「失礼します」
扉がノックされた後に、礼儀を欠く事なく入ってきたのは、獅童真希。
「はーい」
答える部屋の主は、結芽だ。
「舞草残党の日高見派についての対応なのですが……」
「んー、とりあえずみんな捕まえといてよ真希おねーさん」
「承知致しました、結芽様」
そう言って真希は恭しく一礼し、部屋から退出しようとする。
そんな光景を、結芽が座る席の少し後ろから置き物の様に見ていたが、思わず口を開く。
「………その結芽様っての、やっぱり違和感しかないんだけど」
「いえ。そう言うわけにはいきません……燕様」
その言葉に、溜息を吐いた。
───今の結芽は、刀使の祭祀礼装に似た衣冠を纏い、真希より格上の様に振る舞っている。
否。
事実として、今や結芽の方が立場が上だった。
───と、言うのも。
折神紫が長期の療養に入る寸前、『結芽を自分と思い、仕えるように』と最後に遺したのだ。
その言葉が本当に、折神紫の自由意思によるものだったのかは、わからない、けど。
その上に、今の僕の立場は、摂関政治を行なっていた藤原氏の如くだ。
そりゃそうだ。刀剣類管理局が対外的にどうなっているのかは兎も角、折神家当主から全面的に権限を移譲された存在の、兄。
僕の事を不快に思っていたであろう連中まで、誰も彼もが阿ってくる。
だけど、一番堪えたのは。
今までの、温かった親衛隊はそこには無いという事。
それが、寂しくて、淋しくて。
胸の何処かに穴が空いたような気分で仕方がない。
「だから、前にも言ったけど僕達しか居ない時くらいはやめて欲しいな、って」
「…………いえ、紫様の御命令でもありますので」
右手で米神を揉みながら、長い溜息を吐いた。
「ハァ…もーいいよ、真希おねーさん」
「はい。では、失礼します」
結芽が促すと、真希は恭しく退室して言った。
「………僕はね、親衛隊の三人には、今日にでも、前みたいな関係に戻りたいんだけど。さっきも僕の肩身が───じゃなくて。
真希も寿々花も夜見も結芽様燕様ーってみんな仰々しいし、何より…寂しい」
───本心だった。
余りにも唐突に来た別れと言っても過言ではない。
この現状は、宜しくない。
打破すべきだと、自分は考えている。
「───大丈夫だよお兄ちゃん。総浸食計画さえ成功すれば、みーんな元通りになるんだから」
そうやって結芽は自信満々に答える。
余談だが、全人類冥加計画──とでも言い換える事の可能なこの計画の名前は、タギツヒメによるモノらしいが───
答えるまでに若干の
「本当ならいいんだけどね」
「……お兄ちゃん。わたしのこと信じてないの?」
───酷く、冷たい声。
こんな声を聞くのは、結芽が入院していた時以来だろうか。
僕は仕方なく、溜息混じりに言葉を紡いだ。
「実は───結芽の治療法を探していた時に、舞草に行った事があってね」
「えっ…?」
「あ、折神紫局長はご存じだからその点は安心していいよ」
「あっ…そ、そうなんだ」
「うん。ま、その時色々聞いてさ。タギツヒメが信用できないんだ、僕は」
「お兄ちゃん。タギツヒメは───」
「ああ、わかってる。わかっているとも。結芽の命の恩人…荒魂?な事は重々解っている。それにね、結芽」
「何?」
「────注射が怖いんだ」
「………へ?」
結芽は呆気にとられた。
「前々から思ってたけど、なーんで針で刺さなきゃいけないのかなぁ!? もっとさ、あるでしょ、こう、痛くないやり方! ないの!?」
僕は結芽の両肩を掴み、軽く前後に揺らして畳み掛ける様に言った。
「えっ、えーと、わたしに言われても……」
「結芽が入院してた時だって針刺さってるの見ると背中がこう、ゾワゾワしてたんだよ……」
肩から手を離して、自分の両肩をさする。
「そ、そうだったの?」
「そうなんだよ……ノロってどーせ僕も打つんでしょ? 針でブスっと。飲み薬とかないの」
「うーん……ちょっと難しいんじゃないかなって思うな」
「ないかぁ…」
そう言って、しゃがみ込んで床を指でぐるぐるなぞった。
「それにさぁ、アレでしょ、定期的に何本も打ってたでしょ?」
「え? うん、そうだけど」
「うげぇ……」
そのまま床に崩れる様に倒れ込んだ。
「んー、わかった!」
「なにが?」
「お兄ちゃんの分のノロはね、ちゃーんとトクベツなのにしようと思ってたんだけどね、もっともーっとトクベツなのにしてあげる!」
「でも、打つんでしょう?針で、ブスッと」
「もー!ちゃんと一回で済むよーにするから、もうちょっと待っててよね!」
「やっぱり打つんだぁ…おしまいだぁ……」
そう言いながら、ソファーまで這いずると、縁から足を外に投げ出しつつ、上に寝転がった。
(───ま、コレで誤魔化せたかな)
そんな、手応えを感じた。
正直、総浸食計画自体は判断を保留している。
本当に、結芽の言う通りに誰も彼もが楽しく永遠に過ごせる世界が訪れるのなら、それに越した事はない。
人類と言う種にとって一つの解だと思う。
だが、問題は力を貸しているのが人類に怨みを持っているであろうタギツヒメだと言う事。
それに僕が舞草に近づいていた事を知らなかった辺り、タギツヒメとの記憶の共有はしていないと見える。
この事は、以前に折神朱音から話を聞いていたが───この一点で、騙されているのではないか?との疑念が全く拭えないのだ。
冥加になっている近衛隊を初めとした一部の子達は、自分の意志が感じられない。
とは言え、同じノロを血中に受け入れている親衛隊の三人はちゃんと自分の意思がある様に見えるから、その点は意図的な挙動なのだろう。
それが結芽の意思なのか、タギツヒメの意思なのか区別が僕にはつかない。
もしかしたら、そんなのはないのかもしれないけど。
「でも、意外だったな。まさかお兄ちゃんが注射がニガテだなんて」
椅子から降りた結芽は、そのままソファーに寝転がってる僕の頭のすぐ側に座る。
「そりゃあ、僕にだって苦手な物くらいあるよ」
「アハっ、だよねー」
そう笑った結芽は僕の頭を軽く持ち上げると、そのままにじり寄り、自分の脚に頭を乗せた。
「…………ねえ、結芽」
「なーに?」
「随分と遠い所まで来ちゃったね」
結芽の碧色の瞳が揺れる。
「……お兄ちゃんが側にいるから、結芽は大丈夫だよ」
「……そっか」
柔らかく微笑む結芽の表情をこの目に収めると、目を閉じ暫し思索に耽る。
───やはりタギツヒメが嘘をついていた時の事は考えておかねばならないと、そう結論づけた。
その際は十条姫和に、衛藤可奈美の力が間違いなく必要になるだろう。
結芽は強い。
贔屓目抜きにしたって、すごく強い。
折神紫を辛うじて退けることが出来たのは、そもそも折神紫がタギツヒメに抵抗していたから。
その時に、結芽がタギツヒメは嘘をついていた、と思っていなければ───
(その時は──結芽を裏切る必要がある、けど)
考え得る限り、自分にとっても最悪の手段。
そんな事はしたくない。
───だが、その後は?
総浸食計画なんて、一般的に考えれば悪の秘密組織が企む様な事だ。
実行していた結芽はどうなる?
タギツヒメがやったと精神鑑定で逃げ切るか?
そんな事が罷り通るのか?
仮に事態が徹底的に隠蔽されたとしても、それでもどこかで結芽を怨む連中は出てくるだろう。
そうなった場合、どこまで守り切れるのだろうか。
(頼むから、嘘だけはついていてくれるなよ、タギツヒメ)
乗りこんだ船が泥舟だとしても、引き返さない、引き返せない事だってある。
神を名乗る存在に、祈らずにはいられなかった。