「若、いい加減あたしを子供扱いしないでください」
何時だっただろうか。そんな事を若に向かって口にした事がある。
その時、若の答えはこうだった。
「子供扱いなんてしてねえよ」
嘘だと思った。
徹子は信乃を子供扱いしている。
余計な細かい事を注意するし、人の服や趣味にいちいち子供っぽいだのとケチをつけたりからかってきたりする。
だからこそ、つい反発してしまう。
まるで反抗期の妹だ、と周囲にからかわれる度に自分の子供っぽさを自覚するが、それでも上から目線で徹子に何かを言われた時にはついむっとして憎まれ口をたたいてしまう。
上官と部下としての態度ではない事は解っている。甘えているという事も。だが、4年間の月日で培われてきた人間関係は、一日二日で変えられるものではない。
だが。
まさか本当に子供扱いをしてないどころか、それ以上だったとは。
まさに驚天動地。地球は平らだと主張する人が超高高度から地上を見下ろしたらこんな気分になるだろうか。
まさか、若があたしに甘えたいと思っていただなんて。
2100 リヨン臨時基地
「……甘えん坊を受け止める心構え、ですか?」
「はい。大尉なら何となく寛大そうですし、そういった部下をどう扱うか、或いは上官をどう扱うかにも詳しいと思って」
思わぬ信乃からの問いに、思わずハンナがブルストを挟んだパンを食べる手を止める。
デスクワークが一段落ついた夜中のリヨン基地。
ナイトシフト中の休憩か、廊下を歩いていた信乃に相談したいことがある、と言われ、それならばと一緒に夜食をとるついでと一緒に人気の無いウィッチ用の食堂で一緒に眠気覚ましのコーヒーと軽い食事を取っていた矢先、思わぬ質問が飛んできた。
「上官はわかりませんが、部下なら何となく……と言っても、ハギさんもユーリやベレーナに懐かれていますし、相談する事では……」
「どちらかというと上官の方の対処の仕方が知りたいんです」
「ええ……?」
一体信乃に何があったのか。
この基地で彼女にとって年齢的にも階級的にも上に当たるのは、ハンナを除けばアンジェラ、アルマ、そして徹子。いずれも他人に甘えるような人物ではないし、ましてや部下に対してそう言った態度を見せる事は無いと言える。
先程の惨事を知らぬハンナが首を傾げ、信乃を見返す。
「ハギさん、私達はウィッチですが、同時に軍人です。上官が部下に甘えるなんて、そんな事……」
そこではっ、とハンナがあることに思い当る。
自分は階級や年齢が上であるが故に、そして彼女が求めるが故、信乃の事を『ハギさん』と呼んでいる。それだけではない、先日はディジョン基地に向かう際、細かい事を伝えなかっただけではなく、その後酷い失態まで晒してしまった。
それだけではない。引っ込み思案な性格ゆえ、普段から部下達との間に壁を作らぬよう、意識的にコミュニケーションを取ろうと心掛けてきた。
ごくり、とハンナが唾を飲む。つまり、こういいたいのではないか。
『フィリーネ大尉は代理とは言え基地の司令という立場にありながら、安易に部下に自らを曝け出しすぎている。これは甘えなのではないか』
と。
夜食を取る手を完全に止め、ハンナが信乃の顔を見つめる。
ひょっとしたら彼女は態度に表さないだけで、普段の自分の態度を『上官らしくない』と思っているのかもしれない。
だが、他人のいる前で部下が上官にそういった類の具申をすることは、軍隊としての規律を乱す恐れもある。
だからこそ、人気の無い場所で、更に念には念を入れ、逆に質問という形を取り、遠回しにそれを自分に伝えて来たのではないか。
萩谷信乃准尉。
扶桑人は真面目さや他人を気遣う事を美徳とするというが、一見マイペースに見える信乃ですら、自らの立場が危うくなるリスクを負って尚、こうして基地の司令に意見を述べようとしている。
何という気遣い。そして、上官に対して敢えて厳しい具申が出来る勇気。
ひょっとしたら自分は目の前にいる少女を誤解していたのかもしれない。
彼女なりの思い。
それを敢えて伝えてくれるその心がハンナには純粋に嬉しかった。
そう。
ならば、自分自身もそれに答えなければいけない。
「あの……ハンナ大尉?」
突然考え込み始めたハンナに向かって信乃がおずおずと話しかける。
ややあってゆっくりとハンナが顔を上げ、そして、神妙な表情で口を開いた。
「……ハギさ……いいえ、萩谷准尉」
「はい」
ハンナの言葉に信乃が頷く。
何故急に呼び方を変えたのかわからないが、きちんと自分の質問の答えは考えてくれていたようだ。その答えを待つ信乃に対し、ゆっくりとハンナは口を開いた。
「私は確かにハギさ……萩谷准尉に甘えていました」
「どういう事!?」
自分に甘えたいと思っている上官について相談したら、相談した上官が既に自分に甘えていたらしい。どういう事なのか。想像の斜め上にも程がある。
というか、甘えられていたなんて今まで全く気が付かなかった。
「あ、あの、フィリーネ大尉?」
流石に少し引いた為、思わず敬称で呼んでしまう。
だが、ハンナはその言葉に、矢張り自分が気安く呼ばせた事に信乃が内心反発していたのだと見当違いの理解を示した。
「萩谷准尉、これからは私、きちんと態度で示して行動したいと思います」
これからはきちんと他人に甘えぬ態度を見せなくては。
ハンナが決意も新たに口を開く。
「そ、そうですか……態度で示しちゃうんですか」
これからは態度に出してあたしに甘えるつもりなんですか。
ごくり、と信乃が唾を飲みこむ。
「私自身が態度で示さないと周囲に伝わりませんからね」
「え!?」
周囲に何を伝えようとしているの、この人!?
「あの、そこまでしなくても、その気持ちは心に留めておくだけで……」
というか留めておいて欲しい。ただでさえ時折抜けている事があるのに、それに加えて部下に甘え始めたら隊長の威厳が地に落ちるどころの騒ぎではない。
「いいえ、それでは私の気持ちが収まりません!!」
そこまで!?そこまであたしに!?
信乃が目を見開く。
そこまでしてあたしに甘えたいとは。
一体何がハンナをそうさせるのか。
「今日はありがとうございました、萩谷准尉。それでは、私は仕事の続きがあるので。准尉は今夜もナイトシフトでしたね。大丈夫ですか?顔色が少し悪いみたいですが……」
「は、はい……」
正直あまり大丈夫じゃない。
だが、もし正直に言って『そんなぁ、ハギさんが頑張ってくれないとハンナ、困っちゃいますぅ』なんていわれたりしたらどうするか。
正直、反応に困る。
「そうですか。解りました。くれぐれも体調管理には気を付けてくださいね」
少し心配だが、信乃の前で宣言した以上、当の信乃を甘やかしてはいけない。少し突き放した言い方にならないが少し気にはなるが、ハンナが口を開く。
「大丈夫です、フィリーネ大尉」
いきなりの甘える宣言を実行させないためにも、甘えさせる隙を作ってはいけない。
「それでは、また明日ですね。萩谷准尉」
「はい」
立ちあがるハンナに声を返しながら、信乃の心が重くなる。
……そうか、明日から甘えられるのか、あたし。
フィリーネ大尉と、下手をすると若にまで。
どうすればいいのか。重くなった気持ちのまま残ったブルストとパンを平らげ、ゆっくりと立ちあがりかけたその時だった。
「む?萩谷准尉か」
その声にゆっくりと振り向くと、そこには信乃と同じく夜食のトレーを手にしたアンジェラが机の方へと近づいてくるところだった。
「ヴォルフ中尉、お疲れ様です」
「萩谷准尉の方がよほど疲れた顔をしているぞ。そんな事でナイトシフトは大丈夫か?」
その言葉に信乃が内心安堵のため息をつく。
そう、上官と部下はこのくらいの距離感でいい。徹子もハンナも部下との距離感の詰め方がアクロバティックすぎるのだ。
「大丈夫です。ただちょっと、気になる事があって……」
信乃の言葉にアンジェラがむ、と足を止め、信乃を見つめる。
「どうした?私で答えられる事か?」
どうしても気になるなら聞く、といった雰囲気の言葉。
安易な質問ならそのくらい自分で考えろと言われそうな雰囲気だが、逆にそれが信乃からすれば上官の態度からすれば当然と思える。全て答えず、時には部下に考えさせる。
矢張りアンジェラは有能な上官だ。
「では、一つ聞かせてください」
アンジェラほどの人物なら部下相手に甘えることなどないだろう。
「……ほう?何だ?」
「ヴォルフ中尉は、あたしに甘えてみたいと思いますか?」
「……私が、准尉に?」
「はい」
思わぬ言葉だったのだろう。アンジェラが珍しく目を見開いている。
当然だ。
自分だって部下にそんな事言われたら驚くし、そんな馬鹿げた質問をする自分がどうかしているとすら思う。むしろ叱責の一つくらいは飛んできてもおかしくはない。
むしろ、それを期待さえしている自分がいる。
さあ、常識的な反応をするのだ。
きちんと自分の今の言葉を否定する一言を。
「……萩谷准尉」
すっ、とアンジェラの瞳が元の平静さを取り戻す。おお、理性的な瞳。これは、注意されるか、怒られるか。
むしろ、目が覚める程怒られたいくらいだ。
「……それも悪くないな」
駄目だった。
「ぷ……ハンナに、アンジェラまでそんな事を……」
「笑いごとじゃありません」
薄暗い搭乗員室でくすくすと笑うアルマに対し、信乃が仏頂面で答える。
「だって、『若もハンナ大尉もヴォルフ中尉も皆甘えん坊さんでした』って、そんな深刻そうな顔で言われたらそりゃ笑うよ」
絶望的な顔で搭乗員室に現れた時はどうしたのかと心配になったが、話を聞き進めるにしたがってその顔は呆れに、そして、呆れを交えた笑い顔に代わっていった。
「笑いごとじゃありません」
アルマの態度が不服なのか、信乃が口を尖らせる。
「そうかなぁ。でも、信乃。そんな事で悩んでていいのかな?」
むしろ、折角なのでアルマも思った事を口にすべきだとばかりに口を開く。
「……どういう意味です?」
「ねえシノ、4年もの間この欧州で戦って生き残ってるっていう意味が解る?凄い事なんだよ。逆にそれだけの幸運と経験を持ちながらいつまでも必要以上に他人に甘えようとする方も、ちょっとおかしいよ」
「それは……」
アルマの言葉に、信乃が虚を突かれたような顔になった。
「シノは4年、私も3年くらいは戦ってるし、私に至ってはナイトウィッチだよね。必ずしも戦ってきた期間がすべてじゃないけど、それなりの経験があるなら、それなりの責任が生まれるはずだよ。経験の少ない若手たちを引っ張る義務があるし、同じくらい、上官や先輩を支えないといけないんじゃないかな。まあ、信乃はユーリ達にたいしては上手くやってると思うけど」
その言葉に信乃はまるで心を見透かされたかのようかのように目を丸くした。
だが、それと同時に悩みの正体が、もやもやの本質がアルマの言葉で一突きにされたようにも感じた。
甘えたい、という言葉に信乃は割と真剣に悩んでいた。
それは何故か。
まあ。年上の女性が年下に甘えるという歪さに引いたのは確かにある。
だが、それと同じくらい、信乃は本来自分が無意識に甘えてきたものを覆された事にたいして戸惑いを感じたのだ。
12歳という年齢で欧州に渡ってきて以来、周囲は殆ど年上で、階級も飛曹長止まり。年齢的にも、階級的にも、自己の感情や思考よりも与えられる命令を優先して行動してきた。
『あの部隊』にいた時も、命令は上任せで、自分は部下にそれを伝え共に実行するだけだった。
他人を気遣う余裕などそもそも無く、与えられた命令を遂行する事だけが彼女のすべきことだった。
だからこそ戸惑った。
信乃にとっては行動基準を与える存在だった徹子や目上の者が自分に『甘えたい』という感情を見せた事に。
だが。アルマの言う通りでもある。
何年たっても徹子の背との距離が縮まないため忘れがちだったが、周囲を見渡せば自分も一介のベテランに手が届く経験を重ねたウィッチだ。いつまでも徹子の背ばかり見ている訳にはいかない。
逆にいえば、上の人間が時に『甘える』くらいにしっかりしていてもおかしくは無いのだ。
「まあ、私も人の事は言えないけどさ。時には甘えさせることが出来るくらいになってもいいんじゃないかな」
アルマの言葉にちりっ、と胸が痛む。
自分が漫然と生き残ってきたとは思わないが、生き残ってきた以上、その経験はきちんと還元する必要がある。ひたすらに戦果を積み重ねるのもその手段の一つではあるが、それが全てだろうか。
「そう、ですね」
ぽつり、と信乃が呟く。信乃は徹子の二番機という立場であると同時に、4年間もの間欧州の空を飛び続けた扶桑皇国海軍遣欧艦隊の飛曹長なのだ。
部下を鍛え、上官をいびる、と徹子は冗談っぽく言っていたが、上官に対しても甘えて従うだけではなく、逆に自分の意思をきちんと伝える時期に来ているのかもしれない。
「……ひょっとして、若達はその事を気付かせたくてあたしに甘えると言ったのでしょうか?」
それはどうかなあ、という言葉をアルマは飲み込む。
どうもその『甘える』と、アンジェラ達の『甘える』のニュアンスが違う気がするが。
だが、信乃自身にベテランに差し掛かっているという自覚が薄いのもまた確かだ。
その事に信乃も思い至ったようなので、余計な水を差すような事は言わないでおこう。
「そうそう、ついでに私もシノに甘えたいな」
「それはちょっと……いえ、そうですね。それも敢えて受け入れる必要があるのでしょうか」
「そうそう、何しろシノは一年先輩だしね、っと」
「ふぇ!?」
信乃が目を丸くする。ソファに座った信乃の脇にアルマが飛び込み、そしてその膝に頭を乗せたからだ。
「ん、細いなあ。シノ、ちゃんとご飯食べてる?」
「いや、食べてますけど……って何してるんですか!?」
「んふふ。シノ先輩に甘えてるんだけど?」
「あ、甘えって、こういうのも含まれるんですか!?ていうかアルマ、あたしより年上なのに!!」
振りほどこうとする信乃と逆に信乃の膝にしがみつくアルマ。
「ふふふ。可愛いよ、シノ先輩」
「あ!?解りました!!からかわれてるんです!!からかわれてるんですね、あたし!!」
臆病だったり他人に甘えたり。
自分自身にそういった一面がある事は信乃も重々承知している。そして、そのせいで多くの過ちを犯してしまった事も。
そういった自分の一面を振りほどこくため、逃げないために必死で戦ってきたが、根本的な所から目をそらさずに受け止めなくてはそれ以上の進歩は無い。
そういった弱い自分を受け入れていたつもりだが、実際はそうではなく、意識しないようにしていただけなのかもしれない。
そうか、と信乃は思う。
まだ自分は他人に甘えてばかりだが、いつか甘えられるくらいに成長しないといけない。
そんな事を思いながらも信乃は膝に顔を埋めるアルマを引き離そうと力を込めた。
「いい加減に離れてください」
「んー、あと少し」
そうだとしても、あたしはこんな甘えられ方は望んではいないんですよ。
そして、翌日。
「あの、若」
「あ、あー、なんだ?」
若干気まずそうに尋ね返す徹子に、信乃が決意を込めた口調で言い放つ。
「若、これからはもっと私に甘えていいですよ」
「はぁ!?」
何言いだしてんだこいつは!?
いや、違う。落ち着け若本。きっとこれはアレだ。ハギも疲れているんだ。
そう思い込もうとするが、その思いとは裏腹に信乃の表情はいつになく真剣だ。
「ですから若、甘えてください。あたしに」
そう、真剣なのだ。何故か信乃は真剣に徹子を甘えさせようとしている。
たった一晩の間に何が信乃に起きたのか。
「待てハギ、誤解だ。オレにそういう趣味は無い」
「無理しなくていいんですよ、遠慮しないで何でも言ってください」
思わずごくり、と唾を飲む徹子。昨日のアンジェラとは逆だ。まさかあの信乃が母性に目覚めるとは……。
「いや、いい。そういうのはユーリやベレーナにしてやれ」
「ダメなんです。若や先輩達に甘えてもらわないといけないんです」
「おかしいだろ!?」
なんで年上限定なんだよ!?オレの二番機は一体何に目覚めたんだ!?
その後、いろいろな誤解が解けるまで数日程の時間を要するが。
「萩谷准尉、上官に甘えさせるような事はしてはいけませんよ」
「あれ!?昨日と言ってることが違います!?」
それはまた、別の話である。