君が可愛く見えるまで。   作:4kibou

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夜のお電話、お相手は。

 昨日の履歴と同じ時間に、コール音が鳴る。電話をとった蒼に答えたのは、綺麗な鈴を鳴らしたような、凜という声だった。思わず背筋が伸びてしまうような感じ。それもまた、少し懐かしい。

 

『姉さ――んんっ、すまない。篠ノ之束に、絶対この番号にかけるように、と言われて連絡したのだが、昨晩は繋がらなかったようで。……その、あなたは、一体?』

「…………、」

 

 どこの誰が手を回したというのか。前言撤回。あの天災は手を回すどころか無駄に無駄を重ねた嬉しくもないサプライズを用意させてくれたらしい。こういう場合、彼女の気持ちが分かっているのなら一夏にすべきだろう、と蒼は思う。全くもって、複雑怪奇な計算式は解けるのに、こういった人の心情については一切分かっていないのか、それとも分かってやっているのか。後者の方があり得そうな性格なあたり、呆れるしかなかった。

 

「あの人からは何も聞いてない、ってことですか」

『ああ、恥ずかしながら。この番号とさっきの一文だけが書いてあるメモを貰っただけで』

「……じゃあ、先に謝っておきます。ご期待に添えず申し訳ありません」

『……それは』

 

 ぺこりと、電話越しに頭を下げる。返ってきた相手の声は、若干震えているような気もした。けれども、蒼としてはそれ以外に言う事がない。なにせ自分と向こうの関係を思い出せば、役不足であるのは明らか。ああ、本当に、なぜ一夏ではなかったのか。だがしかし、この時の蒼はすっかりと失念していた。現状、織斑一夏は女である。そちらに電話をかけるのはもっと不味くなるのだ。主に、この電話の相手である“彼女”の精神的に。

 

「というわけで、久しぶり。それと期待外れでごめん。上慧 蒼だよ」

『カミエ・ソウ……上慧 蒼? 蒼って、いやまさか――』

「うん。小学生の頃、ちょっと付き合いがあった、あの上慧くんで合ってる」

『……ばかもの。ちょっとどころでは無いだろう、“蒼”』

 

 そう言って、彼女――篠ノ之 箒は、先ほどと打って変わって明るい声を出した。これが箒の密かに思いを寄せる相手でもあれば、もっと喜んでいたのは想像に難くない。篠ノ之博士は妹をいじめる趣味でもあるのかと内心で愚痴を溢しながら、蒼は一先ず、懐かしの友人との会話に集中するのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『しかし、本当に久しぶりだ。最初、声が変わってて全く分からなかった』

「そりゃあ、もう中学三年だし。声変わりぐらいはする」

『そうか、そうだな。庭でふらついていた男子のものとは思えん』

「……あの件、忘れてなかったのか」

 

 苦い顔で蒼が言う。あれはたしか一夏に誘われて、見学がてら篠ノ之神社へ足を運んだ日のことだ。その頃の彼は今よりずっと体が未熟で、家から神社までの距離を歩くだけで凄まじく疲れていた。おまけにあいにく、朝から若干悪かった体調が悪化。もう上下前後左右どこがどこだか分からなくなり、そのままゆっくり倒れ込もうとしたところを。

 

 ――だいじょうぶか? かみえ、だったな。一夏とよく話していたから覚えている。……おい、顔がまっさおだぞ。

 

 なんて、まるで物語のお姫さまのように“蒼”が“箒”に抱えられたということがある。それだけでも彼にとっては結構なダメージだったのだが、おまけに姫抱きのまま多数の人が居る神社内の道場へ直行という仕打ち。箒自身はどうにかしようと動いていただけで悪意はなかったのだから余計に辛いもの。

 

「せめてあの時はおんぶの方が良かったと今でも思う」

『仕方ないだろう。蒼は軽かったし、なによりお前が私の腕におさまるよう倒れ込んできたのが悪い』

「それは違うって……」

 

 たまたま偶然、傾いた場所に彼女の腕が伸ばされていただけで。

 

『あれが原因だったな、私とお前が話すようになったのは』

「そうだっけ。……ああ、そんな気も、するなあ」

『そうだ。まったく、その調子を周りに隠そうとするお前のフォローがどれ程大変だったかと』

「それは、はい。申し訳ありません」

『うむ、正直でよろしい』

 

 身内や大人を除いた同年代で、一番最初に隠していた己の貧弱さを知ったのは間違いなく彼女だ。まだ色々と自分の体について分かっておらず、言うなれば感覚で調整中だった時期。月に何度かふらついたり倒れかけたりはあれども、完全に立って歩けないような重症は一度もなく、多少の無茶も普通に過ごすためにしていた頃である。男友達はすべからく全員、どれほど悪かろうとも騙せていたのが、彼女には直ぐバレていた。

 

『他の男子連中はどこを見ていると言いたくなるぐらい気付いてなかったな。一目見れば分かるだろうに』

「……そこが納得いかない。完璧に隠せてると思っていたのに」

『あれだけいつもと違った様子なら誰でも察する。現に女子の中の数人は気付いていた』

「……え、それ、初耳……」

 

 ――嘘だろう、ずっとバレていないと思い込んでいた。数年経って判明した衝撃の真実に、蒼はひたすら困惑するしかない。特にこれといって変わったことも無かったが、一応は人生二週目の彼である。流石に、純粋な小学生相手に見破られたりはしないだろうと高を括っていたのだ。信じられない、と胸中で呟く。

 

『といっても極少数で、それ以外は同じだ。……どうして皆分からないのかと、当時は疑問に思った』

「そ、そう、か……少し、ほっとした」

『――で、どうだ? 今の調子は』

 

 気遣うような声音で、箒が訊いてくる。昔、それなりに話すようになってからは、週に数回は投げかけられた質問だ。

 

「全然平気。もう小学校時分とは違うんだ。流石に、体もちょっとは強くなってる」

『そうか、それは良いことを聞いた。なら、今は“あの時”の配役を変えても大丈夫だな?』

「…………ごめん、いくら箒ちゃんが軽いと想定しても自信が持てない」

『ふふ、まだまだではないか。ああ、心配しないでくれ。お前に持たれる希望も今のところ無いんだ』

 

 知ってる、と蒼は笑いながら考えた。もし彼女が誰かにお姫様抱っこをされるとして、適役は既に決定済みだ。そこらの男でも、顔の整った誰かでも、ましてや自分など程遠い。そこはたったひとり、“彼”以外に居ないだろう。

 

「そういうそっちは、調子、どう?」

『……そうだな。正直、あまり先ほどまで良いとは言えなかったんだが――』

 

 本当に彼に対しては珍しく、柔らかい口調で。

 

『お前とこうして話したら、少しは楽になったよ。ありがとう、蒼』

「……なら、良かった」

 

 きっと、彼女の役に立てたのなら、少しだとしても十分だ。周りに国からの監視を付けられ、各地を転々とする生活を余儀なくされている。今の箒が想像を遙かに超える辛さであろうことは、ずっと前から知っていたりするのだ。この世界に生まれる、が頭に付いてしまうが。

 

 

 ◇◆◇

 

 

『それで、だ。蒼』

 

 こほん、と箒が咳払いをする。

 

「ん?」

『その……あー、んんっ。いや、えっと……あの、だな』

「……箒ちゃん?」

 

 妙に歯切れが悪い。言いたくないとか、そういう方向ではなく。どちらかと言うと、なにか躊躇しているような、そんな感じだ。蒼は首をかしげながら、じっと、彼女が言葉を確かにするのを待った。

 

『き、聞きたいことが、あるんだ』

「うん」

『…………い、一夏は、元気か?』

 

 ――なんだ、そのことか。と、蒼は思わず口元を綻ばせた。当然というか、仕方がないというか、例に漏れずというか。篠ノ之箒は織斑一夏に惚れていた。というよりこれは現在進行形で惚れている。まだ小学生当時だった時の想いを、今まで揺るがずに持っているということだ。純粋に凄いな、と蒼は感心しながら。

 

「うん、一夏なら、相変わらず――」

 

 元気だよ、続けようとして。

 

「――ちょっとたんま」

『……蒼?』

 

 彼女にとって先ず知られたらやばい事実を忘れていた。昨日、篠ノ之箒が淡い感情を抱く相手は――織斑一夏は、女になっている。誰でも無い、彼女自身の姉による手で。

 

『まずい。この事態が明るみに出れば血で血を洗う姉妹喧嘩待ったなしだ』

 

 蒼は確信した。そうしてなんとなく、天災が自分と彼女を繋げた理由を察した。幸いなことに、一夏の女体化は一年間無事に過ごせば元に戻る。そこまでバレなければ問題なし。ミッションコンプリートだ。

 

「ごめん。一夏だけど、相変わらず元気だ。今日なんか、朝飯わざわざ作りに来てたぐらい」

『なっ! それはなんともうらやま――こほん。う、うむ。そうか、元気か、それなら良いんだ』

「うん、良いんだ。……女になったとか言えないし」

『む? 何か言ったか?』

「いやなんでも」

 

 そうか? と箒が若干不思議そうに返してくる。

 

『あいつは、どうだ。やっぱり、昔とは変わってるのか?』

「……そうだな。結構、変わったかな」

『そ、そうなのか……ちなみに、どんな感じだ』

「もう別人って感じるぐらいだ」

『そんなにか……』

 

 性別ごとだからなあ、と蒼は遠い目をしながら箒の質問に答える。

 

「でも、一夏は一夏で、基本は変わってないかな」

『――――、』

「誰かに優しく出来て、誰かのために怒れるような、一夏のままだよ」

『……それだけで十分だ。ふふ、あいつという奴は……』

 

 そう言う箒の声は、一段と弾んでいた。

 

 

 

「…………でも今は女なんだよな」

『蒼? 声が小さくて聞き取れないぞ』

「ああ、ごめん。なんでもないから気にしないでほしい」

 


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