1430 ウェストハムネット基地 談話室
「ここにいたのね、二人とも」
ウェストハムネット基地内の談話室のソファに、フランと向かい合うようにして座っていた信乃の背後から、唐突に声がかかる。
リベリオンのダイナー風に設えられた談話室には、赤や白を基調としたソファと机が並んでおり、誰かが持ち込んだのか、蓄音機から本土で流行しているビッグバンドの軽快な演奏が流れている。
リベリオンの制服を着たウィッチ達が思い思いに時間を過ごしている様子は、軍隊と言うより放課後のハイスクールのようだ。
「ああ、ジェシー。ジェシーからも何か言ってやってください」
振り返った信乃の言葉にジェシカが眉を顰める。
「何?厄介事なら面倒だからパスよ」
「ジェシーからも信乃に言ってやってくれ」
「……何か解らないけど厄介事ね。絶対に嫌」
今にも回れ右をしそうな顔でジェシカが肩を竦める。
「またフランがごねてます」
「やはり私も出撃したい。もう一度隊長に掛け合えば、或いは……」
「だから無理ですって」
「……まだ言ってたの、フラン」
午前中の検査の後、フランが出撃停止を言い渡された事を聞かされた時にも同じような事を言っていた。
少し遅い時間のカフェテリアに残っていたのはパンとソーセージ以外は味気の無い豆スープと大量のポテトのフライ。
ブリタニア風に設えられられた士官用の食堂よりも、リベリオンのウィッチ達はこの下士官以下用のカフェテリアの味と雰囲気に馴染みが深い。フランも同様で、尉官であるが味はともかく沢山食べれる下士官のカフェテリアの方を利用する方が多い。
パンでソーセージを挟み、ホットドッグのようにして口にそれを押し込んでいるフランを見、ジェシカが溜息をつく。
「出撃停止なんて良くある事。前線に行けば、戦いたくなくても戦わざるを得ない状況だって出てくる。それに、何時状況が変わるかもわからないのに、不貞腐れてコンディションを落としたりしていたらウィッチ失格よ」
「……解ってる。だからきちんと食べている」
フランもそのくらいは理解している。
あのカールスラントの英雄であるルーデル大佐も、着任したばかりの頃は上官と反りが合わず、中々出撃できず悔しい思いをしたと言う。
フランも歳の割には悔しい思いをした事は数えきれないし、それを乗り越えてきた自負もある。
だが、感情を整理するには
そのせいでさっきから一時間近く付き合わされている信乃からすればとんだ災難だが、落ち込んでると思い話しかけたのが運の尽き。
フランは普段はあまり喋らないが、不満が溜まるとそれが一気に愚痴となって口から溢れ出す。彼女なりの気持ちの整理の方法だが、付き合わされる相手からすればたまったものでは無い。
お陰で信乃は何故彼女が仲間であるリベリオンのウィッチ達から『
「愚痴ってお腹が膨れれば少しは気持ちも落ち着くわ。後、疲れも取れる」
そう言って、どさり、と乱暴な勢いで信乃の隣に腰を落とすジェシカ。一応ブリタニア淑女を気取っているジェシカにしては珍しい行動だ。
「……ひょっとして、疲れてます?」
信乃の言葉にジェシカが肩を竦める。
「多少はね。ユニットの整備に原隊との折衝。それと、ゼムケ大佐と明日の作戦の打ち合わせ。ビューリング先輩の異動の手続き。ミス・オヘアは自分の事は自分で済ませてるのに、あの人、私が来るまで何もしないで煙草加えて待ってるの。どうかしてるわ」
「お礼にコーヒーでも入れてもらったんでしょう?」
「よくわかったわね。うんと苦めにされたわ」
「あの人なりのお礼なんでしょう」
「いやがらせよ。間違いないわ」
「コーヒー淹れます?うんと苦めにしますよ?」
「いやがらせね。間違いないわ」
ぶつくさと文句を言いながら、ジェシカが手にしていた瓶とプレートを机の上に置く。
山盛りのポテトフライにパンと豆のスープ。それと、リベリアンなら誰もがおなじみ、コーラの瓶。
来たばかりの時に利用した士官用の食堂はこの時間にはもう閉まっていたので、仕方なしにカフェテリアで残り物を掻き集めてきたが、トシゴロの少女のランチとしては内容も味も些か物足りない。
だが、信乃はその中で目敏く『あるもの』に目をつけた。扶桑では滅多にお目にかかれない代物に、物欲センサーが反応したようだ。
「コーラなんてあるんですか?この基地」
「あるだろう、普通」
コーラを見て首を傾げる信乃と、同じように首をかしげるフラン。
信乃からすれば、否、扶桑のウィッチからすれば、コーラは貴重な甘味である。
扶桑海軍にもラムネのような清涼飲料はあるにはあるが、その大半は扶桑からの補給や現地調達が殆どであり、常に飲めるとは限らない。補給があった時に飲まずにとっておけば、後々ギンバイ等で役に立つくらいには貴重な品物だ。
だが、リベリオンでは事情が異なる。
リベリアンの駐屯するところにコーラ有り。それはリベリアンにとって常識である。
コーラを製造する会社の社長が『我々はリベリオンの軍服を着ているすべての兵士とウィッチが、どこで戦っていようと、またわが社にどれだけ負担がかかろうと、5セントの瓶入りコーラを買えるようにする』と高らかに宣言をし、実際に少なくない資本を投じて欧州の各地に次々とリベリアン向けのコーラを製造する工場を作っている。
更に困ったことに、本来諫めるべき立場の軍部までもがその宣言に強い感銘を受け、工場の責任者に階級を与え特務士官にするなど、全面的な協力を惜しまない姿勢を見せている。その場所も未だネウロイの侵攻を防いでいるブリタニアやヒスパニアなどはもとより、復興したばかりのガリアや、前線にほど近いベルギカやスオムスにもその建設の手は及んでいるという。
甘味、特にコーラはリベリアンにとっては必要不可欠な代物であり、むしろリベリアンがいるところにコーラがない方がおかしいのだ。
控えめに言ってどうかしている。
「あぁ、コーラって最高。もう苦いのは嫌」
コーラの瓶の中身を飲み干し、一息ついたように言い放つジェシカ。
「あのジェシカにそこまで言わせるとは……」
「よっぽど追い詰められてるんですね……」
気の毒そうな顔をジェシカに向ける信乃とフラン。
普段『コーラなんて植民地人の飲み物。野蛮。下品』とでも言いたげな顔をしているくせに、紅茶がないだけでこうもブリタニア人というのは追い詰められるものなのだろうか。
「……それにしても、皆暇なのかしらね」
口の苦みが中和され少し落ち着いたのか、皿に盛られたポテトに口をつけながら、ジェシカがあたりを見渡す。
ダイナー風にしつらえられた談話室には、空軍の制服や飛行服を着たウィッチ達が思い思いに軽食を取ったり、飲み物を片手に談笑をしている。
「……言われてみると、多いな」
フランも首をかしげる。普段なら訓練や任務で、この時間帯に談話室は閑散としているはずなのだが。
そういっている間にもウィッチたちが数名、談話室を覗いて席がないのを確認すると、肩をすくめて部屋を出て行った。
代わりに、見慣れたウィッチが一人、きょろきょろと談話室を見渡して、こちらと目が合うとほっとした顔で近づいてきた。
「ああ、よかった。ここにいたんですね、ハギちゃん」
そういいながら伊予が小走りに三人の座る席へと駆け寄る。
「イヨ、ここが空いている」
「ありがとう、フランチースカ中尉」
フランの言葉に伊予がその隣へと座る。
「何か人が多いみたいですね。伊予」
「ええ。部隊全体に飛行禁止令が出てるみたいですよ」
アイスを口に運びながら、さらり、と口にした伊予に、ジェシカが思わず尋ねる。
「……本当に?そんな情報入ってないわよ?」
「『これ』を待っている間に後ろの人に聞きました」
そういって伊予は手にしたアイスクリームの入ったカップを皆に見せる。
「どうしたの、そのアイス」
「食堂の前で行列ができていたので並んだら貰いました」
「知らないで並んだの?」
呆れた様にジェシカが尋ねる。
「行列って見ると並びたくなるんですよね」
扶桑人は行列が好きだ。流行りの店や映画の新作、何か珍しいことがあるたびに行列を作ってとにかく並ぶ。
むしろ並ぶと何かいいことがあるのではと、何の行列か解らなくてもとりあえず並んでみる事も扶桑では珍しくはない。
「ていうか基地でアイスって。そんなものまであるんですか?」
「あるだろう、普通」
先程と似たような疑問を口にする信乃の言葉に、同じように再度首をかしげるフラン。
リベリアンの駐屯するところにアイスあり。それはリベリアンにとって常識である。
本土では勿論、欧州に遠征する巡洋艦以上の軍艦には必ずアイス製造機を設置し、陸に上がればアイスを製造するためだけの陸上車輌が存在し、アイスを製造する設備を持たない駆逐艦や陸上部隊がウィッチを救助すればそのウィッチの体重と同じだけのアイスが褒美として振舞われ、新造艦に求めるものとして駆逐艦艦長が『アイス製造機』を上げ、なければ作るとばかりに勝手に駆逐艦にアイス製造機を増設し、ついには1945年には待望のアイスクリーム補給専用の特務艦が完成。欧州に到着してしまった。
その名もアイスクリーム・バージ。
その珍妙なニュースに欧州全てに展開していたリベリオン兵士とウィッチが歓喜し、あのパットン提督が直々に歓迎のセレモニーを開き、初めて到着したガリアのパ・ド・カレー軍港はちょっとしたお祭り騒ぎだった。
控えめに言わなくてもどうかしている。
「でも、いいわねアイス。どのくらい並んでた?」
自分が食事をとりに行った時にはそんな行列は出来ていなかった。今から行けばデザートが手に入るかもしれない、といった顔でジェシカが尋ねるが。
「私で終わりました。後ろに並んでいた人が泣きそうな顔をしていたので、情報提供のお礼にハギちゃんの分を渡してしまいましたが……」
「待ってください」
その言葉に信乃が言葉を失う。
「別に頼まれた訳じゃないですし。ちなみに後ろに並んでいたのはエイカー准将でした」
「ちょっと待て」
続いてフランも言葉を失う。
この基地で一番偉い男が下士官やウィッチに交じってアイスを貰いに来ていたのか。
しかも他国のウィッチにおこぼれを恵んでもらうとは。
「アイスの前では皆平等だから仕方がないと准将は言っていました。肩を震わせながら」
「……そんな話聞きたくなかった」
頭を抱えるフラン。
「それよりも、ウィッチや軍用機だけじゃなくて、民間の船や航空機も全部止まっているみたいです」
少しだけ声のトーンを落とした伊予の言葉に皆が顔を見合わせる。
「ちょっと、それって……」
「ジェシカさん、機密」
伊予の言葉にジェシカが慌てて口を閉じ、あたりを見渡す。どうやら耳を立てているものはいないようだ。
「……それってつまり、『アレ』のせいよね?」
「……でしょうね」
つまり、今現在、完全に北海のシーレーンは閉鎖されているという事だ。
「皆不安そうでした。近々大規模な出撃があるんじゃないかって」
「……それでもアイスは食べるんですね」
「そのくらい肝が据わってないとウィッチなんてできないって事だよ、ハギちゃん」
そういいながら伊予がぱくり、とアイスを頬張る。成程、肝が据わっている。
「伊予ほど図太くないんです、あたし。こう見えて繊細ですから」
「は」
「……だから鼻で笑うのは止めてください、ジェシー」
伊予のいう事は概ね合っている。不安だろうが何だろうが、命令があれば一秒でも速く空に上がり、一匹でも多くのネウロイを落とすのが航空ウィッチの使命だ。噂程度で動じていては、空に上がる前に神経が参ってしまう。
「シノ、繊細という言葉の意味を理解しているのか?それとも扶桑のジョークか?」
「失礼ですねフラン。扶桑では真冬の甲板の上で上半身裸で体を布でこすったり、扶桑刀や拳一つで大型ネウロイを葬り去ったりするのが普通ですから。繊細なあたしには出来ません」
「……イヨもそうなのか?」
若干引いた顔を浮かべるフランを見、伊予が慌てて口を開く。
「変な事言わないでくださいハギちゃん。扶桑のウイッチが誤解されます」
「嘘はついてませんよ?」
「それは……そうですけど……いや、でもやっぱりその基準は……」
坂本、若本、西沢、菅野。
海軍の先輩達だけでも思い当たるウィッチが多すぎる。
しかもそう言うウィッチに限って扶桑はおろか欧州でもそれなりに名が知れている。
一応補足するのなら、扶桑でも近接戦闘はあくまで非常時の最終手段であり、訓練でも実戦でも極力避けるように、という勧告は何度も出てはいる。
ただ、一部のウィッチはその非常時や最終手段に至るまでの判断が極めて緩いようで、倒せば官軍とばかりに隙さえあればネウロイを相手にばっさばっさと斬ったり殴ったりしている。
扶桑のイメージが一部の特殊すぎるウィッチ達のせいで斜め上の方向で定着しつつあるのは、同郷のウィッチとしては甚だ遺憾なのである。
何であの人たちは揃いも揃って。
「それに、坂本少佐がスカウトしてきた宮藤軍曹なんて、初飛行で中型ネウロイを共同撃墜したそうですから」
「初飛行?初出撃の間違いだろう?」
思わず聞き返すフラン。自分が初めて飛んだ時など、いきなり垂直に飛び上がって数メートルで地面に落ちた。
程度の差はあれど、初飛行でまともに飛べるウィッチなど滅多にいるものではない。
「あたしもそう思いました。でも、若……あたしの長機が何度読み返しても報告書には確かに初飛行と書いてあったらしいです」
普通のウィッチの間では、初めての出撃でさえ、飛べれば御の字というのが常識である。
仮に飛びたてたとしても、あのエーリカ・ハルトマン中尉ですら、初めての実戦では僚機のロスマン曹長をネウロイと誤認して逃げ回っていたくらいだ。ましてや、初飛行初撃墜など、初めて自動車に乗った人がそのままラリーで優勝するようなレベルの出来事で、信じる信じないという次元の話ではない。
「いっそここまで飛んでこないですかね、宮藤軍曹」
「無茶言わないで下さい。そんな子には見えませんでしたよ」
信乃の言葉に伊予がはぁ、と溜息をつく。これ以上扶桑のイメージをおかしくされても困る。
報告書の誤表記の可能性もあるし、そのせいで面白おかしく話が盛られている可能性も否定出来ない。それに、噂の元が徹子だと言うのも、信乃をからかうために嘘をついたのでは、と思わせる要因の一つである。
それに、信乃は不在だったが、伊予は坂本少佐と共に扶桑へ戻る宮藤軍曹を空母までエスコートした事がある。
信乃がどういう人物像を思い描いているのかは知らないが、とても初飛行で初撃墜を上げるような雰囲気の子ではない。むしろ小柄で可愛らしい、ふわっととした笑顔が印象的な少女だった。
後、やたらと自分の胸を見ていたのはよく覚えている。信乃同様、自分の胸が小さいことを気にしていたのだろうか。
「馬鹿みたい。そんなウィッチがいる訳無いわ」
ジェシカが肩をすくめて口を開く。
「今起きている問題は、今ここにいる私達でどうにかするしかない。そして、ブリタニアの新聞の一面を私の大活躍で飾る。今できるのはそれくらいでしょ?」
「最後が余計ですが、まあ、そうですね」
ジェシカらしい言葉に、信乃が苦笑を浮かべる。
「どうにかできると思いますか?」
伊予の言葉に薄い胸を張るジェシカ。
「できるわよ。私もいる、シノもいる。あんたもいるし、ハルトマン中尉の秘密道具もある。いざとなればフランもいるし、どこに悩む要素があるっていうのよ」
「そうだな。その通りだ」
背後から響く声と、ふわり、と漂う煙草のにおい。
「……前言撤回。ここにあったわ、悩む要素」
「失礼な奴だ。どうやら目上の者に対する口の利き方を知らないと見える」
「私の方が階級は上ですけど。ビューリング少尉」
「ならば先輩だ。ブリタニア空軍はこうも軍紀が緩んでいるのか、嘆かわしい」
「その元凶の大半のくせに……」
どかり、と、信乃とジェシカの間に無理やり座るビューリング。
「狭い。また尻が大きくなったな、ジェシカ」
「何でビューリング先輩までそんな事知ってるんですか!?」
「ジェシー、やっぱり……」
「違……違うわよ!!今のは無し!!無しだからね、シノ!!」
HMWのエース、油断して尻が太る。
タイムズやガーディアン誌に乗る事は無いだろうが、タブロイド紙なら面白おかしく掻き立てそうな内容ではある。
足を組み、まるでそこに最初から座っていたかのような遠慮のない仕草で、隣に座るジェシカに口を開く。
「何故私のコーヒーがない。後灰皿も」
「取りに行けばいいじゃないですか」
「私はもう座ってしまった」
「私も座ってます」
「何故三人も座っている。ここは二人掛けだ」
「……えと……あたし、立ちます?」
即座に危機を察知した信乃が立ち上がろうとするが、その肩をビューリングがぐい、と掴む。
「まあ座っていろ。お前のよこした煙草、中々美味かったぞ」
「いえ、コーヒーと灰皿を……」
「見ろジェシカ。これが理想的な後輩の態度だ」
しまった。変なのに目をつけられた。
信乃の後悔よりも先に、ジェシカがああもう!!と叫んで立ち上がる。
「早くしろ。灰が落ちる」
「早速煙草に火をつけようとしないでください!!全く!!全くもう!!」
肩を怒らせながら小走りにカウンターへと向かうジェシカ。当たり前のように空いた席に体をずらしながら、やれやれ、とビューリングが肩をすくめる。
「ええと、ビューリング少尉……」
「ビューリングでいい。私相手に階級は抜きだ。信乃、だったか?」
「あ。はい……」
ふむ、と信乃を見つめて腕を組む。そして、一言。
「……よく敵の動きに対応していた。もっと無鉄砲なタイプかと思っていたが、准尉の肩書に嘘はないな」
「へ?あ、はい……ありがとうございます……?」
目を丸くする信乃。
恐らく、先日の護衛の時の話だろう。
言動や雰囲気から勝手に若のようなタイプだと思っていたが、若はこんな風に褒めてはくれない。
根が単純な信乃の好感度がたった一言で一気に跳ね上がる。
何ですか、思ってたよりもずっと良い人じゃないですか。
「後は、伊予だったか?」
「は、はいっ!?」
唐突に名前を呼ばれてびくり、と伊予が返事を返す。
「狙撃手の目で周囲を見すぎだ。部隊を率いるのなら、一点よりも全体を見ろ。ウィッチとしてなら上出来だが、指揮官としてはまだ成長の余地があるな」
「……はいっ!!」
その言葉に伊予が頷く。
ビューリングの言う通り、どうしても戦場を見る際には狙えそうな敵を目で追ってしまう傾向にある。視野を広くしろというのは美枝にも、そして、徹子や信乃からも指摘されている。
だが、それが『狙撃手の目』という表現はわかりやすい。漠然としていた癖の正体がわかったような、そんな目から鱗が落ちたような気分だ。
「次から私も九十九式を持っていこうかな……」
「それもいいかもな。後は、フラン」
「……はい」
二人への言葉から、何を言われるのか不安気な表情を浮かべるフラン。
先日の戦いでは気負いのせいもあり、思ったように動けなかったという自覚もある。おまけに意識まで失った。厳しい言葉を覚悟してぎゅ、と拳を握る。
しかし。
「自分の悪いところをきちんと理解しているようだが、消極的にならなくていい。もっと回りを信じろ。お前くらいの腕があれば、空ではふてぶてしいくらいが丁度いい」
そういって笑みを浮かべるビューリング。
思いもがけない言葉にフランが目を丸くする。
「……ありがとうございます!!」
「持ってきましたよ先輩。ほら。ちょっと脇に避けてください」
「……お前は相変わらずだな。ジェシー」
「は?何がです?」
どん、と乱暴に灰皿とコーヒーの入ったカップをビューリングの前に置き、ぐいぐいと自分のスペースを確保すべくソファのビューリングを追いやるジェシカ。
「乱暴なのはよくないですジェシー。あとお尻が大きいです」
「先輩にはもっと敬意を払うべきだと思いますよ、ジェシカさん」
「こんないい先輩に対して失礼な奴だ」
「ちょ……何を吹き込んだんですか先輩!?」
「率直な感想を述べたまでだ」
席を外したほんのわずかな間に何故か篭絡されている仲間たちを愕然とした表情で見つめるジェシカ。
……騙されてる。この子達完全に騙されてる。
ビューリングは問題児であると同時に、非常に魅力的な人物でもある。忌避している者も多いが、同時に慕っている者も多い。
噂ではあの『扶桑海の巴御前』ですら落としたと言うが、流石にそれは噂話だろう。
「……薄い。リベリアンテイストは私の口に合わないと知ってるだろう」
その言葉に完全に言い返す気力を失うジェシカ。代わりに頭を抱え、はあ、と思い切り深いため息を吐き出した。
1900 ウェストハムネット基地 第一格納庫
ウエストハムネット基地のハンガーは近いうちに行われるであろう作戦に備え、整備兵たちがせわしなく動き回っていた。
「おいピーター!!『ジャグ』が優先だ!!『ムスタング』は後に回せ!!」
整備兵長らしき男が受領したばかりのP-51を整備しようとしていた若い整備兵の背に向け怒鳴る。
「久々の『ウルフパック』だ!!ジャグを揃えろ!!」
「扶桑とブリタニアの奴はどうしますか!?」
他の整備兵が尋ねる。
「おい、タケ!!お前スピットいけるよな!?」
「501じゃリネット曹長のユニット任されてたの知ってますよね!?」
先日信乃を誘導した整備兵が整備兵長に向かって怒鳴り返す。
整備中のハンガーははあちこちから響く機材の音のせいで、大声を張り上げなければ声が相手に届かない。
誰も怒って無くともまるで怒号が飛び交っているようなこの場所は、まさに整備兵達の戦場なのだ。
「扶桑のユニットとスピットは任せた!!おいマーティ、お前も手伝ってやれ!!」
そういって尋ねてきた整備兵の背を叩いて送り出す。
「あっちはどうします!?」
「あのお嬢ちゃんのはやらなくていい!!自分でやるんだとよ!!」
そう言って整備兵長が肩を竦める。
彼が501JFWで整備を担当していたシャーロット・E・イェーガー大尉もまた、整備兵にそうそう簡単にユニットをいじらせない事で有名だった。整備はほぼ自分でこなすし、その腕は整備兵顔負けだ。
それでもやむを得ない事情があった時、その独自のチューニングを施した機体を触ることを許されていたのは、ストライカーユニットを知り尽くした整備兵長か、その隣に並ぶ最古参の整備兵だけだった。
「……しかし、いったい何をしてるんでしょうねぇ?」
「さあな。オレ達ゃ整備兵だ。科学者の考えることなんざさっぱり見当がつかねぇよ」
肩をすくめる整備兵の視線の先で、ウルスラが一機のストライカーユニットをいじっている。いくつかの器具を取り付けているようだが、どれも整備兵たちにはなじみのないものだ。
流石に少女一人ではしんどいだろうと、整備兵を一人つけようと申し入れても丁寧に断られた。
そしてそのまま数時間、休みなしでずっと作業に没頭している。
「おぉい!!誰だこのM型整備した奴!!魔導圧縮器の設定がD型になってんぞ!!」
やれやれ、と肩をすくめた整備兵長がウルスラから目をそらし、ポカをやらかした整備兵にむかって雷を落とすべく、肩をいからせ並んだストライカーユニットの方へと向かっていった。
「お疲れねー、ウルスラ」
「カフェオレはそこの机の上に。後そこのファイルを取ってもらえないでしょうか?」
かけられた声に顔を上げず、ウルスラが答える。
「ソーリー、カフェオレじゃなくてコーラしかないね。後、そのくらい自分でやるべきねー」
その言葉にウルスラの手が止まる。
油のついた手を白衣で拭いながら顔を上げると、そこには予想とは違った、だが、よく見知った顔が笑みを浮かべていた。
「相変わらず、集中していると周りが見えなくなるみたいね。よくこんな五月蠅いところで集中できるねー」
そう言って湯気の立つカップを机に置くオヘア。
書類を取る代わりに手近な椅子を引っ張って、ウルスラの声が届くすぐ隣の位置に腰掛ける。
喧騒から少し離れたハンガーの隅で、怒号のような整備兵の声もここなら些かは音量が下がる。しかし、それでも耳障りになるくらいにはうるさい場所だ。
……懐かしい。
ウルスラの脳裏に最初によぎったのは、そんな感情だった。
そう。何年も前。あの寒いを通り越して痛みすら感じるスオムスの薄暗いハンガーで、時間を見つけては実験や研究に明け暮れていた日々。
仲間たちはめったに顔を出すことはなかったが、そんな中でオヘアは時折顔を見せていた。
時折コーヒーや菓子などの差し入れを持って。
「……わざわざこんな五月蠅いところに来るなんて、何か用ですか?」
あの時と同様、そっけなく尋ねるウルスラに、オヘアもあの時と同様に返事を返す。
「別にないねー」
「……そうですか」
あの時と同じように作業に戻ろうとするウルスラに、オヘアが一言。
「仲間と会うのに、理由なんて必要ないね」
「……」
ウルスラがちらり、と視線だけをオヘアに送る。
「戻ってきたらウルスラがいて驚いたね。一体どんな魔法を使ったね」
ウルスラが所属するカールスラント技術省の拠点は新カールスラントにある。時折手紙のやり取りがある際も、その消印は南米の新カールスラントの消印が押されていた。
「……新型ユニットの実地訓練のためにベルギカに滞在していたので」
ベルギカからブリタニアのウェストハムネット基地までは、ストライカーを使えば半日もかからない。
ウルスラのもとにウェストハムネットの西部方面統合軍から507JFW経由で人型ネウロイと思わしきネウロイの報告が入ってからの判断は早かった。
一応ウルスラは未だ507JFWに籍を置いていることになっている。
今は507で地上勤務に従事しているかつての仲間からその報を受けて直ぐ、原隊に一時的に復帰するという書類の手続きをハンナ・フィリーネ少佐に押し付け(いきなり押し付けられたハンナは目を白黒させていた)、ほぼ夜通し必要な機材や道具を準備し、夜明けと共にでドーバー海峡を渡ってウェストハムネットに到着したが、行き違いで輸送機は出発してしまった。
「……あと少し、早く着いていれば護衛のウィッチや、オヘア達を止められたのですが……」
視線を目の前に戻し、ぽつり、とウルスラが呟く。
「ひょっとして心配してくれてたね?」
「『人型』への対策を試すチャンスをオヘアに邪魔されたくなかったんです」
「やっぱりウルスラはウルスラねー」
皮肉めいた言葉にも、オヘアの顔は随分と穏やかだ。まるでこういうやり取りすら懐かしい、と言わんばかりに、二人の口元には笑みすら浮かんでいる。
「あれから何年ね?」
その言葉が何を指しているのか。少しだけ重みを増した気がするオヘアの声から察する。
「5年」
「その間、ずっと準備してきたね?」
「まさか。やるべきことは山積みです。こればかりにかまけている暇はありません」
「それでも、やめなかったね」
やっぱりウルスラは凄いねー、と、あの頃と同じ能天気な口調で言うオヘアにウルスラはぽつり、と一言。
「……やられっぱなしは嫌ですから」
2年前。
1943年に502が人型と接触したと聞いた時は、新カールスラントからすぐにでも飛んできたかった。
1年前もそうだ。人型と接触した、姉の友人でもある扶桑のウィッチの救助が遅れていたら、一体どうなっていたかのか。
ウルスラの脳裏に様々な光景がよぎる。
人型に操られ、仲間を攻撃したハルカの感情の無い瞳、痛々しい針に貫かれ、命の瀬戸際にあっても自分たちの救助を信じた智子とビューリング。
皆が生還できたのは皆の幸運が紙一重で重なった結果。少しでも行動がかみ合わなければ、ウルスラはあの時、生涯の友になるはずだった仲間たちを永遠に失う事になっていた。
いつまでも幸運に頼るのは、ウルスラの、技術者としての矜持がそれを許さない。
「そうね。ミーもそんなの、まっぴらごめんね!!」
がたん、と目の前で音がする。椅子に座っていたオヘアが勢いよく立ち上がる。
「人でも牛でもトナカイでもネウロイでも、舐められたままじゃ本当にただの『いらん子』ね!!」
思わずくすり、と笑みを浮かべるウルスラ。
そう、私たちはずっとそうしてきた。
元居た部隊から文字通り『いらん子』として北の果てに放りだされても、侮られても舐められても、それだけで終わらなかったからこそ、今の自分があり、そして、オヘアがある。
そう。自分は姉のお荷物なんかじゃない。誰からも必要とされていない、哀れな出来損ないなんかじゃない。
そう気づかせてくれたのが、あの『義勇独立飛行中隊』だ。
「……はい」
「つれないねー。そこはもっと乗ってほしかったねー」
オヘアの言葉に肩をすくめる。一応これでも随分社交的になったのだ。久々に会った姉が驚愕するくらいには。
「……でも、オヘアは戦いに参加できません」
「そこをどうにかできないねー?シールドを出す機械とか、魔力を100倍にする機械とか」
「無理です」
「じゃあ応援するしかないでーす!!ファイッ!!ファイッ!!ウルスラ!!」
「オヘア」
「ファイティングスピリットが足りないですか?」
「五月蠅いです」
「了解したね」
ウルスラの言葉に黙って椅子に座りなおすオヘア。
「……思い出したね。ウルスラはいつでもそんな感じだったねー」
「大体みんなそんな感じです」
意味もなく騒がしいオヘアに対してはビューリングが時折絡む以外は割と皆そんな対応だった。
「……ビューリングは?」
「後輩で遊んでるね」
「後輩……ああ、あの子ですか」
後輩というのはあの銀髪の子だろう。
明るく負けん気が強そうで、何よりもいじりがいがありそうなあの雰囲気は、確かにビューリングが好みそうな感じだ。
「……あの子、トモコに少し似てると思うね」
内緒話をするような口調でオヘアが呟く。思わずウルスラの口元に苦笑が浮かぶ。
「……わからなくはないです」
「後でトモコに言いつけるね。一緒に旅行に行く約束をほったらかして、自分の面影がある部下に手を出してるって」
「いいですね。ついでに口止めの扶桑のユニットを送ってもらいましょう」
「ミーは扶桑のお酒を送ってもらうねー」
もしそれが出来るのであれば、智子の事だ。扶桑刀を片手に殴り込んできそうだが、それはそれで楽しそうだ。
『アンタたち、好き勝手言ってくれるじゃない!!あ、あと私とビューリングはそんな関係じゃないから!!誤解しないでよね!!』
いかにも智子が言い出しそうな台詞に思わず二人して笑みを浮かべる。
どうせ3人も集まったのだ。後1人2人増えても変わらない。
「そうですね」
「そうねー」
一瞬の沈黙。
「……無理は禁物ね、ウルスラ」
「……オヘアも。あまり変な事は考えないでくださいね」
周囲の喧騒の中、黙々とウルスラが手を動かす。その様子を、飽きることなくずっとオヘアは見つめていた。