チリチリするの   作:鳩屋

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19.ヴァジェトの左目

 黒い壁に描かれる、赤い線の幾何学模様。

 

 地響きのような低い唸り声は、耳を切る風の音ではない。壁全体が静かに吼え、接近してくる敵に対して睨みを聞かせているようだった。

 

 信乃の視界一杯に広がる『それ』に、思わず背筋が粟立つ。

 間違いない、否、間違えようがない。

 

 アルマの言う通り、『この壁がネウロイそのもの』なのだ。

 

 ぞくり、と体中を包んでいたチリチリする感覚が体の数点に集約する。考えるより先に、自らの体を庇うように、信乃がシールドを張った。

 次の瞬間。

 黒い有機物のように蠢いたハニカム模様の赤いパネルから信乃を目がけ、一斉に熱線が放たれる。

 同時に、信乃の指が条件反射のようにカメラのシャッターを押し、目の前の光景を次々とフィルムに収めていく。

「擬態が解ける瞬間を撮り損ねました……っ」

『あの頃のあたし』なら絶対に犯さないような失態に信乃が毒付く。

 シールドが熱線に弾かれ、体がぐらつく。壁に対して平行に飛びながらシールドを張りつつ、死角から熱線が届かぬよう距離をつかず離れずの距離に保ちながらさらにシャッターを切り続ける。

「シノ!!近すぎるよ!!離脱して!!」

 壁と平行に飛ぶ信乃にアルマが口を開きかける。が。

「アルマ、壁を撮って下さい!!」

 アルマの言葉を遮り、信乃が叫ぶ。

 その言葉に、思い出したかのようにアルマが慌てて手にしたカメラを構える。この距離ならアルマたちの位置からの方が敵の全容を掴みやすい。震える手でアルマが夢中でシャッターを切る。

「シノ!!壁に穴が!!ネウロイです!!数は5、7……増え続けています!!」

「それも撮影!!なるべく沢山!!交戦はなるべく避けて、でもギリギリまでひきつけて離脱!!」

 魔導無線越しに信乃が叫ぶ。普段とは打って変わった厳しい声だ。

 二人の返事を待たず、信乃は目の前の『壁』と対峙する。

 余計な思考を断ち切り、チリチリとした固有魔法の感覚に神経を集中させる。

 胸の奥で眠っていた感覚が体を支配していくようだ。それは今の自分とは違う、もう一人の自分。

 恐怖を麻痺させ、代わりに神経を極限まで昂らせた、強行偵察に適応しきったもう一人の『あたし』だ。

『あの頃』のあたしが今のあたしを生き残らせるために飛ばせてくれている。

 きっとあの頃鏡に映っていた虚ろな目の少女は、折角ゆっくり休めてたのに、今更呼び出してなんなのさ、と愚痴の一つでも言いたがっているに違いない。

 そうだ。これが強行偵察だ。久しく忘れていた、だが、忘れられない感覚。

 命の瀬戸際に自らを投げだしながらも、逃げることは許されない。

 恐らく背後からのチリチリはその小型ネウロイだろう。

 壁とほぼ水平に飛びながら、零式の運動性能だけを頼りに熱線を交わす。壁からの攻撃はシールドで弾く。先程までの全身を包むようなチリチリが細かく分散され、額に、肩に、胸に、わき腹に、太腿に、脛に、体中の至る場所にチリチリとした感覚が付きまとう。それらすべてが熱線の通り抜ける場所だ。考えるよりも先に体が動く。

 体をよじり、シールドを張り、それでもシャッターからは手を離さず、壁の至近距離を撮影していく。

「シノ!!危険だよ!!早く上がって!!」

「後5秒!!」

 信乃が悲鳴にも似たアルマの声に答える。壁のなるべく端の方まで撮影をしなくては。

 ほんの一瞬。だが、その5秒が果てしなく長い。

「……離脱しますっ!!」

 信乃が叫ぶ。

「ハンナ、アルマ!!先に離脱!!合流は後!!敵に食いつかれないで!!」

「了解!!」

「りょ、了解しました!!」

 二人の声を待たずに速やかにカメラを降ろし、代わりに20mmを手に取る。壁に背を向け足からシールドを張り、目の前のチリチリの元である小型ネウロイに20mmを掃射。針路をふさぐネウロイを蹴散らすように、敢えて弾をばらまくようにトリガーを引いたまま銃口を左右に振る。回避行動が遅れた2機のネウロイが20mmの弾丸に弾き飛ばされるが、他のネウロイは信乃の正面を避ける様に弾丸を回避する。

 僅かに生まれたネウロイの編隊の隙間を縫って信乃は小型ネウロイを振り切り、そのまま高度を上げていく。

 栄エンジンが破裂しそうな勢いで信乃の送り込む魔導力を推進力に変えていく。

 速く、早く、はやく。

 じれったい程の速度で、零式が壁から遠ざかる。

 背後からのチリチリが一つ、一つと消えていく。

 ちらり、と背後に目を向けると、遠目に先程まで黒かった要塞線の一角がまるで何事も無かったように元のコンクリート色に戻っているのが目に入った。

 この距離ならあの壁型ネウロイのレーザーも届かないだろうが、まだ追手がいないとも限らない。

 周囲を警戒しながらも、ようやくチリチリから解放された事で信乃がふっと一息ついた。

 ふと、耳に嵌めたインカムから、ひっきりなしに声が聞こえていた事にようやくながら気が付いた。

「……の、シノ!!応答してください!!こちらハンネ、シノ!!返事を!!」

 思いのほか大きい、というよりも、耳元で怒鳴られているのと一緒だ。今までこの声に気が付かなかったなんて。

 苦笑を浮かべ、インカムのスイッチを入れる。

「そんな大声出さなくても、聞こえてますよ、ハンネ」

 信乃の言葉に無線の向うから大きく息を吐く音が伝わる。

「もう。聞こえるなら早く返事してよ、シノ。ハンネが泣きそうだよ」

「な、違います!!シノ、こいつのいう事なんて信じないでくださないね!?」

 良かった。二人共無事みたいだ。

「……遅れてすみません。ええと、二人共、どこですか?」

 強行偵察の後に互いの位置を確認するのは久々な気がする。

「シノの位置から2時方向で高度は4500m。もうすぐ見えると思うよ」

 アルマが自分たちの位置を伝えてくれる。指示通りの方角へと目を向けると、二人の影が小さく映った。

「確認しました。合流します」

 機首をそちらに向けると、二人の姿が徐々に大きくなっていく。二人共信乃の顔を見ると安心したように息を吐いた。

「全く、無茶するよ」

 呆れた様にアルマが肩をすくめ、ハンネは口を開く前に黙って信乃を抱きしめる。

「お疲れ様です、シノ……」

「ええ、疲れましたね」

「あれだけの事をやっておいて感想はそれだけですか」

 限りなく呆れに近い苦笑を浮かべ、ハンナが信乃の背に回した手を解く。

 じゃあ、戻りましょう、という言葉にアルマたちも頷き、編隊を組む。

 信乃を長機とした三機編成のケッテでリヨンへと向かって引き返す。

「強行偵察ってのはこんなもんですよ。帰ったらゆっくりと休んで……」

「そうじゃないです」

 信乃の言葉にハンネがかぶせる。

「シノがいつまでも壁にくっついたまま帰ってこないからです。いつ落されるんじゃないかって、生きた心地がしませんでしたよ」

「私、さっきとった壁の写真に写った信乃が最期の姿になるんじゃないかと思った」

 ああ、心配してくれてたんだ。

 信乃はそんな二人の気遣いが素直に嬉しかった。

「……あんな写真を『シノです』って見せたら、真っ平だと思っていたら本当に壁になったのかって思われちゃうよ」

「あ、またからかわれてたんですね、あたし」

 ちょっと温まった心が急激に冷える。いくら何でも壁は失礼だ。小さくても多少はある。

「……でも、今度はあれと戦う訳ですよね」

 ぽつり、とハンネが呟いた。

 確かに。今までは偵察をした後は他のウィッチに任せきりだったが、今度は自分達もあの『壁』と戦うのだ。

 果たして、現在の戦力だけで足りるのだろうか。

 

 皆が押し黙った瞬間。

 

 ふと、耳元にノイズが走る。

「……信乃、今、何か聞こえませんか?」

 ハンネの言葉に信乃も首をかしげる。

「無線かな?」

 アルマが魔導無線に耳を当て、耳を澄ました瞬間。

『皆!!大丈夫!?生きてる!?返事して!!』

 思わず頭がくらり、と揺れそうな大声が耳に挿した魔導無線越しに信乃の耳を突き刺した。

「何これ!?これが噂の音波兵器!?」

「そんな訳ないでしょう……でも、これは強烈ですね……」

 不意打ちにしては少し強烈すぎる。

 ふと時計を見ると、後続部隊との連絡予定時間を十分近く過ぎていた。

 尚も続くユーリの声にインカムを外しながら皆が苦笑を浮かべる。

「ちょっと、五月蠅いよユーリ!!」

 アルマが怒鳴り返す。

「こちら偵察班。偵察完了しました」

『了解した……ハギ、連絡が遅いぞ』

「ええと……すみません」

 徹子の言葉に信乃が素直に謝罪を述べる。信乃とていつでも徹子の言葉に噛みつくわけではない。作戦中で、しかも自分の不注意とあれば、弁解の余地はない。

『首尾はどうだ。全員無事か?』

「ハーン少尉、無事です」

「ブレヴィス中尉、生還しました」

 アンジェラの言葉にハンネとアルマが答える。

『成功したんだね!!凄い!!さすが先輩達!!』

 ユーリが嬉しそうに声を張り上げる。咄嗟に皆が受信機を耳から離してもその声はしっかりと聞こえる。

『……ご苦労だった。帰ったらゆっくり休め』

 アンジェラの短い労いの言葉に皆がようやく口元に笑みを浮かべた。

 

 その時だった。

 

「……っ!?」

 真っ先に反応したのはアルマ。緊張した面持ちで顔を上げ、後ろを振り返る。

「隊長、レーダーに機影……中型と小型……追っ手だよ!!」

 魔導無線越しにアルマが叫ぶ。

『落ち着け。数は?』

「中型1、小型が11です」

 アンジェラの無線にアルマが再度答える。

「11?随分多いですね」

「さっき出てきたのが全部追ってきてるみたいですね」

 信乃の呟きにハンネが答える。

 中型も含めネウロイ一中隊といった所か。どうやら『あれ』を見られたのが都合が悪いのか。それともネウロイの中にも勤勉な奴がいるのか。

『ハギ、ここからお前達は見えている、そのままの高度と針路を保ち、真っ直ぐ基地方向に向かえ』

 ちらり、と空を仰ぎ見るが、信乃の目にはまだ徹子達の姿は映っていない。だが、奇襲と索敵に関して徹子を上回るウィッチとは、統合航空戦闘団に配属されるレベルのウィッチを合わせても未だかつて出会った事が無い。

 だから、こちらから見えていなくても、徹子が見えていると言えば見えているのだ。

「若、敵は多いですよ。ユーリもいるのに、大丈夫ですか?」

『安心しろ。久々に『アレ』を使う』

「……またばかすか落とすつもりですね」

 信乃が肩をすくめる。

「シノ、敵影、こちらに近づいてるよ」

「このまま直進します」

 アルマの報告に信乃が短く答える。

 恐らく我が敬愛する長機殿は、自分達を餌にして追撃してくるネウロイを一気に叩くつもりなのだろう。

 それならば、下手に動くよりも気が付かないふりをしていた方が相手も油断する。

「もうすぐ射程に入るよ、どうする?」

 アルマが再度口を開くが信乃は黙って首を振る。『チリチリ』はまだ発動していない。

『10秒後にダイブに入る。ハギ』

「了解。二人共、あたしの合図で散開してください」

 信乃の言葉に二人が頷く。程無くして、背中にチリっとした固有魔法の感覚が走る。

 もしネウロイに感情があるなら、絶好のタイミングをうかがって舌なめずりをしている頃だろう。

 先程の強行偵察とは違った緊張感だ。

 じりじりとした感覚はまるで、時間が肌に纏わりついてくるような感じだ。まるで根比べ(チキンレース)のような10秒間。

 チリチリとした感覚が限界に達しようとした瞬間、信乃が叫ぶ。

「ブレイク!!」

 同時に三機が一気に其の場から散り、一拍を置いて三人の居た辺りをネウロイの熱線が通りぬける。

 次の瞬間。

『久しぶりだな、『これ』も』

 徹子が投下した『三号特爆』が空中で破裂する。

 蛸爆弾と言われるように、炸裂した焼夷弾子が煙を吐き、獲物を絡め取る無数の蛸の足のようにネウロイに襲い掛かる。

 危機を察知したネウロイが熱線を放つのを止め散開するが、雨のように降り注ぐ灼熱の礫が次々にネウロイを破壊していく。

「早速ばかすか落としましたよ……補給があったからって。学習能力が無いんですかね」

 三号の有効範囲の外側を旋回しながら信乃がぽつり、と呟く。

「うわっ!?何これっ!!こわっ!!」

「相変わらずえげつないですね……」

 上空で信乃の下に合流しながら、三号特爆を見た事のないアルマと、一度見ているハンネが口を開いた。

 だが。

「……ちっ、引き付けが足りなかったみたいだな。ハギ」

「偵察帰りに何を期待してるんですか?」

 三号の煙が晴れると、そこにはコアを露出した中型ネウロイが未だ空にとどまっていた。

「ユーリ、中型をやる。ついて来い」

「了解です!!」

 コアを露出した中型に向けてアンジェラとユーリがダイブする。

 手にしたMG42の弾き金を同時に弾くと、中型ネウロイは次の瞬間大きな光の閃光になって弾け飛ぶ。

「やったっ!!」

 共同とはいえ、久々の撃墜にユーリが歓声を上げた。

 

 ……だが。その時。

 

 信乃の目が『それ』を視界の端に捉えた。

 

 固有魔法ではない。これは、経験だ。

 今までが順調すぎたのだ。

 

 戦闘行動とは得てしてヒューマンエラーがつきものだ。いくら気を使っても、僅かなミスというのはいつしか生じる。

 人の行動が100パーセント思惑通りに進むのであるのなら、事故も奇跡も起こりえない。

 そう、これはそんな僅か数パーセント以下の、偶然ともいえる出来事。

 徹子の三号特爆は多くのネウロイを落とした。正しい判断だ。

 その後のアンジェラとユーリの迅速な攻撃と追撃。当然間違いではない。

 だが。

 それらの判断をあざわらうかのように、ユーリとアンジェラの背後に、黒い影が迫っている。

 先程特爆を回避したネウロイが一機、三号の放つ煙の影に隠れていたのだろう。

 意図的なものか、それとも偶然かは分からない。

 だが、その黒い影はアンジェラ達の背後に回り込み、照準をユーリに向け、今まさに攻撃を行おうとしている。

 順調な中での落とし穴が、およそ考えうる限り最悪な状況で生じてしまった。

 思考を巡らす時間はない。

 信乃が20mmを放り投げると同時に栄エンジンに全力で魔力を注ぎ込む。

 背後に目を向けたアンジェラが『それ』に気が付き、何かを叫ぶ。

 手にした弾き金を引いて、残りのネウロイを倒したユーリが笑みを浮かべかけ、その叫びに顔を凍らせる。

 ユーリの体をネウロイの熱線が真っ直ぐに射抜く。

 その、直前。

 

 間一髪、信乃の腕がユーリを突き飛ばし。

 

 同時に、『その場所』を、ネウロイの熱線が一筋、真っ直ぐに貫いた。

 

「……あ……れ?」

 信乃が目を見開く。

 がくん、と視界が反転し、青い空が広がる。

 痛みは無い。だが、ユニットが言う事を聞かない。

 撃たれた。チリチリを感じる間もなく。

 今まで一度も当たったことが無かったのに、あっけなく。

 

 この感覚は知っている。何度も意図して行った挙動だが、今はそうではない。

 自分の意思とは無関係に、失速している。

 空戦で最も危険な挙動。これが起きるという事は何を意味するのか。

 

 ……そうか、これが撃たれるってことなんですね。

 

 思いの他冷静な思考とは裏腹に、機体が言う事を聞かない。錐揉みする体を制御できず、地面が近づいてくる。

 

 ああ。

 

 折角取り返した20mmを落としてしまった。最後の一丁だったのに。後で拾いに行かなくては。

 それだけではない。こうなるのであれば、カメラを早めにハンナかアルマに渡しておけば良かった。偵察任務は成功したのに。折角の苦労が水の泡になる。

 

 それだけ?それだけだったかな?

 

 急激に頭の血が抜け、思考があっと言う間に霞んでいく。

 

 「シノ!!機首を上げて!!シノっ!!」

 

 ああ、そうなんだ。

 

 こうやって、皆、落ちて行ったんだ。

 

 ぽつり、と考える。隊長も、ケリーも、『ヴァシェト』の皆も。

 

 「……ごめん……なさい……」

 

 漏れたのは、謝罪。背負った命を、繋げなかった事への。

 生きる意味を教えてくれた人へ、そのお礼をすることが出来なかった事への。

 

 黒く染まる視界。

 

 ああ、このまま静かに目を閉じたまま、何も見なければ楽なのだろうか。

 

 だけど。

 

 ……嫌だ。

 

 まだ、落ちたくない。

 

 あたしには、まだ……。

 

 誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。それに答えようと手を差し伸べようとした、その時。

 

 刹那、体に走る強い衝撃。

 

 そして。 

 

 

 信乃の意識は、そこで途切れた。

 

 

 

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