君が可愛く見えるまで。   作:4kibou

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彼が知ったこと、彼だけが知ったこと。

 時代の流れに取り残されたのか、それとも必死で抗っているのか。一夏たちの通う中学校は、昨今の中では珍しく、昼休みのみだが屋上が限定的に解放されている。そこで昼食をとる、といった事は流石に出来ないが、端の方に設置されたベンチから休むには最適だった。尤も、わざわざ使用が許可されているにも拘わらず、昼休憩に過ごす場所としてはあまり人気が無い。というのも、屋上という位置の関係上天候に左右されやすく、雨の日は言わずもがな、晴れの日でも時折鳥の糞が落ちてきたり、また突風に煽られたりすることもあってか、いつしかごく一部の人間しか使わなくなっていった。

 

「…………はあ」

「…………、」

 

 蒼と一夏はそのベンチに並んで座りながら、ぼんやりと空を見上げる。雲一つ無いほどに綺麗な青空。幸運にも、今日は風の強さがそこまででもない。ふわりと頬を撫でるように吹き抜ける空気を感じながらも、彼らの心には周りの環境を十分に楽しむ余裕など無かった。本日何度目か分からないため息を吐きだして、一夏は首ごと真上を向いたまま、ぽつりと溢すように。

 

「……空はこんなにも晴れてるのに、俺の心はいつになったら晴れるんだろう……」

「……一年後には晴れてる。必ず」

「それすらちょっと怪しいけどな。……今は戻るって信じるしかない、か」

 

 だろうね、と蒼が呟く。何はともあれ、なってしまっているモノはどうしようもない。男だった時の事を幾ら思い返そうが個人の勝手だが、それで現状をどうにか出来るほど甘くないことは一夏も承知していた。友人の支えで以前よりかは強く精神を保てている。きっとこの前までの己なら学校を休むような事態であるが、なんとか問題なく授業を受けることが出来ていた。……途中、何度か、保健室のお世話になったが。

 

「でも、顔色はかなり良くなってきてる。朝とは大違いだ」

「少しは慣れた。ほんの少しは、だけど。……こんなもん、初めてこの体になった時と比べれば、まだ優しいよ」

「説得力が凄いな……」

「伊達に女を経験してない、なんて言いたくも無いんだがなあ……」

 

 束さんのこんちくしょう、と愚痴る一夏の様子は、確かに告白騒動の時と比べて実害が大きい筈だというのに、それよりも落ち着いている。あの時より数週間、未だ本調子で無いとはいえ、織斑一夏は着実に本来の元気を取り戻しつつあった。それだけでも喜ばしいことであるが、何より悪い方向へ考えなくなったことが大きい。彼にとってはそれだけ、明確に宣言してくれた味方が支えになっていた。

 

「なんにせよ、これも蒼がいなきゃ潰れてた。サンキューな」

「……今回に関しては本当に何もしてないだろう、俺は。礼を言う相手を間違えてないか?」

「こうして側に居てくれるだけで違うもんだよ。ずっと、気分が楽だ」

「……あまり納得いかない……」

 

 難しい顔をして、彼は拗ねたように言う。その姿があまりにも年相応で、普段の態度とは差が激しいものだから、一夏はつい驚くと同時に噴き出してしまう。感情表現が分かり難いのでは無い。基本無愛想であるために誤解されがちだが、蒼は単に顔に出易い時と出難い時がはっきりしているのだ。今回はその後者であったというだけ。本当は人並みに笑うし、人並みに落ち込む。

 

「……なんだ、人の顔見て笑う余裕もあるんじゃないか。心配して損した」

「悪い悪い、怒らないでくれ。何度見ても珍しいって思うんだよ、お前のそれは」

「…………むう」

 

 先ほどよりも眉間に皺を寄せて、蒼はそっぽを向きながらむくれた。その行動にまたもや笑ってしまうのが一夏だ。ここまであからさまだと、むしろ狙ってやってるんじゃないかとも思えてくる。なんとも言い難い感情を抱える蒼としては、少し面白くない。こちらは割と本気で怒っているというのに。――が、それをあっさりと飲み下すのもまた、彼らしいところか。

 

「……まあ、良いか。一夏がそんなに笑えたのなら、十分だよ」

「ホント、ごめんって。悪かった。いやあ……うん、マジでな」

「……謝るのなら謝るでもうちょっと真剣にやってくれ」

 

 右手で頭を押さえながら呟く蒼の姿に、一夏も流石にこれ以上はと思ったのか、ぺこりと一度頭を下げる。ならばそれで、二人の問題は終わり。蒼は仕方がないと言う風に苦笑して、一夏は頬を人差し指でかきながら微笑んだ。どこまでを踏み込んで良い領域か、なんて考えてすらいない。きっとこの相手なら、どこまで行こうが最後には受け止めるのだと理解している。男の時に培った友情は健在どころか、先の一件でより強固になっている。それがなんとなく、一夏には嬉しかった。

 

「にしても、女子って凄いんだな。毎回こんな日を送ってるなんて、想像もしなかった」

「……まあ、それに関しては俺たち、どこまでいっても男なんだから。結局は考えられる筈もないんだろう」

「俺はここに来て女になったけどな」

「なるほど。……それで、その気分は?」

「最悪最低最凶だな、おみくじもびっくりのツキの無さだ」

 

 やれやれと首を振る一夏の態度に、蒼はほっと一息ついて笑う。

 

「……どうしたんだ? 随分といつもの君らしい」

「もう二か月近いんだ。混乱してるばかりじゃない。ただいま……っていうのは何か違うな。我、此処ニ帰還ス、とかか?」

「どっちも意味が同じじゃないか」

「だな。まあどうであれ、蒼が早々に対処してくれたおかげだ」

 

 “そう”だけに、と一夏は内心で呟いてうむと頷く。対する彼はそれをジトッとした目で見詰めながら、平常運転の平坦な声で。

 

「……またしょうもないコト考えてる」

「む……おかしい。なぜ俺の心が読まれているんだ。なにかのトリックか」

「女になっても顔に出るのは変わらないんだな、相変わらず」

「おう。意外と嬉しい報告だ。変わらないってのは良いことだな」

 

 そんなやり取りの末、二人は顔を見合わせて噴き出した。全てが同じとはいかない。織斑一夏の性別は変わってしまっている上に、まだ完璧に立ち直ってはいないのだ。所々噛み合わなくて不格好な部分もある。けれども、些細な違いなど今更だった。男だった時のように馬鹿を言い合い、笑って、それを楽しいと思う。何気ない会話の一つ一つに意味はなくとも、そうして話すことに意味がある。それらがとても、心に沁みる。

 

「本当、経験しないと分からないもんだな。鈴や箒が凄く見える」

「……そうだね。経験できないから、俺には分からないけど」

「しない方が良いぞ、絶対。……蒼にはそういうの、なんか無いのか? 自分だけがしてそうな体験とか」

「自分だけがしてそうな体験……」

 

 思い返して、蒼はああ、と。

 

「一つだけ、ある。……うん。たしかに、しない方が良い、特別な体験なんて」

「なんだ、あるのか」

「まあ、一夏ほど大したことでもないんだけど。……でも、本当にそうだ。あんな思いをするのは、自分だけでいい」

「…………蒼?」

 

 ふと何かが引っ掛かって、一夏は彼の顔を見た。半分ほど閉じられた瞼、僅かに俯いていることも相俟って、光がないようにさえ見える。ぼんやりと己の手を見詰めながら、蒼は独り言ちるように溢す。

 

「自分だけって……それほどの経験、したのか?」

「……多分。よくある事、じゃないと思う。俺も実際には聞いたことさえ無かった。創作の話みたいなものだし」

「創作の話、って……それこそ今の俺みたいなことじゃ」

「違うよ。きっと、違う。……上手く言えないけど、これは違うんだ。いや、俺だけしか経験してない、っていうのは同じかな」

 

 下手をすれば言い切れてしまう。上慧蒼だけが知っている、今を生きる誰もが知っておきながら、誰一人として経験した事のないもの。世界中を探しても一人しかいないのだと、どこか頭の隅では理解していた。

 

「けど、それで良い。俺だけしか知らないってことは、あんな辛さを誰も抱えていないってことだろう? なら、良い。……知る必要なんてないんだ、あんなもの」

「……じゃあ、さ」

 

 一夏は恐る恐る、口を開く。

 

「蒼は、その辛さを……どう、したんだ? 抱えてたものを、どう片付けたんだ?」

「どうしたも何も、そのまま。辛くて、苦しくて、でもどうしようもないから、仕方がない、って受け止めた。“それ”が“そう”であるものなら、変えようがないから」

 

 そう言って、彼は笑った。いつも通り、口の端をあげて、ちょっと恥ずかしがるように。今、自分の述べたことがどれほど凄いことなのかも自覚しないで、当たり前のように言い切った。一夏としては信じられない。自分が足を止めて頭を抱えていた問題を、あろうことか眼前の少年は、まるで我が儘を言う子供に折れるみたいにあっさりと、飲み下していたなんて――

 

「…………なあ、蒼」

「ん? なんだ、一夏」

「お前のその、経験ってさ、一体、どんな……」

 

「――よう。会話中邪魔するぞ」

 

 一夏の言葉を遮るように、ばんと屋上の扉が開けられる。見れば赤髪の友人が、ぎいっと半開きのそれに手をかけて立っていた。

 

「いや、全然邪魔じゃない。どうしたんだ、弾?」

「保険の教師に聞いてきた。生理は食いもんでも若干辛さが変わるんだとよ。詳しいことは後から調べるが……」

 

 にっとはにかんで、弾が親指を立てる。

 

「ここは俺も役に立たないとな。折角の情報だ。お前ら放課後メシ食いに来い。今日はおごりだ」

「おお、珍しく太っ腹じゃないか。……何の気まぐれで?」

「ばーか、お前も数馬も手助けしてんのに、俺だけ何もしねえのはやってられんだろ。少しは気にしてんだ、察しろ」

 

 ハンッと鼻を鳴らして、彼は吐き捨てるように言った。何ともまあ、素直じゃない友人である。けれども悪い奴ではない。蒼は笑って、一夏の方に振り返った。

 

「ってことらしいけど、それで良いか?」

「……ああ、そうだな。久々に、五反田食堂に厄介になろうか」

「おう。任せとけ。腕によりをかけて作るぜ、じいちゃんが」

 

 数馬はB組だから誘わなくてもいいしな! という明らかに負担を減らす魂胆が透けて見える一言を続ける弾。つられてはにかむ一夏と、苦笑いを浮かべる蒼。約一名を例外として、この時の彼らはすっかりと忘れていた。

 

 ――何故、五反田食堂が久々だったのか。

 

 ――何故、今までその場所を避けていたのか。

 

 ――何故、五反田弾は一月以上も一夏や蒼と遊ばなかったのか。

 

 

 それらの解を、綺麗さっぱり、忘れていたのである。

 




次回、一人の恋する乙女に悲劇が起きる――!(もう起きてる)

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