自分がなにをしているのかを理解していない訳ではない。
でも、どうしてこんなことをしているのかを理解している訳ではなかった。
目の前に血だまりがある。
真っ赤な水たまりの中に元は人間だったものが浮かんでいた。手足に始まり髪の毛や指、臓物などなど身体の部品がバラバラになっていた。はっきり言ってグロテスク極まりない。
もちろんこんなものが自然に発生することはない。誰かが誰かを惨たらしくも鋭利な刃物で皮膚を切り裂き、その手で相手の体の各所を引き千切ったのだ。
一体どんな理由があればこんなに酷いことが平然とそれこそ息をするように出来るのだろうか? 少なくともぼくには見当もつかなかった。
ただどうしても受け入れなければならないのは、これをやったのはぼくだということだ。
「何がしたかったんだろうね」
空からぼくを見下ろす彼女に問いかけてみる。
「知ったこっちゃないわ」
下手人であるぼくに怒りを抱くわけでも、被害者である誰かを哀れむ訳でもなく、彼女は感情を一切感じさせない表情を浮かべていた。
ぼくに向けられている視線はぼくを見ているようで見ていない。まるで興味を持たれていない。殺意を向けられるのも勘弁だけど、まったく無関心というのも存外寂しいものだ。
「私が言えることはただ一つ。アンタは越えてはいけない一線を越えてしまった」
流石、博麗の巫女である彼女が言うとおそろしく説得力がある。
抑揚もなく告げられた言葉は僕の身に重くのしかかった。罪悪感が背筋を這い、気分が悪くなった。
皮肉なことに、この時のぼくの反応が、ぼくがサイコパスなんかじゃなく至極普通の一般市民なのだと改めて証明していた。
どこの国のどんな場所にも守られるべき規範がある。ぼくはそれを破ってしまった。――というか、ぼくが咎められるのは当然のことだ。人を殺せば罪に問われる。こればっかりはどこでも変わらない。
それがわかっていてどうしてこんなことをしたのだろう?
本当にわからない。わからないのだけど、一つだけ心当たりがある。
「きっと、あなたのせいなんでしょ、ドクター?」
「いきなり何よ?」
「あなたの治療を受けてから何か変だ。いつの間にかぼくは人を平然と殺せてしまう怪物になってしまった。あなたはぼくに一体何をしたんだ? 教えてよ、ドクター」
「はぁ……もういい。アンタに何を言っても無駄みたいね」
現実逃避に聞こえるかもしれない。でも、これが真実への唯一の手掛かりだ。
どうやら彼女にはわかってもらえなかったみたいだけど。
眩い閃光がぼくの眼を焼き、いくつもの鋭い衝撃がぼくの体を貫いた。
感じたことのない痛みに頭が混乱し、苦し紛れに意識をシャットアウトした。
何も見えない真っ暗闇の中、ぼくは彼女――ドクターの姿を幻視する。
端麗な彼女の顔にはいつも通り正気を感じさせない笑みが貼りつけられていた。
まるで意味の分からない言葉を最後に、この少女は眠ってしまった。
いや、正しくは私が気絶させたのだけど。それにしても呆気ないものだった。
歳は私とそう変わらないだろう。ひょっとしたら年下かもしれない。
そんな彼女がなぜあのような凶行に及んだのか。皆目見当もつかない。
唯一の手掛かりは彼女が言った「どくたー」と呼ばれる存在だ。
いわく、彼女はその「どくたー」の患者か何かで、なんらかの治療を受けた。
だが、それはおそらく洗脳の類だったのだろう。
洗脳された彼女は「どくたー」の意思によってあの惨劇を実行せざるを得なくなった。
もちろん、彼女の言葉を鵜呑みにすればの話だが。
しかしながら、彼女が嘘を言っているとは思えない。
ただの勘なのだが、私の勘はよく当たる。
……。
彼女には何か大変な秘密がある。
それはきっと将来、幻想郷の存亡に関わるものだと思う。
だが、だからといってここで彼女を始末してはいけない。
取り返しのつかないことになると思うから。
あることを思いついた私は、気絶したままの彼女を抱えて妖怪の山へと赴いた。
私は目の前の川に彼女を放り込んだ。
大きな水柱を立てて彼女の体は冷たい水の中へと沈む。
「あの子は一度死ななければならない。それだけのことをしてしまったから。でも、これが運命なら、あの子はまた幻想郷に帰ってくるわ。為すべきことを果たすために」
――だから、今は見守っておきましょう。