼女の顔と名前を思い出せないことが今の信乃にとっては恐怖だった。
ぎゅっと手のひらに彼女の一部を握りしめる。
……やっぱりあたしは弱いんだ。
また、守りたい人を守れなかった。
朦朧とした意識の中で、多くの人の顔が頭をよぎる。今まで失った『ヴァジェト』の仲間たち。そして、かつて助けられなかった輸送船に乗っていた人々。
冷え切った体でうずくまる信乃を発見した誰かがその体を抱きかかえ、救護室へと運ぶ。
その間も、信乃はうわごとのように謝罪の言葉を呟き続けていた。