私と先輩が結婚すべき理由   作:おかぴ1129

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5. 混沌のおわり

 ……また頭が混乱してきた。つい今しがた、あの個室へと食後のお茶を運んだときのことだ。

 

『失礼いたしまーす! 食後のお茶をお持ちしました!』

 

 今度こそ洗脳の証拠をつかもうと決意して障子を開き、個室に入ったのだが……その瞬間に気付いた。個室の中の空気は、さっきまでと比べて重苦しさが緩和されていた。

 

『はいどうぞ』

『ありがとうございます』

 

 さっきとは明らかに異なる場の雰囲気に戸惑ったものの、私は気を持ち直し、二人の前で急須からお茶を淹れる。まずは設楽さんにお渡し、その様子を伺ったのだが……設楽さんは先程と異なり顔色が普通に戻って、心持ち元気になっているように見えた。相変わらず不愉快そうな顔してるけど。

 

 一方で……

 

『……はい、どうぞッ!!』

『……おう』

 

 敵意むき出しでセンパイさんの前にお茶を差し出したときに気付く。さっきの設楽さんほどではないが、今度はセンパイさんの顔色が少々おかしい。体調を崩した時ほどひどくはないが顔色が悪く、どこかしょんぼりとしていて元気がない。なんだか肩を小さく狭めて、猫背で自信がなさそうな、そんな感じの雰囲気だった。

 

 厨房に戻りながら、私は必死にその理由を考える。さっきまであれだけ元気がなかった設楽さんに代わって、今度はあのセンパイさんの様子がおかしい理由はなんだ? 支配しているはずの設楽さんから手痛いしっぺ返しを食らって、しょぼくれて落ち込んでしまった? ……いやとてもそういう風には見えなかったけどなぁ。

 

 悩めども答えが出ないまま、私は厨房に帰還した。

 

「あ、川村さんおかえりなさい」

「ただいま戻りました料理長」

「……で、どうでした?」

 

 厨房では、料理長が私の報告を待っていた。私は今しがたの個室の様子を改めて料理長に伝える。幾分空気が柔らかくなった室内と、調子が戻った設楽さん。そして、自信なさげにしょんぼりしていたセンパイさん……。

 

「……というわけで、個室の雰囲気は幾分和らぎました。でも……」

「今度はセンパイさんの方が落ち込んでいる……てことですか」

「はい。……どうしましょう?」

「……」

 

 私の報告を聞いた料理長は顎に手を添え、しばらく考える素振りを見せていたが……やがて意を決したようで、個室の方をキッと睨み、そして口を開いた。

 

「……分かりました。では私が様子を伺ってきます」

「ぇえ!? でも様子なら私が見てきますよ?」

「いえ。すでに事態は川村さんが解決できる範疇ではないかもしれません。責任者である私が様子を見て、そしてどうするか判断しなければ……」

 

 『すでに事態は川村さんが解決できる範疇ではない』という料理長のその言葉が、私の耳に、静かに、そして痛々しく響く……。

 

「あの……料理長……すみません」

「?」

 

 つい口から出てきたのは、謝罪の言葉だった。

 

 私は料理長が好きだ。本当は関わりたくないのに設楽さんたちの個室へと足を運び続けたのも、料理長の手を煩わせたくないからだ。それなのに……。

 

「結果的に、料理長の手を煩わせることになってしまいました……」

「川村さん?」

「すみません……私、もうここに勤めて長いのに……まだまだ力不足ですね」

 

 自分の未熟さが嫌になる。あれだけ『料理長に迷惑をかけたくない』と思ってがんばったけれど……自分にはまだ、あの二人を捌き切る実力がなかったということか。

 

 考えみれば、私は今日一日ずっと、料理長と花子、そして朋美ちゃんをはじめとしたフロアのみんなに甘え続けていた気がする。心が折れそうになったときは花子の面影に支えられ、料理長からはお弁当のおみやげで励まされ、その他の仕事は朋美ちゃんたちに全部やってもらえ、私自身はあの個室の応対に集中出来る環境を整えられたのに……たとえ、それがお互いにとってwin-winな状態だったとしても、私は今日、他のみんなにおんぶにだっこの状態で仕事をしていた。

 

 ……それなのに、私は満足な仕事を行う事ができなかった。設楽さんとセンパイさんの関係性を見抜くことが出来ず、結果的に料理長をフロアでの接客に駆り出す事態に陥ってしまっている……。

 

 私を見る料理長が、困ったように微笑みかける。きっと私から見た料理長は、あのセンパイさんのように、自信なさげでしょぼくれた感じに見えるだろう。自分でわかる。猫背で肩をすくませ、ずいぶんと身体が小さくなってしまった。料理長の顔を見てられず、つい俯いてしまう。だから余計に身体が小さく縮こまる。

 

 そうやって、私がうつむき、自分の未熟さに打ちひしがれていたら……

 

「……川村さん」

 

 料理長が私の肩に手をポンと置いてくれた。服越しでも分かるほどその手はとても温かく、そして肩に伝わる感触は、料理長らしくとても優しい。

 

 私は顔を上げた。料理長は優しく微笑みながら、私を見下ろしていた。

 

「……あなたは今日、とてもよくがんばってくれていましたよ?」

「でも、結局料理長が個室の様子を見に行くことに……」

「ええ」

「それって、つまり……私がキチンと対応出来てないから……ですよね?」

 

 私の口からポツリと出た言葉を、料理長は静かに首を振って否定した。

 

「それは違います」

「……?」

「あなたはちゃんと自分の仕事をこなしました。それは、今日ずっとあなたを見ていた私が保証します」

「そうでしょうか……?」

「はい。他のフロアの人たちがさじを投げたお客様の応対を買って出てくれ、状況を自分で判断し、そしてその都度、誠実に対応していました」

「……」

「正直、あのお客様はとても難しかったでしょう。厳しい目でこちらを見つめてきたり大声で怒鳴ったり、物騒な言葉でこちらを振り回したり……」

「はい……」

「私も、そんな二人の様子がちょっと気になるんです。だから様子を見に行くんです」

「……」

「いわば、これは私の責任者としての仕事みたいなものです。だから、あなたが気に病むことはないんです」

 

 優しい言葉で私を諭しながら、料理長は私の頭をくしゃくしゃとなでた。その手は水仕事を毎日している料理長らしく、決してすべすべとは言い難い手だけれど、不思議とそのサラサラとした感触が心地いい。料理長らしい、優しい手だ。

 

「……ではちょっと行ってきますね」

 

 料理長が私の頭から手を離した。たすき掛けの和服の背中が、私から離れていく。料理長は言うほど背が高くないから、その背中はとても小さい。だけど。

 

「あ、あの……料理長」

「はい?」

「……ありがとうございました」

「?」

「元気、出ました」

「ならよかったです」

 

 あのセンパイさんや私の背中のように、自信なさげな猫背ではない。小さくて可愛らしい背中だけど、とてもキレイに背筋が伸びた姿勢で堂々と佇む、美しく、カッコいい背中だった。

 

 料理長の美しい佇まいの背中を見送ったあと、私はあの個室の二人のことを思い浮かべた。

 

 最後に私が個室に入った時、確かにあのセンパイさんは自信を失っているように見えた。さっきの私のように、なんだか自分の無力さを思い知らされたというか……単純に落ち込んでいるようにも見えなくはないが……ではなぜ落ち込んでいるのかということを考えると、やはり自信がないからではないだろうか……そんな風に思えて仕方がない。

 

 なぜそんな風に思ってしまうのか……それは私自身、過去に自分の背中を見たことがあるからだ。

 

 今でこそ、私は故郷で花子の乳搾りにかけては世界一を自負しているが……かつてはとても下手くそで、花子の乳搾りに対して自信がまったくなかった時期があった。

 

 その時は、私が乳搾りを行えば花子は必ず痛そうにヴモォオっと悲鳴を上げ、ジタバタと逃げ回り、挙げ句後ろ足で私を蹴り上げようとしてきた。普段はとても優しく人懐っこい花子だったから、その変貌ぶりが恐ろしく、私は乳搾りに対する自信を完全に失ってしまった。

 

 その頃の乳搾りの写真を、一度だけ母親に見せてもらったことがある。おっかなびっくり花子のおっぱいを握る私を、背後から撮っている写真だ。その写真に写る私の背中は、とても縮こまった猫背で、まるで自信がなさそうに見えた。

 

 あのセンパイさんの背中は、あの写真の私と同じ感じに見えた。だから、『自信がなさそうだ』と私も思うのだろう。心当たりがありすぎる背中だから。

 

 もし、私の予想が当たっているとするならば……あのセンパイさんは、この短時間のうちに、一体何があったのだろうか。自信を失うような大きな事態……それは一体、何だろう? それは、設楽さんに関係することなのだろうか?

 

 そんな風に、さっきまでのブレインウォッシング疑惑のことなど忘れて、あのセンパイさんのことを心配していたら……

 

「……あ! 料理長! おかえりなさい!!」

「はい……ぷぷぷ……」

 

 料理長が個室から戻ってきた。両手で口を押さえ、笑みをこらえるように前かがみで身体をぷるぷると震わせているその様子は、普段の料理長よりも、可憐で可愛らしい女の子に見える。

 

「ぷぷっ……」

「あの……?」

「くくっ……」

「……料理長?」

 

 私は料理長に駆け寄り、そして話しかけるのだが……料理長のほっぺたが、ほんの少しだけ赤い。

 

 私の呼びかけに料理長が気付くまで、若干のタイムラグがあった。私に気付いた料理長は、その可憐で可愛らしい微笑みのまま私の方を見る。目が少しだけうるうるしてた。

 

「……ぁあ、川村さん」

「料理長、様子見てきたんですか?」

「……いや、障子から会話が聞こえてきたので、慌てて退散しました」

「どうでした? やっぱりちょっと様子おかしかったですか?」

 

 どうやら直接は見なかったようだが……やっぱり様子を伺ってきたのなら、あの二人の今の様子を聞いておきたい。そう思ったんだけど……料理長は私の質問のあと、思い出すように目線を上に向け、そして……

 

「……」

「……?」

「……ぷぷっ」

「んんん?」

 

 とこんな具合で、再び両手を押さえてぷぷぷと笑う。まるで何かとても面白いものでも思い出したかのようだ。

 

「そうですねぇ……おかしいといえば、おかしいですね」

「?」

「可愛らしいとも言いますけど……ぷっ」

 

 こんな具合で私の質問には答えてくれるのだけれど、核心には触れてくれない。一体、あの二人に何があったというのか……

 

「何か面白いことでもあったんですか?」

「……まぁ、面白いといえば面白いですが……私が話すより、川村さんも直接お二人を見た方が、分かりやすいと思いますよ?」

「はぁ……」

「きっと、お二人とも一生懸命な一日だったんですねぇ……誠実な方々でしたよ?」

「……?」

 

 そう言って料理長は目を閉じ、大切なものを包み込むかのように両手を胸に当てて自分が体験してきた個室でのことを反芻しているようなのだが……正直、私には意味がわからない。二人とも誠実で一生懸命? 可愛らしい? あの二人が? 設楽さんはぶすーっと不愉快オーラをずっと出してたし、センパイさんの方は終始ぬぼーとしてたのに、そんな二人が可愛らしい? 分からない……分からないよ花子……料理長は一体二人の何を知ったのだろう……。

 

 従業員を呼ぶ『ピンポーン』という音が鳴り響いた。電光掲示板で鳴ったテーブルの番号を確認すると、28。ちょうど、設楽さんとセンパイさんのテーブルにあたる。

 

「行ってらっしゃい」

 

 電光掲示板を見上げる私の耳に、優しい料理長の言葉が届いた。

 

「恐らくお会計でしょう。最後に、あのお二人の応対をお願いします」

 

 料理長を振り返る。さっきまでの可憐な女の子のくぷぷ笑いは影を潜め、いつもの、優しい料理長の微笑みが戻っていた。

 

「……分かりました」

 

 ええい。どちらにせよ朋美ちゃんたちはあの個室には行きたがらないんだから、私が行くしか無い。料理長の言葉も気になる。ここで考え込むより、直接様子を見たほうが分かるだろう。百聞は一見にしかずだ。料理長の言葉を信じ、私は個室へと向かった。

 

 

 個室前に到着。商事の向こう側からは、会話はまったく聞こえてこない。

 

「……静かだ」

 

 設楽さんたちがこの店に訪れてから、ここまで静かな状況なのは始めてな気がする。さっきまであれだけ響いていた設楽さんの不可思議なセリフもセンパイさんの怒号も、何も聞こえてこない。

 

 ただ、それと同じく、さっきまでの重苦しい空気も感じられない。障子の向こう側からなんとなく漂ってくる雰囲気は、とても軽やかだ。まるで、乳搾りの時間を待ちわびる花子が待っている厩舎のような……そんな雰囲気が漂っている。

 

 そんなさっきまでの雰囲気の違いにしばらく戸惑っていたのだが……ええいっ。ここでやきもきしていても仕方ない。料理長だって『自分で確かめろ』と言っていたじゃないか。なら、私はこの騒動の顛末を見届ける義務がある!

 

 私は意を決して、障子に手をかけ、そして開いた。

 

「大変お待たせいたしました! お呼びですか?」

 

 開いた途端……今までとは明らかに雰囲気が違う光景が、私の目に飛び込んできた。

 

「……あ、えーと、お勘定を……」

 

 センパイさんが私にお会計をお願いしてきた。その姿にさっきまでの自信の無さはなく、肩幅もさっきのように狭まってはいない。来店時の時と同じ様に、実に堂々とぬぼーとした雰囲気を出していた。

 

 表情は来店時と変わらないが、ほっぺたが少し赤い。お酒に酔ったのかとも思ったけれど、この人、確かあまり飲んでないし、なによりさっきはそんなに顔色良くなかったもんね。お酒が原因ではなさそうだ。

 

 そして……

 

「はい! かしこま……りッ……!?」

「……?」

 

 設楽さんを見た私が、思わず声を上げる。つられてセンパイさんも、設楽さんの方を見た。

 

「……ニヘラぁ」

「しだら……さ……!?」

 

 設楽さんが、笑っていた。センパイさんと同じくほっぺたをほんの少し赤くして、目を少しだけ輝かせて……でも、すんごいキモい。なんていえばいいのか……口角を上げてニヘラと笑うその顔は、美人な設楽さんにあるまじきキモさだ。

 

 なんということだ……私は今まで、どんな女の人でも、笑顔が一番キレイで可愛い表情だと思っていた。親にもそう言われて育ってきたし、事実私が知る限りでは、笑顔が可愛くない女の子という存在は皆無だ。

 

 ……ところが、その例外はここにいた。この設楽さんだ。

 

 設楽さんは美人なのに、その笑顔はこの上なくキモい……この人は、ぶすっとした顔の方がきっと正解だ。じゃないと、この笑顔は……!?

 

 ……いや待て。このお店に入ってからこっち、この人はずっと仏頂面で、私たちをギロッと睨み続けていた。きっと本人はそんなつもりはないだろうけど、ずっと不機嫌アピールをして、私に意味不明なプレッシャーをかけつづけていた。ひょっとしたらこの人は、普段からあまり笑わない人……意図的なのか無意識なのかはわからないが、笑顔を見せない人なのではなかろうか?

 

 そんな人が、(たとえこの上なくキモいとしても)口角を上げ、ほっぺたを赤く染めて笑っている……思わず笑顔を浮かべてしまうほどうれしいことでもあったのか……?

 

「……おい設楽」

「なんですか。ニヘラぁ……」

「顔引き締めろって。にやけてるぞ」

 

 私の様子に、センパイさんも気付いたようだ。センパイさんは設楽さんに笑顔を…やめるように促し、そして設楽さんもシュッと仏頂面に戻るのだけれど。

 

「……」

「ホッ……」

「……ニヘラぁ」

「!?」

 

 今の設楽さんは、元の仏頂面にはもう戻らない状況のようだ。表情を引き締めたその2秒後には、また元通りのキモいニヘラ笑いを浮かべていた。口も半開きで、なんだかよだれが垂れてきそうなほど、だらしがなくてキモい。

 

「二へ……ニヘヘ……」

「……」

「えっと……お会計、でしたよね?」

「……あ、ああ。お願いします」

「かしこまりました! では伝票をお持ちします!」

 

 本当はもう少し設楽さんのニヘラ笑いを観察したかったけれど、そうもいかない。お会計なら、早く対応しなきゃ。私はセンパイさんにお会計の確認をした後、個室を後にして障子を閉じる。立ち去る時、障子の向こう側から……

 

『だから顔引き締めろって……!』

『だって……二へ……二へへ……』

 

 という二人のやり取りが耳に届いた。言っているセリフは今まで通り意味不明だが、今までと比べると、二人の声がとても耳に優しく、心地いい。まるで、私が花子の乳搾りをするときの花子の鳴き声のように、優しく、そして温かい。

 

『ほら花子〜。今日も乳搾りするからね〜』

『ヴモッ。ヴモォオオオ』

『今日も美味しい牛乳ありがと〜花子〜』

『ヴモォオオオオオォォォォ』

『花子〜大好きだよ〜』

『ヴモッ。ヴモォッ』

 

 故郷にいたときの、そんな毎朝のやり取りを思い出す。あの頃は私も花子のことが大切で、花子のおっぱいを絞るあの時間が、毎朝楽しく感じたものだ。花子も私の顔を見るなりうれしそうに唸りながら私に駆け寄っていたから、きっと私と同じことを考えていたはず。

 

 そんな思い出を思い出してしまう、あの二人の最後のやり取り。……核心は持てないけれど、ひょっとしたらあの二人は、お互いがお互いにとって大切な、私と花子のような関係になったのかな。

 

 だとしたら、料理長が言っていたことも分かる。あの意味不明なやりとりも、途中で不穏な空気になったのも、きっとお互いが一生懸命で、相手に対して誠実に向き合っていたからじゃないかな。あの意味不明なプレゼン資料が、なぜ誠実に向き合った結果なのかは、私にはわからないけれど。

 

 胸にポカポカとした暖かさを感じながら、私は厨房へと戻る。厨房では、休憩から上がった料理長が丁寧に鰆のつけ焼きを盛り付けていた。いい感じに焦げ目のついた鰆が、とても美味しそうだ。

 

 料理長が盛り付けが終わった鰆のお皿を朋美ちゃんに渡したのを確認し、私は料理長に声をかけた。

 

「料理長」

「ぁあ川村さん。どうでした?」

「はい。お会計でした」

「やっぱり。で、お二人の様子は?」

「はいっ。えっと……うまく言葉には出来ませんが……」

「……ぷぷっ」

「……ニシシ」

 

 ひとしきり言葉をかわした後、私と料理長は互いに笑顔を浮かべる。料理長は口を押さえ、お上品にぷぷっと。私は歯を見せ、ニシシと笑う。

 

「……ね? 素敵だったでしょ?」

「はいっ。素敵なお二人でした」

 

 

 その後は、再度私がお金を預かりお釣りを渡して、何事もなく終了。二人はそろってお店を後にした。センパイさんは変わらずぬぼーとしてるけど、その背中はどこか楽しそう。設楽さんの方は言わずもがなで、人前だからとなんとかがんばって顔を引き締めていたようだけど、すぐにニヘニへとキモい微笑みを浮かべていた。

 

「ありがとうございました! またお越しくださいませ!!」

「はーい。ごちそうさまー。美味しかったよー」

「はい! ありがとうございます!」

「ニヘ……ニヘヘ……」

「設楽様もありがとうございました!」

「はい。……ニヘヘ」

 

 退店時には、私が二人をお見送り。私が店内から見守る中、ドア越しに見えた二人の去り際の背中は、お店から距離が離れるに連れ、少しずつ少しずつ、距離を縮めていっている様に見えた。

 

「咲希ちゃん咲希ちゃん」

「んー?」

 

 私が温かい気持ちで二人の背中を見送っていたら、さっきまでフロアでせわしなく動き回っていた朋美ちゃんが私の隣にやってきた。渦中の設楽さんがいなくなったから、『私は忙しい』アピールをしなくてもよくなったからだろう。あの個室から発せられる無言のプレッシャーからも開放され、その顔はどこか晴れ晴れとして清々しい。

 

「大変だったねー……咲希ちゃん、大変だったでしょ……」

 

 開口一番、朋美ちゃんはそう口に出し、私と一緒に二人の背中を眺め始めた。普段の私なら、そんな朋美ちゃんのあまりにも他人事な言い方にイラッと来たかもしれない。

 

「……そんなことなかったよ?」

「そお?」

「うん。だって、二人とも、とっても素敵な人たちだったから」

「そうなの?」

「うん」

 

 でも、今はそんなことがどうでもよく思えるぐらい、胸が暖かくて心地いい。朋美ちゃんには伝わらないだろうけど、あの二人の仲良さそうな背中が、私の胸を温めてくれたから。

 

 私の隣で首をひねる朋美ちゃんを尻目に、二人の背中を眺めながら、私は思う。

 

 お二人とも、どうかお幸せに。そして、私と花子のように、仲のいいお二人でいてくださいね。 

 

 


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