1300 ガリア パリ上空
「扶桑の整備兵は優秀ねー。あっという間にミーのユニットも元通りね」
そう言いながらリベリオン製ストライカーユニット『グラマーF4Fワイルドキャット』で空を駆けているのはキャサリン・オヘア。
軍属ではないので自前の革製のフライト・ジャケットに身を包み、既にあがりを迎えているとは思えないほどしっかりとした航跡を描きながら空を走っていく。
その後ろには『紫電41型』を履いた伊予と、『零式54型』の信乃。信乃は先日の士官服ではなく、洗濯が済んだばかりの扶桑海軍の飛行服に袖を通している。
「ていうかあのお風呂の油、キャサリンだったんですね」
ぽつり、と信乃が呟く。
昨日模擬戦の終えた信乃達が戻る前、オヘアは久々の空母の着艦で思い切りやらかし、機体を破損させていた。
その後、油まみれになったオヘアを見て美枝が風呂を勧めたらしいが、成程、あれはその時の名残か。
「お風呂に入るときは体を洗うのが礼儀ですよ」
「ソーリー、次からはそうするねー」
伊予の言葉に悪びれた様子も無く答えるオヘア。どうやら扶桑の風呂が気に入ったらしい。
また入りたいねー、と呑気に呟いているオヘアを見て、思わず伊予が苦笑を浮かべる。
「ウェストハムネット基地まで丁度半分くらいですね。どうします?オヘアさん、少し休みますか?」
「キャサリンねー。ン、まだいけそうね」
久々のフライトを気遣った伊予が提案するが、オヘアは少し思案し首を振る。
「現役の頃はこのくらいの遠乗りはよくある事だったね。『ヒーシ』への強行偵察前の訓練の時はこの二倍は飛んでたねー」
かつてリバウから欧州の最前線への千キロ以上の道のりを毎日のように往復していたのを始めとして、扶桑のウィッチにとって遠乗りは日課の様なものだ。
だが、リベリオンの海軍や海兵隊も負けてはいない。ずんぐりとした見た目とは裏腹に、F4Fもまた、空母での運用を主眼に設計されているため、零式ほどではないが航続能力は非常に高い。
拠点となる基地を転々としながら、前線に向けて長い距離を飛んでいた為、欧州のウィッチに比べリベリオンのウィッチもまた、遠乗りに慣れているものが多い。
「そういえば、そのF4Fって、海軍の物ですか?」
「ノー。いくらミーでも軍のモノにこんなペイントしないねー」
そういってこんこん、と自分のストライカーユニットを叩くオヘア。
「これはミーのお金と寄付とで手に入れたモノね。向うについたらコレも向うに置いて来るねー」
「報国號みたいなものですね」
信乃が納得したように呟く。
まるでテキサスの空の様な派手な水色と白で塗装され、更にはテキサス州の州旗を象ったペイント。
そして、妙に達筆な扶桑語で大きく書かれた『不燃物』の三文字。
「……誰が書いたんですか?それ」
思わず尋ねる伊予にオヘアが答える。
「ここに来る前、アフリカでトモコのフレンドに会ったね。『いらん子』っていう意味らしいね。事情を説明したら大喜びで書いてくれたねー」
どこの誰かは知らないが酷い悪戯だ。きっと陸軍の仕業に違いない。
オヘアに限らず、欧州やリベリオンの人間にとって、扶桑の文字というのは、一種の記号やデザインとして目に映るらしい。
その為、欧州では時折扶桑人からすれば明らかにおかしい漢字などを見かける事があるが、意味を知らなければそれは単にデザインの一部である。
そして、その事を知っている一部の扶桑のウィッチが欧州のウィッチに頼まれ、ストライカー等に扶桑語を書きこむ事も珍しい事ではない。
大抵は相手に合わせて真面目に書いているのだが、たまに悪戯心を発揮した一部のウィッチが相手が読めないのをいいことにとんでもない文字を書きこんでいたりもする。
「そう言えば、前にリベリオンのウィッチのストライカーに『不良』って書いてました」
ぽつり、と伊予が呟く。
「ワッツ?イヨ、フリョウってどういう意味ねー?」
「ええと……ヤンキー?でしょうか」
「別に変じゃないねー?」
首を傾げるオヘア。リベリアンに対しての蔑称としてもつかわれるが、リベリオンでは野球チームにもなるくらいには一般的な俗称だ。
言葉というのは難しい。
「今度あたしも何か一筆書きましょうか?」
「ワオ、全然オーケーね。楽しみにしてるねー」
「止めたほうが良いですよ」
ぽつり、と呟く伊予。信乃の事だ。絶対に碌な事にならない。
「何がいいですかね。『
「オヘアさん。不良の正しい意味が解りました。この子みたいなのです」
「キャサリンねー。シノはヤンキーじゃないね。他に意味があるのですかー?」
「バッドガールとか、クレイジーもそうです」
「んー?どっちもピンとこないね。シノは良い子だと思うね」
きょとん、と首を傾げるオヘア。殺人トナカイと死闘を繰り広げた挙句味方を生贄に捧げ合った経験から言わせてもらえば、バッドガールとはいらん子の事を言うのだ。
それと比べれば、信乃などはまだまだ悪ぶって背伸びをしている子供に過ぎない。
「……ひょっとしてあたし、凄く大人げないですか?」
「うん。基本的にハギちゃんは大人げないよ」
オヘアの言葉に何かを悟った様子の信乃と、何を今さらといった顔の伊予。そんな二人を見て、くすり、とオヘアが笑みを浮かべる。
「二人共いい子ねー。リベリオンに連れて帰って一緒に農業がしたいねー」
「やりましたよ伊予。あがりを迎えた後の再就職先が内定しました。リベリオンで小麦を大量生産です」
「私は嫌です。あがりを迎えたら航空機のパイロットになるって決めてますから」
二者二様の反応を示す扶桑ウィッチ共。
「イヨは飛行機に乗りたいんですかー?」
「はい。軍だと飛ぶ場所が限られますし、ウィッチとして飛べるのは今の内ですから。早くネウロイから空を解放して、自由な空を好きなように飛び周りたいんです」
「素敵な夢ねー。その時はテキサスにも遊びに来て、ミーも飛行機に乗せるねー」
「勿論。ハギちゃんも連れて行きます」
「あたしはキャサリンと農業をするんです。遊びに来るのは自由ですが」
「待ってるねー二人共……ウップス?」
にこやかな笑みを浮かべていたオヘアの顔が唐突に曇る。
「どうしました?キャサリン」
「……何か嫌な感じがするね。これは悪人の気配ねー」
そう呟き表情を硬くするオヘア。
「まさか、ネウロイ……」
「任せて、ハギちゃん」
ぽつり、と呟く信乃の傍らでS-18ライフルを構える伊予。狙撃手らしい無駄のない動きで、周囲に警戒の目を走らせる。
『おいおい。相変わらず失礼な奴だな、植民地人』
聞き覚えのある声に、一瞬オヘアの目が驚いたような色を浮かべる。
「その声、ひょっとして……」
『久しぶりだな、オヘア。二、いや、三年ぶりか?』
涼やかな声が魔導無線に響く。
からかうような、それでいてどことなく懐かし気な口調の声。
「ビューリング……」
二、三度目をしばたたかせ、ぽつり、と呟くオヘア。
その瞳に徐々に懐かしそうな色が灯っていき、そして。
「撃つねイヨ!!アイツは根っからの悪党ねー!!」
「や!!今の絶対そういう流れじゃなかったですよねオヘアさん!!」
慌ててライフルの構えを解く伊予。向うから近づいてくる黒い影は紛れもなく人……それも女性の姿をしている。これだけ目視出来ればネウロイではないのは明らかだ。
「黒いからネウロイの手先ね。撃つね、ミーが責任を持つね!!」
「そういう服ですって!!ていうか民間人がどう誤射の責任を!?」
「ミーのパパは弁護士ね、多分大丈夫ねー!!」
「多分じゃダメです!!後、軍法会議は民事不介入です!!」
戦争映画の無能な指揮官のように、躍起になって『撃て、撃て』とまくし立てるオヘアに伊予が目を丸くする。
さっきまでの振舞いが嘘のようだ。一体何がここまでオヘアを掻き立てるのか。
『ちょっとちょっと!!何で『戦友』に銃を向けられそうになってるんですか先輩!?あの人に昔何をしたんですか!?』
『知らん。大方植民地の野蛮人は人の顔も三日で忘れるくらいの脳しか持ち合わせていないんだろう』
『多分忘れてるのは先輩の方です!!それかそういう事ばかり言ってるからです!!』
「シィット!!そっちこそ、今すぐその嫌味と皮肉しか詰まっていない脳みそ吹っ飛ばしてやるね!!イヨ!!」
「だからしませんって!!」
放っておくとS-18を強奪しそうな勢いのオヘアから慌てて伊予が距離を置く。
『ああもう、イヨ!!シノ!!私よ私!!こっちは私が止めるから、そこのリベリアンを止めて頂戴!!』
「なれなれしいですね。何処のどちら様でしょうか?」
「そうねー!!まずは名を名乗るね!!この不良ウィッチ!!」
たった今覚えたばかりの単語を口に、無線の向うへと叫ぶオヘア。
『何でシノは私に厳しいの!?ああもう、わかったわよ!!こちらHMW、グローリアスウィッチーズ第二航空隊戦闘隊長ジェシカ・イーディス・ジュリエット・ジョンソン中尉及び随行者一名!!合流を求めます!!はい、これでいいのね、シノ!!』
「扶桑では戦いの前に名乗りを上げるのがルールです、名乗ったという事は、そういう事ですね、ジェシー」
律儀に名乗らせておいてこの言い草。
『はあ!?どういう事よ!?島国の面白ルールなんて知らないわ!!ここは欧州よ!!』
「そっちこそ島国じゃないですか」
「うるさいっ!!いいから合流よ、合流!!」
白い肌にアッシュブロンドの長髪、灰色のリボン、灰色を基調にしたブリタニア空軍の制服と、やたらと色素の薄い少女が掴みかかりそうな勢いでオヘア達の間に飛び込んでくる。
いつもは不敵そうな顔をしているが今日は随分と疲れた顔をしている。
ブリタニア空軍の『グレイリボン』ことジェシカ・E・J・ジョンソンの顔を見た信乃が眉をひそめて首を傾げる。
「何ですかジェシー、あたしたちは今作戦行動中です。妨害は国際法違反ですよ」
「ここの空は私達の防空圏内だから、緊急時には従ってもらうのがルールよ」
「緊急事態なんてどこにもないじゃないですか」
「『あの人』が緊急事態なのよ」
そういってジェシカがちらり、と脇へと目を向ける。
「相変わらずで何よりね。まだ空を飛んでいたなんて、そろそろ後進の邪魔にならないように引退したほうが良いね、ビューリング」
「そっちこそ。今さら戻ってきて早速あちこちに迷惑をかけてるみたいじゃないか。オヘア」
底意地の悪そうな笑みを口元に浮かべた長身の女性が、オヘアに向かって笑みを浮かべる。
「欧州にはユーがいる事を忘れてたね。見たくない顔を見て今日は厄日ねー」
「私は会えてうれしいぞ。お前の顔が曇るのを見るのは何よりも楽しいからな」
「……仲、悪いんですかね」
ぽつり、と伊予が呟く。
「さあ。さっきまでは楽しそうにしてたのに……ていうか、今も楽しそうなのかしら……?」
ジェシカの視線の先に伊予と、信乃も目を向けている。
「相変わらずひねくれてるねー」
ふん、と鼻を鳴らすオヘアだが、その口元には攻撃的だが笑みすら浮かべている。
「そっちも相変わらず単細胞そうで何よりだ」
ビューリングも同様。口からは相手に対する罵倒と皮肉しか出てこないが、その目は心底愉快そうである。
「あのー、先輩、そろそろ説明を」
「オヘアさん、その方は何方です?」
ジェシカと伊予が互いのエスコート相手に口を開く。
ちらり、と互いに顔を見合わせたオヘアとビューリング。
「……ミーはキャサリン・オヘア。元リベリアン合衆国海軍大尉ね。ビューリングとは、スオムス義勇独立飛行中隊の頃の、あー……仲間ね」
ややあって先に口を開いたのはオヘア。
わざわざ名を名乗ったのは初めて会うジェシカに対する配慮だろう。しぶしぶといった口調で、特に最後の一言はかなりの躊躇いの後に発せられたように感じた。
「私はエリザベス・F・ビューリング。一応まだブリタニア空軍に所属しているはずだ。かつての仲間が近くに来てると聞いたから、ちょっと顔を見に来てやったんだが……」
「余計なお世話ねー」
「というわけだ。私は何も悪い事をしたわけではないのに」
「私の休日をふいにして空に引っ張りだしたのは悪い事じゃないんですか?」
「コーヒーを奢ってやっただろう?」
「あれはこの前先輩が部隊の銃を勝手に持ち出したことを見逃したお礼って言ってたじゃないですか。後、私は紅茶が良かったんですけど」
「そうか。ならまたコーヒーを奢ってやろう」
「……見るね、あの言い草。まさに極悪人ねー」
肩を震わせるジェシカと悪びれもせずしれっとしているビューリングを見比べ、ぽつり、とオヘアが伊予達の耳元でささやく。
「うぅ、私が何したって言うのよ。先輩に無理やり護衛をさせられたと思ったら喧嘩に巻き込まれて。何なのよ。もう……」
「……大丈夫ですか?ジェシー。コーヒー奢りましょうか?」
「いらないわよ!!あの人が来てからもう一年分は飲まされたわ!!」
くわっ、と顔を上げて噛みつくように怒鳴るジェシカ。相当鬱憤がたまっているようだ。
「ああもう、無茶苦茶なのよあの人。部隊にふらりと戻ってきたと思ったら皆で飼ってたラブラドールを拉致して調教して猟犬に仕立てて、勝手に銃を持ち出して鹿を撃ちに出かけるし、仕留めた獲物をトラックに積んで持って帰って来るし……山中の鹿を駆逐したんじゃないかしら」
「害獣の駆除のついでに食卓に潤いをもたらしてやったまでだ」
「うちの基地の納屋を肉屋みたいにしておいて……まだ残ってるんですからね、あの肉」
基地に居る兵士とウィッチ総出で解体作業に追われたあの日を思い出す。全員血まみれで黙々と鹿を解体している様子ははたから見るとちょっとしたホラーだったに違いない。
「鹿の肉って固いんですよね……」
納屋から大量にぶら下がった鹿の肉を想像して伊予が肩をすくめる。
「そういえば、そこの扶桑のウィッチの使い魔も……」
「う、撃たないでくださいね」
びくり、と信乃が体を竦ませ、その様子を見てくすり、とビューリングが嗜虐的な笑みを浮かべる。
冗談だとはわかっているが、使い魔の方の怯えている感情が伝わってきてどうにも落ち着かない。
「どうしてそれをスオムスでしなかったね。黒パンと塩と豆のスープしか食料が無かった時にそれをやったら英雄だったねー」
「あそこにはやたらと警戒心が強くて狂暴なトナカイしかいなかっただろう。それに、外に出たら寒いからな」
「だからやるべきだったねー。ビューリングが肉を手に入れてもウィン、トナカイに屠られてもウィン。まさにウィンウィンねー」
「成程、これがいらん子中隊ですか……」
ぽつり、と伊予が呟く。
「どうだ、予想以上にいらなさそうだろう?」
伊予の呟きに、にやりと笑うビューリング。
「ええ。でも、お二人共仲が良さそうですね」
「正気?イヨ?」
呆れた様にジェシカが呟く。
「そうねー。こんな奴と宜しくするくらいならまだハルカと……」
「正気か?オヘア?」
「……流石にそれは無いね」
思わず真顔になるビューリングと、同じく真顔で否定するオヘア。
「でも、オヘアさんも言ってましたよね。いつか仲間に合わせたいって。確かその時、ビューリングさんの……」
「ストップ!!シャラップねイヨ!!」
慌ててオヘアが伊予の口を塞ぐが後の祭り。
「ほう……お前がそんな事を、成程な?ほーう?」
「ほらあ、早速調子に乗り始めたね、このブリタニア人……」
にやにやと笑いだすビューリングを見てがっくりと肩を落とすオヘア。
「それで、実際は何の用なんです?ジェシー」
「ウェストハムネットまでの先輩の護衛よ。建前は」
「良く通りましたね」
「申請は出したけど許可はまだ。この人を向うに引き渡せば後は向こうが頭を悩ませればいいだけの話だから」
「見ろ、私はこうやってあちこちの部隊をたらいまわしにされているんだ。仲間達から見捨てられて。悲しい話だろう?」
「自業自得ねー」
大げさに肩をすくめるビューリングと、大げさでもなく本当に疲れた様に肩を落とすオヘア。
「まあ、ウェストハムネットまでまだ距離はある。そっちの自己紹介もまだだ。ゆっくり空の旅を楽しもうじゃないか」
「楽しむ余裕なんて今無くなったねー」
うんざりした顔を浮かべ、オヘアが呟いた。