「ははは! そりゃあ厄介なことに巻き込まれたな」
「まったくだ」
うんうんと一夏が頷きながら答える。一時限目が始まるまでの十分休憩、今朝あった出来事を弾に告げると、彼は盛大に笑い声をあげた。蒼にとってはそこまででもなく、一夏にとっては血管がはち切れるかというぐらい頭に来た一件なのだが、弾にとっては自らに関与しない話題だ。ひーひーと言いながら、面白えと腹を押さえている。
「俺がその場に居たら大爆笑してるわ。いやー運が良かったな蒼!」
「それぐらいの方が俺も気楽で良かったかもしれない」
「良くねえよ。馬鹿にされてんだぞ」
むっと膨れる一夏の怒りは、未だ冷めやらぬ様子だ。むしろ思い出しただけで駄目だったのか、歯噛みしながら何やら怖い顔をしている。この普段は温厚な友人がこうまで怒るのは珍しい。かの男子生徒は滅多なことが無い限り、二度と一夏とまともに話せないだろうな、と考えながら蒼はポンと彼女の頭に手を置いた。
「……なんの真似だ? 蒼」
「落ち着いてくれ、一夏。もういいだろう?」
「なにがいいんだ? あれだけ言われて、悔しくないのかよ。それともお前ドMか?」
「ドMではないかな」
苦笑しながら否定して、蒼は感情を爆発させている目の前の人物と向き合う。上慧蒼は他とは少し違った境遇を持っているとは言え、基本は平凡で無個性的な一般人である。聖人君子でない彼は、普通に怒り、普通に悲しみ、そして普通に笑う。転生という摩訶不思議体験によってそのハードルは若干上がっているが、きっと親しい誰かが死ねば涙を流すだろうし、嬉しいことがあれば微笑みもする。そうして彼は、ここに至って怒っていないのだ。蒼にとって、今朝のコトはそこまで引っ張るものでもないのである。
「ああいうのは、あんまり気にしちゃいけないと思う。精々が言ってくるぐらいなんだから、まだ可愛いものだろうし」
「でもお前、あんな大勢の前でわざわざ――」
「いや、まあ、それが狙いだったんだろうし、そこは仕方ない。……とりあえず、俺は一夏にそこまで怒ってもらえただけで、スッキリした。ありがとう」
「――――、」
罵倒された本人に笑いながらそう言われては、さすがの一夏も黙るしかない。受け止める、よりも受け入れる。真面目に捉えて悩みなどしないが、そういうものもあるか、と簡単に納得して抱える。蒼の慣れないことに対する対処法は、一種の逃げにも近い。本当に分かっているのかいないのか。一夏は諦めと同時にため息を吐いて、やっと震わせていた肩を落とした。
「蒼はズルいな……ああ、こういう時にもし鈴がいたら。二年の教室まで殴り込みに行ってただろうに」
「……えっと、どうだろう。さすがに鈴ちゃんもそこまでしないと思うけど」
「する。絶対する、あいつは。お前に対してめちゃくちゃ甘いからな」
「おう。あのチャイナならやりかねんぞ。……どうしてその対応力を一夏に向けられなかったのか」
ぼそっと呟いた弾の一言は、幸か不幸か一夏の耳には届かなかった。それにしても、話に出てきた鈴――凰鈴音はそこまでのものだったか、と蒼は首をかしげる。たしかに箒の時の反省もあって、彼なりに出来る限りの努力をした結果、馬鹿を言い合ってふざけ合う程度には親密になれていたが、彼女が最大に好意を向けていたのはやっぱり一夏だ。己の方はというと、なんとなく、おまけ程度のことしかされてないような、気もするが。
『ちょっと、顔、酷いわよ。……いや造形の問題じゃなくて! か・お・い・ろ!』
『はあ!? 台所で倒れた!? アンタなにしてんのよ! ってか何で学校来てんのよ!』
『本当体力無いわねー……短距離一周で倒れ込むなんて。仕方ないから扇いであげるわよ、ほら、うちわ貸しなさい』
『そこの貧弱男子。うちで飯食っていきなさい。アンタが帰って作る手料理よりかは随分と栄養価高いと思うけど? ……お金? 安心なさい、つけといてあげるから』
『一夏に変な虫が付かないよう見張ってなさいよ。いつか私が帰ってくるまで。……それと、三食しっかり食べてよく寝て適度に運動すること。アンタ、油断するとそのままぽっくりいきそうで心配だから』
……まあ、言い方は実にあれだったが、こうして思い返してみると、彼女なりにこちらを気遣ってくれていたのかもしれない。そうなると弾の言う通り、何故一夏にそれが出来なかったのか、という話だが。鈴から一夏へのアプローチに関するサポートも抜かりなくしていた。これで揺らいでいないのだから、恋愛対象としての一夏は強敵なのだろうな、と何とはなしに考える。
――きっと、誰もがそう思うように。織斑一夏は男女問わずどんな人間であろうと今はまだ恋心を抱かないと。蒼もまた、根拠も無く確信していたのだった。
◇◆◇
「――第一印象から決めてました。俺と付き合ってください」
「数馬、数馬。それ一夏なんだぜ」
「ははは、いやそんな馬鹿な――嘘ォ!?」
「残念ながら本当だ」
馬鹿の集い、トラブルメーカー、災厄の元。彼らの中学でそれらが指し示す意味は、つまるところ一つのグループである。織斑一夏と愉快な仲間達。その最後の一人である御手洗数馬は、隣のクラスからわざわざやって来て先制攻撃気味な告白と共に、衝撃の事実をあっさりと受け入れた。理由は無論、彼のIQが平均と比べて著しく低かった、つまり弾と同レベルというところにある。
「こんな……美少女なのに……中身は一夏……」
「えっと、数馬はなんで、そんな……ムンクの叫びみたいな顔を?」
「神は二物を与えたが全部はくれなかった……オーマイ。それならいっそ蒼の方を女にしてくれれば良かったものを!」
「なんでだ」
蒼が複雑な表情を浮かべながら、片手で顔を押さえる。身近な人間である一夏が女になったことで図らずも何度かそういう想像をしたが、彼としてはどうしても今の一夏のようにある程度さえ割り切れる未来が見えなかった。流れるように生きて平和に暮らせればそれで良い蒼にとっては、歓迎したくない体験に違いない。
「お前気が利くし、男相手なのに尽くすような素振りが時々あるし、あとぶっちゃけ押すより押される方だろ? 蒼は絶対メス墜ちするタイプと見た」
「勝手に決めないでほしい。俺だって男なんだから」
「俺は嫌だなーこんな女子。ほら、隙あらば病弱アピールしそうで」
「だから弾も勝手に……っていうかなんだ病弱アピールって」
「本当、蒼が女になってたら俺も笑えたかな」
「一夏は色々と重いって……気持ちは分かるけど」
一人でもそこそこ厄介だが、揃うと最早手が付けられない。独特の空間を作り出すその要因の中に、蒼もしっかりと入っているのがなんとも。鈴が抜けてパワーダウンしているとは言え、学校一の問題児共は今日も元気に馬鹿だった。
「にしても勿体ないぐらい綺麗だな、一夏。これは今学期荒れるぜ」
「荒れるって、なにがだよ」
「決まってんだろ。さっきの俺みたいに事情を知らず玉砕しにくる野郎どもが続出するってことだ」
「はは、まさかそんな――」
ないない、なんて言ってからからと一夏は笑う。いくら絶世の美少女とはいえ、何度も述べるように中身は元男のイケメン中学生。織斑一夏が女になった姿、という話が広まってしまえば、そこまで多い人数は来ないだろうと。
この時はまだ誰も知らなかったし、思ってもいなかった。まさか、詳しく知らない新入生や、見た目に惑わされた二年生が、我先にと一夏に猛攻を仕掛けることを。それが毎日のように続くことになるなど、本心から一人として、考えてすらいなかったのである。
御手洗数馬くんは悩んだ結果ナチュラルテイストにしようと思い、結果没個性的キャラへと進化しました。
ロリコン熱血野郎なんていなかったんや……。