雲一つない青い空に二筋の航跡雲が伸びる。
冬の青空は高く澄み渡っており、まるで天使がペンキで塗りつぶしたようにどこまでも続く青が広がっている。
ロマーニャの北西部に位置し、かつては独立した海洋国として栄えた町で、現在もロマーニャの有数の湾岸都市、ジェノヴァ。
ロマーニャ海軍が駐留する軍港のその一角に停泊する扶桑海軍遣欧艦隊機動部隊の旗艦である空母『瑞鶴』から沖合数十キロの地中海洋上。
真っ直ぐ伸びていた航跡雲がゆっくりと弧を描く。周囲には二人以外、ウィッチの姿も、航行する船舶の姿も見当たらない。
「やっぱり、54型でも振り切れませんか……」
先を飛ぶウィッチ……『零式54型』を駆る信乃が呟く。
先程までの胸の話をしていた時とはうってかわったような、抑揚の少ない声。
冷静というより、無感情。背中に刺さるチリチリとした感覚から自分が追い詰められている状況を把握しながらも、その顔には焦りの色は浮かんでいない。
「じゃあ、これで私の12連勝かな」
そう帰って来る返事は信乃のそれとは異なる。相手を挑発するかのような声色。
扶桑の最新型飛行脚『紫電改41型』を履いた伊予が信乃の背後にぴたりとついている。
端を吊り上げ笑みを浮かべた口元とは裏腹に、使い魔のワタリガラスが獲物を狙う時のように。冷徹なまでに醒めた瞳がぴたりと信乃の背後を見据えている。
「かもしれませんね」
面白くも可笑しくもない、信乃らしくもない醒めた答え。
……まあ、空の上でこんな安い挑発に乗るはず無いですね。
伊予が引き金を引こうとした次の瞬間、するり、と信乃の姿が照星から外れる。
だが、これも想定内とばかりに弾き金にかかった手を離し、鋭く旋回しながら高度を落とす信乃を追うように紫電改を横にすべらせ、その背を追う。
「相変わらず旋回性能は21型並みですね……」
信乃の背後を追いながら、伊予が『でも』と呟く。
欧州の、否、世界中に存在するストライカーユニットの中でも今だに最高水準と言われる零式の旋回性能は零式が紫電改に勝っている唯一の長所だ。
信乃が伊予に勝つためには、旋回性能をフルに活用できるドッグファイトに持ち込む意外に方法はなく、そして、それを真っ向から追いかける伊予もその事は重々承知だ。
そして案の定大回りしてオーバーシュートしかける紫電改だが、次の瞬間フラップを落とすと同時に急激に旋回。
「追いついたよ、ハギちゃん」
振り切ろうとする信乃の背後に伊予が再度食らいつき、手にした模擬銃を再度構える。
紫電改の特徴の一つでもある自動空戦フラップ。
戦闘中のストライカーの挙動や魔力の流れを感知し、自動的に旋回を補助する為に離着陸用のフラップを自動的に作動させることで零式に近い急旋回を可能にする紫電改独自の装備だ。その旋回性能は高く、伊予程の技術を持つウィッチならば、零式相手にでも追随が可能だ。
だが。
「何度も同じ手を食らうとは思わない事ですね」
小さく笑みを浮かべると信乃が旋回方向とは逆方向へ足を振る。そのまま機体が一瞬横滑りを見せ、唐突に伊予の目の前に無防備な姿をさらけ出す。
「……っ!?」
先に感情を表に出したのは伊予。予想していなかった挙動に、咄嗟に伊予が模擬銃の引き金を引く。
だが。
それよりも早く信乃が体をしならせてエンジンに魔力を叩き込み、更に内側へと鋭くターン。
零式の限界一杯のロールから、更に一回り鋭い旋回に、伊予の放った模擬弾は標的を失った宙を打ち抜く。
思わぬ挙動に一瞬伊予が驚いた様な表情を浮かべるが、すぐに気持ちを切り替える。
射線から離脱した信乃はそのまま急上昇により優位高度を取ろうとする。
だが、それは失策だ。
ロールを重ね速度の落ちた零式では、紫電改の上昇速度に敵わない。
当然伊予はその背を追う。自動空戦フラップが畳まれ、誉魔導エンジンの高出力と共にユニットを一気に上へと加速させる。
一度離れかけた信乃との差がみるみるうちに縮まる。
無防備に背を晒す信乃に向け、伊予が手にした模擬銃を構え、目の前の信乃に『一瞬』で『正確』に『自動演算』で狙いを定める。
特に狙撃に適した固有魔法だが、自分の弾の着弾位置が正確にわかる能力は、近接戦闘でも効果を持つ。
ぴたり、と銃口を固定し、後は引き金を引けば、信乃の背に真っ直ぐ模擬弾は吸い込まれ、模擬戦は終わる。
終わる?
本当に?
ふと、自動演算とは異なる逡巡が、ほんのコンマ一秒にも満たないうちに伊予の頭を駆けまわる。
何でハギちゃんは『敢えて』背後へと回りこもうとしないで、不利なはずの優位高度を取る事を選んだの?
もし狙いがあるとするのなら、それは何?
だが、その思考の答えが出るよりも早く、伊予のウィッチとしての経験が、勘が、はっきりと今の状況を正確に察知していた。
まずい。
自動空戦フラップには一つだけ、大きな欠点がある。
フラップを展開、あるいは収納する事で様々な場面で高い能力を発揮できるという利点は、逆に言えば『そのどちらか』でしか動けないという事だ。
つまり、今フラップを収納した紫電改では、零式の得意とする急な挙動変化に対応できない。
「油断大敵です、伊予」
急上昇していた信乃の54型が、唐突にすとん、と真下に落ちる。
もし、フラップが閉じられていなければ、或いは伊予も零式を使用していたならば。
信乃のその『技』について行けたかもしれない。
その技の存在を伊予は失念していた。零式特有の、零式にしか行えない逆転の秘策。
「つばめ返し……」
伊予が呟く。
急上昇の失速を利用した垂直降下。
上昇に振った今の状態では、即座に信乃の動きに対応できない。
真下に落下しながらも器用に体勢を整え、直上へと銃を構える。
だが。
思わず信乃が目を見開く。
信乃と伊予が交錯した直後。
太陽に体を向け、信乃に背を向けたまま。
伊予の伸ばした手の先。
模擬銃の銃口だけが、真っ直ぐ信乃の方へと向いている。
「ここまで『自動演算』済って訳ですか……!!」
チリチリとした感覚が体を刺す。避けようにも、失速状態では思うように動けない。
「ちがうよ、これは私の勘。でも」
伊予が叫ぶ。
「私の勘は結構当たるの!!」
詰みと、詰み。
伊予よりも先に固有魔法で勝敗の結果を悟った信乃が、ああ、そうか。と。思わず苦笑を浮かべる。
やっぱり、伊予は強いですね。
次の瞬間、二人の手にした模擬銃からほぼ同時にペイント弾が放たれた。
「はぁ……まさかあそこで反撃されるとは思いませんでした」
「それでも、結果だけみればハギちゃんの作戦勝ちです。最後のは偶然ですから」
『瑞鶴』へと戻る空の上で、ペイント弾で黄色く汚れた互いの姿を見やりながら伊予と信乃が苦笑を浮かべ合う。
「さっきまでの事は謝ります」
そういって信乃の目が一点に……伊予の胸へと向けられる。
伊予の胸元に広がる模擬弾のペイント。もし胸が小さかったら当たっていなかったかもしれない。
「あたしが間違ってました。やっぱり被弾面積が増えるだけの胸なんて無い方が良いですね」
「私の方こそすみません。こんな近くでもここにしか当てられないなんて、やっぱり少しは練習したほうが良いですね」
「それは嫌味ですか?」
「そんな回りくどい事はしませんよ。ただの悪口ですから」
「成程。垂れればいいのに」
模擬弾を食らったせいで服のあちこちを黄色い塗料で汚しながら、伊予の言葉にふくれっ面を浮かべる信乃。
まるで泥んこ遊びに夢中になった後の子供のようだ。と内心で思うが、同じようにペイント弾で体を汚しながら苦笑を浮かべている自分も、はたから見れば同じ穴の貉なのだろうな、とも同時に思う。
最も、それ以前に、このくらいの軽口で険悪になるような仲ではない。
伊予と信乃の関係を言葉で表すなら、友人であり好敵手。
伊予は兵学校を飛び級で卒業した後、教師としてとどまる事を要請されたものの、それを断り欧州へ渡ったエリート。一方の信乃は速成訓練を受けてすぐに欧州でネウロイ侵攻の初期から戦場を渡り歩いた叩き上げ。
射撃を得意とし、遠距離からの狙撃や一撃離脱の戦法を得意とする伊予と、
まるで水と油のように正反対な二人だが、戦闘に置ける実力に関して言えばほぼ互角。
欧州に来たその年に1日で10機の撃墜をカウントした伊予と、同じく13日で18機の撃墜を記録した信乃。
奇しくも二人共扶桑海軍の記録を打ち立て、乗っているユニットの性能がそのまま模擬戦の結果に反映されるくらいには、互いの実力は伯仲している。
だが、それ以上に、二人の間柄は極めて単純だ。
同じ空母で同い年の、気の置けない友人。
それこそ、互いの気にしている所を互いにぐさぐさと刺し合える程度には親しい間柄である。
「そういえば、さっきの急旋回。あれ、狙ってやったんですか?」
伊予が尋ねる。
それは模擬戦の最中、ロール中に横滑りを利用して更に急旋回を重ねた挙動の事だ。
「ああ。あれですか」
信乃が伊予の言葉に口を開く。
「最初のロール中に足を外に蹴りだしてからエンジンの回転を一旦落とすんです。そうすると体がそのまま横滑りしますが、体を内側にちょっと落としてからエンジンに魔力を叩き込むと、フェイントからの急旋回になるんです。失速からの立て直しの応用ですね」
「ハギちゃんって時々しれっとそういう事思いつきますよね」
苦笑を浮かべる伊予。
「あの技をあたしは特別に『ハギスペシャル』と名付けようと思うのですが」
「それは止めた方がいいよ、絶対に」
苦笑を引っ込め真顔になる伊予。どうしてこの子はそういう事をするのか。
昼下がりの地中海を背に、二人のウィッチはジェノヴァへと、そして、そこに停泊する遣欧艦隊旗艦『瑞鶴』へと向かう。
眼下に広がる地中海の向う、一際目を引く近代的な軍港と、その周辺に広がる昔ながらのロマーニャの漁村らしいカラフルな建物という独特な光景が広がって来る。
二人の見慣れた、現在遣欧艦隊が拠点としている『瑞鶴』の停泊する港町、ジェノヴァである。
「瑞鶴コントロールへ、こちら藤田一番、着艦許可を求めます」
停泊している瑞鶴に藤田が無線で着陸許可を取る。
くるり、と瑞鶴を一周するように上空で旋回し、停泊してる瑞鶴の背後から、飛行甲板にむけて高度を下げる。
空母への着艦とは、身もふたもなく言えば緩やかな墜落に近い。地面に着陸するのと比べ、難易度的にも技術的にも格段の差がある。
最も、扶桑海軍のウィッチ達は速成レベルからして既にこの空母着艦の技術を叩き込まれる為、新人だろうがベテランだろうが余程の事が無い限りは着艦に戸惑うことは無い。
減速と同時に上体を起こし、着艦用のロープに手をかける。ユニットの速度が出過ぎていれば腕だけで体を支えきれずに体ごとロープにぶつかる事になる。それでも止まれるし、そもそもその為のロープなのだからそれでも構わないが、航空母艦勤務のウィッチたるもの、そんな無様な姿を周囲に晒すわけにはいかない。
伊予も信乃も殆どロープをしならせる事無く体を起こし、そのまますとん、と甲板へと降り立つ。
着艦時のロープにはそっと触れるだけ。揺らしたり、握ったりするのは問題外。
それが、扶桑の航空母艦乗りの矜持である。
「お疲れさまでした。今回は上手く着艦出来ましたね、飛曹長」
「当たり前です。なんて言ったってあたしですよ?」
顔なじみの整備兵の言葉に信乃が鼻を鳴らして答える。
「一ヶ月も空母から離れると感覚が鈍るんだって言い訳していた人がどこかにいましたよね?」
「あたしですよ。ユニット傷つけてすみませんでしたね」
そして、その矜持に反すれば少なくとも半年はそれを基にからかわれることになる。
そして更に度が過ぎれば『デストロイヤー』だの『クラッシャー』だの『ついてない』だのと不名誉な異名を付けられる事もある。
そのまま甲板勤務の整備兵に促されて後部の格納エレベーターへ。ウィッチ二人にはいささか大きすぎるエレベーターがゆっくりと下降して格納庫へ。居並ぶ艦載機の合間を縫い、ストライカーユニットが並ぶ艦載ウィッチ達の整備区画へと向かう。
「それにしても、随分派手にやられましたね」
「やられてません。相討ちです」
甲板員が模擬弾のペイント塗れになった零式54型と、その上でしれっとした顔をしている信乃の姿を見て苦笑交じりに肩をすくめる。
ストライカーユニットの整備だけではなく、ペイントの汚れを落とすのも整備兵の仕事だ。普通なら余計な仕事を増やしやがって、と思うのも無理はないが、夜遅くの作業をしている甲板員たちにこっそり菓子や煙草、酒などを差し入れに来るこの小さなウィッチは整備兵たちからすれば割と『話が分かる娘』の部類に入る。
兵士とは言え人間だ。任務に私情を挟むなと言われれば『はいそうですね』と頷くものの、そんな事を口を酸っぱくいってくる上官と、『まあ、これでも飲んで頑張ってください』と言って一升瓶を差し出してくるウィッチなら、口に出さなくとも後者を可愛がったり、人気が集まるのは当然であり、必然的に整備の優先順位が高くなる。
「ハギちゃん、お疲れ様です」
整備兵と話をしていると、背後から声がかかる。
振りかえると、既にストライカーを脱いだ伊予がこちらに向かって歩いてくるところで、それを見た整備兵が思わずばつが悪そうに眼を反らす。
「……どうかしましたか?」
「ああ……いえ。お疲れ様です、藤田中尉」
落ち着かない様子で返事を返す整備兵と、その様子に首を傾げる伊予。
伊予が気が付いているのかいないのか、被弾している箇所は普段から男性乗組員の視線を密かに釘付けにしている部分だ。
そんな部分がペイント弾で汚れた上にべっとりと素肌に張り付いて形を強調している様は、男所帯の甲板勤務では相当に目の毒なのである。
だが、視線に気づかれる事はもちろん、その事を下手に指摘して『あの整備兵が私をいやらしい目で見てました』などと訴えられては、下手をすると軍法会議ものである。
更にそこまではいかなくとも、甲板勤務、特にウィッチと触れ合う機会が多い整備兵は、それこそ普段見られないようなウィッチの
もしそういった場面に出くわした幸運な甲板員などは、うっかりその事を口走ったりしようものならその日の整列で上官からやっかみ交じりの『教育』が行われることもある。そのため、そう言った場合は見て見ぬふりをしつつしっかりとその場面を記憶に刻み付け、決して口外しないのが甲板員達の暗黙の了解である。
「……何というか、もう少し危機感というか、慎みを持ったほうが良いんじゃないですかね、藤田中尉」
ぽつり、と呟きストライカーから飛び降りる信乃。
前線勤務の経験が少なく、男所帯をあまり知らない伊予はそう言った事には割と無頓着だ。
勿論瑞鶴内の風紀が前線と比べて高い水準にあるのも一因であるが、逆に前線経験が長いウィッチの中は男性職員の視線や動向に神経質になる者もいる。
まあ、年頃の少女が行方不明になったと思った自分のズボンが男性兵士のテントから出てきた経験をしようものならその後は自分の立ち振る舞いにも相応に注意を払うようになるのは必然であるし、そういった事案は割と少なくないどころか、腕白な男性兵士たちの中にはそういった事を兎角武勇伝のように語るものまでいる始末である。もし露見すればただでは済まないだろうが。
ちなみにそのせいもあるのか、かの501などは、ウィッチと一般の男性兵士との関りを一切禁止しているらしいが、現実問題、何か『間違い』が起これば、ウィッチだけではなく、関わり合いのあった男性にまで罪が及ぶ上、罪は男性の方が重いので、あながちウィッチの一方的な自衛というだけでなく、男性兵士の安全保障という面でも合理的な措置といえるのかもしれない。
「まあ、ここにいる以上は気にしなくても良いですかね」
無関心を決め込もうとしながらもちらちらと時折視線を短く寄越すだけという、極めて紳士的な態度を見せる整備兵の様子を見て見ぬふりしながら、伊予の元へと歩み寄る信乃。
「改めて、ご苦労様です」
「へ?あ、はい、お疲れ様です、伊予」
ぴしり、と両足をそろえ、海軍式の敬礼をする伊予とは対照的に、だらり、と形ばかりの敬礼をして見せる信乃。仮に新兵教育の場でこんなふにゃっとした敬礼を見せれば即雷が落ちてくるに違いない。
「萩谷、敬礼くらいきちんとしたまえ。今はまだしも、後輩の前でそれをされては示しがつかない」
ほら、こんな風に……。
「え?」
次の瞬間、頭をこつんと叩かれる感覚。
驚いて振り返ると、そこには背の高いショートカットの女性が切れ長の目でこちらを見据えている。純白の士官服に縫い付けられた階級章には三本の線に一つの星。
思わず信乃が背すじを伸ばす。
「新藤少佐!?いつからそこに……」
「つい今だよ。二人が戻ってきたと聞いてね」
ちらり、と伊予を見る。恐らく位置的に気が付いていたに違いない。だからこそのこの敬礼だ。自分にではなく、音もなく自分の背後に立っていた上官である新藤美枝に対しての。
この中尉殿、こう見えてこういうしたたかな所があるのだ。
「それで?萩谷、いつまでそうやって突っ立っているのかな?」
「は。失礼しました新藤少佐。萩谷信乃飛曹長、飛行訓練よりたった今戻りました」
よろしい、と大仰に頷く美枝に促されて信乃が敬礼を解く。
何というか、こういう微妙なユーモアを真顔でするのだ。この親愛なる司令官殿は。
「……伊予……じゃなくて藤田中尉。気が付いていたのなら声を掛けてください」
「目で合図はしましたよ。それに、ハギちゃんが普段からしっかりしていればこんな事にはならない筈です」
「普段からとか、どの口が言いますか?」
「私は真面目ですよ?」
「あたしもです」
「二人共、仲が良くて結構」
こほん、と一つ咳払いをする美枝に伊予と信乃が慌てて背筋を伸ばす。
「ご足労をおかけしました。本来であれば報告はこちらから伺うべきでしたが……」
「ああ、気にしなくていい。それに、その恰好で部屋に入られてもね」
伊予の言葉を遮りながらもくすり、と笑う美枝。ペイント弾でべとべとになった姿で掃除したばかりの部屋を汚されるのはいただけない。
「後、これからはきちんと私に話を通してから訓練を行うように。いつも事後報告で事務を丸投げされては困るよ」
「はい。尽力します」
直訳すれば頑張ります。つまり、結果を出すとは言っていない。
まったくこいつは、という顔で苦笑を浮かべる。大人しそうに見えてその実いざとなれば独断で動くことも厭わなくなってきた辺り、大分先輩たちに毒されてきている。
先日も徹子と信乃が臨時配属されていたガリアのリヨン臨時基地への輸送任務の際、輸送機の中にこっそり補給品を水増しして乗せていたが、そのまま黙認していたらその余分な弾薬ごとリヨンに残りかねないので無理やり降ろさせたばかりだ。
いちいち伺いを立てなければ動けないのはもちろん論外だが、独断が過ぎるのも困りものだ。
「それよりも、わざわざ新藤少佐直々に出向いて来られるなんて、何か火急の事態でも?」
伊予が尋ねる。司令官といっても部隊ごとに気質が異なり、自ら足しげく部下の元に出向くものもいれば、指令室でどっしりと構えるものもいる。前者は度が過ぎれば些か軽く見られ、後者はふんぞり返って偉そうだと言われることもある。
美枝はやや前者よりの中間といった所だろうか。必要とあれば部下の元にも出向くが、意味も無くそれをするような人物でもない。
つまり、わざわざ出向いたという事は、それなりに意味がある。
伊予はそう捉えたのだが。
「……いや、そういう訳じゃ無い」
意外な答え。
きょとん、と似たような表情を浮かべて自分を見返してくる伊予と信乃。あれだけ子供のような喧嘩をしていたのが嘘のように息の合った顔をしている。
仲が良くて結構。
今回ばかりはどうやら徹子の見立ての方が正しかったようだ。
それならば心配は無い。
くすり、と笑みを浮かべ、美枝が口を開く。
「二人共、そのペイントの汚れを落とした後で指令室へ……ああ。急ぎじゃないから、きちんとその汚れは落としてくるように」