君が可愛く見えるまで。   作:4kibou

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少しの休息。

 上慧家は住宅街の一角に建てられた、二階建ての一軒家である。敷地の大半を担う家屋に、申し訳程度の庭と車二台分の駐車場。中学生が一人暮らしするには少し大きめの、家族で過ごすことを前提に造られた大きさだ。もっともこの家の主は今や上慧蒼ただ一人。彼の両親は仕事の都合で長らく離れており、顔を合わせたのはもう随分前になるらしい。家に中学生が一人、というのは些か不用心ではあるが、そのあたりは近所の奥様方の協力もあってなんとかなっている、とは蒼の弁だ。条件だけなら一夏も同じようなものだが。

 

「風呂場は……たしか、ここだったっけ」

 

 良くも悪くもそういう状況だからか、蒼の家は一夏を含めた友人達の間で気楽に集まれる場所、という感覚があった。無論一夏自身も、お邪魔したのは今日が初めてでもなければ少なくもない。大体の間取りはなんとなく覚えている。

 

『おお、当たりだ。……なら、さっそく』

 

 開けたドアをぱたりと閉めて、一夏はぐいとシャツを捲った。平時とあまり変わらない友人の顔を見て少し落ち着いたが、そうなると濡れたままの服の気持ち悪さに意識がいく。放っておくと風邪も引いてしまいそうだし、風呂と着替えを提供してくれたのは素直に感謝しかない。

 

「ん……? なんか、うまく脱げない、な……」

 

 こう、なんというか、何かが引っ掛かる。

 

「よっ……ふんっ……なん、でだ……っ」

 

 もぞもぞと身じろぎしながら、服を強く引っ張ってみる。それでもなかなか上手くいかない。おかしい、いつもなら勢いでぱっと脱げるのだが。そんな疑問を浮かべながら死闘数分。やっとのことでシャツを脱いだ一夏は、ちょうど横にあった室内の鏡を見て――

 

「あ……」

 

 一連の流れの理由を、あまりなく知り返してしまう。

 

『……そうだ。俺、今、女の子の体なんだった』

 

 つい先ほども蒼の居る前であったことだ。完全に理解していて、これは夢じゃないと分かっていたとしても、だからと言って認識が綺麗に切り替わりはしない。昨日までの十四年間を男として生きている。それを何の前触れも予告もなくいきなり性別を変えられて、すぐ対応できるほど一夏の精神は強くなかった。

 

「……肌、白いな」

 

 目に見えるところで相当だった。隠されていた部分は、新雪を思わせるほど白い。腰まで伸びた長い黒髪がそれによく映える。ぴたりと触れた肌が、すべすべとした手触りを返してくる。男の自分と比べれば枝のような腕。おまけに細いくびれと、二つの大きな胸の膨らみ。こんな姿が己のものだと認めたくもないのに、鏡に映っていては認める他ない。

 

「これが、俺、なんだよな……」

 

 ごくっと唾を飲みこんで、恐る恐る鏡へ近付く。じっくり見た感想としては、なんとなく千冬姉に似ている。髪の質感なんてそっくりだ。でも気持ち、顔は柔らかい感じ。分からないけれど、たぶん、普通に可愛い……と思う。自分で自分の容姿を評価するというなんとも言えない行動に、一体何をやっているんだろうと苦笑する。俯くように一夏は視線を下げた。すると当然、視界にはそれが入る。

 

「――っ。……これ、どうにかならないのか……?」

 

 頬に熱が集まるのを実感しながら、そっと目を逸らす。混乱する頭では邪魔程度にしか思わなかったが、これは凶器だ。圧倒的凶器だ。一夏とて性欲がないワケではない。たしかにそういう気持ちを抱いたこともある。そも、一夏であろうがなかろうが、性欲の盛んな男子中学生にとっては平等に凶器だ。

 

「……っ」

 

 そっと、手を持ち上げる。悪いことはしていない筈なのに、どうしてか嫌な緊張感があった。そろりそろりと、一夏は掌を自分の胸に――

 

「一夏?」

 

 扉越しに、蒼の声が聞こえた。

 

「――ッ!」

 

 びくんと肩が大袈裟に跳ねる。不意を突かれた。慌てる。ばっとその手をなによりも早く元に戻す。なるべく平静を装って、一夏は声を返した。

 

「な、なんだ? 蒼」

「今、入っても大丈夫か?」

「え、えーと……ああ、その。一応、脱いでる途中なんだ」

「――そうか。なら、着替え、ここに置いておくから」

「お。おう。……サンキュー、助かった」

「ん。じゃあ、ゆっくりしていってくれ」

 

 言い終わると、微かに聞こえる足音が遠ざかっていくのが分かった。いつも通りの平常心。どんな時でも普通の自分。どうして自分が真っ先にここへ来たのか。近いからというだけでなく、他の理由もあっただろう。それが一夏は、なんとなく分かったような気がした。

 

「……お風呂、入るかあ……」

 

 きっと、落ち着かなければという考えの折、彼を想像したのだろう。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 どうにか体を意識しないように軽くシャワーを浴びて、用意してもらったジャージを着ながらリビングに戻ると、蒼は奥のキッチンに立っていた。

 

「あ、上がったのか。今から珈琲淹れるんだけど、一夏もどうだ?」

 

 二杯目になるけど、と指をたてる。

 

「あー……いいのか? そこまで」

「そこまでも何もついでなんだ。気にされる方がむず痒くなる」

「……なら、もらうよ。本当サンキューな」

 

 だからむず痒いって、なんて言いながら彼はインスタントの珈琲を手早く用意し始める。

 

「砂糖とミルクは?」

「飲みやすいぐらいで」

「了解」

 

 てきぱきとした動きは、いつも作っている賜物か。上慧蒼が珈琲をかなりの頻度で飲むというのは、彼を知る人物の間で周知の事実だ。さすがは愛飲家、と感心しつつ一夏はソファーに座った。

 

「ところで、少しは落ち着いてきたか?」

「ああ、ちょっとは、まあ。……本当にちょっとだけ、な」

「なら良かった。ちょっとでも、マシになったのならそれで」

「そうか? ……そうだな。うん、そうだ」

 

 言い聞かせるみたいに繰り返して、ひとつ頷く。ちょうど準備も終わったのか、蒼がマグカップを二つテーブルに置きながら対面に腰掛けた。淹れたてのそれはゆらゆらと湯気が立っている。一度冷えきった体には心地の良い暖かさ。手に取って運ぼうとすれば、あ、と蒼が声をあげた。

 

「しまった。こういう時は紅茶とかの方が良かったかな」

「……紅茶でも珈琲でも一緒じゃないか?」

「いや、前どこかで、紅茶にはリラックス効果があるとか読んだんだけど。どうだったかな。……まあ、うちに紅茶なんて置いてないんだけど」

「なら気にすることもないだろ……」

 

 それもそうか、と呟いて蒼は珈琲に口をつける。相変わらずというか、なんというか。本当にいつも通りで今はとても安心する一因だ。やっぱり、ここを選んだのは間違いじゃない。ゆったりと体重をソファーに預けながら、ほんの少しだけ笑う。

 

「……一夏」

「ん? なんだよ」

 

 ふと、持っていたマグカップを置いて蒼が口を開いた。よく見れば少し顔が赤い。

 

「それ、凄く心臓に悪いから勘弁してほしい」

「それって……どれだ?」

「だから、今みたいに、こっちを見ながら笑うの。……今の一夏、かなりの美少女なんだから」

「そう言っても……。というか、なんだ。反応に困るんだが……」

 

 あ、でも、今の表情は珍しかったな、と友人の滅多に見ない光景に若干驚きながら、一夏は困ったように頬をかく。いくらなんでも笑ってしまう時は笑ってしまうだろうし、仕方がない。ましてや気楽に話せる友人の一人だ。これからも一緒に居る時間はあるだろうし、流石に難しいだろう。

 

「なら、どうにかしよう」

「どうにかって……どうやって?」

「それを今から考えるんだ。とりあえず一夏。なにか、こうなった心当たりとか、ないのか?」

「心当たり……って言われてもなあ」

 

 一先ず記憶を掘り返してみたが、特に何も思い当たらない。今朝に突然、というのが一夏の認識だ。変わったことをした覚えも、悪いものを食べた記憶も、一切無いのである。

 

「なんでも良い。些細なことでも」

「…………いや、悪い。本当にない。昨日もいつも通りに過ごして、きちんと戸締まりもして寝たはずだ」

「……じゃあ、何が原因でそんなことに?」

「それが分からないから俺も混乱してたんだって……」

 

 はあ、と大きくため息をつきながら、がしがしと乱暴に一夏が後頭部をかく。それを見た蒼は、いきなり目を見開いて。

 

「一夏、ストップ」

「え?」

 

 ぐっと、吐息が重なるほどの至近距離まで近付いた。

 

「お、おい? 蒼? お前なにを……」

「いいから、動かないでくれ」

「いや待て、早まるな。頼むから、あの、その……あれだ。俺は男だぞ? うん、男だ。織斑一夏だ。だからほらちょっと少し考え直せ――!」

 

 制止の声も聞かず、蒼は容赦なく一夏へ迫る。わたわたと必死に遮る手を掴んで止め、じっと何かを睨むように見ながら、ゆっくりと詰め寄る友人の姿は得体の知れない危機感を募らせる。

 

「蒼、お前、なんでこんなっ」

「――動くなって言っただろう」

 

 一際低い声で囁かれて、一夏は思わず固まった。違う。いや、何が違うって、こんな蒼はなんか違う――! そんな思いは当の本人に届かず。彼はそっと一夏の首に触れて、小さく頷いた。

 

「やっぱり」

「――は、い? やっぱり、って……」

「うん、そうだ。ここ」

 

 ぺりっと、蒼が首から何かを剥いだ。

 

「うさぎの絆創膏と、これは注射の跡っぽいな。……大体誰がやったのかは、見えてきたんじゃないか? 最初からなんとなく察してはいたけど」

「き、気付かなかった……シャワーまで浴びたのに」

「確定ではないけど、恐らく一夏をこうしたのは……」

 

 と、まるでその先は言わせんとばかりに着信音が鳴り響く。蒼の携帯だ。ポケットから取り出して、液晶に映る文字を見た。――篠ノ之 束。

 

「これって……」

「大当たりじゃないか。ところで一夏」

「ん? まだなにかあるのか」

「電話、代わりに出てくれないか? 俺この人苦手なんだ」

「……お前の携帯にかけてきたんだから、そうもいかないだろ」

 

 だよな、と肩を落として、彼は通話ボタンを押した。

  

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