チリチリするの   作:鳩屋

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2-16.St.Anger

 2330 ウェストハムネット基地 医務室

 

 -1-

 

 医務室の長椅子に座り、一人の少女がうつむいている。

 

 薄い検査着とズボン以外は身に着けておらず、足は素足。スリッパをはいたままだ。太腿の前で握られた右の拳は僅かに震え、反対側の手でその拳を握りしめている。

 うつむいた所為で、その癖のないさらりとした黒髪に隠れ、その表情は見えないが、ぎゅっと真一文字に閉じられた唇には僅かに感情が滲み出ている。

 

「……ごめんね……ハギちゃん……」

 

 その口が僅かに開き、震える声が奥から漏れる。

 処置室の扉は固く閉ざされ、その奥では、今でも信乃の治療が続けられている。

 

 信乃の命を救ったのは、奇跡的に数週間前に配属されたばかりの『治癒魔法』を使える新人ウィッチだった。

 もし『彼女』がいなければ、信乃は既に命を落としていたか、例え一命をとりとめても、いわゆる『休眠』状態に陥り、数か月、或いは一生目を覚まさなかっただろう。

 初めて見た重傷者に、あどけない顔をした長い栗色の髪のウィッチは一瞬戸惑った様子を見せたが、ぐったりとした信乃を見て即座に覚悟を決めてくれた。

 

 今でも処置室の奥では、回復魔法と輸血、それに外科手術を同時に平行した治療が休み無しで行われている。

 大規模な作戦を前に、本来であれば、軍医や衛生兵、それに貴重な回復魔法を使えるウィッチの体力を減らす事は好ましくないだろうが、ゼムケは信乃の様子を見、すぐさま数少ない重傷者用の処置室と、この基地で一番腕がいい軍医と回復魔法を使えるウィッチを手配してくれた。

 それだけの厚遇を他国のウィッチである信乃が受けられるのは、それだけ偵察任務というのが重要であるからだ。

 ウルスラのもたらした情報は、それだけの対価を与えるに十分なものだった。

『人型』ではなく『人形』。そして、駆逐艦を用いた『拠点』。

 先刻、処置室から出てきた軍医は、血まみれの手袋を脱ぎながら僅かに笑みを浮かべ、治療は夜通し続くが、生死の境の山は越えたと言っていた。

 その時は一瞬喜んだが、次の言葉に、伊予の心は再び奈落の底に落とされることになった。

 問題は、信乃に残された魔力。

 信乃が伊予との戦闘で消費した魔力量を加味すれば、休眠状態に陥るかどうかは五分五分だという。

 夜中の間に体温が上がってくれば、休眠は避けられるだろうが、もしそうならなければ、信乃は休眠状態に入ったという事になる。

 

 ちらり、と時計を見上げる伊予。気が付けば、10時間以上もこの椅子に座っている。

 

 日の出まではあと6時間と少し。

 

 伊予の検査はすぐに終わった。

 僅かな右腕の打撲以外、体にはかすり傷一つ負っていない。

『人型』……否、『人形』と接触した為、任務終了までの飛行停止を命じられたが、それ以外は何も……そう、仲間に銃を向けるという、本来であれば軍法会議に掛けられるべき事案についても、罰や咎は一切なかった。

 自分の体も経歴にも、一切の傷はついていない。

 信乃が、ハギちゃんが身を挺して自分を助けてくれたから。

 本来ならば自分が命を落とす筈だった状況で、自らの命を引き換えに救おうとしてくれたから。

 何が起きたのか、誰に聞いても曖昧に濁されるだけで、きちんとした事は教えてくれない。だが、状況と記憶、その二つを照らし合わせれば、伊予でなくても容易に答えにたどり着ける。

 

 操られた自分が、信乃を撃った。

 そして、信乃は撃たれながらも自分を助けた。

 

 その結論を胸で反芻する度、口から叫び声が漏れそうになる。

 

 もし、いっそあの時ネウロイに『飲まれて』いれば、こんな思いはしなくて済んだ、と思う反面、そんな思いはしたくない、生きていて良かったと思う自分がここにいる。

 自己保身と自己嫌悪。自らの感情を、もう一つの感情が否定する。自分を許せない自分と、許されたい自分。

 そして、そんな自分をまた自分が否定する。

 

 ジェシカやフラン、それに、先刻合流した502や507のウィッチ達がせめて着替えるように言ってくれたり、カフェテリアから食事を持ってきてくれたが、今の自分にはそれを受け取る資格がない。

 

 出撃が出来ない自分とは違い、彼女達にはやるべきことがある。

 

 次の任務に502と507のウィッチの参加が決まった。部隊の調整や作戦の確認、その合間を縫って、見知ったウィッチも、初めて会うウィッチも、皆、自分を心配してくれていた。

 優しい人たちだ。そして、今、一人にしてくれているのも、彼女たちなりの優しさだろう。

 

 その優しさが解るからこそ、余計に自分が許せない。

 

 時計の針は0000。日付が変わった。

 

 処置室の扉は、まだ開かない。

 

 -2-

 

 どん、という音に、その場にいた皆が顔を上げる。

 

 直枝の拳が壁を殴った音だと気が付いても、皆、どう口を開いていいのかわからない。

 時計は既に0300……午前3時を指している。

 タイムリミットは長く見積もって後2、3時間。

 人気のない談話室に集まった502と507のウィッチ達は、時折時計を見ながら、沈黙の時を過ごしていた。

 

 ウェストハムネット基地に信乃達を搬送し、ヴァルトルートとハルカが司令室に呼び出され、他のウィッチ達は談話室へ集合させられた。

 二人が戻り、それぞれ個室が用意されているといっても、静まり返ったリベリオンのダイナー風の談話室に集まっていた皆は、その場にとどまり続けた。

 普段はレコードの音にかき消されている時計の針の音だけが、静まり返った談話室に響き渡る。

 

「……大丈夫でしょうか、萩谷さん、藤田中尉も……」

 ぽつり、と、美也がヴェスナに呟く。

 

 先程美也が伊予に夜食を差し入れようとしていたが、それを見たヴェスナが止めた。

 今回、一番心を痛めているのは、直枝でも、意識を取り戻していない信乃でもない。

 操られていたとはいえ、自ら仲間を傷つけた藤田中尉だ。

 大丈夫ですよ、とヴェスナが宥める様に口を開く。

 後輩のその優しさは愛すべきところだが、今はその優しさはかえって『彼女』を傷つける。

 藤田中尉……伊予とは初対面だが、空で戦う者、仲間を失ったことのある者なら、その気持ちは痛いほどに解る。

 仮に仲間がネウロイに落とされたのであるのなら、その怒りをぶつける先があるが、今の伊予にはそれが無い。

 オストマルクから撤退する際、自分もまた、多くの仲間が落とされた。

 今でもあの時の事は鮮明に覚えている。

 あの時の悲しみが、怒りが心の底にあるからこそ、自分はカールスラントの義勇ウィッチとして戦い続け、そして、今に至っている。

 もし、その怒りが、全て自分に向いたとするのなら。

 きっと彼女の、伊予の怒りは、今でも自分自身を責め続けている。

 そんな時、優しさは逆に彼女を傷つけかねない。

 もし、萩谷准尉が目覚めなければ、伊予の消えない怒りは、伊予が生きている限り伊予自身に向かう事になるだろう。

 そんな怒りが自身に向けば、たちまちその怒りは自分自身を焼き尽くす。

 今はただ、萩谷准尉が早く目覚め、そして、藤田中尉が自分を許すだけの強さを持っていることを願うだけだ。

 

 こち、こち、と、時計の針は無常に進んでいく。

 

 どんなに願っても、戻りはしない。

 

 -3-

 

「……馬鹿野郎……」

 ぽつり、と直枝の口から声が漏れる。

 時計の針は0530……5時30分を指した。

 まもなく日の出だ。夜は明けようとしている。

「偵察じゃねぇか……お前の一番得意な任務だろ?何しくじってやがるんだよ、萩谷……」

 ぽつり、と呟く声に、その場にいた皆がうつむく。

 直枝と信乃は、いわゆる友人と言えるほど親しい関係ではないのかもしれない。

 だが、同じ時期に欧州へ渡り、同じ東部戦線を経験し、そして、部隊は違うが、輸送任務の引継ぎや、『瑞鶴』へ訪れた際などは顔を合わせては、互いに軽口を叩き合える程度には見知った間柄だ。

 東部戦線から撤退する際、たまたま同じ船に乗り合わせた信乃の零式22型を無断で借用して敵を迎撃したのは良いが、代償としてユニットを大破させ、周囲が引くくらいの取っ組み合いの大喧嘩をして以来の付き合いだ。

 あの頃はお互い子供だった。

 自己主張が少なく、大人しいウィッチだと思っていたので、あの時の無言のパンチは今でも忘れられない。後、無駄に厄介な固有魔法のせいで黙らせるまで時間がかかった事も。

 それ以来、何故か仲良くなったものの、顔を合わせるたびに『ユニットは大丈夫ですか?』と、からかい交じりに尋ねてくるし、対価を払えば物資の融通も利かせてくれるが、逆に機嫌を損ねると手元の物資がどこかへ向かう。護衛任務を上手く利用しているのだ。伊達に『ギンバイのハギ』などと呼ばれていない。

 

 ……そう。思えば長い付き合いだ。

 東部戦線を生き残った扶桑のウィッチで、かつ年が同じウィッチなど、欧州ではもう片手で数えるくらいしか残っていない。

 それ以外の僅かなウィッチは扶桑に戻り、残りの全ては欧州の空に持っていかれた。

 

「菅野さん……」

 いたたまれずにひかりが口を開く。

 

 飛行服を真っ赤に塗らして浅い呼吸を繰り返す信乃と、それを左右から血塗れになりながら支えるジェシカと伊予。

 ベテランのハルカやヴァルトルートから見ても、もう手遅れだと思う程に信乃の傷は深かった。

 だが、直枝は諦めなかった。

 燃料の乏しい伊予とジェシカの代わりにひかりと美也で信乃を支えさせ、愛用していたマフラーを包帯代わりにして応急処置を施し、そのままウェストハムネット基地へ向かうように指示をだした。

 本来であれば同じ中尉で先任であるハルカが指示を出すべき場面だが、ハルカも、そして他のウィッチ達もその指示に黙って従った。

 本来であれば、帰還すべき場所はウェストハムネット基地ではなく、最も近いリュッゲ基地。

 三人が遭遇した『人型』、否『人形』の再襲撃のリスクを考えても、それが正しい判断だっただろう。

 だが、敢えて直枝はウェストハムネット基地へ向かうように指示を出した。

 その理由は一つ。

 信乃を生き延びさせるためだ。

リュッゲ基地の医療施設では、例え連れ帰っても信乃の傷では治療は不可能だろう。

 しかし、ウェストハムネット基地に駐留しているのは統合軍……その中核はリベリオン陸軍の56FG……『ウルフパック』だ。

 リベリオンの物資なら、おそらくは必要な処置が受けられる。

 

 信乃の生命力とリベリアンの人情を信じての、半ば賭けのような判断だったが、幸いにしてその賭けの半分には勝つことが出来た。

 

 だが、残りの半分までのタイムリミットは短い。

 

 日が昇れば、信乃が目を覚ます可能性は極めて低くなる。

 生きているだけ良かった、という言葉はその通りだが、休眠状態になったウィッチが目覚めるまでは短くても数か月から長くて数年。

 孝美のケースは不幸中の幸いで、一度休眠に入ったウィッチの大半は『あがり』の年に命を落とすか、或いは生涯目を覚まさない。

 

 そのことを知っているからこそ、皆押し黙っている。

 今の直枝に何を言っても、信乃の回復以外は何の慰めにはならない。

 ひかりや美也、ハルカといった扶桑のウィッチにとっても、程度の差はあるが、扶桑海軍のウィッチ部隊の旗艦である『瑞鶴』を守る機動部隊のウィッチ達の事は知っている。

 カウハバへ向かう美也の護衛を務めてくれたウィッチ隊の長機は伊予で、いろいろと世話になったし、直枝と行動を共にすることの多いひかりは信乃にこっそりお菓子を貰ったことがある。

 姉である孝美に一度命を救われた事があるという信乃は、護衛任務の引継ぎの最中、『菅野中尉には内緒ですよ』と、こっそり胸のポケットにボンタンアメの箱を二つ忍ばせてくれた。

 ネウロイの巣……『グレゴーリ』を撃破した直後で、扶桑の甘味に飢えていた頃だ。あの時のことは今でも鮮明に覚えている。

 

 まもなく時計の針は垂直を……午前六時を指す。

 

 窓の外から気の早い鳥たちのさえずりが聞こえ、先日から珍しく晴れ渡っていたウェストハムネット基地の空がうっすらと色づいていく。

「……まだ、時間はありますよね……萩谷さん、大丈夫ですよね?」

 今にも崩れそうな笑顔を浮かべたひかりが、ぽつり、と、すがるような声で呟く。

 幸か不幸か、ひかりは親交を結んだウィッチを失った経験をしていない。美也も同様だ。

 美也がひかりの肩に手を当てる。

 ヴェスナもハルカも、そしてヴァルトルートも口を開かない。直枝も黙って空を見上げている。

 邪魔な太陽め。今すぐ頭を引っ込めろと言わんばかりの瞳も、徐々に赤らんでいく空を止めることは出来ない。

 

 そして。

 

 時計の長針が頂点を指した。

 

 0600。午前六時だ。

 

 ただ一人、それまで終始無言だったヴァルトルートが立ち上がる。

「直ちゃん、ひかりちゃん。ボクが様子を見てくるよ。いいね?」

 背筋を伸ばし、前を向き、誰もが聞きたくなかった一言を放つ。

 この場で誰よりも戦果を上げたグレートエースは、同時に、誰よりも多くの仲間を看取ってきている。

 明けない夜はない。 

 だから、誰かが確認しなければいけない。残ったチップの半分の行方を。

「……ああ。任せた」

 拳を握りしめ、辛うじてそれだけを呟いた直枝が、力なくソファに座り込む。

 

 だが。

 

「た、大変です!!皆さん!!」

 

 そういって飛び込んできたリベリオンの制服姿のウィッチの声に、皆が思わず顔を上げる。

 

 先程まで信乃に回復魔法を使っていた新人のウィッチだ。狼狽した様子に、その場にいた皆が一斉に立ち上がる。

「すぐに来てください!!特に菅野中尉!!」

「は?」

 直枝が目を丸くする。いきなり名指しされた事に驚いたが、それよりも、太陽と共に差し込んだ僅かな光明に直枝の顔に僅かな希望が灯る。

「まさか……起きたのか……?」

 ひかりと美也が顔を上げる。ヴェスナも、ハルカも、そしてヴァルトルートも、直枝の言葉に僅かな望みを託し、リベリオンのウィッチを見つめる。

 だが。

「ええ!!そうです、そうですけど!!」

 直枝が首を傾げる。

 何か様子がおかしい。

 

「とにかく大変なんです!!助けてください!!」

 

-4-

 

「嫌です!!あたしはもう大丈夫ですから!!迷惑はかけませんから飛ばせてください!!」

「落ち着いて、ハギちゃん!!」

「怪我人は黙って寝てろ!!」

 

「何だ、何があったんだ!?」

 頭にたんこぶを作ったリベリオンのウィッチに促され、怒号の飛び交う処置室に直枝が飛び込む。

 

 そして、目の前の光景に思わず目を見開く。

 

 目の前では、見たことのあるウィッチと見たことのないウィッチがベッドの上で暴れている信乃を必死に押さえつけている。

「あんな奴、あたしが倒してやります!!あたしは操られてませんし、伊予にあんなひどい事させるなんて、絶対に許せません!!」

「私はどうでもいいから大人しくして!!」

「そうだ!!お前もこっち側だ!!大人しく寝てろ!!」

「本当に怪我してるんですかシノさん!?強い!!力が強い!!」

 両手を伊予とフランが、じたばた暴れる足をウルスラが抑え、その中心で目を覚ましたばかりの信乃が喚いている。

「……萩谷……」

 ぽつり、と直枝が呟く。

 

 時計が指し示している時間は0605。

 文字通り、戻って来れるかどうかの瀬戸際で、信乃は奇跡的に意識を取り戻した。

 明らんだ窓からは光が差し込み、朝が来たことを伝えている。

 ぎりぎりだったが、信乃の生きる事への執着が……というより、『人形』を殴りたいという怒りの感情が信乃を覚醒へと引き戻した。

 

 ウィッチの魔力は精神状態に左右される。伊予を助けられたという安堵感でそのまま休眠するよりも、痛い目にあわせてくれたネウロイへの怒りが残された魔法力を引き上げたのだろう。

 最も、覚醒直後の朦朧とした意識のせいで、その怒りがおかしな方向に向かっているようだが。

「……良かったですね、菅野さん……」

 ひかりが呟く。姉の事を思い出したのか、うっすら浮かんだ涙を手で拭い、にこり、といつものような明るい笑顔を浮かべる。

 だが、直枝の表情はいまいち腑に落ちない、といった様子だ。

「どうしたんだ、あいつ?」

 直枝が隣に立っていたアッシュブロンドの少女に尋ねる。

「……知らないわよ。あんな馬鹿」

 はぁ、と大きなため息をつくジェシカ。それでも、口元はほころび、その瞳には安堵したような笑みの色が浮かんでいる。

 とんだ腐れ縁だ。何度も助け、助けられた。心配をかけたことも、かけられたことも数知れない。

 異国の親友達の馬鹿な姿がまた見られたことに、ジェシカの口元からは自然と笑みがこぼれる。

「菅野中尉じゃないですか!!先程はありがとうございました!!」

 信乃の中では時間の経過があいまいなようだ。

 いっそ能天気とも思えるその笑顔と言葉に、思わず、げ。と直枝が呟く。

「こっちみんな」

「聞いてくださいよ!!皆あたしに出撃するなっていうんですよ!!オラーシャじゃこのくらいの怪我で飛ぶなんてあたりまえですよね!?菅野中尉からも言ってやってください!!あたしは全然大丈夫だって!!」

「お、おう……」

 ちらりと隣を見ると、ひかりと美也が笑みを浮かべて信乃を見ている。

「萩谷さん!!大丈夫ですか!?」

「勿論です、ポケットを撃たれてなかったらキャラメルを分けてあげるんですけど、今度何か融通しますね!!」

 ひかりの言葉に笑顔で答える信乃。

「良いから寝てろ!!」

「雁渕軍曹。刺激しないでください。今のハギちゃんはまともじゃありません」

 そういって再度ベッドに体を押し付けるフランと伊予。

「良かったね、直ちゃん。あの子、すっかり元気みたいだよ」

 後ろにいるヴァルトルートが耐え切れずに笑みを漏らし、ハルカとヴェスナもくすくす、と口元に笑みを浮かべている。

 ……いや、元気すぎるだろ。

 

 肩から力が抜けそうだ。このままでは扶桑のウィッチが更に誤解されてしまう。

 

-5-

 

 曰く、信乃は目が覚めるなり『あの野郎、ぶっ殺してやる』と暴れだしたらしい。

 ぶんぶんと振り回す腕の流れ弾に、リベリオンのウィッチと軍医がまず犠牲となり、部屋に飛び込んできた伊予、続いて知らせを受けたウルスラとフランが慌てて取り押さえ、そして、今に至る。と。

 

 どう考えても頭がおかしい。

 

「あんたも知り合いでしょ?何か言ってやってくれない?」

げんなりとした顔でアッシュブロンドの少女……ジェシカが呟く。

「いや……そういわれてもな……」

 検査着というほぼ全裸の状態でぎゃあぎゃあと騒ぎ立てている遣欧艦隊のウィッチ達。特に伊予。体の一部がぽよんぽよんと揺れている。

 その光景に、おぉ……と思わずため息をつくハルカ。

「前から思ってたんですけど、あの二人っていいですよね……カウハバに来て欲しい……お持ち帰りしたい……」

 扶桑の恥だ。まとめてぶん殴りたい。

「……鎮静剤でも打てばいいんじゃねえのか?」

「打ったわよ、とっくに」

 衝撃の一言をジェシカがさらり、と呟く。東部戦線でヤバめの薬をキメすぎたことの弊害か。或いは、脳内麻薬がどばどばと分泌されているのか。

「マジか」

 マジか。

「ふふん!!最早薬程度であたしを押さえつけられると思わない事ですね!!これでもあたしはぁぁぁっ!?」

 つかつか、とベッドに歩みよった直枝が包帯の上からつん、と傷口のあたりを指で押してみる。

 途端に悲鳴を上げて涙声になる信乃。

 大丈夫。ただの虚勢、意地を張ってるだけだ。

「嘘でしょ!?鬼ですか!?怪我人の傷口を抉るなんてこれだからあ痛たたたたたた!?」

 ちょっと突っついただけでこれだ。どうにか傷口はふさがったみたいだが、ダメージは消えていない。この程度の刺激でこの反応だと、99式の反動ですら激痛に代わるだろう。

 出撃させてもこれでは何の役にも立たない。控えめに言ってゴミ。ただのいらん子だ。

「……もっと強い麻酔とかないのか?この馬鹿を黙らせるくらいの」

「これ以上となると野生動物の捕獲用になります」

「それでいいだろ」

 適当に直枝が答える。安堵と同時に疲れが襲ってきた。とにかく今はひと眠りさせて欲しい。

「良くないです!!何考えてるんですか菅野中尉!?二度と目が覚めなくなりますよ!?」

「それよりも萩谷、オレのマフラーは?」

「知りませんよそんなのあ痛たたたた!?何で!?何が気に入らないんですか!?」

 人のお気に入りのマフラーを駄目にしておいてこの言い草。ついでに今までの分をお返ししておく。これはひかりの分。これは美也の分。これはヴェスナの分。

 包帯の上からつんつんと傷口を突っついているうちに、看護師がえげつない太さの注射器を持ってくる。なんだそれ。人に打っていいやつなのか?

「さっきの倍の鎮静剤を用意しました。これ以上は『休眠』の恐れがあるので、これが限界です」

「マジか」

 マジか。

「いや、嘘!?何ですかそれ?いやいやそんなの打たれてもあたしはあきらめませんよ!?……いや冗談でしょ何それ本気ですか!?いやそんなの絶対無理無理!!大人しくしますから止めて!!絶対痛い奴じゃないですかそれ!!」

 チリチリが身の危険を信乃に訴える。いや、その太い針はどう考えても駄目でしょ。そもそもあたしは痛いのは嫌いなんです。伊予に撃たれた時、正直泣き叫びそうになったんですよ?もっとあたしを労わってください。

 だが、当の仲間は容赦がない。

「お前の傷口よりマシだ。いいから黙って寝てろ」

「ごめんね、ハギちゃん。あとでちゃんと謝るから……」

「観念してください。シノさん」

 フランがぐい、と体を押さえつけ、両手両足を押さえつけていた伊予とウルスラもその力を籠める。

「くっ……あたしは絶対に屈しません!!そんな鎮静剤なんかであたしは絶対に……」

 

 スヤァ……。

 

 秒で夢の国に旅立った信乃を、皆が呆れた様に見下ろす。

 まさに即落ち。それを見ていたウィッチ達も、今までの苦労をねぎらうように互いに苦笑を浮かべ合う。

 

「……少し休む?休めるのかな……」

「そうですね……ふぁ……」

 疲れた顔を浮かべながらも、ひかりと美也が互いに笑みを浮かべ合う。

「ブリーフィングまではまだ時間があるからね、ゆっくり休もう」

 そう言ってヴァルトルートがぱん、と手を打つ。

 これで長い夜は終わり。数時間後にはブリーフィングだ。

「伯爵様、私も一緒に……」

「北海に沈められたくなければ、大人しく一人で寝ていてください」

 平常運転に移ったハルカを睨みつけ、ヴェスナが呟いた。

 

 そんな中、信乃はベッドの上で静かな寝息を立てていた。

 二度と目が覚めない『休眠』ではなく、穏やかな眠りの吐息を。

 閉じられた瞳を覆うその髪を軽くジェシカが撫で、フランと伊予が安堵のため息を漏らす。

 

 鎮静剤には勝てませんでしたよ……。

 

 

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