君が可愛く見えるまで。   作:4kibou

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彼女が彼であった意味。

「なんていうか、さ。……ふと、思って」

「ふと、って……」

「俺、この前まで男ってだけで、中身は何も変わってないんだ」

 

 ぼうっと、一夏が虚空を見詰めながら語る。その表情はお世辞にも明るいとは言えない。春休みの一件から既に一月の時間が経っていた。体は女のものに少しずつ慣れてきているとは言え、心は全く別問題。一夏としては、どうしても考えてしまう。自分が男だった時と、女である現状の差を。

 

「女になって、学校に行くようになって。先ず、男子達が急に騒いだり、嬉しがったりしてたことが最初かな」

「……ああ。あの時は、たしかに凄かったけど」

 

 思い出しても酷いものだ。なにせ絶望で項垂れる女子の怨嗟の声をかき消す勢いで、最高学年の選りすぐった馬鹿共は喜んでいた。それはもう喜んでいた。警報発令で早く帰るように言われた時よりも喜んでいた。そのぐらい、織斑一夏性転換事件は前代未聞の大事だったのである。

 

「その時はまだ何でもなかったんだ。またアホみたいなことしてる、ぐらいしか思ってなかったんだけど」

「……うん」

「少し経って、よく男子から声かけられるようになって、後からそれが告白だって気付いた。……男子からの、告白だ」

 

 それは恐らく、必然とも言える流れだった。何度も言うように、一夏の女の子としての容姿は現時点で殆ど完成されている。中学生特有の可愛さと、綺麗な女性としての部分が見事に両立できている奇跡的な外見。当然、そこらの男からすれば目を奪われるほどの美しさ。男から迫られる、という状況は蒼もなんとなく予想はしていた。が、しかしながら重要視はしていなかったところに、この事態を招いた原因がある。

 

「一回だけかと思ったら、次の日も別の奴がきた。その次の日も。次も、次も、次もだ。毎日毎日男から、一人だけじゃなく何人も」

「……そうだね、知ってる」

「一目惚れです、第一印象から決めてました、初めて見た時から綺麗だと思いました、廊下で見かけた時から気になってました、なんて言ってきて。ああ、結局こいつらは、前の俺のことを知らないのか、切り離してるのか、って思って」

「それは……あの人達が見てるのは、女の子としての織斑一夏だろうから」

 

 そうだと俺も思うよ、なんて一夏が複雑そうな笑みを浮かべる。ずきりと、蒼は心臓に杭が刺さったような痛みに、一瞬だけ顔を顰めそうになった。ぐっと拳を握り込んで、なんとか堪える。地肌を抉った爪の跡が熱い。もっとも、生命機関としての臓器が痛んでいるワケでは当然なく、きっと訴えているのは、心の方だった。

 

「前まではこんなことなかった。男の時の俺は、普通に毎日を過ごしてたんだから。……女になってからなんだよな、こういうの。好きだ何だ付き合ってくれ、って一日に何度も」

「……それは」

「それってさ……なんだか、男の俺を否定されてるみたいじゃないか」

「――――、」

 

 言葉が、出なかった。

 

「そしたらさ、考えちまうだろ。今まで俺が生きてきた十四年間は……男として生きていた時間は、何だったんだって。俺がやってきたことって、全部、無意味だったのかなって」

「そんなこと――」

「ないって、言えるか? だとしたらその根拠はなんだ?」

「…………一夏」

 

 決して、声を荒げているワケではない。棘のある言い方、というものでもない。けれどもそれらは、正真正銘、織斑一夏が発した心からの叫びだった。蒼はここに来て、自分の思慮のなさを思い知る。単純に考えれば分かった筈だ。思春期真っ盛りの中学生、己のような異物はともかく、今のような事態に陥ったら何かしら悩むことぐらい当たり前。

 

『……弾のことも悪く言えないな。馬鹿だ阿呆だって、それはお前じゃないか』

 

 どれだけ変えようと、根っこの部分は前世からひっさげてきたそのまま。人付き合いを苦手としてきた一人の男が死んだことで、ようやくマシになっているのが今の上慧蒼である。その名残は消し去れない。悪い部分は良い部分以上に無くすことが難しい。残って、溜まって、知らないうちに顔を出す。

 

「なあ、蒼。教えてくれよ。俺が男だった意味ってなんだ。男として生きてきた意味って、なんだったんだ」

「……大丈夫だ、一夏。意味なら絶対ある。暗い方向に考えないでくれ。弾も数馬も俺も、みんな一夏に男に戻って欲しいって思ってる。だから――」

「蒼。いいんだ、そんなコト」

「――――っ」

 

 失敗した、と彼は一夏の顔を見て瞬時に悟る。彼女は違うんだよ、と言うように寂しそうな顔で、ふるふると首を振っていた。言葉選びの下手さ。そして咄嗟の出来事に対する判断力の無さ。なにもかもが、蒼には足りない。物語の主人公のように、上手く気を利かせた言葉を紡いで安心させることなど出来やしない。

 

「もう何年の付き合いだと思ってるんだ。……ずっと、あの時から、気を遣わせてることぐらい、分かってる。それでお前の思うところを曲げて隠されるのは、辛いな」

「……いや、俺は、そんなの……」

「――俺は、お前の考えが聞きたい。わがままだけど、お前の思った答えを知りたい。だから聞かせてくれ、蒼。……俺が男だった意味って、なんなんだろうな」

 

 気遣いができて、いつも落ち着いていて、滅多に怒らないような人間像。それも結局は違っている。彼が飾らずに生きた結果が、運良く飾られているように見えてしまっただけ。何か心に響くようなことを言って励ますことなど、蒼には出来ない。出来る訳がない。きっと体を使うこと以外ならそれなりにやれる筈だと思っていても、現実はこの通り上手くいかない。最早、どう足掻こうにも、無駄になる。

 

「……一夏が、男だった意味」

「ああ。……蒼は、どう思う」

 

 だから彼は――なんとかしようとするのを、諦めた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……さあ、どうなんだろう」

 

 すっと、全身が冷える。余計に入っていた力が抜けていく。話すのは得意でない。けれど、自分の想いを伝える手段は会話が一番だ。ゆっくりと、自分のペースで。何かを悩む必要はない。ただ正直に、考えることをまとめて、きちんとした言葉にしていく。

 

「うん。きっと、一夏が男だった意味なんて、ないのかもしれないな」

「――そっか、やっぱり、そうなるよな」

「……だって、一夏に分からないんだから、俺にも分からないだろう。そんなことは」

 

 吐き捨てるように彼は言う。今までよく聞いていた、平常時の感情が見えない平坦な声音。ぶっきらぼうとはまた違う、淡々とした言い方。思って口にする、という人間的な動作を酷く簡素に仕上げたようなもの。要らない部分が削り落とされている、とでも言うべき、彼独自の妙な雰囲気。生きているのにどこか、生きていないモノのような。一夏は蒼のこういった話し方を、あまり好んではいなかった。今の今までは。

 

「偶然男だったのかもしれないし、なるべくして男になっていたのかもしれないし、こうなるために男だった、って可能性もあるし」

「そりゃあ、想像したくないな……。本当に、なんなんだよ、それは」

「だから、意味なんてないんじゃないか。……いや、最初から、なかったんだろうね」

 

 言い切ると、一夏が頬を吊り上げたまま、深く俯いた。織斑一夏が男として生まれて、生きてきた意味。きちんとした理由さえあったのなら、肯定して欲しかったであろう一つのこと。それを容赦なく切って捨てながら、蒼はぴくりとも表情を動かさない。

 

「……ああ、くそ。思ったよりキツいな、これ。なんだよ、俺、生きてる意味すらねえんじゃねえか」

「そんなのもっと分からないだろ。俺だって、今、ここで自分が生きている意味が分からない」

「蒼にも分かんないんなら、俺も分からないだろうな。……はは、今までの人生何だったんだよ、って話だ」

 

「でも」

 

 ぽつりと、蒼が呟く。

 

「生きてきた意味は分からなくても、生きてきたことは無意味じゃない」

 

「…………え?」

 

 一瞬、一夏には、蒼が何を言ったのか分からなかった。

 

「例えば箒ちゃんや鈴ちゃんは、一夏に救ってもらってる。千冬さんだって家族がいるってことに支えられたハズだろうし。俺も君と一緒に居て、助けてもらったことは数え切れないほどある」

「――――、」

 

 ふわりと、蒼は頬を緩めた。仮面のように変わらなかったそれが、身内の間によく見せる柔らかな笑顔になる。

 

「そのどれも、無意味とは言えない。言っていい訳がない。だからその事実も、ずっと変わりないんじゃないかな」

「事実、って……」

「――織斑一夏っていう男の子が、誰かのために体を張って、何かをしたっていうコト。それは絶対に、女になった今でも、変わらない事実として残ってる」

 

 たしかな行方の分からない箒の恋心も、海を越えて遠く離れた鈴の好意も、一夏がやってきた事に対しての結果だ。

 

「だから俺は一夏が過ごしてきた十四年間が無意味なんて思わないし、そんな風に誰にも言わせない。だってそれが無かったら、俺も弾も数馬も……箒ちゃんや鈴ちゃんだって、こうして関わることもなかったんだから」

「あ……」

 

 小さく、彼女は声を漏らした。

 

「…………って、あれ。もしかして、泣いてないか?」

「い、いやっ、ちょ、ちょっと待っ……ああくそ! 違う! これは……っ!」

 

 ええい! と一夏はぐいっと蒼の体を引っ張って。

 

「――なんだよ、ちくしょう……俺は、悲しくて泣いてるんじゃ、なくて」

「……そのぐらい、分かってるって」

 

 言いながら蒼はゆっくりと、俯く一夏の頭を優しく撫でた。

  


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