「……そう、ですか。大体、分かりました」
話を聞き終えた蘭はぽつりと呟いて、深く俯きながら答えた。見れば小さく肩が震えている。
『……辛いんだろうな、きっと。凄く』
蒼には彼女の気持ちが分からない。生まれてこの方、一目惚れすらした事がない自分では、理解することなど出来もしない。けれどもそれが決して楽なものではなく、苦しいであろうことは分かっていた。苦しさなら彼にも分かる。辛いことなら十分に知っている。同じ経験は無くとも、なんとなくで人は理解できる生物だ。
「……その人、一夏さんを女にした……誰でしたっけ……」
「篠ノ之博士」
「ああ、IS関連の教材でよく聞く名前の……もうこの際どうでも良いです。その人、今どこに居ますか?」
「……蘭ちゃん」
だから、その先の彼女が言いたいことも分かってしまって、思わず蒼は眉尻を下げた。本人が近くに居たのなら連れ出して引っ張り出し、簀巻きにしてコンクリートに浸けた状態で「この人が主犯です」と関係者全員の前に突き出したいが、あいにくとそれすら出来ないのが余計に憎たらしい。
「……世界中から指名手配されてるのに、数年間捕まりもしない人なんだ。どこに居るのかも、いつここに戻ってくるのかも不明で」
「なんですか、それ。ふざけてるんですか」
「うん、ふざけてる。……あの人からしたら遊び半分みたいな気持ちで、こういう事をするだろうから」
「……なん、なんですか、本当に、そのっ、ド畜生はーーーーッ!!」
うがーっ! と蘭が吠える。突然の咆哮に、近くから見守っているだけだった一夏はびくりと肩を跳ねさせた。ガツンとテーブルに叩きつけられる拳。上がる弾の悲鳴。恋する乙女からして当然と言えば当然の反応。常日頃から綺麗な色合いの髪が、今は怒りで深紅に染まっているようにさえ思える。
「ワケが分かりません! どうして一夏さんを! この時期の! このタイミングで! わざわざ家に忍び込んでまで女の子にするんですか! 馬鹿なんですか!? お兄の方がまだ考える頭がありますよ!?」
ごもっともだった。
「落ち着こう、蘭ちゃん。馬鹿と天才は紙一重って言うだろう?」
「なら俺もちょっと見方を変えれば天才なのでは……?」
「君は終身名誉お馬鹿さんだから安心してくれ、弾」
「解せん」
がっくりと膝をつく友人は恐らく放っておけば元に戻る筈だ。彼は強い。生来のものか、妹に鍛えられたからか、復帰力という意味では五反田弾は他の追随を許さない。馬鹿特有の単細胞とも捉えられるのはご愛嬌。この年にして兄妹と仲良くやれているのは、彼が兄としてしっかりしている証拠だろう。
「それに蒼さんもストーカーまがいの被害受けてるのになんでそんなに澄ましてるんですか! 警察に届けとか出しましょうよ! 粘着質な女子は怖いんですよ!?」
「いや、場所はきちんと教えてもらったんだ。大体あの人、女子って言うような歳でもないから……」
「立派な大人のくせに中学生のプライベートを覗く変態ってことですか! ええそれなら仕方ないですね! 一夏さんが女の子にされるワケですよ! 蒼さんも盗撮盗聴されながら生活するもんですよ! 仕方ないですね本当! ってなるかーーーーーっ!!!!」
本日二度目のテーブルが上げる悲鳴。弾が上げる悲鳴。連動しているのだろうか。
「すぐに探し出しましょう今すぐに見つけましょう! それでお願いですからこの溢れんばかりの怒りと憎しみと愛しさと切なさを叩き込ませてください!」
「やめよう蘭ちゃん。あまりにも無謀だ。返り討ちに遭ってちゃ意味が無い」
「ああもうだったら何すれば良いんですか! どうすれば良いんですか! 私のこの気持ちはどう片付けたら良いんですか!?」
がばりと蘭は蒼に飛び付いた。一瞬のことでよろけて倒れそうになったが、男の意地でなんとか持ち堪える。うん、今なら案外、箒ちゃんも抱っこ出来るかも知れない。そんなことを考えてしまうのは、随分と合わなくなって久しい彼女が、目の前の少女と同じ気持ちを抱いているからか。ぎゅっと、蒼の両腕を掴む手に力が入る。
「こんなの絶対認めません……! 私だって、生半可な気持ちでやってきたワケじゃないんです! 本当に、本気で……っ!」
「蘭ちゃんが頑張ってるのは俺も知ってる。だから、ちょっと落ち着いてくれ。まだ一夏が女の子のまま生きていく、って決まったんじゃない」
「…………え?」
ぽかん、と蘭が呆けた顔で蒼を見る。彼は真剣な表情で、最後に伝えるべきことを告げた。
「一年間だけ、条件はあるけど、無事に過ごせば元に戻るって話なんだ」
「……本当、ですか? 嘘じゃ無いんですか?」
「分からない。けど、わざわざそんな嘘をつく必要もないと思う」
「………………っ」
ばっと、勢いよく一夏の方へ振り向く。ある程度は耳に入っていたのだろう。次は大して驚くことも無く、彼女は困ったように笑いながら首に手をあてていた。
「そういうことなんだ。確証はない。けど、男に戻るにはそれしかない。だから、とりあえずやっていこう、って感じで」
「――っ、一夏さん!」
「うおっ、と。……蘭?」
ぐっと蘭が一夏の両手を握る。以前、彼女が偶々手を繋いだ時とは全然違うものだ。大きくて少しゴツゴツとしていた如何にも男らしいそれは、細くてしなやかな女性のものへと変化してしまっている。その事実に落ち込みそうになりながらも、蘭はしっかりと顔を上げて言った。
「私、応援してます! 一夏さんが元に戻ること、応援してますから!」
「――――、」
「だから困ったことがあったら何でも言ってください。私で良ければ力になります! だから何が何でも、絶対、男に戻りましょうね!」
そんな一人の少女に対して、一夏は。
「ああ、うん。……本当に、ありがとうな、蘭」
きっと、男ならば文句がないほどに映えていただろう。それはもう柔らかい口調で、にっこりと彼女は微笑んだ。だがしかし、どうあがいても今は女の子。曇り一つ無い表情は、どこまでも綺麗で、どこまでも可愛かった。
◇◆◇
「ど、どきっとしたぁ……。うん、女の一夏さんも意外と……」
「おい蘭?」
「な、なんでもなーいなんでもなーい! ささ! 皆さんこちらへどーぞー!」
「……変なやつだな」
……それこそ、思わず約一名を百合の花園へ導きかけてしまうぐらいに。
◇◆◇
時刻は六時過ぎ。既に日は傾いて沈み始め、辺りは夕日の赤色に染まっている。遠くでカラスが鳴いていた。不思議とこの時間帯に限っては、不吉の象徴とも呼ばれるかの鳥が鳴いても恐ろしいどころか、むしろどことなく安らぎを感じる。昼と夜の合間。終わりでもなく、始まりでも無く、唯々その中間。どこか機嫌の良さそうな一夏を、蒼は半歩ほど後ろに下がって歩きながら眺める。
「いやあ、厳さんのご飯美味かったな。それになんだか気持ち楽になった気がする」
「……それは良かった。ところで、一夏」
「ん? なんだ蒼? 疲れたのか?」
たしかに五反田食堂の大将であり、弾の祖父でもある五反田厳の振る舞う料理は絶品だった。加えて、事情を理解した蘭と真面目になった弾の協力によって作られた、一夏の体調を考えた特別メニューである。これで気分が上がらなければ、それはそれで重症なのだが、にしても……。
「いや、なんというか。……ここ数ヶ月で、一夏のそんな様子は久しぶりな気がして」
「――そうか? 俺、そんなに分かりやすいか?」
「うん。今までよりずっと嬉しそうだ」
「そ、そっか……参ったな」
恥ずかしがるように、一夏が頬をかく。その仕草すらいつもとは違って、隠しきれないものが滲み出ていた。
「……蘭が、さ。応援する、って言ってくれただろ?」
「ああ、たしかに言ってた」
「それが、さ……なんつーか、すげー嬉しかったんだ」
満面の笑みで、彼女は続ける。
「蒼の言葉が嬉しくなかった、って事じゃないぞ? お前の言葉には支えられてるんだ。でも、蘭の言葉はなんつうのかな……こう、物凄い心に響く、というか。本気で男に戻って欲しいんだって理解できて…………何度も言うけど、すげえ嬉しかった」
「――そうか。うん。なら、もう十分だ」
十分、理解は出来た。蒼は微笑みながら一夏の隣をするりと抜ける。ずっと会わせたら駄目だとばかり考えていた。両者にとって不幸なことにしかならないと、勝手に決めつけていた。でも違った。不幸なことにはなっていたが、全てがそうではなかった。今回はそれが偶然、良い方向に傾いただけかもしれない。けれども、起きたことは結果が全て。――五反田蘭は、誰にも出来なかった一夏の“心の底からの”笑顔を引き出した。
「十分って、なにがだよ?」
「君のことが、だ。俺が心配することもないぐらい元気になってる、ってこと」
「……たしかに、気分は最高かもな」
つまるところ、彼女が抱く本気の想いは、しっかりと想い人に届いていたのである。
「なあ、蒼」
「なんだ、一夏」
「夕焼けって、こんなに綺麗だったんだな」
「……うん。ずっと昔から、綺麗だったよ」
「そうか、そうか。――すっかり、忘れてたな」
かあ、とカラスが鳴いた。一夏はそれを気にも留めない。ただ、眼前の光景を見詰めている。注意を向けたのは彼の方。真っ赤に塗られた遠くの空、羽ばたいていく一羽の黒い影を見ながら、彼は――
原作主人公が苦悩を抱えてるのにオリ主が苦悩を抱えないのは不公平ではという個人的な感想を、プロット段階でやっちゃってる今作。