私と先輩が結婚すべき理由   作:おかぴ1129

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5. 高みへ上り詰める女

「……以上が、私と先輩がベストマッチだと思う理由です」

「……」

「感激して言葉も出ませんか」

「困惑してるだけだ」

 

 設楽が作成したパワポによるプレゼン『私と先輩が結婚すべき理由』が終了した。仏頂面の設楽はそのままiPadの画面を切り、もそもそと自分のバッグへとしまっている。

 

 俺は困惑していた。今のパワポを簡単に要約すると、『私と先輩は、互いの短所を長所で補い合える』という一言に尽きる。

 

 その点は確かに説得力がある。こいつは社内一の稼ぎ頭で、今まさに収入もうなぎのぼり。今では俺の上長だし、今後はそれ以上のポストにも就くだろう。

 

 対して俺は、万年ヒラのダメ社員。仕事よりも私生活に重点を置き、仕事での立身出世なぞ考えない。収入も恐らく低成長か、もしくは今のまま退職まで増えることなど無いだろう。パワポ職人の地位も確立してはいるが、それも今後どうなるかわからない。

 

 一方で、俺は炊事洗濯に代表される家事全般が得意な方だ。趣味は料理……とまでは行かないが、三食自分で料理を作って済ませているし、洗濯も嫌いではない。裁縫だって自分でこなす。

 

 対して設楽は、家事全般が苦手だ。料理だって全然やらないし、自分の部屋は散らかり放題。洗濯だって自分一人じゃ全然ダメで、俺に『柔軟剤と洗剤って、違うものなんですか?』と聞いてくるぐらい、知識も経験もなければ、仕事での応用力と吸収力も発揮されない。むしろ今までよく生きてこれたなと感心するぐらい、こいつは家事能力が低い。

 

 仕事は得意だが絶望的なまでに家事ができない設楽と、家事は得意だが仕事に対してまったく興味が沸かない俺……確かに互いの欠点をカバーできる、ベストマッチな二人といえなくはないが……

 

「なぁ設楽」

「はい」

 

 そもそも、なんで俺なんだ? こいつほどの立場で美人なヤツやつなら、黙ってればもっと年収高くてイケメンな男をいくらでも捕まえられるだろうに。そうすれば、専業主婦として愛する旦那と幸せな生活を満喫出来るだろう。俺と結婚するよりも何倍もいい人生を歩めるはずだ。

 

 なぁ設楽? お前と俺じゃ、どう考えても釣り合わないだろう。自分の幸せというものを、もうちょっとよく考えたほうがいいんじゃないか?

 

「なんで俺なんだ?」

「なんで……?」

「俺とお前じゃ、釣り合わんだろう。お前は会社一の稼ぎ頭で、将来の重役が約束された立場だ」

「はぁ」

「対して俺はダメ社員だ。一応、社内パワポ職人の立場はお前の出世で復権したが……それでも社内ニートにかなり近い」

「そうですね」

「そこは否定しろよお世辞でいいから」

「そんなことないですよ先輩」

「今更否定すんなよわざとらしい」

「ダブルバインドです」

「うるせーよ」

 

 残り少ないカシスオレンジを煽り、店員の呼び出しボタンを押す。やってきた店員に空のグラスを渡して、おかわりのカシオレを注文した。

 

「……俺とお前じゃ、釣り合わないだろう」

 

 ポツリと口をついて出た本音。これは本当だ。設楽は、俺にとっては高嶺の花だ。それは、純然たる事実。

 

 こいつと俺とじゃ、生きている世界が違う。能力もこいつのほうが上だし、こいつには……こいつには、俺なんかにうつつを抜かしてるヒマがあるのなら、もっといい男を捕まえてほしい。こいつなら出来るはずだ。その仏頂面さえなんとかすれば。

 

「釣り合わないですか……」

 

 設楽の口から出る、ちょっとだけ沈んだ声。こいつはこいつなりに俺のことを思ってくれていることは伝わったが……そもそも俺と設楽じゃ、身分が違いすぎるんだよ。今は辛くとも、それがいずれ、こいつにも分かるはずだ……なんて俺がしんみりと考えていたら、である。

 

「これでも努力したのですが……」

 

 と、設楽がさらにしょぼくれた。いや仏頂面なのは変わらないが、こいつともう長い付き合いになりつつある俺には分かる。こいつは今、しょぼくれている。

 

 しょぼくれること自体は問題ではない。失恋すれば、人は、大なり小なりしょぼくれるだろう。だからそこは問題ないのだが……

 

 こいつは今、『これでも努力したのですが』と言った。この物言いはなんだ? これじゃまるで、身分が高いのは俺の方で、設楽のほうが分不相応みたいではないか。

 

 この疑念は、次の設楽の言葉で、確信へと変わった。

 

「……どこまで出世すれば、先輩にふさわしい女になれるでしょうか?」

「……ほわっつ?」

 

 今、このアホは何て言った?

 

「課長になればよいでしょうか。部長ですか? 専務ですか?」

「ちょっと待て」

「社長になればいいですか。それとも法人の代表ではなく、代議士とか国会議員とかでないと、先輩にふさわしい女になれないでしょうか」

「待てと言っている」

「やはり総理大臣か……家に戻ったら早速次の選挙で立候補するべく……」

「止まれ。まず止まって落ち着け」

 

 暴走する設楽をなんとか止める。こいつは何か勘違いをしている。なぜ俺と釣り合うためにそんな高みまで上り詰めねばならんのか。

 

 会社内に限って言えば、設楽はすでに俺よりも格上の存在になる。上長だし、仕事もよく出来る。俺の部下だった時は二代目パワポ職人でしかなかった設楽も、今では部下に指示を出し、複数のプロジェクトを同時に展開する、いわゆるデキる女だ。俺みたいな万年平社員と比べること自体、失礼この上ないわけなのだが……

 

「お前さ」

「はい」

「出世しないと、俺と釣り合わないと思ってんの?」

「もちろんです」

 

 なんだこの過剰な持ち上げっぷりは。設楽から見れば、俺は専務や社長……はてや国会議員や総理大臣レベルの存在だとでも言うのか。そこまで上り詰めなければ肩を並べることが出来ないと思っているとは……設楽の中で俺の存在はどれだけ過大評価されているのか……。

 

「お前はさ。どれだけ俺を過大評価してるんだよ」

「過大評価しているつもりはありませんが」

「だったら分かるだろ? 俺は万年ヒラのだめしゃい……」

「私の運命の人です」

 

 仏頂面のまま、眉をピクリと動かし、設楽はそう答えた。グラスの黒霧島がなくなりつつあったので、店員を呼んでおかわりを頼むことにする。設楽はおかわりの黒霧島が届くと、再びぐびっと黒霧島を煽っていた。

 

「……ふぅ」

「相変わらず強いなお前」

「先輩は相変わらず弱いですね。顔が真っ赤です」

「どれだけ飲んでも顔の色温度が全く上がらないお前の方が強すぎるんだよ」

「胸がときめきましたか。私のこの比類なき強さに」

「うるさいよ」

 

 軽口を遮り、俺は刺身の盛り合わせから、大きなホタテを口に運んだ。大ぶりで味も悪くない。

 

「……で、お前は自分が俺と釣り合ってないと、本気で思ってるのか」

「はい」

「どこまで上り詰めれば納得するんだよ」

 

 設楽が再び黒霧島に口をつけた。こいつは中々に飲むスピードが早い。黒霧島はもう半分近くまで減っている。

 

 『ふぅ』とため息をついた後、設楽はまっすぐに俺の顔を見て、至極真剣に答えた。

 

「無論、先輩が私に嫁ぐまでです」

「おい」

「先輩が私に振り向いてくれるまで、社長だろうが国会議員だろうが総理大臣だろうが……上り詰めてみせます」

「……もし大統領じゃなきゃ釣り合わないと俺が言ったら?」

「次回のスーパー・チューズデー、楽しみに待っていて下さい」

「もし俺が、アメリカじゃなくて日本の大統領じゃなきゃ嫌だって言ったら?」

「数年後、憲法改正を経て日本は議院内閣制から大統領制へと移行するでしょう。初代プレジデントになるのは、無論、この私です」

 

 言ってることは荒唐無稽なのだが……仏頂面でまっすぐこっちを見ながら言われると、『こいつならやりかねん』という危機感を抱いてしまう。その説得力が、こいつにはある。

 

「……信じられませんか」

 

 シーザーサラダのドレッシングを、ほんの少しだけ唇のはしっこにくっつけて、設楽が無愛想にそう口走る。へそを曲げることを危惧したのだが、そういうわけではなさそうだ。

 

「逆に聞くけど、なんでそこまで上り詰めようとするんだよ。俺なんかどこにでもいる平社員なんだから、そこまでしなくてもいいだろうに」

 

 つい本音を口にした。もし、こいつと本当に結ばれるのなら、頑張らなければならないのは設楽じゃなく、むしろ俺の方で……。

 

 そんな心の中での葛藤を見透かされているのか何なのかよくわからないが、設楽の顔はやはりいつもの仏頂面だ。

 

 だが。

 

「……先輩」

「あん?」

「好きな人のために全力で頑張るというのは、滑稽なことなのでしょうか?」

 

 こういうことを素直に聞いてこられると、反応に困る……。

 

「……滑稽ではないな」

「なら……」

 

 こちらをまっすぐ見つめてくる設楽を、俺は見つめ返すことが出来なくなった。俺は設楽から視線を外し、新しい料理を注文するべくメニューを眺めることにする。設楽は何かもそもそ動いている。この真剣な空気に、耐えられなくなってきたのか……

 

「もぐ……やっぱこの卵焼き……もぐもぐ……冷めるとあまり……もぐもぐっ……美味しくない……です……もぐもぐ……ね」

「口の中にものを入れながら話をするんじゃない。いきなり話をそらすな」

 

 くそっ……やっぱこいつは、遊んでるようにしか見えん……こいつ、本気で俺と結婚したいと思ってるのか? いくら仏頂面で軽口を叩くのが常とは言え、さすがに真剣味が薄れてきたぞ……。

 

 そうやって、おれが心の中で設楽の軽口に毒づいていたら……。

 

「……やっぱり私は、先輩の卵焼きがいちばん好きです」

「……」

「なんせ……とても……とても美味しい、卵焼きですから」

 

 こいつの真剣味ってのは、正直良くわからん。軽口を叩き続けるし、この仏頂面も本気なのか何なのか、いまいち分かりづらい。

 

 だが、設楽から『先輩の卵焼きが好きです』と言われたその瞬間、俺の胸は、確かに高鳴っていた。

 

 


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