私と先輩が結婚すべき理由   作:おかぴ1129

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登場人物紹介

川村咲希:居酒屋『チンジュフショクドウ』アルバイト。恋人は雌牛の花子。
 料理長:厨房の責任者にして和服美人。得意料理は冷やしおしるこ。
  朋美:咲希のバイト仲間。得意技は逃走。

  花子:乳牛。ホルスタイン種。7歳にして現役。咲希の恋人。


あの男女二人組の個室の様子がなんか変
1. 混沌のはじまり


 これから混雑が予想されるであろう19時10分前。後に私達従業員たちの間に困惑と混沌をふりまくことになるその女の人は、唐突に店舗入口に姿を現した。

 

「本日19時より個室の席を予約している設楽ですが」

 

 その『設楽』と名乗ったお客さんはスラッと背が高く、長いストレートの黒髪は、つやつやとしてとてもキレイだ。背が高いから、ベージュのトレンチコートがとても良く似合っている。顔つきはスッキリした猫顔美人で、とてもキレイな顔立ちなのだが……その眼差しは、目が合う私たちの心臓にグサッと突き刺さってくるほど鋭い。

 

「え、えーと……ご予約いただいた設楽さま……ですか?」

「はい」

 

 バイト仲間の朋美ちゃんが、冷や汗を垂らしながらそのお客さん……設楽さんの応対をしたのだが……

 

「はい……えーと……」

「なにか」

「いや、えっと……」

「?」

「そ、それでは、お席にご案内……いたし、ます」

「ありがとうございます」

 

 この設楽さん、ものすごく無愛想な表情だ。眉間にシワが寄っているようにも見えるその険しい眼差しで朋美ちゃんを見つめるものだから、なんだか朋美ちゃんに対して『私は不愉快です』というオーラを叩きつけている風にも見えてしまう。

 

 そんな状態に困惑しつつも、冷や汗混じりの朋美ちゃんは予約表で個室席の番号を確認し、顔中に斜線を引いた笑顔で、設楽さんを予約席へと案内していった。

 

「予約は個室でお願いしたのですが……大丈夫でしょうか」

「だ、大丈夫ですよ? キ、キチ、キチンとご用意しております……」

「ありがとうございます」

 

 そんなやり取りをしながら、私たちがいる入口から離れて、お店の奥底へと消えていく二人。後ろ姿だけ見ていてもわかる。朋美ちゃん、ものすごく困ってる……よっぽどあの設楽さんの不愉快オーラが強いんだろうなぁ……

 

「ようおつかれさん。予約してたお客さん、来たの?」

「あ、オーナー」

 

 と、朋美ちゃんとお客さんの二人が、店の奥の個室へと消えていく様子を眺めていたら……今日は珍しく顔を見せているオーナーが、私の背後にいつの間にか立っていた。何を隠そう、あの設楽さまの予約を受けたのが、たまたま今日ここにいたオーナーだ。死んだ魚みたいな眼差しがチャームポイントだそうな。料理長がそう言っていた。

 

「あれがお客さん?」

「はい……」

「? どうかしたの?」

「いや、あのお客さん、ものすごーく愛想が悪いものですから……」

「ほーん……」

「なので、オーダーを取りに行くのも気が滅入るなぁと思いまして……」

「ふーん……ま、何か問題が起こったら呼んでよ。がんばってちょうだい」

 

 グチに近い私のセリフを、死んだ魚みたいな濁りきった眼差しで聞き流したオーナーは、私の肩をぽんと叩いた後、厨房の向こう側にある事務所へと消えていく。その背中は大人の男性にあるまじき矮小さで、どう見ても経営者の威厳や大人の貫禄は感じられない。猫背でヘコヘコと歩いていくさまは、どう見ても疲れ切ったうだつの上がらない中年男性だ。そんな人がなぜこの店のオーナーにまで上り詰めたのか、それがとても気になる……。

 

「ただいまぁ〜……疲れた……」

「朋美ちゃんおかえり。あのお客さん、どうだった?」

 

 ほどなくして、朋美ちゃんが厨房に帰還。設楽さんの相手はとても気を使うらしく、今日のバイトが始まってまだ30分ほどしか経過してないというのに、朋美ちゃんはすでに疲れ果て、げっそりとやせ細っていた。なんだかエジプトのミイラみたいに疲れ切ってる……。

 

「どうもこうもないよ……『ドリンクはどうしますか?』て聞いただけなのに、ギロッて睨んで『連れが来てからでいいですか』て言ってくるし……」

「言ってることは普通なんだけどねぇ……」

「だけどあんな不機嫌にされたら、何か失敗したのかってそわそわしちゃうよ……」

「わかる」

 

 うーん……やはり第一印象の通り、なんだか見ていて不愉快オーラが立ち込めている人のようだ。いるんだよねぇそういう人……本人にそんなつもりはなくても、自分の周りに不愉快オーラを振りまく人がさ。

 

「……とりあえず、そのツレの人を待とっか朋美ちゃん」

「うう……次呼び出されたときは咲希ちゃんが行ってよ」

「ぅええ」

 

 なんて、客商売にあるまじき会話を朋美ちゃんと交わし、嵐の前の静けさの中で佇むこと数分……

 

「今日、7時から『設楽』で予約を取っているはずなんだけど……」

 

 入り口から入ってくるなり私達に向かって直行し、そんなことを話す男性客が訪れた。少なくとも私よりは年上の男性で、髪は長いとも短いともいえない、ずいぶん中途半端な長さだ。なんだか顔に締まりがなくて、あまり仕事が出来るタイプではなさそうに見える。

 

 ただ、さっきの設楽さんに比べたら、幾分人当たりが良さそうな柔らかい眼差しをしている。……いや待て。この人の眼差しが普通なんだ。設楽さんの目が険しすぎるから、そう思っちゃうんだよ。

 

「あ、はい! 設楽様ですね!」

「おう」

「それではお席にご案内いたします!」

「頼む」

「はい。じゃあとも……」

 

 私はそう言って、ついさっき設楽さんを案内した朋美ちゃんに、この男の人の案内をお願いしようと思ったんだけど……

 

「……ッ!」

「? 朋美ちゃん?」

「……ッ!! ……ッ!!!」

 

 朋美ちゃんは目にいっぱいの涙を浮かべながら、私の右腕の袖をちょこんとつまんで、イヤイヤと顔を横に振っていた。

 

「えーと……」

「……ッ!! ……ッ!!!」

「……じゃあ、私がご案内いたします」

「おう」

 

 仕方ない……朋美ちゃんは行きたくないみたいだし、私が案内するしかないか……意を決し、私はこの男の人を席まで案内することにした。

 

 設楽さんが待ち構える個室席は、この店の最奥にある。私はその男の人と共に、その個室席へと歩いて向かう。

 

「……」

「よっ……と」

 

 その男の人が、私の背後で羽織っていた紺色のコートを脱いだ。さっきは気づかなかったのだが、この人も設楽さんと同じで、結構背が高い。体型はわりかし細身なので、『デカい』というよりも、スラッとしている印象だ。体型だけで見ると、あの設楽さんともお似合いの二人とも言えるんだけど……

 

「ぬぼー……」

「……」

「ん?」

「……あ、失礼しました」

「いや、別にいいけど」

 

 なんだか顔つきが『ぬぼー』としててずいぶん気が抜けた印象だから、どうしてもこの人が仕事ができるようには見えない。そんなところが、あの設楽さんとは対象的だ。

 

 そういう意味では、まるで正反対のこの二人が、なぜ居酒屋の、しかも個室で会っているのか……それがどうしても気になってしまう。

 

 最初は、二人はお付き合いをしているのかとも思ったのだが……どうにもこうにもそんな風には見えない。(失礼だけど)あのドギツい設楽さんとこの間抜けな感じの男の人が、ベタベタイチャイチャしている様子がイメージできないのだ。

 

 ひょっとして……

 

―― えっと……俺、また何か失敗しましたか?

―― まったく……あなたは上司である私の顔にどれだけ泥を塗れば気が済むんですか

 

 こんな感じで、実は二人は上司と部下の関係で、今晩、この人はあの設楽さんに厳しい追求と叱責を受けることになるのではないだろうか……

 

 あるいは……

 

―― 鳴きなさいこの豚野郎ッ! いい声で鳴くのですッ!!

―― ブ、ブヒィィイイ!!!

 

 そんな、ドライかつ爛れた関係の二人というのも、否定出来ない気が……いやいや。

 

 こんな具合で、不謹慎な妄想が止まらない頭の回転をなんとか沈めつつ、設楽さんが待ち受ける個室席の前まで来た。

 

「失礼いたしまーす」

 

 念の為、声をかけた後、個室席を仕切っている障子を開く。

 

「うっ……」

 

 途端に、個室内に充満していた不愉快オーラの気が、私の全身にまとわりついた。

 

「……何か」

 

 そしてそれと同時に、室内で静かに佇む設楽さんが、その険しい眼差しで私を睨みつける。……いや本人にそんなつもりはないだろうけれど、どうしても睨まれているように見えてしまう……

 

 そんな個室の雰囲気に押され、私が声を失っていたら……私の背後にいた男の人が、私よりも先に個室に入っていった。ぬぼーとした顔のまま、この瘴気に満ち溢れた混沌の魔窟へ平然と足を踏み入れるこの人のことが、私は最初信じられなかった。

 

 そして、私が信じられなかったのはそれだけではない。二人が交わす会話もまた、常軌を逸した信じがたい内容だった。

 

「おーう来たぞー」

「お待ちしてました先輩」

 

 先輩!? 先輩とな!? このぬぼーとして、どことなくうちの無気力オーナーに似た雰囲気のこの人が!? 設楽さんの先輩!?

 

「なんだ。俺たちだけか」

「他に人がいた方が良かったですか?」

「いや、そういうわけじゃないけどな」

 

 相手を視線だけで殺しそうな設楽さんの眼差しに、この男の人はまったく動じない。それどころか二言三言言葉をかわしつつ、ぬぼーとした顔で平然とコートをハンガーにかけ、設楽さんの差し向かいに座り、何食わぬ顔でメニューを眺める。

 

「そ、それではッ! ご注文が決まりましたら! よ、呼んでくださいッ!!」

 

 数々の想定外の事態に呑まれ、私はもう定型文をかろうじて口から発することが精一杯だ。いつもの決まり文句をなんとか口から絞り出した後、障子をピシャリと閉じて、逃げるようにその場をあとにした。

 

『先輩は何を飲みますか?』

『俺か? 俺はー……』

 

 去り際にそんな会話が聞こえた気がするけど、それも信じられない……あの男の人が先輩で、設楽さんが気を使う立場だと……!? あの雰囲気で、力関係は設楽さんではなく男の人の方が上だと!? あの設楽さんが!? 視線だけで人を殺しそうなあの設楽さんが!? ぬぼーとしている男の人よりも!?

 

 さっきの私の妄想が、形を変えて私の頭を駆け巡る。ひょっとして……

 

―― 店員の子を視線だけで萎縮させやがって! この仏頂面がぁあッ!!

―― も! 申し訳!! ございま……あうッ!?

 

 こんな具合で、あの男の人、二人きりになると性格が豹変したりするのだろうか……!? 分からない……あの人たちのことが、さっぱり分からない……!?

 

 私は普段とは明らかに異なる方向へと異常回転している頭を抱えながら、急いで厨房へと戻っていった。

 


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