「……本当に、織斑くん?」
「あ、ああ。全然、見た目は違うけど」
「一夏くん……どうしてこんな……」
「えっと、一応、深い事情があってというか、俺が望んだワケではないというか」
「それは上慧さんから聞きました。……誠に信じられませんけど」
見慣れた光景も、中心になる人物が変われば新鮮に見えるらしい。やっとのことで壁による追い込みから解放された蒼は、教壇の方に群がる集団へ目を向けながら、そんなことを思う。大量の女子に囲まれる一夏というのは特に珍しくもないが、なにしろ美少女の姿をしているので違和感が凄まじい。彼は一息吐いて、ぎしっ、と椅子にもたれ掛かった。
「……大丈夫かー? “ソウ”なのに“爽”やかじゃねーぞ」
「字が違う……」
疲労困憊、といった様子の蒼に、一足早く平時の調子を取り戻した弾が声をかけた。織斑一夏が女の子になった=イケメンが一人いなくなったという事実にどんちゃん騒ぎの男子陣営。その中でも一番乗りに乗りそうなこの男が真っ先に落ち着く、というのは蒼としても驚きだった。うっすらと目を開けながら、側まで来て肩を叩いてきた友人を視界に入れる。
「なんだ、もう甘酸っぱい青春は終わったのか」
「ばっか。これからだこれから。まあ、俺のルックスなら楽勝なのは目に見えてるからな。余裕のない野郎共と違って現状把握ぐらいできんだよ」
「……君も大概素直じゃないなあ」
「うるせえ。俺よりチャイナ娘の方が素直じゃなかったろ」
ありゃあ中国四千年の歴史を背負った代物だな、と意地の悪い笑みを浮かべて弾が呟いた。ここに当の本人であるチャイナ娘――もとい凰鈴音が居れば、綺麗なストレートで殴り抜かれていただろう。引っ越してしまったことを幸運とは思わないだろうが、彼なりに寂しさを持っているという表現なのか。あまり触れるのもどうか、と思って蒼は形だけ笑ってみる。
「んで、どういうことだ。あいつがあんな美少女になるとか、俺は夢でも見てんのか?」
「夢だったら良かったんだけど」
「つか意外とおっぱいあるなあ。元男が持っていいもんじゃねえぞあれ」
「……弾、脊髄とは言わないけど、その股間に正直すぎる会話はおさえてくれ」
欲望に忠実なのが必ずしも悪ではないが、真剣な表情で言われると反応に困る。しかも向こうとしては本気も本気、滅多に見せない真面目な姿だ。だからこそ質が悪い。蒼は頭に手を置きながら、それでも一人で抱えるよりマシかと気を取り直して。
「……なあ、蒼。あいつが一夏なんだよな?」
「ああ、そう言ってる」
「だったら、あれ、揉んでもいいよな? 男だもんな? 何も問題ないよな!?」
「絵面が問題だし同意がなかったら確実にセクハラだろう……」
全然落ち着いていない馬鹿にくらっと意識が遠退きかけた。弾の言い分も理解できる。事実として、女になった一夏の胸はそこそこの大きさを有しているのだ。春休み中毎日と言っていいぐらいに朝飯を一緒にしていた蒼が、そのことに気付いていないワケがない。けれどもそれはそれ、これはこれ。今はそんな変態的ムーブをしている場合ではない。蒼はなんとか弾を軌道修正しようと目を向けたが、時既に遅し。
「一夏!」
「うおっ!? な、なんだ、弾。いきなり」
「後生だ! そのおっぱい揉ませてくれ!」
「……はあぁ!?」
飾らない言葉は素敵だ、という話はよく聞くが、蒼はこの時ほど言葉は飾るべきだと感じたことはなかった。物は言いようだとかそういうレベルではなく、根本的な表現からしてだ。ストレートに意味を伝える弾の言葉はロマンチックというよりも、単なる馬鹿の遠吠えでしかない。
「織斑くんちゃんそこ退いて!」
「え? え?」
「そいやぁッ!」
と、件の男子がふわっと宙を舞う。
「――うおーっ!? 空中百八十度回転方式ーーー!?」
がたたたたっ、と机を巻きこんで、なにやら変なことを叫びながら弾が転がる。一体何事か、と一夏の居る教壇の方へ顔を向けた蒼が見たのは、ゆらりと構える一人の女子。
「なんかよくわかんないけど女子の胸に触ろうとする変態は悪・即・斬で! たとえ相手が一夏くんであろうとも!」
「……弾。たしかあの人、うちの柔道部の主将だった人じゃ」
「よ、よく覚えてたな蒼……全国ベスト8の実力は伊達じゃねえってか……っ」
「……まあ、それはそれとして、自業自得だから反省で」
「なにー……ちくしょう、お前は俺の母親かっ」
失礼な、どう見ても男だろう。そう呟く彼の頬は、少しだけ膨れていた。
◇◆◇
「疲れた……」
「お疲れ、一夏」
「おー、お疲れさん」
一夏に対する女子一同の質問や嘆きの拘束は、HRの次である始業式後の休憩になっても収まらず、こうして下校の時間にようやく解放された。本日は年度初日ということもあって、授業は式典と係・委員会の決定のみ。午前中で終わりだったのは、色々な意味で幸運だ。一夏、蒼、弾の三人は誰もいなくなった教室で、各自の席へ腰掛けた。ちなみに窓際一番後ろが蒼、その前が一夏、隣が弾である。
「女子って凄いな……一体どれだけ喋るんだって言うぐらい口が尽きない……」
まるでマシンガンだ、と愚痴る一夏。彼の身近なところに女性がいないということでは決してないのだが、こうも怒濤の勢いで話し掛けられるのは無かったのだろう。男前で性格も良い織斑一夏であった場合、対面する女子側の緊張もあって押せ押せの人間は少なかった筈だ。
「うん、分かる。なんというか、頭の回転数からして違ってるような気がしてならない」
「俺もなんとなく理解できるわ。いやーうちの妹ってばなんであんなに強いのかねえ……」
現在、家庭内ヒエラルキーでは絶賛最下層を彷徨っている弾は、いくら力があろうとも上に行く事は無い。両親に勝てないのは言わずもがな、妹には口で負かされ、祖父に力で締め上げられる。肩身の狭い生活は辛いぜ、と泣きたくなる気持ちは一旦置いておき、彼はここに来て本題に取りかかった。
「……それじゃ、確認するけど。本当に一夏でいいんだな?」
「だからそうだって朝から言ってるだろ。なんなら証拠を見せても良いぞ」
「よしじゃあ証拠見せろ」
「ふっふっふ……控えい! この紋所が目に入らぬか!」
学生証だった。
「そんなん証拠でも何でもねーじゃねーか。しかも顔写真男だし」
「だよな……。悪い、弾。証拠とか俺、一切持ってない」
「そこはあれがあるだろう。弾の実測したモノのサイズ」
「おいやめろよあれを聞いた一部の女子から“クリスマスツリー”って呼ばれたコト俺いまだにトラウマなんだからな!?」
十二センチと二・五ミリ。それが彼の男としての魂である。しかしながら、トラウマにまでなっているとは想像していなかった。だとしたら、ちょっと申し訳ない事をしてしまった、なんて思いながら蒼は手刀を切ってごめんと謝る。過去のトラウマというものは非常に厄介だ。彼も似たようなものを持っているため、軽々しくは捉えられない。
「まあ、いいけどよ。どうせ一夏なんだから、こいつの長さを知ったところでなに? って感じだ」
「揉ませろとか言ってきたのはどこのどいつだよ」
「いや一夏? お前冷静に考えろよ? 目の前に格安のセール品で買えそうな夕張メロンがあったらお前迷わずカゴに入れるだろ?」
「俺の体が格安のセール品ってことになるぞおい」
一夏が冷めた目で弾をじろっと睨む。それも気にせず弾はというと、体が安いって響きがエロいよなと真剣な表情で考えていた。割とどうでも良い。
「だってお前土下座して頼んだら揉ませてくれそうじゃん」
「揉ませるワケないだろ!? 大体これ、飾りとかじゃ無いんだぞ!」
ぐわしっ、と一夏が自分の胸を掴んで吠える。蒼は鼻孔が熱くなる前にさっと目を逸らした。制服の上からでも見てとれる膨らみは、一言で表すなら最高としか言いようが無い。まあ、当然、純情少年には刺激が強すぎて駄目なのだが。
「感覚あるし、触られたら変な感じがするし、本当に勘弁して欲しい」
「……一夏」
「なんだよ、弾」
「お前それクッッッッッソエロいな!」
「はあ? なにが――――って、おわーっ!?」
勘弁して欲しいのはこちらもである、と蒼は鼻を押さえながら内心で呟いた。