チリチリするの   作:鳩屋

41 / 60
2-5.STELLA

 1938 リベリオン合衆国 ペンシルバニア州

 

「『ステラ』、いい加減機嫌を直しておくれ」

 その日、彼女の父親は扉越しに声を掛けていた。

「嫌」

「ステラ!!パパが出かける前に出てきなさい!!」

「嫌だもん!!パパが残ってくれるまで、部屋から出ないもん!!」

「ステラ!!」

 母親の怒鳴り声にも部屋の中にいる娘は出てこない。

 泣いているような震え声で大声を上げる娘に、はぁ、と母親も困ったように形の良い眉を潜ませる。

「困ったわね……。あなた、そろそろ出ないと、汽車に間に合わないわよ」

 その言葉に旅行用のコートに身を包んだ若い父親が苦笑を浮かべる。

 そして。

「……ステラ。必ず帰って来るから、その前に顔を見せて欲しいんだ」

「……やだもん。欧州はあぶないって、ラジオでも言ってるもん」

 彼は移民だった。

 欧州のオストマルクの貧しい家庭に生まれた彼は、経済成長の著しいリベリオンに渡り、ペンシルバニアの小さな町工場に努めていた。

 誰よりも努力家だが、その苦労を顔に出さずにいつも温和に微笑みを浮かべ、給金の多くを両親の元へと送っていた為生活は決して楽ではなかった。

 仕事にも慣れ、彼は工場での作業員たちのまとめ役として徐々に周囲から認められ、信頼されるようになっていった。

 そして、そのひたむきな姿に町工場の社長の末娘が恋に落ち、彼の努力を誰よりも見続けていた社長は彼と娘の結婚を許した。

 一人娘が生まれ、そんなささやかながら確かな幸せをかみしめていた折だった。

 故郷にネウロイが侵攻しているというニュースが飛び込んできたのは。

「オストマルクはまだ安全だよ。だから、今のうちに早く行って、おじいさんとおばあさんを連れて帰ってこないといけないんだ」

 1938年に突如欧州に現れた怪異。未だ『ネウロイ』という呼称すらなかったこの頃は、多くの人々が、やがて欧州全域がこの得体の知れない存在に蹂躙されていくなどとは想像すらしていない時代だった。

 否、国の上層部の中にはそう言った可能性を指摘する声も無くは無かった。

 だが、上層部は怪異による危険よりも、次の選挙に備えて国民の混乱を煽らない事を重視していた。

 この時は、まだ。

「……」

 扉越しに呼び掛けて、少しの間待つ。

 だが、扉は開かない。

「……ステラ。僕はもう行くけど、帰ってきたら元気な顔を見せておくれ。おじいちゃんとおばあちゃんと、沢山お土産を持って帰って来るから」

 落胆した顔も見せず、目の前に娘がいる時と同じ笑顔を浮かべて男が語り掛ける。

「あなた、いいの?」

 部屋に背を向けた夫を心配するように妻が話しかける。

「ああ。それに、こっちの方が良かったかもしれない」

 そういうと男は心配そうな妻に向かってにこり、とほほ笑んだ。

「これが最後の別れになるなんて御免だからね。ステラの顔を見るためなら、僕は何があってもここに帰ってこれるよ」

「……あら、じゃあ、私もステラと一緒に部屋に閉じこもろうかしら?」

「勘弁してくれよ」

 僅かに眉の根を緩め、薄い笑みを浮かべた妻を抱きしめて男がその頬にキスをする。

「……早く帰ってきてね」

「わかってる。『オヤジ』にもとっとと帰って来いって言われてるからね。すぐ、戻ってくるよ」

 そういって男が懐中時計に目を向ける。

「……それじゃ。行ってくるよ」

「ええ。行ってらっしゃい、あなた」

 この時誰が予想出来ただろうか。

 ほんの一握りだと思われた怪異の群体があっという間に勢力を広げ、精強だと思われていたオストマルク軍がわずか数か月で瓦解するなどと。

 そのまま、カールスラントやガリアといった大国が欧州から消え去り、多くの人々が戦禍に飲み込まれていくなどと、誰が想像出来ただろうか。

 

 そして。

 

 男は、二度と家に帰る事は無かった。

 

 

 1945 ブリタニア ウェストハムネット基地上空

 

 ―1―

 

 ブリタニアのチチェスターにあるウェストハムネット空軍基地。

 HMW第一航空隊の本拠地でもあるロンドン郊外にあるタングミーア空軍基地のすぐ脇にある農場の跡地に設けられた、元々はタングミーア基地の緊急着陸用の滑走路として整備された場所を拡張して作られた飛行場で、現在はリベリオンの第八航空軍を中心に、多国籍に開かれたウィッチ及び軍用機の運用拠点の一つとなっている。

 とはいっても、すぐ脇に広がる広大なタングミーア空軍基地に比べると、いかにも急拵といった雰囲気なのはぬぐえない。

 加えてなまじ距離が近いため、空から俯瞰して見るとその規模の差が余計に鮮明に見えてくる。

「明らかに差別ねー。どうしてブリタニア人は自分達だけ立派な基地を使って他国のゲストはあんな納屋みたいな建物に押し込めるね」

「飯が不味いだのサービスが悪いだの文句を言う奴ばかりだから、わざわざゲストハウスを用意してやったんだ。文句をいわれる筋合いは無い」

 オヘアの言葉に肩をすくめるビューリング。

 501JFWが解散した現在、この基地が西部方面統合軍(L.N.A.F)のロンドン周辺における拠点となり、ブリタニアに積極的に支援を行っているリベリオンを中心とした統合軍が各国のウィッチや軍用機を受け入れている。

 もしHMWの拠点であるタングミーアに西部方面統合軍が本拠地を置けば、ガリアやカールスラントを始めとする欧州の国々の上の連中が、ブリタニアによる統合軍の私物化などといちいち文句をいいだすのは目に見えている。

 それに、ブリタニアとしても王都の防衛拠点の中に多国籍部隊の中核を置くと指揮系統が混乱する為、HMWと統合軍を分ける必要があった。

 ブリタニアからすれば政治的な対立を避けるために様々な配慮をした上で新しく基地を設けてやったのに、更に文句をいわれてはたまったものではない。

「ビューリングらしくないねー。いつから愛国心に目覚めたね?」

「私はいつも祖国を愛している。新兵の頃無理やり買わされた戦時国債がガリアの解放で紙屑から煙草の資金源に変わったからな。ハイル・ブリタニア。王室万歳だ」

「現金な人ですね」

「伊予。国債は現金じゃなくて有価証券です」

「ハギちゃん。何でも言えばいいって思ってない?」

 扶桑人にしか伝わらない冗談を呟く信乃を呆れた目で見る伊予。

「皆、そろそろ降りるね。日が暮れてからの着陸には自信が無いねー」

 オヘアが脇から口を挟む。一日中飛んでいたので、そろそろ陽が地平線に沈みかけている。

「お前はいついかなる時でも着陸には自信が無かったはずだが」

「昔の話を持ち出さないで欲しいね。今は平気ねー」

 茶化すビューリングにオヘアが答える。

 何故昨日瑞鶴でやらかしたばかりなのにここまで言い切れるのか。

 管制官からの無線指示を受け、ウィッチ達が次々にウェストハムネット基地へと降り立つ準備を始める。

「……あれ?ジェシカさんも『こっち』ですか?」

「私がいると迷惑かしら?」

「そんなことは無いですが……」

 伊予の言葉にジェシカが肩をすくめる。

「今の私はHMWの第二航空隊所属よ。護衛対象もこっちにいるし、わざわざタングミーアに行く必要は無いわ」

「成程、左遷ですね」

「オー、ユーも『いらん子』ね?」

「『グレイリボン』も落ちたものだな」

「……ねえイヨ、あいつら片っ端から撃ち落としていいかしら?」

 揶揄うように口を開く信乃達を見、肩を震わせながら背中に背負ったM1919機関銃に手をかけるジェシカ。

「私の見てないところでお願いします」

 扶桑人らしい事なかれ主義で肩をすくめる伊予が基地へ向けて降下していく。

「……シノ、後で覚えてなさいよ」

 そう吐き捨てて後に続くジェシカ。その後ろを次々と他のウィッチ達が続く。

 次々に滑走路に降りたち、静止したユニットから順に整備兵に誘導れてハンガーへと向かう。

 質素なハンガーだが、基地の目的上様々な国のウィッチが立ち寄る事を見越してか、格納ゲージを始め、多種多様なユニットの予備部品が国別で所狭しと積まれている様は、リヨンのそれとは違いあちこちから資金が集まっている証左の用だった。

「お疲れ様でした、萩谷飛曹長」

 ユニットを固定していた整備兵から突然扶桑語で話しかけらえて信乃が驚いたような顔になる。

 ウェストハムネットには何度か来たことがあるが、扶桑語で話しかけられたのは初めてだ。

「え?ひょっとして扶桑の人ですか?」

「はい。『赤城』から501に移って、解散と同時に一度扶桑に戻っていたんですが、今はここです」

 青年といった雰囲気の整備兵が苦笑を浮かべる。ああ、成程、と信乃が頷く。整備兵が来ている地上勤務者用の被覆は扶桑の整備兵のそれではなく、統合軍所属である事を示す刺繍が入ったリベリオン製のものだ。

「お疲れ様です。それなら欧州の生活にはもう慣れてます?」

「ええ、とっくに。ブリタニア流のこっちの食事にも慣れましたよ」

 多国籍部隊で戦っているのは何もウィッチだけではない。整備や通信、或いは主計課等、多くの扶桑の兵士も同じように、人数の多少はあれども各国にある統合航空戦闘団に移籍している。

 そして、大抵一度多国籍部隊を経験した者は、その経験を生かして再度多国籍部隊に移る事が多く、原隊に復帰するのは長期の任務を終えて本国に帰る直前くらいという者も少なくはない。

「他にも、ここの連中は501から異動した奴が多いんですよ。生まれた国は違いますけど、長い事一緒にいるんで、むしろここが第二の原隊みたいなもんです」

 そういって笑みを浮かべる整備兵にユニットを託してハンガーに降りたつ信乃。周囲を見渡すと、成程、多様な国の整備兵たちがそれぞれの国の訛りのあるブリタニア語で作業に取り組んでいる。

「……あれ?この52型、金星エンジン積んでますね」

 信乃のストライカーを見て整備兵が首を傾げる。

「54型です。新型ですよ、一応」

 信乃の言葉に整備兵が首を捻る。まあ、当然の反応だ。知らない人間が見れば、零式と金星エンジンのニコイチ以外の何物でもない。

「そういえば、飛曹長は『あの人』の護衛で?」

 そう言って整備兵がオヘアの方へと目を向ける。信乃が『そうです』と答えると、一瞬悪戯っぽい表情を浮かべるが、信乃が問い返すより前に直ぐに元の顔に戻ると、お気をつけて、とだけ口を開いた。

 思わせぶりな態度に少し首を傾げる信乃だったが、直ぐに意味を理解した。

 

 オヘア達と合流し、ハンガーを出た瞬間。

「来たぞ!!キャサリン・オヘア元大尉だ!!」

 ぱっぱっ、と、幾度となくカメラのフラッシュの灯りが灯り、メモ帳を手にした男達が一斉にこちらに、否、正確にはオヘアの元へと殺到する。リベリオンにブリタニア、他にも欧州各地、果てには扶桑の人間まで交じっている。

 まるで獲物に群がる小型の肉食動物の群れのようなその勢いに、慌てて信乃達がその場を飛びのくと、護衛対象である筈のオヘアはあっという間に人の波に飲み込まれ、その姿が見えなくなった。

「ワーオ、また増えてるねー」

 呑気そうな声が聞こえてくる。その口調はもうこんな事は慣れっこだと言わんばかりに聞こえた。

「オヘアさん!!まずはここの司令官に挨拶に行かないと!!」

「先に言ってるねー!!ここはミーが食い止めるねー!!」

 まるで戦場でのような言い回しに思わず伊予も、他のウィッチ達も思わず苦笑を浮かべる。

「お前達、奴らにかぎつけられる前に早くいった方がいいぞ」

 リベリオンの英雄オヘアの護衛がすぐここにいる事がわかれば、すぐさま二人して質問責めに合うのは必須だ。

「取材ですか?」

 その言葉に目を輝かせる信乃。一度扶桑の雑誌でもある『世界ノ魔女達(ワールドウィッチーズ)』のインタビューを受けた事があった。

 だが、調子に乗ってあれこれ喋っている内に途中から余計な事を話し過ぎて結局お蔵入りになった苦い記憶から、いつかは長機である若や先輩の坂本や竹井、或いは年の近い下原や管野、陸軍の黒田中尉のように華々しく紙面を飾ってみたいと思っていたのだ。

「お前が何を考えてるかは知らんが、奴等はおっかないぞ。余計な事を言おうものなら、前後の文脈を無視してそこだけを面白おかしく書き立てた挙句、自分達の言いたい事にすり替えてあっという間に自分たちの真実に作り変えてしまう」

「何かまるで経験したような物言いですね」

「スオムスに左遷された『いらん子』達が英雄になるんだ。報道ってのは実に恐ろしい」

 そう言ってポケットから煙草を取り出すビューリング。成程、実体験らしい。

「ビューリングさんは残られるんですか?」

「まあ、な」

 色々と思うところがあるのだろうか。本人のいる前ではそんな態度は見せないものの、少し離れてかつての仲間が取り囲まれている様子を見つめているビューリングの表情は、先程とは少し違って見えた。

「解りました。それでは、後はお願いします」

 ならばこそ、間に入るのは無粋だろう。

 後は任せる事にして口を開いた伊予に、ビューリングが声を掛ける。

「ああ。後お前ら、誰かマッチ持ってないか?」

 ポケットからマッチを見つけられなかったのか、両手を持ち上げるビューリング。

「良ければどうぞ」

 そう言って信乃がポケットからマッチと、まだ封を切っていない扶桑製の『ほまれ』を取り出し、ビューリングへと放り投げる。

 それを受け取ったビューリングが一瞬驚いた顔をするが、直ぐに口元に笑みを浮かべる。

「ちゃっかりした奴だな。私におべっかを使っても何も出てこないぞ?」

 信乃の意図を察し、笑みを苦笑に変えるビューリングに背を向け、伊予達を追って信乃が基地の廊下を歩き始める。

「あんなの持ってたんですか、ハギちゃん」

「配給に入ってたら取っておくと便利です。あたしは吸いませんが、整備兵や、おっかない先輩とかに渡すと喜ばれます」

 伊予の言葉に信乃が答える。

 扶桑の煙草『ほまれ』は他国のそれと比べても質が良く、支給品や酒保でも人気の品だが、喫煙するものが少ないトシゴロのウィッチ達の中では大抵『こんなモノ貰っても』というのが大方の反応である。

 しかし、贈答用と考えれば決して無駄なものではないし、その辺りを良く理解しているのが信乃というウィッチである。

「お菓子と違ってあたしの口は寂しくなりませんし、扶桑のは質が良いので喜ばれます。心づけにはもってこいですよ」

 

 ―2―

 

 新しいが質素な作りの基地の廊下を歩き始める3人。

「司令室ってどこですかね?」

「さあ。でも、一番手前の部屋って事はないでしょ?」

 信乃の呟きにジェシカが答える。大抵偉い人というのは上か奥にいるものだ。

「誰かに聞けば間違いないんですが……」

 そう呟いて伊予が周囲を見渡すが、人の姿は見えない。

「今この基地を護衛しているのはリベリオンでしたよね」

「リベリオン陸軍の航空軍第8軍団。その第56戦闘航空群よ」

 伊予の問いかけにジェシカが答える。かつての宗主国と植民地であるブリタニアとリベリオンは、国民感情はさておき、今でもなお関係が深い国である。

 特に、ブリタニアに関しては、ブリタニア以外では友好国であるリベリオンの影響が強く、主要なリベリオンの部隊の多くもブリタニアに基地を置いている。

 そして、リベリオン陸軍航空軍第8軍団もその一つであり、ブリタニアにおける統合軍でもリベリオンは大きな影響力を持つ。ウェストハムネット基地の護衛にリベリオンの第8軍団の部隊が当てられているのもその辺りが理由だろう。

「56FGって聞いた事あります、確か……」

「『ウルフパック』」

 背後から響く声に、思わず伊予が口を止めて立ち止まる。

 振りかえると、そこにはリベリオン陸軍の制服を着た一人の少女が立っていた。

「群れを成して敵を狩る。宛ら狼のように。さればこその群狼。多くの戦いを経て、いつしか私達はそう呼ばれるようになった」

 いきなり語り始めた少女を前に、ん?と伊予が思わず首を傾げる。

「……ええと、貴女は……」

「リベリオン合衆国陸軍航空軍第8軍団第56戦闘航空群所属、フランチースカ・エストレラ・ガブリシェフスキー中尉。リベリオンではフランセス・ステラ・ガブレスキー。最も、呼び方も階級も、私はそう言ったものにはこだわらない」

 伊予の言葉に少女が口を開く。明るいライトブラウンの髪に、リベリオン人らしからぬほっそりとした体つき。少し眠たげな雰囲気の瞳に無表情も相まって、まるで欧州人形の様な雰囲気だ。

 しかし。

「どっちも呼びにくいわ、フラン」

「……私としてはフランチースカと呼んで欲しいのだけど、何故か皆はフランとしか呼んでくれない。名前が長いのが理由なのだろうか、ジェシー」

「知り合いなんですか?」

 すこし驚いたように伊予が尋ねる。

「この子、元HMWの亡命オストマルク戦闘飛行隊なの。そのころからの付き合いね」

 ブリタニアのHMWは本国のウィッチのみならず、オストマルクを始めとしてダキアやモエシアといった東欧から亡命してきたウィッチ達や、アウストリスやニューゼーランドといった南半球の太平洋諸国からの義勇ウィッチなども積極的に受け入れてきた経緯がある。

 そんな中、リベリオン出身ながらオストマルク出身の父を持つフランも欧州に渡りしばらくはHMWの第303亡命オストマルク部隊の一員としてHMWに籍をおいていた。

 ジェシカと知り合ったのもその時期だ。

「ジェシーには世話になった。ジェシーが居なければ、私は航空ウィッチとしての見込み無しと見做されて、リベリオンの母の元へ送り返されていた。感謝している」

「ええと、フランさん、それで……」

「隊長が貴女達の迅速な出頭を希望した。なので、私はここにいる」

 伊予の言葉にフランが答える。

「つまり、出迎えって事ね」

 ジェシカの言葉にフランがこくり、と頷く。

「……変わった子ですね」

 信乃が肩をすくめる。所謂思春期特有の少し面倒臭い言い回しなのだろうか。

「人の評価を私は気にしない。気にしたところで私の本質に変化はないから」

「変わった子ですね」

「何故繰り返すのか気にはなるが、私は私。自分を曲げる気はさらさらない」

 信乃の言葉にも涼し気な口調で答えるフラン。だが、わずかにその眉尻が持ち上がっているので、少し機嫌を損ねているのかもしれない。

「何を言っても無駄よシノ。この子の頑固さはドロレス隊長でも動かせなかったわ」

 そういって肩をすくめるジェシカ。

「頑固なのは周りの皆。私の本質が変わらない事は解り切っているのに、私には頑なに変化を望む」

「ん。良く解りませんが、フランが変な子だってのは解りました」

「……チビ」

「え?ちょっと待ってください。まさか直球で罵倒されるとは思ってなかったんですけど。あたし、そこまで悪い事しました?」

 いきなりピンポイントで痛い所をついてきましたよ、この西洋人形。

「私を変だって言った。目には目を、歯には歯を。有史以前から伝わる人類の大原則」

「性格は改善できますが、身長は違います。気にしていたのなら謝りますが、多分あたしの方が歯の一本分くらいは酷い事を言われて……」

「はいはい、ハギちゃん。落ち着いて。ええと、フランチースカ中尉、ですよね。案内していただけるって事でよろしいんですよね?」

 信乃の前に割り込むように出ると、伊予が目の前に立つフランに話しかける。

 しかし。

「……今、何て?」

 何故か突然真顔で問い返してくるフラン。

 え?案内してくれるんですよね?

「だから、案内を……」

「違う、その前」

 ちょっと首を捻り、そして、ぽつり、と。

「……フランチースカ中尉?」

 伊予の言葉にフランが雷に打たれたように硬直する。

「もしよければ、もう一度お願いしていいだろうか?」

「フランチースカ中尉」

 何故何度も繰り返させるのか。発音でも悪かったのだろうか。

 疑問に思う伊予の目の前で、しばらく無言だったフランが、ややあって口を開く。

「……貴女の名前を聞かせて欲しい」

「あ、失礼しました。私は藤田伊予です。扶桑海軍中尉で、この子は……」

「イヨ。とてもいい名前だ。とても短いが言葉に魂を感じる」

「あ?はい……そうですか?」

 真っ直ぐな目で見つめられて困惑する伊予。

 そこまで自分の名前に感動する要素があるとは思っていなかった。

「あの、あたしは……」

「それじゃあ行こう。ジェシー、イヨ、チビ」

「シノ!!萩谷信乃ですっ!!」

 信乃の何が彼女をそこまで駆り立てるのか。

 慌てて訂正する信乃を冷たい瞳で一瞥し、一言。

「『彼女は違う』か。お似合いの名前だ」

「『She-no』じゃなくて『信乃』!!『Trust me』で『信乃』ですよ!!」

「はっ」

「……何で今笑いました?ジェシー」

 隣を歩くジェシカをジト目で睨み付ける信乃。

 人の名前を鼻で笑うな。

「私は初対面の相手を変人呼ばわりするような奴は信じられない」

「ハギちゃんも変わってるからあまり気にしない方がいいですよ、フランチースカ中尉」

「待ってください」

「成程。変人は自分が変だと気が付かないという事だな」

「何で」

「そうです。それに、変わっているっていうのは裏を返せば個性ですし、何も変わってない人なんてかえって面白みがありませんから。私はフランチースカさんみたいな人は嫌いじゃないです」

「おい」

「……ふふ、初対面でそう言われたのは初めてだ。大抵はそこのチビ……ああすまん、シノみたいな反応をするからな。少し、照れる……」

「こら」

 そう言いながら、無表情な中にも僅かにはにかんだような笑みを浮かべるフラン。

 何ですかそれ。可愛いじゃないですか。

「……打たれる方になると弱いわよね、シノって」

「一緒になって打ってきた人に言われたくありません」

「大丈夫?紅茶飲む?」

「いりません」

 ここぞとばかりに追い打ちをかけるジェシカ。馬鹿の癖に。

「馬鹿の癖に」

「口に出てるわよ、馬鹿」

「……着いたぞ、お前ら」

 『司令官室』と書かれたプレートの据え付けられた扉の前で、黙れ馬鹿、と言わんばかりの目を信乃に向けながらフランが口を開いた。

 

 -3-

 

「フランセス・S・ガブレスキー中尉、入ります」

 流れるような仕草で扉を叩き口を開くと同時に扉を開くフラン。

 ノックの意味とは?と思う間もなく扉が開かれ、そして、目の前では。

「……部屋に入る前には声を掛けろといったろ、ギャビー」

「掛けました」

「違う。かけてから返事を待て……まあ、声を掛けるようになっただけ進歩か」

 目の前の光景に後ろにいた三人が目を丸くする。

 リベリオン陸軍のフライトジャケットを羽織った背の高い女性が、中年の同じくリベリオン陸軍の制服を着た男の胸倉をつかみ、そのまま自分の頭の上に持ち上げていた。

「は、離さんかゼムケ!!客人の前で無礼だと思わんのか!?」

「見られた以上今さら取り繕っても無駄だろう?」

 じたばたと暴れる男と、耳からぴょこん、と犬の耳を生やした女性を見比べ、フランが首をかしげる。

「……またですか、隊長」

「「「また!?」」」

 思わず後ろの三人が声をハモらせる。

「ギャビー。その言い方だと私がいつもこいつを締め上げているように聞こえるだろ。時々だ、時々」

「「「時々!?」」」

 それでも十分に多い。というか、軍の中で掴み合いの喧嘩等、そもそも起こらない筈なのだが。

「……イヨ、半月に一回は『また』、か『時々』か。客観的に見てどっちだと思う?」

「……『また』かなあ……」

 フランの問いに伊予がぽつり、と呟く。

 どっちもどっちだが、徹子と美枝が言い争ってるのも大体同じくらいの頻度で、大抵その時は『ああ、またか』と思うので多分前者で間違いない。

「『また』だそうです、隊長」

「……そうか。それなら仕方がない」

 肩をすくめてゼムケ、と呼ばれていた女性が男の胸倉をつかんでいた手を放すと同時に、そのまま床に落ちた男がどしん、尻もちをつく。

「酷い目にあった……何故私は毎月の予算を伝える度にこんな目に合うんだ……」

「足りないからだ。群狼を群狼たるに維持する為にはそれなりの予算が必要だ。准将はこの部隊を群狼から一匹狼にする気か」

「足りないものはお前の頭だ。もう少し考えて予算を使え」

「それならば、もう少し熟達したウィッチかP-51を後1ダースは寄越せ。お蔭でレベッカとギャビーがうちのトップエースになってしまった」

「……お取込み中みたいですね。フランチースカ中尉」

 ぽつり、と伊予が呟く。何処の国でも上とのやり取りというのは面倒な物らしい。

 最も、手を出しているを見るのは初めてだが。

「隊長。お取込み中すみませんが、客人を連れてまいりました」

「待って!!そういう意味じゃないの!!」

 そんな中でもマイペースに口を開くフラン。怖い物知らずというかマイペースというか。

 どちらにせよ、取り込み中の上官の間に割って入るなど、並大抵の胆力ではない。

 だが。

「ああ。解っている。エイカー准将、この話は後にしよう」

「……また後で締め上げられるのか」

「お前の態度次第ではな」

 平然と答えるゼムケの言葉にはぁ、とため息をつくが、直ぐにしゃん、と背筋を伸ばした男が伊予達へと向き直る。

「見苦しい所を見せてすまん。私はアーノルド・エイカー准将。第八空軍指揮官だ。このウェストハムネット基地は間借りさせてもらっている立場だが、一応司令官を務めさせてもらっている」

 先程とは打って変わって、温和そうな雰囲気ながら、その実目の奥で鋭く伊予達を見据えるエイカー。思わず伊予達も背を伸ばして向き直る。

「あちこち飛び回ってるから実質私が切り盛りをさせられているのだがな」

「……この口も態度も性格も悪いのはヒューベルタ・A・ゼムケ。こんなのだが一応大佐でこんなのだが一応戦闘隊長を……っ……!?」

「失礼准将。足元に虫が」

 デスクの裏で思い切り上官の足を踏みつけるゼムケ。

 直立不動の姿勢のまましゃんと背すじを伸ばしている姿は、艶やかな黒髪と端正な切れ長の瞳も相まって、まるでハリウッドの銀幕女優のようだが、先程のやり取りを見ている限り見かけ通りの女性ではない事は明らかだ。

「……伊予、呆けてる場合じゃないですよ?」

 信乃の言葉に伊予がはっ、と顔を上げる。

「し、失礼しました。私は扶桑皇国海軍遣欧艦隊『瑞鶴』機動部隊所属の藤田伊予中尉です。こちらは随行している萩谷信乃准尉。キャサリン・オヘア元海軍中尉の護衛の為、こちらに参りました」

「HMW第二飛行部隊戦闘隊長、ジェシカ・E・J・ジョンソン中尉。エリザベス・F・ビューリング大尉の随行です」

 伊予に続いてジェシカも口を開く。何で私が報告に来なきゃいけないのか、という態度を必死に押し殺しているのが見て取れる。

「ああ。話は扶桑海軍及びブリタニア空軍から聞いている。輸送機も昼には到着済みだ。早速輸送機の司令官やオヘア中尉も交えて今後の打ち合わせをしたいところだが……」

「准将。こんな時間だ、食事が先決だろう。それにオヘア女史は今インタビューの最中だ。そんな事だから独身なのだ」

「一言余計だゼムケ大佐!!今まさにそう言うつもりだったというのに!!ああ、藤田中尉、ジョンソン中尉。食事は士官室で用意してある。萩谷准尉もそちらで一緒に取るように」

「良いんですか?」

 信乃が思わず口を開く。

 基本的に瑞鶴では准士官は下士官と同じ食事待遇となる。

 恐らく先程の整備兵の言葉通りなら、下士官の食事は例の味気の無いビーンズスープだろうから、まさに降って湧いた行幸だ。

「言っておくが、准尉殿。ここでの飯など、不味い豆スープか、ただの豆スープの違いしかないぞ。うちのコックは皆ブリタニア人だからな」

 それまでにこりともしていなかったゼムケが信乃に向かって僅かに口元に笑みを浮かべる。

 一瞬きょとんとするが、どうやら彼女なりのジョークらしい。

「残念です。ローストビーフでも食べれると思ったんですが」

「サトゥルヌスの夜にでも来れば食べれたかもしれんな。さっきも聞いていた通り、うちも予算が少ないんだ。使うところでは使い、減らせるところは減らす。戦地の食事など、ストライカーの補給と同じだ」

 信乃の言葉に、にやり、と笑うゼムケ。どうやらそれなりにユーモアがある人らしい。

「准尉の癖に。隊長に失礼です、チビ」

 そして冗談を解さないフラン。

 毎度毎度のストレートな罵倒は結構応えるからやめてほしい。

「ていうかあんた達、ブリタニア人の前で良く食事の文句が言えるわね」

 隣で聞いていたジェシカが呟く。

「ブリタニアの食事文化は素晴らしい。アフタヌーン・ティーは私がブリタニアに来て最も感銘を受けたものの一つだ。味は好みではないがな。中尉殿」

「コークとコーヒーとハンバーガーのキメ過ぎで味覚がおかしくなっているのでは?大佐殿」

 まるで狼のように歯を見せて笑うゼムケに対して、ジェシカが呆れたように肩をすくめた。




・本作品に登場するウィッチ解説 その5

フランチースカ・エストレッラ・ガブリシェフスキー

所属 リベリオン合衆国陸軍航空軍第8軍団第56戦闘航空群
階級 中尉
身長 158cm
年齢 13歳(1944年末)
使い魔 オストマルク・グレイハウンド
固有魔法 不明
使用機材 リパブリカン P-47D『サンダーボルト』
使用武器 M2重機関銃
イメージモデル フランシスカ・S・ガブレスキー

 リベリオン合衆国ペンシルバニア州出身。
 オストマルク移民の父とリベリアンの母の間に生まれた少女。
 欧州で行方不明になった父を追い、ウィッチとして欧州に渡ろうとするが、一度は『航空ウィッチとしての資質無し』としてリベリオン陸軍の試験に落ちる。その後、ブリタニアの亡命オストマルクウィッチ隊に義勇兵として参加した後、ようやくリベリオン陸軍の航空ウィッチに召集された苦労人。
 空戦技術はお世辞にも高いとは言えないものの、魔法力そのものは高い。

ヒューベルタ・A・ゼムケ
所属 リベリオン合衆国陸軍航空軍第8軍団第56戦闘航空群
階級 大佐
身長 164cm
年齢 19歳(1944年末)
使い魔 カールスラント・ポインター
固有魔法 不明
使用機材 リパブリカン P-47D『サンダーボルト』
使用武器 M2重機関銃
イメージモデル ヒューバート・A・ゼムケ

 リベリオン陸軍第56戦闘航空群、通称『ウルフパック』隊長。
 カールスラント移民の両親のもとに生まれ、ウィッチとして発現してからはリベリオンから欧州に渡り、主にダイナモ作戦に従事した後、新人やはみ出し者ばかりで結成された第56戦闘航空群の指揮を任される事になる。
 防御に重点を置いたP-47Dを運用し、大人数のウィッチによる一撃離脱の一斉攻撃を徹底することで部隊全体の撃墜数を底上げし、カールスラント人よりもカールスラント人らしいと言われる程に部隊を規律でまとめ上げて第56戦闘航空群をエース部隊に育て上げた。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。