私と先輩が結婚すべき理由   作:おかぴ1129

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10. いつもより、ちょっとだけ大きい

「……申し訳ございませんでした」

 

 珍しいこともあるもんだ。あの社内随一の稼ぎ頭にして稀代の仏頂面女の設楽が、ハゲ部長に頭を深々と下げている。

 

「……いや、今回の案件はキミでも難しいとは思っていたが……」

「……」

「まぁこればかりは仕方ないな。また明日からがんばってくれ」

「……本当に、申し訳ございませんでした」

 

 ぽそぽそとそんな会話が聞こえ、設楽は再び深々と頭を下げる。設楽もどうして事務所で……みんなの前で頭を下げるかね……謝罪なら、みんなの目のないところでやらなきゃ、皆に注目されるだろうに……

 

「では私はこれから出かけるから。キミも昼飯でも食べるといい」

「はい」

 

 部長は頭皮を必要以上に輝かせて俺達の網膜にダメージを与えつつ、右手をしゅたっと上げて事務所を出ていった。

 

「……」

 

 後に残された設楽は、いつもの仏頂面で自分の席に戻り……

 

「……ふぅ」

 

 と、ため息をついていた。外面だけ見ればいつもの仏頂面だが……俺には分かる。ヤツの仏頂面に、いつもの勢いがない。目が死んでいる。

 

「係長、そろそろ飯にでも行きませんか?」

「……すみません。みなさんで行ってきて下さい」

 

 気を利かせたのだろうか。設楽の後輩にして部下の好青年が、設楽をランチに誘っていたが……あの仏頂面はそれを断っていた。

 

「……分かりました」

 

 あの後輩の子も不憫だ。設楽のことを気遣ってランチに誘ったのに……あの仏頂面の迫力に押されて負けたか。すぐに退散し、仲間内でランチに出かけたようだ。

 

「……」

 

 事務所内の社員一同が次々とランチに出かける中、俺は自分の弁当をカバンから取り出す。

 

「……」

 

 設楽の様子を伺うと……いつの間にやら姿を消していた。俺は、再度自分のカバンの中を覗いた。

 

 実は……俺のバッグの中には、弁当箱がもう一つ、入っていた。

 

 

 数週間前から設楽は、ある大きな案件を抱えていた。

 

 俺は興味が全く沸かないので詳しい話は聞いてない。だが設楽いわく、『もし受注することができれば、むこう10年は売上に困らないレベル』の案件なのだそうだが……とにかく、設楽が取り組んでいた案件は、そんなとんでもない大チャンス……逆に言えば、その分、とても大変な案件だった。

 

 その案件にかける設楽の情熱は半端ではなかった。朝早くから出勤し、夜は終電寸前の時間に帰る。一日中机にかじりつき、情報収集や資料作成……連日の戦略会議と先方との打ち合わせ……昼飯をゆっくり食べるどころか、仕事の片手間で惣菜パンを食べなきゃならんほどの一人繁忙期……それが、この数週間の間の設楽だった。

 

 もちろんその間、俺との昼食の時間はほぼなかった。俺がのんびりと弁当を堪能するその同じ事務所内で、設楽は昼休みの間にも、バシバシとキーボードを叩く日が続いていた。

 

 一度だけ、奇跡的に昼飯を一緒に食べることが出来たのだが……

 

「最近、先輩の卵焼きを食べてないのですが」

「だなぁ……」

「私の心が卵焼きを欲しているのですが」

「そうか。まぁ食べろ」

「……ありがとうございます」

 

 と、いつもに比べて、ややお疲れ気味の仏頂面を見せていた。

 

 ……で、その時に、設楽からお願いされたことがあった。

 

「……あの、先輩」

「おう」

「今の仕事が無事に成功したら、先輩からご褒美を頂きたいのですが」

「なんで俺が……そんなに辛いのか?」

「辛くはないですが、中々にハードな毎日ですから、自分を奮いたたせる意味でも、ハードルを超えた時のご褒美がほしいなと」

 

 まぁ気持ちは分からなくもないが……なぜそれを俺に催促するのか。自分へのご褒美なら、すべてが終わったあとに自分で買うなり作るなりすればいいではないか。なぜ俺が準備する必要があるのか……。

 

 俺の弁当箱から卵焼きを失敬して口に放り込む設楽の横顔は、やっぱりいつもの仏頂面に比べ、勢いがない。かつてない疲労が、設楽の仏頂面を蝕んでいるようだ。普段と比べ、目が死んでいる。瞳のハイライトが薄く、その仏頂面に拍車をかけている。

 

 正直なところ、俺には仕事の重圧というのはよく分からん。責任は常に回避するよう立ち回っているし、疲労がたまらないよう、常に仕事では程々を心がけているからだ。

 

 だが、そんな俺でも分かる。この設楽の仏頂面を見るに、こいつはかなり大変な仕事をしているようだ。

 

 ……こういうことはあまり好きではないのだが……かわいい後輩のためだ。たまには先輩として、一肌脱いでやるとしよう。

 

「おい設楽」

「なんでしょうか」

「お前、好きな食べ物とかあるか?」

 

 ……こいつの座高が、『ピコン』という音とともに、少し伸びた気がした。

 

「ご褒美をいただけるのですか」

「いいから好きな食べ物を言え」

「で、では……」

 

 とりあえず、設楽の仏頂面に少し勢いというか……声にハリが少し戻った。そうだその意気だ。こいつに元気がないと、俺のテキトーな会社生活に、本当の意味で張り合いがなくなる。

 

「あ、あの……」

「なんだ?」

「な、なんでも、いいのでしょうか」

 

 あの、悪夢の佛跳牆(ファッテューチョン)パワポが頭をかすめた……まさかこいつ、『では佛跳牆を』などと血迷った寝言をほざくつもりではあるまいな……

 

「かまわん。常識の範囲内でなんでも好きなものを言え。常識の範囲内でだ」

「では……」

 

 しばらく考えた後に設楽が出した結論は、意外にも、ありふれたものだった。

 

「では先輩……」

「なんだ」

「……メニューはお任せしますから、お弁当を作って下さい」

 

 なんだそれでいいのか……と若干拍子抜けした俺は、卵焼きを口に運びつつ、設楽の顔を見た。

 

「……」

「……」

 

 目に少々覇気が戻った設楽の鼻が、ぷくっと膨らんでいた。

 

 

 そんなやり取りがあり、俺は今日、アイツのために弁当を作ってきてやったのだが……

 

「結果的に約束は守れなかったか……」

 

 口からそんな言葉がぽろりと出てしまう。俺は約束を守ってあいつに弁当を作ってやったというのに……肝心のアイツが、案件を成功させることができなかったとは……

 

 しかし、このまま無駄にしてしまうのも食材に申し訳がたたん。俺は設楽用の弁当と自分の弁当を持って、何処かへと消え去ってしまった設楽を探す旅へと、出かけることにした。

 

 といっても、この会社は雑居ビルの中のワンフロアの中小企業だ。このビルの中で気分転換が出来、さらに会社の奴らがあまり顔を見せない場所となると……場所は限られてくる。

 

「……屋上にでも行ってみるか」

 

 右手に自分の、左手に設楽の弁当箱をぶら下げて、俺は喫煙所のある屋上へと足を運んだ。カツーンカツーンとサスペンス映画のワンシーンのように足音が響く階段を上り、大げさなドアを開いて屋上に上がると……

 

「……いた」

 

 いやがった。屋上入り口から少し離れた灰皿そばのベンチで、こっちに背を向けて一人で空を見上げてやがる。どんな顔をして見上げているのか分からんが、いつもの通り仏頂面なのだろう。一人で屋上で空を見上げる……なんてテンプレートな落ち込み方をしてやがるんだ。

 

「おーい設楽ー」

 

 わかりやすい落ち込み方をしている設楽に声をかけつつ、俺は設楽にとことこ近づいた。

 

「……先輩」

 

 俺の声に気が付き、こちらを振り返る設楽の顔は……ハイライトが消えた死んだ目をしてはいるものの、まぁ、表情そのものはいつもの仏頂面だ。俺は設楽の隣に腰掛け、仏頂面女の膝の上に、俺作の設楽用弁当をぽんと置いた。

 

「ほれ食べろ。約束だったろ。お前の昼飯だ」

「……いりません」

「食べろって」

「だって……私は、失敗しました」

「いいから食べろ。じゃないと今日の分の食材が無駄だ。俺は勝手に食べるからな」

 

 固辞しつづける設楽を放っておいて、俺は自分の弁当箱を開け、勝手にどんどん食べ始めた。設楽の方も最初は遠慮していたが……やがて……

 

「……では先輩」

「おう」

「いただきます」

「おう」

 

 俺が横で弁当を食っているのが気になったんだろうなぁ。おもむろに包みを開き、弁当箱を開けた。だが……

 

「……普通ですね。いつも通りだ」

 

 弁当箱を開いて第一声が、こんな失礼な言葉だった。これはずっと覚えておいてやる。恨み続けてやるぞ設楽。

 

「何が普通だ。俺がせっかく丹精込めて作ってやった弁当に失礼なことを……」

「……ですね。すみません」

 

 意外に素直に謝るあたり、やはり今日の失敗は少々堪えたようだな……まぁいい。説教なんぞする気もないし、する資格もない。慰めるってのはもちろん、元気づけるってのもなんか違う。

 

「いいから早く食べろ」

「はい」

 

 俺に出来るのは、弁当を作ってやる程度がせいぜいだ。

 

 今日はもう、仕事が終わったら早く家に帰って、うまいものを食べて風呂に浸かって、さっさと寝ろ。きっとそれが一番だ。

 

 何も言葉を発することなく、2人で黙々と弁当を食べる。ここがどこかの草原で、草の上で、そして晴天で気持ちいい風でも吹いてりゃ最高なんだが……

 

「……」

「……」

 

 悲しいかな。ここは草原ではなくビル屋上の喫煙所。吹きすさぶ風は冷たく、タバコの臭いが終始漂い続ける喫煙所だ。こんな中でよく平気で飯が食えるなァこいつはと、妙に感心する。

 

「……おっきいですね」

「ん?」

 

 設楽が卵焼きを箸でつまみ、ジッと眺めていた。今日の卵焼きは、いつもよりも大きく作っている。それに気付くぐらい、こいつは俺の卵焼きに慣れ親しんでいることに、今更気づいた。

 

「卵焼き、いつもより大きく作ってくれたんですか?」

「おう。いつもなら一人頭卵一個使ってるんだが、今日は大奮発で、俺とお前の二人分で卵を三個使った」

「三個……」

「喜べ。今日のお前の分は、卵一個半の卵焼きだ。その分いっぱい食べられるし、何より一切れが大きい」

「……」

 

 果たして、仏頂面で卵焼きを眺めるこいつの耳に俺の言葉が届いているのかさっぱり分からないが……こいつはひとしきり卵焼きを睨みつけた後、それを口に運んでいた。そしてその直後、鼻がぷくっと膨らんでいた。

 

「……口の中が、いっぱいになりまふ」

「そらぁ今日の卵焼きはデカいからな」

「めちゃくちゃおいひいれふ。……おいひいれふ」

「ならよかった。わざわざ卵を三個使った甲斐があったよ」

 

 どうやら、卵焼きは美味しかったようだ。こいつの鼻がそう語っている。これでちょっとでも気持ちが上向いてくれれば、悩んだ末に断腸の思いで卵を三個使った甲斐がある。

 

 なんて一人で達成感を感じていたら……

 

「……ん?」

「……」

 

 卵焼きを飲み込んだ設楽が、俺のことをジッと見ていた。相変わらずの仏頂面で、すこ~しだけ眉間にシワを寄せて。

 

「どうした?」

「今日は素直に私の称賛を信じてくれるのですか」

 

 なんだそんなことかと、俺は鼻を鳴らした。

 

「ああ。だってお前、本気で嬉しいんだろ?」

「はぁ」

「なんだその間の抜けた返事は」

「だって……いつも先輩、『その仏頂面で言われても信憑性に乏しい』とか言うじゃないですか」

「言うなぁ」

「だったら、なんで今日は、私が本気で喜んでるって思うんですか」

 

 ……どうやらこいつは、自分のクセに気がついてないらしい。

 

 俺も最近になって気付いたのだが……この、稀代の仏頂面女の設楽は、その仏頂面のせいで中々感情が読みづらい。だが、こいつは本気で嬉しい時や本気で楽しい時、鼻の穴がほんのちょっとだけ、ぷくっと膨らむクセがある。

 

「……ぶふっ」

「?」

 

 こいつは俺の卵焼きを食べて、鼻がぷくっと膨らんでいた。……ということは、こいつは今、本気で卵焼きが嬉しいんだ。その、ぷくっと膨らんだ鼻が、何よりの証拠だ。

 

「ぶふふ……」

「なんですか気持ち悪いですね」

「なんでもない。早く食べろよ。昼休みがなくなるぞ」

「……はい」

 

 設楽は珍しく素直に俺の言うことを聞き、次の卵焼きを口に放り込んでいた。その瞬間、仏頂面女の設楽の鼻がぷくっと膨らんだことを、俺は見逃さなかった。

 


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