「えー、明日から夏休みですけど、皆さんはまだ中学生という自覚を持って、えーきちんとした生活態度の上で――」
「先生、話長ーい」
「分かってますって先生! 俺ら優等生ですから!」
「……はあ。とりあえずそういうコトで、事故や怪我には気を付けてくださいね。これで終わります」
学級委員の男子が号令をかける。クラス全員がどこか落ち着かない様子で、がたがたと椅子を鳴らした。何せ勉強漬けで苦しかったテスト期間も当に終わり、目の前には待ちに待った長期休暇だ。意識しなくても気分が弾むというもの。蒼や一夏だって例外ではない。学校が休みという事は、その分彼らの心労が減るという事でもある。体の方はともかく心はそう簡単に草臥れない自信がある蒼だが、純粋に労力が減るのは大歓迎だった。
「気を付け、礼」
「「「ありがとうございましたーっ!」」」
「はい。お疲れさまです。二学期も皆さんの元気な顔を見せてくださいね」
にこりと微笑んで、担任の女性教師が教室の扉をくぐる。若干の疲れは残っているようだが、その顔も以前と比べれば凄まじく健康的だ。教師陣営の頭を悩ませていた性転換問題も一先ずは落ち着いたようで、篠ノ之束を切っ掛けとして起きた騒動は鎮静化の一途を辿っている。最近は告白してくる人間もめっきり減った。それでも無くならないあたり、彼女が相当魅力的に見えるのか。一人の友人としては、外見よりも中身を見てほしいという意見だが、それはそれでまた問題が起きそうなので微妙なところ。
「ひゃっはー! 休みだ休みだ! 夏休みだー!」
「今年こそ彼女作るぞ! 夏祭り一緒に回るぞ!」
「ねえねえ、どこか行く予定とかある? うち家族で山梨の実家に行くらしいんだけど」
「私んとこは旅行でハワイだって~。遠いよね、海の向こうって」
「えっ嘘マジ? 良いなあ私も海外行きたいなあ……」
がやがやと騒がしい教室は、最早一種の名物だ。毎度毎度のことでもう慣れてしまった蒼は、手早く鞄に教材を詰めてゆったりと椅子に腰掛ける。忙しなく話すほどでは無いが、彼としても長期休暇は嬉しいものに変わりない。自然と頬が緩んでいた。それを見て、くすりと前の席に腰掛ける一夏が笑う。
「……一夏」
「なんだよ、蒼」
「君のそれは……ああ、いや、もういい……」
「仕方ないだろ。何度も言ってるけど」
理由はあれど、人の顔を見て笑うのはどうなのか。むすっとする蒼だが、それすらも一夏にとっては珍しい友人の人間的な顔だ。平時が落ち着いているからこそ、彼のこういった年相応の表情が映えるということを、無論蒼自身は気付いていない。
「なんだなんだ二人とも。イチャついてんのか?」
「「いや違うだろ、どう見ても」」
「おう……見事なハモり具合だな。マジで仲良すぎ……疎外感覚えちまうぜ」
弾が若干引きながら言う。妹に秘密がばれてしまった彼も、結果としては前よりも心に余裕を持った生活を送っている。何だかんだで色々とありながらも、ここ最近は大抵のことが上手くいっていた。
「疎外感も何もないだろう。別に関係が変わった訳じゃないんだから」
「そうだぞ。弾も数馬も俺の大事な友達だ」
「……ったく。そういうこと言うなよ。しんみりしちまうだろーが。明日から夏休みなんだしもっとテンション上げていこうぜ。ほらほら」
とは言うものの、蒼も一夏もあまりはしゃぐような性格では無い。顔を見合わせて苦笑する二人。弾はそれを見ながら一つ息を吐いて、やれやれと大袈裟に首を振る。
「やっぱりお前ら仲良いよな、というか、仲良くなったよな」
「そうか? ……どう思う? 一夏」
「そんなに変わってないと思うけどなあ」
「……気付いてないのが当の本人達だけかよ」
なんだかなあ、と呟きながら弾が席を離れる。関係はどうであれ、この数ヶ月を共に乗り切ってきた彼らだ。少しばかりはその友情も、以前より強くなっていてもおかしくない。劇的な変化があったからこそ、緩やかな変化には気付き難いのが人である。多少変わった事情を持っていようと、どちらもただの人であった。
◇◆◇
「学校の中も暑かったけど、外はもっと暑いな
「……うん。帰ったら水飲まないと」
「スポーツドリンクの方が良くないか? それか塩飴でも」
「ああ、いいな、塩飴。今度買おう」
「冷蔵庫の中身、結構減ってただろ? 買い出し行くからその時だな」
何気ない会話を繰り広げながら、肌を刺すような日差しの下を歩いて行く。雲一つない快晴は見ていて気持ち良いが、少し時期が早いような気がしないでもない。まだ七月中旬。夏と言えば夏だが、最近の流れだとこういうものだろうか。気にして考えても仕方ない。流れる汗が若干鬱陶しいが、それも夏らしいとしてしまえばそれまでだ。いつも通り、平常心。蒼はふうと息を吐いて、ゆっくりと歩を進めていく。
「……おーい。大丈夫かー? 生きてるかー蒼」
「生きてるよ、見れば分かるだろう……。ちょっとは鍛えないと駄目かな」
「鍛える途中で倒れたら元も子もないけどな」
「……ない、って言い切れない自分が恥ずかしい」
肩を落としながら蒼が言う。今更ではあるが、本当にこの体ではちょっとしたことが不便だ。尤も彼の性格では無理が利く体であった馬合、限界ギリギリまで酷使する可能性もあった。それが防げているだけ良いと見るべきかどうか。蒼自身としては無論、都合が悪いと捉えているのだが。
「はい、タオル。汗凄いぞ。これで拭いとけ。それとも拭いてやろうか?」
「いや、良いよ。自分で拭く。ありがとう」
「ほい。……辛かったら言えよ? そこら辺の日陰で休むし」
「大丈夫、大丈夫。……このくらいなら全然」
果たしてそれはやせ我慢なのか、彼の経験に則ったものなのか。どちらにせよ、本気で危なそうなら殴ってでも休ませようと思いながら、一夏は歩幅を合わせて隣を歩く。なんと言おうと蒼が倒れるまで無理をするような奴ということは、この数ヶ月で十分に思い知った。気にしないなんて選択肢は一夏の頭から綺麗さっぱりと消えている。そんな彼女の心配を知ってか知らずか、彼はばんやりと前を見ながら。
「そう言えば一夏、夏休みは予定とかあるのか?」
「いや、特には無いな。毎日お前の家に行って飯でも作るよ」
「それは助かるけど。本当に良いのか?」
「良いって。何回も言ってるけど、お前には世話になったんだから」
「…………、」
自覚が無いのに褒められるのはどうにもこう、上手く言えないもどかしさがある。むしろお世話になっているのは自分の方で、一夏には大したことを出来ていないというのが蒼の評価だ。ほんの少し程度は力になれているとしても、そこまで貢献できているとは思えない。
「蒼、蒼」
「なんだ、一夏」
「目の前一メートルに電柱」
「――っと」
じとっ、とした視線を一夏が送ってくる。蒼は出来る限り笑顔を装いながら、いつもより気持ち無理矢理テンションをあげて。
「いや、気付いてたんだ。気付いてたんだけど、ほら。うん」
「そこにベンチが見えるだろ?」
「…………分かったよ、休む。無理はしない」
「良い子だ」
にやにやと笑いながら、一夏が頭を撫でてくる。完全にからかわれていた。彼女も漏れなく、夏休みを前にして気分が上がっている一人。少しばかり友人を弄るぐらいには、もう心の陰りは無くなっていた。
「どうせならここで水分補給もしていこう。近くに自販機もあるし」
「……なんかごめん、本当に。気ばっかり遣わせて」
「気にしてないから気にすんなよ。俺も嫌々やってるんじゃないんだし」
笑いながらそう言ってくる一夏に、勿体ない友人だと心底実感する蒼だった。