1330 リヨン臨時基地
アンジェラ・ヴォルフは疲れていた。
午前中のシフトが終わり、午後からは久々の非番ではあるが、アンジェラはここ数週間、否、リヨン基地に配属されてから、ずっと非番の時間も部下の指導や上官であるハンナの補佐に当たっていた。
その事を心配したハンナに休むよう進言されても、いつもの慇懃な顔に薄く笑みを浮かべ。
「気遣いは無用だ。私の取柄は体が丈夫な事くらいでな」
そういって決して首を縦には振らなかった。
その言葉は決して嘘でも、誇張でもない。
あのタイフーン作戦の中でも、アンジェラは常に仲間たちと共に最前線を飛び、ちょっとやそっとの負傷などものともせずに戦い抜いた。
固有魔法も無ければ、目を見張るような空戦技術を持つわけでもない。何処にでもいる普通のウィッチ、そう評されることもあった。
だが、彼女を知るウィッチの多くが、アンジェラは最高のウィッチの一人であると口をそろえる。
彼女は決して泣き言を言わない。
疲労や弱気、負傷した傷の痛みを態度に表すことも無い。
常に胸を張り、真っ直ぐ前を見て戦場に望む。
無事之名馬、という言葉があるが、アンジェラはまさにそれを体現していると言っていい。
どんなに苦しくても、傷ついていても、変わらず戦う姿がどれだけ心強いか。
その身を常に戦場に置き、前を行くものの背を押し、後ろを行く者を率いる。
彼女は何処にでもいる普通のウィッチなどでは決してない。誰よりも強く気高い心と、それを支える丈夫で強い体を持っている。
そして、その事を知っているからこそ、上官は彼女を信頼し、部下は彼女について行くのだ。
彼女が50機、100機と着実に撃墜数を重ね、勲章を貰うと本人よりも周囲が我が事のように喜んだ。
彼女よりも撃墜数が多いウィッチも、飛行技術や戦闘技術が高いウィッチも、カールスラントには数えきれない程いるだろう。
だが、それでも彼女はそれらのウィッチ達と肩を並べ、或いはそれ以上に優れたウィッチとして尊敬され、慕われている。
だからこそ。
ほんの少しの気の緩みから、彼女が談話室のソファでうとうととまどろんでしまっても、それに対して誰も咎めたり、茶化したりはしない。先程まで騒がしく騒いでいた部下達も、そっと声を小さくし、代わりに毛布を一枚その体にかけ、静かに部屋を立ち去って行った。
最後に出ていくウィッチが小さく一言『いつもおつかれさまです』と呟いて部屋の扉を閉じても、アンジェラはそれに気が付かない。
普段の凛々しい表情を緩めれば、その顔は年の割に童顔で、可愛らしいといっても良い程だ。わずかに口元に薄い笑みを浮かべ、夢の世界にまどろんでいるアンジェラを見て思う事は、この僅かな午睡の一時が、少しでも彼女の心と体を癒してくれればいい。
そう、アンジェラ・ヴォルフは疲れていた。
だから、これから起きる出来事もまた、仕方のない事なのだ。
……夢を見ている。
ふわふわとする意識の中で、アンジェラはその事を認識していた。
眠りが浅いせいか、それとも他に理由があるのかはわからないが、眠りながら夢を夢だという事を認識する事は珍しい事ではない。
或いは、目の前の光景があまりに現実から剥離しているせいか。アンジェラはこれが夢だという事をうっすらと認識していた。
それは何故か。
「隊長、疲れてるならボクに甘えていいんだよ」
「そうですよ、隊長。休む時は休むのも隊長の仕事ですよ」
これが現実であるはずがない事くらい、どんなに疲れていても理解できるからだ。
柔らかな光が白い世界に差し込んでいる。まるで雲の上にいるかのような、ふわふわとした温かい世界だった。天国、というものがあるなら、ここがまさにそうなのだろう。
そして、その世界には二人の天使がいる。
否、天使のような恰好をしているが、顔ははっきりと自分の部下達だ。
何故かアンジェラはユーリの顔をした天使に膝枕をされ、その脇でベレーナの顔をした天使が彼女の手を取り、優しく頭を撫でている。
どう考えてもおかしい。そんな事は解っているが、アンジェラはその心地よさに流され、なすがままにされていた。
「ねえ隊長、もっと甘えていいんだよ」
ユーリの顔をした天使が囁く。ちょっと舌ったらずに少年の様な口調を紡ぐ声は間違いなく聞きなれたユーリの声だが、普段と違うのは、まるで母親が娘に諭すような、慈愛に満ちた声色をしている事だろう。
「何でも言ってくださいね、隊長」
嗚呼、柔らかな声が耳に心地良い。これだけでも十分に満たされ、癒される気がする。
そう考えていると、まるで心を読んだかのように(まあ、夢なのだから当然なのだが)、ベレーナが穏やかな笑みを浮かべる。
「甘え方がわからないんですね。隊長」
ああ。とアンジェラは素直に思う。気づけば、普通の子供が親に甘えているような年には既に彼女は戦ってきたのだ。誰かに頼ることが許されない中、ひたすら銃を手に人の言葉を介さぬ怪異と戦い続けた。甘えることも弱みを見せる事も、全ては死に直結する中、いつしか彼女はそれを忘れていたのだろう。
「可哀想な隊長。でも、ボク達にはうんと甘えてもいいんだよ」
そんな心を溶かすようにユーリが囁く。夢の中という事もあり、彼女は驚くほど素直にその言葉に従っていた。
「隊長、寂しかったんですね」
ベレーナの言葉に胸が締め付けられる。
そうかもしれない。親や家族と別れて何年にもなる。口には出さないし、なるべく考えないようにしていたのだが。そうか、これが寂しいという感情か。
「良いんですよ。隊長。寂しいなら私達を頼ってください」
「ボク達が付いてるよ、隊長」
そっとベレーナの背中に手を回し、ゆっくりと抱き寄せると、まるで子供をあやすようにその胸に包み込まれる。ユーリが膝にのせていた頭をそっと撫でる。
そして。
「隊長、いいよ、ママって呼んでも」
夢の中では何も包み隠さず欲求が露わになるが、流石にそれは憚れる気がした。年下の少女を母と呼ぶなど、カールスラント軍人として、否、一人の人間として間違っていると理性が歯止めをかけようとするが、一言。
「ね、隊長。ママって呼んで」
蕩けるような声色が脳を溶かす。嗚呼、もう、どうでもいい。
甘える様にアンジェラの口が自然に動く。
その寸前。
「ま……なんだって?」
目を開いたアンジェラの顔が一瞬で凍り付く。
彼女の眼前、若本徹子が、眉をひそめてアンジェラの顔を見下ろしていた。
「アンジェラ、飲むか?」
「……ああ、済まない」
まだ少し呆けた様子で身体を起こしてソファに座り、誰かが体にかけてくれていたシーツを畳んでいると、徹子がコーヒーの入ったカップを二つ両手に持ち、一つをアンジェラに手渡した。
いつも通りの慇懃な表情で一言『すまない』と呟き、アンジェラはそれを受け取る。
「良く眠っていたな。疲れてるのか?」
徹子の問いにぎくり、とした表情を一瞬浮かべる。余り変化が無いようだが、常日頃の態度からすればかなり動揺していることが見て取れる。
「いや……そんな事は……いや、あるな。そうでなければ、こんなところでは眠らんさ」
咄嗟に言いかけた言葉をアンジェラは改める。
そう、余り認めたくはないが、ソファで眠った挙句あんな夢まで見たのだ。疲れていないはずがない。
そう、あんな夢。何故私はあんな夢を……。
一瞬思考に沈みかけ、そして、重要な事に思い当る。
「若本、お前はずっと私の寝顔を見てたのか?」
「そんな趣味は無い。お前が寝言を言ってたから様子を見ただけだ」
嫌な予感を具現化する様なその言葉に、どきり、と胸が跳ね上がる。
思わずカップを取り落しそうになるが、必死に平静を保とうとする。だが、若本の表情を見る限り上手くいってるかどうかは怪しい。
「その……私は何といっていた?」
「気になるか?」
「……ああ」
アンジェラが頷く。
寝言で『ユーリママ』などと口走ったりはしていないだろうか。
もしそうだとして、しかも聞かれたとしたら。
アンジェラの心臓が早鐘を打つ。そんな事になったら、死あるのみだ。かのバルクホルン大尉からカールスラント軍人の規範とも称された彼女のアイデンティティはその瞬間に崩壊する。それは、すなわち、アンジェラにとって死を意味するに等しい。
そんなアンジェラの内面に気付いているのかいないのか、はたまた動揺したアンジェラが物珍しいのか、悪戯っぽい顔を浮かべる徹子。
内心気が気でないアンジェラに対し、徹子が心配するな、といった顔で口を開く。
「残念だが、マ、と言っただけだった。本当はもっと聞きたいところだったが」
危ない所だった。ほんのわずかな差で意識が覚醒していなければ、最悪の事態になっていた。
「そ、そうか……いや、止してくれ。趣味が悪いぞ、若本」
「冗談だ」
少し冷静さを取り戻し、引きつったような笑みを浮かべるアンジェラと、からかうように笑みを浮かべる若本。
考えてみれば、階級的に自分と若本は同じで、立場的にも近いものがある。
思えば、この部隊ではハンナという上官に対しても、ハンネやアルマと言った部下達に対しても立場上一つ壁を隔てて接するところがあった。
対等に話せるような存在は彼女が来るまでこのリヨン基地にはいなかった事を改めて感じていたアンジェラだったが、次の瞬間。
「……随分幸せそうだったけどな」
悪戯っぽく呟く徹子の言葉に、再びカップを折り落としそうになる。そんなアンジェラの様子に興味を示したのか、徹子がさらに話しかける。
「何だ?随分可愛い反応だな、どんな夢を見てたんだ?」
矢張りそう来るか。アンジェラが眉を顰める。
気兼ねなく話せるのは確かにありがたいとは思っているが、アンジェラはこういう風に弄ばれるような扱いには慣れていなかった。
徹子からすれば、どこか距離を感じる普段の態度も好ましくはあったが、こういう無防備な姿をさらしてもらえるのも心を許した証左と思え、どこか心の距離が縮まった気がして素直に楽しくもあるのだろう。その態度は普段よりも随分と親し気だ。
「止めろ。忘れろ。私は別に……」
「何、変な夢を見る事なんて誰にでもある事だ」
その言葉にアンジェラが顔を上げる。意外な言葉だった。
そうか?というアンジェラの問いに、徹子が苦笑を浮かべ。
「昨日なんかオレは何故かゾンビになって20mmを手にしたハギと部下のウィッチ達に空母内で追い回される夢をみた。美緒……ああ、古い友人だが、あいつが日本刀片手にハギたちを全員海に叩き落さなければ多分オレは殺されてた」
ズイカク・オブ・ザ・デッド。
「どんな夢だ」
思わずくすり、とアンジェラが笑う。
「ま。夢なんてそんなもんだろ。突拍子もなかったり、支離滅裂だったり。どんな夢を見たとしても、恥ずかしい事なんてない」
ふ、と徹子が笑みを浮かべるのを見て、アンジェラの顔に少し安堵が灯る。
「そうか……その、例えばだが……私が、誰かに甘えていたとか、そういう夢だとしたら?」
「それこそ意外性の欠片もない。アンジェラは傍から見ていても良くやっている。同じ年のオレからすれば、少し無理をし過ぎていると思える程にな。夢の中でくらい、誰かに甘えても罰はあたらないさ」
その言葉にほっとしたような顔になるアンジェラ。他の人間から同じことを言われても逆に下手な慰めと余計に傷つきそうだが、同じような立場の徹子の言い分なら自然と腑に落ちる。
「お前もそう言った事はあるのか?」
「勿論。よくガキの頃……っていっても12、3に戻って、オレの師匠だった北ご……っていってもわからんか。とにかく、姉みたいだったウィッチに泣きついたりな」
おどけた様に肩をすくめる徹子にアンジェラもほほ笑む。そうか、そうなのか。
「そうか。安心したぞ。何しろ私ときたら、天使の恰好をしたユーリとベレーナをママと呼んで甘えていたのだからな」
「はは、そのくらいは……は?」
一瞬で徹子の顔が凍り付く。
突然真顔になる徹子にアンジェラも同じような顔を浮かべる。はて。何かまずかっただろうか。
「……いや、お前、それはちょっとまずいだろ」
「さっきと言ってることが違うぞ!?」
近づいたと思った心の距離が一気に距離が遠ざかった。
先程とは打って変わった引いた目をしている徹子にアンジェラが抗議の声を上げる。
「だってお前、よりによってお前、ユーリだぞ。ハンナとかならまだしもユーリだぞ?あいつまだ11だぞ?どこに母性要素があるんだ?」
「いや、待ってくれ若本。私だってあいつに母性など……」
自らの不用意な発言を悟ったアンジェラが焦ったように口を開く。
確かに冷静に考えればおかしい。何故ベレーナとユーリに甘えなくてはいけないのか。アンジェラにとって二人は部下であり、可愛い後輩でもある。特にユーリ。子供らしい天真爛漫さと、誰とでも打ち解ける人懐っこさ。そして、先輩からの指導を受けても思い悩まず前向きにそれを受け止めて自らの成長の糧に出来る強さと心の広さを持つ自慢の部下で……。
そこまで思考を巡らせ、不意に黙り込むアンジェラ。
……そして、ぽつり、と一言。
「なあ、若本。意外とユーリはいい母親になると思わんか?」
「11のガキに何言い出してんだよ!!」
「ああ、ユーリはまだ11だ。だが、その無邪気さが時に母性に繋がる」
あの人懐っこさはつまり慈愛、そして、前向きさと心の広さは他人の弱さを受け止める包容力といっても過言ではない、と。
「ねぇよ!!母性どころか生理もまだだろアイツ!!新人のひよっこが母とか、何を求めてるんだお前!?」
「わからん。母性だろうか?」
アンジェラの闇の深さに徹子が慄く。ひょっとしたらこいつ、とんでもない扉を開けてしまったのではないだろうか。
「いや、だってお前、どこをどうとればユーリに母性を感じれるんだ?」
「解らん。いや、しかし。考えてみれば母性と強さは違う。戦いに弱くても母性のある者は存在しても何ら不思議じゃない」
「だとしても、ユーリに母性は無い」
ぴしゃりと断言する。あれはただのガキだ。同じくらいの子供の群れに放り込めば、男子女子の隔たりなく遊び回るような年齢のガキに女を、母を意識する方がおかしい。
「なら、この気持ちは何だというのだ」
「知らん」
強いて言うなら、普段の態度の反面から他人に甘えたいという鬱屈した気持ちがふとした拍子に暴発したのだろうか。いや、それにしても爆発が大きすぎる。何だこいつ。
「何だと、それでは私が欲求不満をこじらせているみたいではないか」
「こじらせてんだよ」
「お前だって甘えたい相手がいるのだろう。それが上官だろうが、部下だろうが、同じ事だ」
「違ぇよ!!開き直んなよ!!」
居直りやがった、こいつ。
徹子が頭を抱える。
「いや、待て。ユーリに母性を感じるって事は、他の奴はどうなんだ?」
ふむ?とアンジェラの顔に理性が灯る。やっぱり少し寝ぼけてたんだな、こいつ。
ならば、と徹子は考える。
今のアンジェラは夢から覚めてまだ少し頭の回転が足りていないようだ。なら、その頭を回して覚醒させてやればいい。夢の中で出てきた人物に好意を抱くという事は決しておかしい事じゃない。昔それで竹井大尉に不用意に優しく接したところ、逆に怯えられた経験から徹子は判断する。いや、普段からそれなりの親愛の情は抱いているのだが、余程気持ちが悪かったのだろうか。
「他の奴、とは?」
アンジェラの問いに徹子が口を開く。
「例えばフィリーネ大尉はどうだ?かなり親っぽい感じがするが」
「ハンナは母というより姉といった感じだな。甘えといより、信頼しているといった感じだ。それに時折抜けているしな。むしろ私達が支えてやらねばならん」
普通の反応だ。
「アルマとかハンネは?」
「アルマやハンネは妹という感じだ。むしろ甘やかしたい」
まだ少し寝ぼけてるようだが、あながち間違いではない。あと少し。
「ベレーナは?」
「ベレーナは妹というよりも……ふ、そうだな。もし私に娘が出来れば、こんな気持ちを抱くのだろうか」
「さっき夢に出てきたんだろ?」
「冷静に考えればベレーナが母というのはおかしい」
お、ちょっとまともに戻ってきたか?母性も復活している。これなら大丈夫か?
「ユーリは?」
「母だ」
「断言かよ」
駄目だった。まだ少しおかしいぞ、こいつ。
「ユーリに甘えて童心に帰る。最高に尊い」
「解った。お前は少し疲れてるんだ。いいから少し休め」
そういうと徹子がシーツを広げてアンジェラにかぶせる。こんな危険物は速やかに隔離だ。こんな姿、部下に見せたらとんでもない事になる。特に年少組の心が心配だ。ユーリに至ってはトラウマになりかねない。
「しかし、ハンナの手伝いが……」
「気にするな。何ならオレが代わりにやってやる」
その言葉に少し安心したのか、アンジェラの瞳が眠たげに閉じられる。
「ああ、若本の母性を感じる。いい母親になるな、お前は」
「頼むから寝てくれ」
そう、疲れているのだ、アンジェラは。そういう事にしておこう。
そして。
「……死にたい」
陽が落ちた談話室のソファの上でひざに顔をうずめ、アンジェラが呻くように呟く。
……まあ、そうなるな。
「気にするな。オレも誰かに話したりはしない」
目が覚める様にうんと濃い目に入れたコーヒーを差し出しながら、徹子が口を開く。
様子を見にきたらアンジェラが護身用の拳銃を手に何かつぶやいていたので慌てて取り上げた。
そして、それが間違いではなかったと今更ながらに胸をなでおろす。
というか、こんな事誰かに話せるわけがない。アンジェラのあんな姿が知れれば、この基地の指揮系統が崩壊する。この事は死ぬまで徹子の胸の奥で封印される事だろう。
「若本、私は自分が恐ろしい。大切な部下にあんな思いを抱いてしまう私が」
コーヒーを一息で飲み干し、アンジェラが呟く。良かった、復活した。ついでにかなり大きな心の傷を負ったようだが。
「さっきも話したが、夢ってのは大抵荒唐無稽なもんだ。あと、寝ぼけてるときってのは大体夢に引きずられる。オレもそれで失敗したことはあるし、気にするな」
話を聞けば、また同じ夢を見たという。加えて今度はハンネとアルマも一緒だったとか。いい加減にしろ。
「しかし、夢というのは深層心理の表れだとどこかで聞いた事がある。私の深層心理は、その、部下に母性を見出すようなおぞましい……」
「そうじゃないだろ」
徹子がはぁ、とため息をつく。
「お前は、部下を信頼してないのか?」
徹子の言葉にアンジェラが顔を上げる。
「それは、しているが……」
「なら、そう言う事だ。信頼しているからこそ、信頼する相手に甘えたくなるのは当然だ。それがまあ、ちょっと極端だったとしても、それは疲れているんだからしょうがないだろ」
「そうか?」
「そうだ」
兎に角、今はアンジェラを立ち直らさせなくてはいけない。徹子自身、あれが彼女の秘められた願望なのではという疑念はぬぐえないが、少なくとも今までの彼女は理想的な上官であり、このリヨン基地の頼れる姉のような存在だったのだ。そして、彼女には与えられたその役割を立派にこなすだけの強さがある。それは間違いない。
「お前も、そういう事はあるのか?」
「ん?」
アンジェラの問いに徹子が首を傾げる。
「お前も、信頼している人間に甘えたくなるという事が。例えば、年下で階級も下で……例えば、萩谷准尉にも、甘えてみたくなるような事があったりするのか?」
それは、と徹子の言葉が詰まる。完全に予想外だった質問だ。
試しに自分が信乃に甘える姿を想像してみる。バブってオギャる感じで。
『そんな……そんなにあたしの態度が若を追い詰めて……すみません、若。お願いですからもとに戻ってください。若がそんなだと、あたし、どうしていいか……ぐすっ』
想像の中とはいえ普通に泣かせてしまった。
駄目だ。絶対にこんな態度は信乃には見せられない。
だが。
「ま、まあな」
とてもじゃないけど甘えるなんて出来ない、と答えた瞬間アンジェラが落ち込むのは目に見えている。幸いにしてここに他のウィッチ達はいない。
「そうか、お前も萩谷准尉に甘えたいか」
「……」
どう答えたものか。逡巡した結果、徹子はゆっくりと口を開く。
「ああ、俺もハギに甘えたくなる事が……」
「え?」
がちゃり、と扉が開くと同時に、耳慣れた声が部屋に響く。
同時に徹子の顔から血の気が引く。
そうか、多分オレも疲れているんだ。でなければ、こんな稚拙な判断はしなかった。
扉を開いたまま硬直している信乃の気配を背に、徹子は次の言葉を考えていた。
そう。オレも疲れているのだ。疲れていなければ、こんな風にはならなかった。
だから、そんな顔をするなハギ。お前は悪くない。