君が可愛く見えるまで。   作:4kibou

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春と友人と新学期。

 靴を履いて、鞄を持って、よっと腰を持ち上げる。トントンとつま先を鳴らせば、慣れた感覚が返ってきた。気分は良い。体の調子もいつもよりか大分楽だ。なにより朝から雲ひとつ無いほどの快晴、太陽はその眩しい顔をぎらぎらと輝かせて、精一杯に光を注いでいた。蒼からして、本日の状況に悪い部分は欠片もなく。つい、普段は上手く動かせない表情筋を最大限に活用して、きらきらという効果音が出そうなぐらいの笑顔を向けながら、彼はとても楽しそうに言った。

 

「準備も出来たし。そろそろだ」

 

 そんな“見た目はどうあれ今の私は光属性です”みたいな蒼とは反対に、どんよりとした気分で肩を落とす美少女。無論、呼ばれた名前通り、織斑一夏その人だ。

 

「さて、行こうか――。一夏ちゃん」

「お前絶対楽しんでるだろそうなんだろ!?」

「“蒼”だけど」

「“そう”じゃねえよ!」

 

 じゃあなんなんだ、と真面目に聞いてくる彼に、一夏は瞬時に理解を求めるのを諦めた。今日は待ちに待った始業式及び入学式。彼女にとっては、出来ることなら休みたいと思うほど辛い初日である。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「風が……空気が……素肌が……布が……」

 

 ぶつぶつと何事かを呟く一夏を横目に、蒼は周りの景色を眺める。絵に描いたような桜の並木道、ちょうど見頃なのか、どれも綺麗な花を咲かせていた。流石にこのご時世、自然のみとはいかないが、人工物と合わさっても見劣りはしない。アスファルトの道を彩るように、ピンク色の花びらがそこらに落ちている。この時期だけ見ることができる、ちょっとだけ特別で、ほんの少し幻想的だ。

 

「良いな、桜。すぐに散るのが勿体ない」

「桜? ……ああ、ホントだ。凄い綺麗だな」

「……気付いてなかったのか」

「それどころじゃナイ」

 

 半分片言で一夏が言う。重症だ。目を伏せながら蒼は息を吐いて、このガッチガチでそわそわしている友人をどうにかするのが先決かと切り替える。一夏の今の格好は春休み中に蒼の家で見せたどれとも違いながら、どの服装よりも女子力の高いものだ。それがフリルの付いたヒラヒラのワンピースだとか、リボンのあしらわれたキュートなスカートなどではなく、学校指定の制服というのが実にアレだが。そこら辺はまあ、仕方ない。なにせ未だ精神は美少女中学生一夏ちゃんではなく、イケメン男子中学生織斑一夏なのだ。

 

「もう駄目だ、歩くたびに変な感覚に襲われる。というか歩きづらいし不便だしスースーするし下手したらパンツ見えそうだしなんだこの欠陥兵装は」

「それでも一応、二年間で女子の下着が見えたのは数回しかないぞ?」

「いやそりゃ向こうは慣れてるんだし当たり前…………今なんて?」

 

 なんか、友人の口からするりと、余りにも自然に流してはいけないような言葉が出たような気がする。問い掛けると、蒼は若干首をかしげながら。

 

「だから、下着が見えたのは数回しかないって」

「そこだそこ。軽く流すな。普通に一大事だろおい」

「……しょうがない、あれは不可抗力だった。偶然、階段を上ってる途中で」

「信じられねえ……いや、本気で、自分がそれを経験するかもしれないってコトが」

 

 きゅっと、一夏がスカートを掴んでちょこちょこと歩く。必死だ、なんて思いながら、妙に姿からして似合っている事実に蒼は苦笑する。これでも数日前までは男だったというのだから分からない。口調も変えてしまえば最早別人だ。現状は男っぽい言葉遣いと、感覚に染み付いた身振り手振りだけが織斑一夏だったことを証明している。

 

「結局、髪も伸ばしたままだし」

「ああ、切ろうかと思ってたんだけど……」

「?」

 

 ぐしぐしと肩にのっかった黒髪を乱雑にほぐしながら、一夏は妙にとがった視線を向ける。なんでこんな邪魔くさいものが、とでも言わんばかりだ。確かに、あの長さの髪の毛は手入れ諸々大変だろう。つくづく女子という生き物は凄まじい。

 

「千冬姉に、長い方が似合ってるし色々と都合が良い、とか言いくるめられて。しかも髪洗う時のコツとか教えて貰ったんだぞ? ……途端に申し訳なくなって、できなかった」

「人の良さが裏目に出てるな……」

「というより姉には逆らえん……」

 

 かなりの実感がこもっていそうな一言である。思い返してみても、一夏が千冬をどうにか出来た試しは一度もない。お前まさか姉に勝てると思っているのか? という幻聴を耳にして、はい無理ですと心は秒速で折れていた。姉は強し。塩味が足りないという千冬のぼやきにも真摯に答えるのが訓練された弟だ。

 

「だからこのままだよ、結ぶのとかは“あり”らしいが」

「なるほど」

 

 頷いて、蒼は一夏の方をちらりと見た。くるくると、人差し指に巻き付けるようにして毛先を弄んでいる。

 

「その行動が既に男らしくない、ってところには突っ込んだ方が良いのか?」

「……はっ」

 

 ばっと手を離して、重いため息を吐く一夏だった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 昇降口で一夏と別れて、上履きに履き替えながら、ゆっくりと階段に向かう。一夏らの通う中学での三年教室は三階、つまり屋上を除いた最上階にあたる。校舎の高さからして、校庭を見下ろすのに苦労しない程度には上だ。必然的に踏む階段の段数も多い。

 

『そう考えると、一年生はちょっと羨ましい……』

 

 なにせ彼らが階段を使うのは移動教室の時だけ。各教室は全て一階に集結しているため、平等と言えば平等。そんな一年生だが、がたいはどうあれ心は小学校を卒業したばかりのひよっこだ。二・三年の上級生は高いところにクラスがあって良いなあと、そう思う者も多い。

 

『……やっと着いた。意外としんどいな』

 

 ふう、と静かに息を吐きながら、蒼は一度体勢を整えるように腰を反らす。毎日の通学は基本徒歩にしている彼だが、自発的に運動をすることは殆ど無い。よって春休み中、学校の無かった日々で体力は衰えており、ひ弱、ひょろい、殴れば折れそうと散々な評価を貰ってきた身体はまさに評価通りのものとなっている。日常生活に問題は無いだろうが、少しばかり体育の授業が心配だ。いけるだろうか、なんて独り考え込んでいると、後ろから唐突に声をかけられた。

 

「お、上慧っちおはよー」

「あ、うん、おはよう」

 

 女子だった。蒼は顔に出ないよう懸命な努力をしつつ、内心でしっかりと慌てる。根っこがコミュ障気味でもある彼にとって、付き合いの薄い異性との会話は割と天敵だ。

 

「なーにー? 新学期早々疲れてんのー? ちっと保健室行って来たら?」

「……いや、大丈夫。ちょっとゆっくりしてるだけ」

「そう? んー……ならいっか。でもあんま無理しないことね!」

 

 じゃお先に、と手をあげて、彼女はたたっと廊下を軽快に走って行った。

 

『……俺より元気とは恐れ入った。いや、違うな、俺が貧弱なのか……』

 

 憂鬱だ、蒼はかくりと肩を落としながら歩みを再開する。先ほど下駄箱で確認したクラス分けの貼り紙ではA組とのこと。一夏も同じだ。恐らくはそういう手回しがあったもの、と考えて良い。なにしろ異例中の異例だ。対応に当たった教師陣が頭を抱えたのは言うまでも無いだろう。

 

「……と、ここだ。うん、それじゃあ、失礼しま――」

 

 ――扉を開けるとそこには、天国と地獄が両立していた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 がばっと、数十にも及ぶ視線が一気に体を貫く。蒼は足を踏み入れた一瞬で、その場に縫い止められたような感覚に襲われた。一体何事か。恐る恐る、首を回して確認する。

 

「…………上慧だ」

「上慧くんね」

「一夏さんとは一緒では無くて?」

「というかこいつさっき女連れてなかったか?」

「マジかよあの上慧が?」

 

 言いたい放題、である。

 

「……えっと、これは?」

「蒼!」

 

 そんな空気を壊すように、がたり、と椅子を盛大に転がして立ち上がる男が一人。赤い髪の毛にバンダナ、人並み以上に整った容姿と文句なしの体型。誰が言ったか「口を開かなければ織斑にも負けないイケメン」というのは伊達ではない。彼の名前は五反田 弾。一夏や蒼と共通の知人にして、よき友人である。

 

「まあ、言いたいことはあるだろうし、こっちもあるが、とりま同じクラスで良かったわ。これから一年また忙しいぞ」

「うん、よろしく、弾。……ところで、この妙な包囲網は……」

「織斑一夏と関係を持つための女子グループ結託の陣、略してオリジン。一夏と同じクラスになって浮かれた女子どもがやってんだよ。おかげで向こうは人生最高ビバ一夏、俺ら男共は甘酸っぱい青春の可能性を散らしてお通夜モードよ。あー馬鹿らし……」

 

 ぼそり、と漏らした弾の一言に、特大の魚……もとい女子がお前ごと噛み千切らんとばかりに食らいつく。

 

「馬鹿らしいとはなんですか五反田くん! 私たちは必死なんです!」

「そうだそうだ! 意見は一夏くんの友人というその枠を譲ってから言って貰おうか!」

「鈴音もいなくなった今がチャンス。今年こそ告白してクリスマスを一緒に過ごすの!」

「野郎のくせに生意気ね! そのチ○コハサミでぶち切られたいワケ!?」

「ははは、ぞっとしねえ。というかなんだこの人気は。俺のイチモツの前に奴のイチモツを消し飛ばしてやりたいわ」

 

 理不尽な罵倒に弾が青筋をたてながら言う。もっとも、彼が行動に移す前に、一夏のアレは綺麗さっぱりなくなっているのだが、それを知っているのはこの場で蒼だけだ。それだけに、彼の心臓は酷く嫌なリズムを奏でていた。

 

「……あ? どうした蒼。すっげー顔色悪いぞ」

「なんでもない」

「いやでもお前今にもぶっ倒れそうなぐらい――」

「なんでもない。本当になんでもないんだ。……なんでもないってことにしてくれ」

「お、おう……」

 

 友人の珍しく狼狽えた風の様子に、弾は首をかしげながらもなし崩し的に黙る。

 

『冗談、だろう。このテンションがもうしばらくで急転直下するのか……?』

 

 悪夢だ、といつぞや一夏が呟いた言葉を、蒼は内心で繰り返した。

 


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