君が可愛く見えるまで。   作:4kibou

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恋心なんてなくてもいいから。

 浴室でシャワーを頭から浴びながら、一夏は目を閉じて考える。上慧蒼という少年は、初対面では少し不気味で、何を考えているのか分からない相手だった。彼の性格からしても、積極的に話すことはない。ただ一人で、黙々と、漢字の多い本をいつも読んでいる。今にして思えばなんという子供か。みんなが外で走り回って遊んでいる中で、蒼はずっと難しい本を読み漁っていたワケだ。常人離れした成績の良さも頷ける。……もっとも、本当は別の理由なのだが、それを一夏が知るはずもない。

 

「…………、」

 

 いつだったか、よく話すようになったのは小学校低学年の時。偶然掃除の当番で一緒になり、それ以来今のような関係にまでなっている。昔の時点では想像もしていなかった。まさか、こんなにも自分と噛み合いそうにない相手と、遠慮無く本音をぶつけられるぐらい親密になるとは。なにより一夏が蒼と接するようになって驚いたことが、彼を知れば知るほどに良い部分が見つかるところだった。

 

「話してみないと分からない、っていう良い例だよな、あいつは」

 

 見たとおりで判断していては、何一つとして分からないのだ。根暗で、無口で、無表情で、感情が薄く、個性が無くて、主張が弱く、覇気もない。おまけに容姿もそこまで人目を引くようなものではない。第一印象としては最低レベルのものを並べ立てている。けれども、それを踏み切ってしまえば、がらりと変わるのだ。

 

「箒や鈴だってよく気にかけてたし、女子に好かれない、ってことはなさそうなんだけどな……」

 

 如何せん、本人があまり異性との会話を好まないため、必然的に浮いた話も出て来なくなる。一時期は“上慧蒼ホモ疑惑”まで出てくるほどだったが、それも随分前のこと。今ではさっぱり聞かなくなったあたり、なにかしら理由はあるのだろうが、一夏はそのことを詳しく知らない。割とこの体が女になった後の反応を見る限り、そういった欲望はしっかり有るようだが。

 

「……女、ね」

 

 うっすらと目を開けて、水を滴らせる己の体を眺める。入浴、着替え、一か月かけてやっと、自分の体を見て恥ずかしがることはなくなった。十分慣れてきた、とも捉えられるだろう。学年問わず、学校中の男子が好意を向けてくる身体。男の時とは違った、蒼曰く、女の子として完成されている姿。細い手足、長い髪の毛、大きな胸。いずれも、一夏にとっては嬉しくないものばかりだ。

 

「こうしてなんとかなってる、ってのが凄いな。……蒼がもし同じ経験してたら、俺は支えてやれたかな」

 

 もしもの話ほど無駄なものはない。が、思うのは自由だ。なんだかんだ言って、諦める時はすっぱりと割り切る彼である。悩みも怒りも苦しみも、抱え込んで飲み込んで、結局は折り合いをつけて生きていく。一夏の想像では、仕方ないなあという風に笑う蒼の姿が見えた。自分はそこまで上手くない。日々の悩みも苦しみも、折り合いをつけることでさえ、なかなか出来なかった。それは、もしかすると、今も。

 

「……でも、そこはもう、心配要らないか」

 

 笑って、右手の小指を見詰める。一夏は確信していた。学校中の男子生徒、その全てがもれなくこの身体に好意を向けるような異常事態になろうとも、蒼だけは一人の友人として――織斑一夏として見ている。同時にそれが、以前まで男だったという証明にもなる。最早なにも悩むことはない。なにも怖がることはない。味方に付いたのは正真正銘、頼れる世界最高の友人だ。

 

「……って、完璧に立ち直るのはちょっと早いか」

 

 不意に顔を出した落ち着かない感情を、苦笑いで誤魔化す。何が不満なのか、どうにも残っているものがある。一夏としては嫌な気分だ。頼れるとは言え、あまりもたれ掛ってばかりでは、きっといつか倒れるのは向こうだ。

 

『そんな事態にならないよう、頑張らなきゃな』

 

 きゅっと蛇口を閉めて、浴室から出る。一夏はタオルを手に取り、慣れたような手付きで自分の体を拭き始めた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「おーい、蒼。風呂上がったぞー」

 

 がちゃりとリビングのドアを開けて、声をかける。が、肝心の蒼の姿がどこにもない。

 

「あれ? ……蒼? どこ行ったー?」

 

 廊下の方に体を戻して呼んでみるも、薄い明かりのみがついた通路に響くだけ。なにかしらリアクションが返ってくることはない。

 

「出かけたのか? それなら一言ぐらいあっても……」

 

 なんて思いながらも、見つからないのなら仕方ない。ゆっくり待っていようか、と一夏が気を取り直してソファーへ向かうと。

 

「――って、おい、ここで寝てんのかよ……」

 

 ずるり、と思わず一夏はずっこけそうになる。見当たらなかったのも無理はない。蒼は扉に向かって背面を向けたソファーの上に、手足を放って横たわっていた。平時より気の抜けた表情で、すうすうと静かな寝息をたてている。日頃の雰囲気が大人っぽいからか、一夏にはどことなく新鮮な光景だ。

 

「……こうして見ると、こいつも俺らと同じ中学生だよな」

 

 ちょっと頭が良くて、ちょっと動くのが苦手で、ちょっと落ち着いた普通の男子。そんな台詞はいつか聞いたことがある。たしか一夏の記憶が正しければ、鈴がよく言っていた。蒼がなんだどうだと話になる度に、「あいつは特別じゃない」と吐き捨てるように。その言葉に込められた意味が、なんとなく理解できる。

 

「……おーい、蒼。起きろ、風呂上がったぞ」

「……すう」

「む。……意外と手強いな」

 

 彼ならば直ぐに起きそうなものだが、どうやら眠りはかなり深い様子。表に出していないだけで、疲れでも溜まっていたのだろうか。そう思いつつも、ここで寝かせるのは不味いと一夏は心を鬼にする。

 

「蒼。ほら、起きろって。せめて布団の上で寝てくれ」

「…………すう」

「蒼、蒼。朝だぞー……いやがっつり夜中の十一時だけども」

 

 ゆさゆさと体を揺らしてみたが、全くもって目覚める気配もない。どうしようか、なんて一夏が髪の毛をすっと梳かした時だ。ぴっと、一粒の雫が跳ねて、彼の頬へと真っ直ぐ。

 

「…………」

 

 ぴちゃり、と。

 

「――っ」

「うおっ!?」

 

 がばり、と蒼がいきなり体を起こす。彼はそのまま呆然と目の前を見詰めた後、そっと自分の頬へ手を持っていき。

 

「…………水滴?」

「あ……散ってたか。ちゃんと乾かしたつもりだったんだが。悪いな」

「……一夏。お風呂、上がったのか」

「ん? ああ。ていうか、それでさっきから起こそうとしてたのに、蒼が今の今まで起きないもんだから」

 

 一夏の言葉に、彼は一瞬瞠目して小さく「そうだったのか」と呟いた。あれほどまでぐっすり寝ていたのだから、反応としては当然。むしろ起きたばかりでこうまではっきり意識が持てるのか、と一夏は疑問を覚える。雫が当たったにしても、残っていたほんの少しだ。なんでもない事のようだが、どうしても気になる。

 

「なら俺も入ってくるよ。喉が渇いたのなら冷蔵庫にあるもの、飲んで良いから」

「おう、サンキュー。…………なあ、蒼。ちょっと聞きたいんだが」

「ん? なに?」

 

 立ち上がって扉まで歩いていた蒼が、くるりと振り返る。

 

「さっき、首かしげてたけど……そもそも俺の水滴、なんだと思ったんだ?」

「……ああ、そんなこと」

 

 大したことじゃないよ、と前置きして彼は笑う。それから、困ったように眉を八の字にして。

 

「冷たかったから、雨だと思ったんだ」

 

 そんな、どこか引っ掛かるようなことを言って、蒼はゆっくりと部屋を出た。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「……なあ、蒼。……起きてるか?」

 

「……もう寝ないと明日に響くぞ、一夏」

 

「……あの、さ。……俺、本当に、男に戻れるのかな」

 

「…………、」

 

「……悪い。なんか、やっぱり不安でな。夜になると、そういう気分になるだろ?」

 

「……戻れるよ、絶対」

 

「……絶対、か」

 

「うん、絶対だ。……絶対、俺が元に戻す」

 

「…………ありがとうな、蒼」

 

「いいよ、別に。……別に良いから、安心して寝てくれ」

 

「……ああ、そうだな。おやすみ、蒼」

 

「おやすみ。……いい夢が見られると良いな、一夏」

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 朝の通学路は、今まで以上に一段と賑やかだった。昨日は休みで顔が見られなかったからか、この数だと下手をすれば一夏を狙う男子一同はこぞって集結している。四方八方から視線の雨。まるで体に穴が空きそうだ、などと考えながら、蒼は隣に並んで歩く彼女を見る。

 

「……そんなに気にしなくても平気だ、もう」

「それなら良いんだ。……流石に昨日の今日でこの数はどうか、と思っただけで」

「それは同感だな。前までなら、絶対頭抱えてた数だ」

 

 僅かに口の端を吊り上げて、一夏はなんでもないように言う。その態度に驚いたのが蒼だ。ついこの前まで辟易といった表情を浮かべていた筈なのに、今はまさに余裕綽々といった感じ。良い変化ではあるのだろうが、そこまで変わった理由が彼にはさっぱり。

 

「だから、対策をたててきた」

「……対策?」

「――織斑先輩!」

「ん、来たか。……見ててくれ、蒼」

 

 そこまで難しいことじゃなかったんだ、と微笑みを携えて一夏は名前を呼んだ男子の元へ向かう。

 

「その、す、好きです! 僕と、結婚を前提にお付き合いしていただけませんか!」

「……け、結婚を前提に?」

「はい! 先輩となら、きっと楽しい家庭を築けると思ってます!」

「そう、か。そうなのか……はは」

 

 いきなりどでかいのが来たなあ、と一夏は苦笑する。……だが、相手としては申し分ない。

 

「だから、是非、お願いします! 僕と……」

「――ごめん」

「っ……理由を、訊いても良いですか?」

 

 そうして彼女は、周りで見ている人間にもしっかりと聞こえるように、いつもより少し声を張り上げて。

 

 

「だって俺、男は恋愛対象じゃないんだ」

 

 

 満面の笑みで、そう告げた。

 

 


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