君が可愛く見えるまで。   作:4kibou

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六月はがっつり重めだったのでここから少しの間は軽めにいきます。


夏の始まり一つの終わり。

「ふー、あちい」

 

 隣の一夏がぱたぱたと手で扇ぎながら呟く。季節は移って七月、ジメジメとした空気は既に跡形も無く消え、天気はすっかり晴れ模様。加えて、ここ数日は猛暑が続いている。まさに初夏、これからどんどんと上がっていく気温は、油断すると命すら危ない。熱中症対策は万全に、人より体が弱い蒼にとってはちょっとばかり気を遣う時期。けれども、先までの梅雨と比べれば雨天が少ない分、気持ちは楽な方だ。自教室がある三階までの長い階段を上りながら、蒼はぐいと汗を拭った。

 

「本当にそうだ。さっきから汗が止まらない」

「真夏じゃないのに真夏日って感じだな。あー……泳ぎてえ」

「泳げないだろ、今の一夏」

「? いや、流石に泳げるぞ? そこまで運動神経は変わってないし」

 

 技術的な意味で言ったのではないのだが、どうやら一夏は額面通りに受け取ったらしい。蒼とてこの数ヶ月を一夏と共にしている。何なら一番長く側に居たのが蒼である。そんな彼が今更一夏の身体能力について把握していないことは無いのだが、とは言え直接分かっていると自分から述べた記憶も無い。違う違う、と首を振って一夏の体を指差した。

 

「水着が駄目じゃ無いか。現に水泳の授業も休んでたし」

「いや、あれは色々と問題が起こるからであって……着替えはちょっと一人にしてもらえば良いけど、流石に授業を一人で受けるのはアレだろ?」

「複雑、というか。男だった、っていう前例がある分取り扱いが難しいのかな」

「だろうな。……はあ、お陰様で一度も水に浸からないまま終わりを迎えちまったよ」

 

 がっくりと肩を落として一夏が言う。思い返してみれば、プールサイドで頬杖をつきながらぼうっとどこかを眺めていた一夏は実に退屈そうだった。それもその筈。彼女だって一年前までは、変わらず皆とはしゃいでいた男子中学生である。出来る事なら暑い日に思いっきり、水の張ったプールへ飛びこみたかっただろう。それを叶わぬ夢と化してしまったのは、以前に蒼の自宅まで来て変な薬を打っていった“天災”なのだが。

 

「というか、一夏。みんなの前で女物の水着、着れるのか?」

「…………うん。素直に諦めよう。いやあ、にしても暑いなあ!」

 

 なるほど、そっちの方は辛いのか。と蒼は一人で納得する。毎日下着は着けてきているだろうからもしかすると、とも思ったが、どうやら駄目だったらしい。見えない部分は自分だけの問題で済むが、見えるとなると感覚的に違うということか。なんとなく分からないでも無いが、蒼にとっては深く考える理由も無いので一先ず置いておく。

 

「……ま、実際は少し抵抗があるだけで、水着自体は着れない事もないんだけどな。大勢に見られる、ってのはちょっと」

「じゃあ市民プールも無理か。水浴びだけなら簡易プール膨らませてうちでやるっていう手もあるけど」

「お、それ良いな。蒼になら見られてもダメージが最小限で済む。……鼻血出すなよ?」

「蒸し返さないでくれ。割と引きずってるんだから」

 

 悪い悪い、と言いながらも一夏は堪えきれないように笑う。裸を見られても動じないのはその後の付き合い的にも助かったところだが、よもやそれで弄ってくるとなれば蒼としては面白くない。まるで童貞を弄る悪女だ。中身は男だが。友人が変な方向に目覚めないことを祈りつつ、蒼は階段を上りきる。

 

「あ、織斑ちゃんに上慧くん、おはよー」

「ああ、うん。おはよう」

「おはよう。……って、みんな集まって何してるんだ?」

「中間考査の結果。上位五十人が張り出されてるから見てるんだー。上慧くんやっぱり凄いんだねえ」

 

 同じクラスとして鼻が高いよ、と微笑む女子生徒。ちらり、と人集りが出来ている方へ視線を向けた。彼女の言った通り、そこには“三年生中間考査総合点数記録順位表”と書かれた大きな用紙が貼ってある。無駄に名前が長い。そこは三年生中間考査順位表だけで良かったのでは、と首を傾げる蒼だったが、集まっている生徒はそんな些細なことを気にした様子も無い。

 

「堂々とあるな、一位上慧蒼。五教科の合計が四百九十八……って殆ど満点じゃねーか。お前どういう勉強したらそうなるんだよ?」

「どう、って言っても。俺にとっては復習してるみたいなものだから……」

「……うん。頭のいい奴は言うことが分からん。束さん然りお前然りだ」

「いや、あの人とは一緒にしないで欲しい」

 

 眉をしかめてずぱっと言い放った蒼に、一夏はそう言えばと以前より気になっていたことを思い出した。上慧蒼という男は基本的に誰に対しても物腰柔らかだ。後輩でも十分に気を遣う、同級生も勿論、年上なら尚更。そんな彼が、ここまであからさまに冷たい態度を取るのは珍しい。今のところ一夏の知る限りでは篠ノ之束たった一人である。冗談や巫山戯たものではなく、本気で目の前の少年が拒否感を示している相手。

 

「蒼って、束さんにだけやけに冷たいよな。何かあったのか?」

「あった。……というか、ここだけの話、殺されかけた」

「…………は?」

 

 何を言っているんだこのブルーボーイは、と思わず突っ込んでしまうところだった。蒼の表情は真剣だ。信じられないが、言葉をそのままの意味で受け取ると、この男は幼馴染みの姉に殺されかけたことになる。普通に考えればあり得ないものだが、相手があの“篠ノ之束”だとすると――。

 

「……マジか?」

「マジだ。君らに誘われて道場に行ってた時があっただろう?」

「あ、ああ。あった。覚えてるぞ」

「たしか、箒ちゃんが引っ越す一年ぐらい前に、庭で意識を落とされたんだ。それで気付いたら変な機械に座らされてて、あともう少しで脳みそを焼き切られてたとか」

 

 考えただけでゾッとしないな、と蒼は呟く。一夏としては訳が分からない。篠ノ之束が常識を遙かに超えた頭脳の持ち主で、言動がぶっ飛んでいる超絶変人だとは知っていたが、まさか自分の友人を殺そうとしていたとは思わないだろう。

 

「いやいやいや。待てよ蒼。俺の記憶違いじゃ無かったら、お前束さんに好かれてたよな?」

「うん。嬉しくもなく」

「だったらどうしてそうなった? 普通、好きな相手を殺そうとはしないだろ?」

「だから嫌いだったんだろう、俺のコト」

 

 彼はなんでもないように言って、ゆっくりとその場から歩き出す。皮肉にもトップを取った本人だというのに、肝心のテスト結果はそこまで心惹かれるものでは無かったらしい。

 

「嫌いって……ああ、最初の頃はお前と束さん、目も合わせなかったっけ」

「そういうことだよ。嫌いで邪魔だったから、俺を殺そうとした」

「……なら、なんで今は好かれてるんだ? 文字通り殺したいほど嫌いだったのに」

 

 くるりと蒼が振り向いた。少し後から付いてきていた一夏は、正面から向き合うように立ち止まる。風が吹く。夏の日射しに熱せられた、まるで涼しくない風。ゆらりと頬に垂れていた髪がさらわれる。

 

「――さあ、知らないけど、殺す直前に気が変わったんじゃ無いか? 例えば、変なものを見たりして」

「……変なもの、って?」

「それを俺が知ってると思う? もう昔のことなんだし、どうでも良いよ。それより今日は終業式なんだから、もっと明るくやろう」

 

 蒼は笑って、三年A組というプレートが飾られている扉を開けた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「やっほー! 久しぶりだねーねーねー!」

 

「…………、」

 

「あれ? 無反応? ムハンマド? おーい、おうい。もすもすモスクワ聞こえますかー?」

 

「……どうして、ここに」

 

「そんなの決まってるよね! 私は篠ノ之束、私が私である限り、あなたの側に私は居ます!」

 

「……それで、用件はなんですか」

 

「連れないなあ、久しぶりだって言うのに。そう言うところが蒼くんと気が合った点なのかな?」

 

「……無いのなら帰ってください」

 

「あるよあるよう、ありありだよう。――ね、箒ちゃん(・・・・)。折角の夏休み、ちょっと遊びに出てみたくない?」

  

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