チリチリするの   作:鳩屋

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番外編 1.夢の舞台

 たっ、たっ、たっ、と規則正しいリズムで地面を駆ける。

 

 上半身を殆ど揺らすことなく、一定の感覚で足を踏みだし、滑走路の端まで走ると、そのまま反転、基地に向かって駆け出す。

 吐く息は白いが、上はシャツのみ、下はズボンのみという軽装で、ハンネ・A・ハーンは淡々と地面を整地しただけの滑走路をランニングしている。

 ふと、基地の方で一人の少女がこちらを見ているのに気が付く。偵察にでも出るのかと思ったが、その足にはストライカーは履いていない。

 では、何故。そう思った時、少女が手にタオルとコーラの瓶を持っていることに気が付いた。

 くすり、と思わず口元に笑みが漏れる。

「お疲れ様です、ハンネ」

「ありがとうございます、シノ」

 どうやら、出迎えるためにそこで待っていたようだ。小柄な扶桑の少女……萩谷信乃にタオルを渡され、ハンネはゆっくりと足を止めた。

「訓練ですか?」

「ええ。体が鈍るといけないので」

 ハンネの答えに信乃が首を傾げる。二日に一回以上空に上がっていながら、それでも体が鈍るものなのだろうか。

 シャツとズボンの隙間から覗く腹筋は余分な脂肪を一切削ぎ落したアスリートのようなそれであり、足もまた、ほっそりとしながらもしっかりとした筋肉がついている。理知的な雰囲気からは想像もつかないその体つきは思わず同性であっても目を奪われそうになる程に、美しい。

「いつもこうして走ってるんですか?」

「天気が良いからです。雨が降っていれば室内で筋力トレーニングをしますし、他にも、道具があればもっといろいろと訓練が出来るのですけども……」

 信乃からタオルを受け取りながらハンネが答える。

 しれっと答えるが中々凄い事を言っている。扶桑海軍も新兵時代は厳しい訓練が課せられることが多いが、自主的に、それと同じくらいかそれ以上の訓練を行うのは肉体的にも精神的にも強靭でないと続くものではない。

「へぇ、凄いですね、ハンネは」

 コーラの瓶を差し出すがハンネは首を振る。炭酸は運動と相性が悪い。

「小さい頃からの習慣ですから。逆にしないと体が落ち着かないんです」

 そういうとハンネは汗を拭きながら信乃を見た。

「……それよりも、シノも訓練ですか?」

「……違います」

「まあまあ、そう言わずに。折角ですから一緒にやりましょう」

 にっこりと笑みを浮かべるハンネ。

 単に好奇心から様子を見に来ただけだが、藪蛇だったようだ。

「ベレーナやユーリは嫌がりますし、アンジェラは隊長の仕事が忙しいですから。私も誰か相手が欲しいなと思っていたところです」

「いや……ほら、あたし午前中編成に入ってたし」

「私もです。それに、今日はネウロイの襲撃が無かったから、まだ体力があるはずですよ」

 一歩後ずさる信乃と、じり、とにじり寄ってくるハンネ。

「ええと、ほら、あたし、ナイトシフト……」

「今日は入っていないでしょう?」

 最近は506が夜間哨戒を積極的に行っているので、ナイトシフトはアルマ一人でこなすことも多い。

「少し体を動かした方が良く眠れて、結果疲れも取れます」

 さあ、走りましょう。口にしなくても伝わってくるハンネの熱意に信乃がうぅ、と肩を落とす。

「……お手柔らかにお願いします」

 観念したように信乃が呟いた。

 

 そして。

 

「……」

 ぐったりと談話室のソファに横たわる信乃。

「だらしがないですね。あのくらい、練習前のウォーミングアップですよ」

「ウォーミングアップでも練習でもなくて、もはや懲罰ですよ」

 ぴくりとも動かず信乃が口だけで応える。地面にへたり込んでもう走れませんなんて泣き言を言ったのはいつ以来だろうか。

「はぁ……扶桑のウィッチは体力があると聞いていましたが、やっぱり駄目でしたか」

 向かい合わせのソファに座り、コーヒーを飲みながらため息をつくハンネ。

「いえ、体力云々の問題ではありません。運動選手じゃないんですから。一体何を目指しているんです、ハンネは」

 同じだけの距離を、否、途中から信乃がペースダウンしたので、その倍近くは運動しているのに顔色一つ変えていない。体力お化けか。

「あれ?シノさん、どうしたんですか?体調でも悪いんですか?」

 談話室に入ってきたベレーナが信乃の様子を見て目を丸くする。

「……悪くさせられたんです」

「あら、失礼ですね」

 その言葉にベレーナが信乃とハンネを交互に見、理解したようにうなずく。

「お疲れさまでした。あ、私、ちょっとハンガーに用事が……」

「ベレーナ。待ちなさい」

 ハンネに言われ、びくり、と体を竦ませる。ああ、同じ目にあった事があるな、この子。

「わ、私、午前中にシフトがありましたから……」

「ええ。シノも私もね。一緒だったから知っているわ」

 くい、とハンネが眼鏡を持ち上げ、コーヒーを飲み干す。

「最近ベレーナ、なまっているんじゃないかしら」

 とん、とカップを机に置き、ハンナがにっこりとベレーナを見る。

「そ、そ、そうでしょうか?そんな事ないかなー……って……」

 ああ、悪いタイミングで見つかった。普段はこんなに強引に誘うことは無いのだが、信乃が不完全燃焼だった分、物足りないのだろう。

 そう、シノさんのせいで。

「そんな目で見ないでくださいベレーナ。あたしも被害者です」

「しばらく怪我のせいで動いていないはずです。落ちた筋力を戻す為、今日はしっかりと運動しましょう」

「ああっ!?急に腕が!!腕が!!」

「この前完全に治ったって言ってましたよね。それとも救護室で見てもらいますか?」

「や、それはその……ああっ!?引っ張らないでください少尉」

「良かったですね。憧れのハンネと一緒で」

「それとこれとは話が別です、ああ、駄目、助けて!!おかあさーん!!」

 ずるずると連行されていくベレーナを目で見送りながら信乃がため息をついた。

「……明日までに回復するでしょうか、これ」

 

 そして、翌日。

 

「それは災難っだったな。同情するよ、シノ」

 搭乗員室で、アンジェラが信乃の話を聞き、くすくすと笑い声をあげる。

「全然同情した顔をしてませんよ」

 ぶすっとした表情を浮かべ、信乃が手にしたコーヒーにどばどばと砂糖を投入する。疲労回復には糖分だ。昨日一日ぐっすり眠れはしたが、疲れは抜け切れていない。

「災難とは心外です。後シノ、糖分は適切に取らないと、余計に体に悪いですよ」

「ハンネの淹れるコーヒーが苦すぎるんです」

「コーヒーは苦いものですよ」

 それにしても苦すぎる気がする。普通の人が淹れるコーヒーの二倍くらいは苦みが強いのではないだろうか。

「他人の味が気に入らなければ自分で淹れれば良いだけの話だ」

 アンジェラがカップのコーヒーを飲みながら肩をすくめる。

 コーヒーにはこだわりを持つものが多いカールスラント人にとっては常識である一言だが、アンジェラが飲んでいるのもハンネが淹れたものだ。

「そういう隊長は別に味にはこだわりませんよね」

「薄いのは困るが、濃い分には問題ない」

 まあ、こだわりも人それぞれだ。

「それにしても、どうしてハンネがここに?搭乗割は確か……」

「ベレーナと交代したんです。意外と頑張るので、無理をさせ過ぎました」

 午後には回復しているでしょう、多分。と、余り当てにならない事を言いながら肩をすくめるハンネ。

「もしベレーナがきつそうだったらどうするんです?」

「東部戦線では一日中飛ぶのが普通でしたから。むしろ半日だけのシフトだと体力を持て余すくらいです」

 しれっと言い放つハンネ。

 確かに。今のシフトは新人達の事も考慮して半日交代にしているが、激戦区ではそんな悠長な事は言っていられないし、今後、新人達にもそういった経験をさせた方がいいのかもしれない。自分も若に鍛えられていた時はそんな感じだった。

「……どれだけ体力があるんですか」

 とはいえ、昨日あれだけ運動しては一日中のシフトは辛いはずなのに、むしろ誰よりも元気そうだというのはどういうことか。

 流石にベレーナはもっと体力をつけた方がいいが、ハンネも無理をし過ぎなのではないだろうか。

「体力だけなら私もハンナも、ハンネには到底敵わん。何しろ、元陸上選手で、代表候補にもなった事もある程だ」

 信乃の疑念に気が付いたのか、アンジェラが口を開く。

「そうなんですか?」

「ええ、まあ」

 曖昧に答えるハンネ。確かにアスリートのような体だとは思ったが、本当に運動選手だったとは。

「なんの選手?どんな大会ですか?」

 興味深々といった顔で信乃が尋ねる。

「五輪。オリンピックの五種競技だ」

「へぇ、おりんぴ……オリンピック!?」

 アンジェラの言葉に信乃が素っ頓狂な声を上げる。

 せいぜい学校の代表とか、地域の代表とかそのくらいだと思っていた。

 信乃も小さい頃に地元の代表で剣道の大会に出た事があるが、近所の神社の境内で町内の子供たちを集めて行った大会だ。一国の代表とは格が違う。

「でも、まだ代表候補でしたから。それに、正式に決まる前に、開催される筈だったベルリン五輪は……」

「あ……」

 ハンネの言葉に信乃が眉を顰める。

 平和の祭典であるオリンピックは、ネウロイの侵攻と共に次回の開催は無期延期となっている。本来であればベルリンで行われる筈のオリンピックも、欧州がネウロイの脅威から解放されるまでは行われることは無い。

「……それに、ウィッチは五輪には出られません。この能力が発現した時点で、私は代表資格を失いましたから」

 すこし寂しげにほほ笑むハンネ。幼い頃からの習慣とは、つまりそう言う事なのだろう。

 小さい頃から国の代表になる事を夢みて、ついにそれが手に届く前に失われ、ウィッチになった今では、例え欧州が解放されても立つ事の出来ない夢の舞台。

 もし、ネウロイの侵攻が無く、無事に五輪が開催されていたら。

 ひょっとしたら、ハンネはカールスラントの代表として表彰台できらきら輝くメダルを首から下げていたのかもしれない。

「……すみません、変な事を聞いてしまいました」

 申し訳なさそうに信乃が頭を下げる。

「いいんですよ。それに、今の夢はカールスラントを解放して、父や母、妹たちと一緒にゴータ……故郷の地に戻る事ですから」

 それが叶うのなら、オリンピックに出るなんて、ほんの些細な事です。

 そういってハンネがコーヒーに口を付ける。

 強い女性だ。きっと、だからこそ五輪の選手という遥か雲の上の夢に手が届きそうだったのだろうし、こうして、ウィッチとして戦っていられるのだろう。

「そうだな」

 アンジェラが頷く。

「ハンネ、お前の積み重ねてきたものは無駄ではない。ウィッチとして、お前が鍛え上げてきたその体は誰にも勝る『武器』だ。誰が認めなくても、私はお前を認めている」

「ふふ、ありがとうございます。それに、私、また五輪が開催されるようになったら、やってみたいことがあるんです」

「ほう?」

 アンジェラが興味深そうに顔を上げる。ハンネが意味ありげに信乃を見る。

 なんだろう、凄く嫌な予感がする。

「シノやベレーナ達と練習してて思ったんです。自分が上を目指すのも素敵ですけど、他の子達を遥か上の舞台へと連れてくのも素敵だな、って」

 どうやら他人を教える喜びに目覚めたらしい。いや、それはそれでいい事だ。新しい夢を持つ事、戦いが終わった後の希望を持てるという事は、素直に羨ましい。

 だが。

「だから、その為の予行演習というか、欧州を解放して、私が五輪のコーチになった時に備えて、今から練習の練習……他人を教える為の訓練をしたいんです」

だからあたしを見ないでください。昨日のあれだけで足が痛いというのに。

「ほう、いいじゃないか。手の空いているときなら好きにすればいい。うちには鍛えがいのある若手が沢山そろっているからな」

 アンジェラがほほ笑む。悪魔だ。悪魔の笑みだ。ここにベレーナやユーリがいたら震えあがるに違いない。

 ちらり、ともう一人の若手であるアンネの方を見ると、いつの間にか席を外している。湯気の立つコーヒーカップと読みかけの雑誌がテーブルに放り出されているのを見ると、慌てて逃げたのが解る。

「というわけで、シノ、これからも協力を……」

 ハンネが言いかけた瞬間、ネウロイの襲来を知らせるサイレンが基地に鳴り響く。これ幸いとばかりに信乃も席を立つと搭乗員室を飛び出した。

「また今度、一緒に練習しましょうね!!」

「気が向いたら!!」

 扶桑流の曖昧な返事『考えておく』でお茶を濁しながらハンガーへと向かう。

 

 例え夢を失ったとしても、それなら新たな夢を見つければいい。

 簡単な事ではないかもしれないが、生きている限り、人は夢を見るのだから。

 

「お先に失礼しますね」

「速っ!?」

 

 ひょい、と脇を抜け、ハンガーへと走っていくハンネを見て信乃が目を丸くした。

 

 




 ハンネのイメージモデルにさせていただいたハンス・A・ハーン大尉は元オリンピック代表選手で、ベルリン五輪の選手に選ばれたものの病気により欠場されたそうです。
 本編で書ききれないウィッチのサイドエピソードも今後載せていきたいです。
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