「ごめん。箒ちゃん、ちょっと事情を説明してて」
「いや、別に良いのだが……外に出る必要はあったのか?」
「…………なんとなく、勢いで」
「ふむ。そうか」
改めて家の中へ入りながら、蒼が箒と言葉を交わす。感覚系剣術少女と侮ることなかれ。馬鹿筆頭である五反田弾などに比べれば、彼女の頭は人並み以上にきれると見ていい。油断も余裕も慢心もする気は無いが、気を抜いた一瞬で化けの皮をばっさりと切られる可能性は否めなかった。今回ばかりはタイミングの悪さを恨む。今日一日、たった一日乗り切れば余計な被害を出さずに済むというのに、何故こうも神様は優しくないのか。
「それで、蒼。お前の後ろに居るのは……」
「うん。紹介するよ、友達の一斑さん。ちょっと変わった子だけど、良い子だから」
「――、」
ごくり、と一夏は生唾を飲み込む。久しぶりに会った幼馴染みは身体こそ成長していても、懐かしさを感じるぐらい昔と変わらない。まるで生身の刃のように鋭く凜とした雰囲気、さらりと流れる一纏めの黒髪、少し目を細めれば睨まれていると勘違いしそうになるつり目。離れていても一目で分かった。彼女こそが篠ノ之箒だ。きっとそれを声に出せたなら、相手は内心で飛び上がるほど喜んだであろう。だが現実は残酷にも、彼らの再会を素直に祝福してはいない。
「――えっと、蒼……くんの友達、の、いち……一斑、夏織です……わよ?」
「……なるほど、たしかに変わった御仁なのだな」
「…………、」
蒼がなんとも言えない表情で頭を抱えた。一夏が彼に言われたことは全部で三つある。一つは出来る限り嘘をつかないこと。一つは話す前に言葉を自分の中で確認すること。そして最後の一つが“女の子らしい話し方をする”こと。彼女が語尾に変なものを付け足したのは、その三番目が原因だ。というのも、一夏にとっては数ヶ月間ずっと女として暮らしてきたとはいえ、女と偽って過ごしてきたワケではない。
『あああ駄目だ違うこうじゃねえ! っていうか女の子らしい喋り方ってなんだ!? ですわーですわーなのですわーとかか!? 今日はお紅茶が美味しいですわよ~とかか!? 違うか!』
よってこの通り大混乱である。先に予防線を張っていて良かったと、蒼はひっそり胸を撫で下ろした。咄嗟のことで上手くいく筈がないと踏んではいたが、まさか初球から思いっきり大暴投をするとは。先行きが途轍もなく不安だが、始めてしまったからには終わるまでが作戦だ。そっと一夏の耳元まで口を寄せて、ぼそりと呟く。
「普通でいい。無理に女の子っぽくすると却って怪しまれる」
「と言っても、その、具体的には……?」
「……一人称は俺じゃなく私。“ですわよ”まではいらないけど言葉の終わりは丸く柔らかく。“ね”とか“よ”とか」
「サンキュー蒼、恩に着るぜ、よ?」
「君のお里は一体どこなんだ……」
もうこの時点でバレる気しかしない蒼であったが、諦めたらそこで試合終了だと有名な漫画の登場人物も言っている。友人のアドリブ力に一縷の望みをかけ、今一度箒の方へと向き直った。
「ごめん、緊張してるみたいで。今のは無しで」
「そ、そうか、緊張していたのか……」
「あ、あはは……えっと、改めて、お、私は一斑夏織、です。蒼、くんとは友達同士で……その……と、とにかく仲が良いってこと、だね!」
「……うん、そうだね」
蒼はすっと目を逸らしながら肯定した。箒の様子を見るのが怖い。最早隠す気があるのかというほど酷い一夏の台詞に、どうか騙されてくれないかと神に祈る。
「うむ、一斑だな。私は篠ノ之箒という。そこの蒼とは……なんだろうな。幼馴染み、というか、まあそういうことだ。よろしく頼む」
「よ、よろしく、箒……さん?」
「――――、」
神は居た。ここに降臨した。握手する二人を余所に、蒼は静かに天を仰ぐ。ネバーギブアップ。諦めなければいつかは報われる。そんな日常の当たり前を、かつてないほど強く実感した蒼なのであった。
◇◆◇
「ところで箒ちゃん、なんで部屋から出てここに?」
「いや、もしも私を探している連中なら二階の窓から逃げようかと。まあ杞憂だったのだが」
「……なるほど、俺のことは信用してなかったのか」
「信用しているからこそだ。時間は稼いでくれるとな」
言いながらリビングに入った彼らは、各々が一人ずつソファーに座る。出入り口の扉を背面に向けたところへ箒、その真向かいに一夏……もとい一斑夏織。挟まれるように彼女たちの横側へ蒼という構図だ。本来ならば箒の対面は蒼の方が良いのだが、流れで座ってしまった場所を態々変えることはできない。そもそんな事をすれば、折角第一関門を乗り切ったというのに怪しまれるというもの。額に浮かぶ冷や汗をバレないように拭いながら、蒼は状況を注意深く観察し続けていた。そんな折、ふと、一夏が箒に訊ねる。
「あの、箒、さんって、その……追われてる、んですの?」
「一斑さん口調」
「ですかっ!?」
「……ああ、ちょっと、家出のようなものをしてな。絶賛こいつに匿ってもらっている」
話す前に自分の中で言葉を確認する、とは決して嘘を吐く時だけでなく、通常に喋る場合も含めて言ったのだが、一夏はそれを分かっていないのか忘れているのか。彼女の性格上あまり嘘や誤魔化すことが得意ではないと知ってはいるが、ここまでだと呪われているのか疑うレベルである。頼むからぼろは出さないでくれよ、と一夏へアイコンタクト。こくりと彼女は頷いて、きゅっと僅かに拳を握り締めた。
「……あ、そう言えば朝ご飯がまだだった」
「む、そう言えばそうだ。思い出したら急に空腹感が……」
「あ、お、私、作ろうか?」
「……いや、いいよ。俺が作る。一斑さんはそこでじっとしててくれ」
「…………はい」
珍しく妙に細められた目で睨まれて、一夏はしゅんと縮こまりながら浮かせていた腰を落とす。余計な動きは厳禁。特に料理なんて毎日することだ、蒼の知らないところで一夏独特の仕草が出てもおかしくなかった。箒と二人で場を持たせるという不安もあったが、今の必死に取り繕っている様子だと直ぐにはバレない筈だ。奇跡と偶然が合わさったのか、それとも箒が想像以上に鈍感だったのか。考えながら、蒼がゆっくりと台所へ足を運ぶ途中。
「っ」
ふらっ、と。
『――あ、ぶない。危ない。……そう言えばまだ休んでない。いや、仕方がないんだけど』
キッチンに備え付けられたカウンターに手を掛けて体を支える。当然と言えば当然で、蒼は朝に箒が来てから対応に付きっきりで今に至るのだ。普段なら一夏の来訪と共に起きて、休憩がてら食事も済ませるのだが、本日はそれより早い起床に加えて慣れない気遣いの連続。彼の体は一時的に限界近くなっていたが、当の本人が気付いたところで休むはずもない。この状況でなんとか出来るのは己のみ。根性を振り絞ればまだいける。深く息を吸って体勢を立て直そうとする彼だが、彼女はそれを目敏く見ていた。
「ったく、あのお馬鹿は……」
「一斑?」
「あ、ん。……よし。ごめんね、箒さん。ちょっとあの人しばいてくるよ」
「……し、しばく?」
首を傾げる箒をそのままに、一夏は立ち上がって蒼の元へと歩いていく。
「蒼くん」
「……なんだい一斑さん。俺はじっとしててくれって」
「じっとしてるのはそっちの方。無理してんのに気付かないとでも思ってんのかこの馬鹿たれ」
「いたっ」
ばちん、と一夏からでこぴんを貰って額を抑える蒼。何をするんだ、と無言で訴えていれば彼女はぐいと腕を捲る。それからの行動は早かった。一夏はぱっと蒼の体を引っ張ってもう一度不安定な体勢にした後、膝裏と背中に手を当てながら勢いのままに持ち上げる。どこからどう見ても、所謂お姫さま抱っこである。
「ちょっ、なっ、なにを――」
「はいはい、言う事聞かないからこうなるんだよ。ちゃんと大人しくしてようね」
「……無駄に誤魔化せてるのはどうしてなんだ」
「俺だってやる時はやる。箒さんこの馬鹿お願いね」
「あ、ああ」
どさりとソファーに座らされながら、蒼は恥ずかしさを誤魔化すようにそっぽを向く。対する一夏は気にした様子もなく台所へ足を運び、いつものように朝食の準備を始めた。納得がいかない。こんなのは横暴である。一男の子として凄まじく複雑な感情を抱えながらも、ここまで来れば蒼は座って待つしかない。
「……蒼」
「なに、箒ちゃん」
「お前が私を持ち上げられるようになるのは、もう少しかかりそうだな」
「……うん。みたいだ」
はあ、と息を吐いて肩を落とす彼を、箒は若干微笑みながら見詰めていた。
感想欄で一夏の演技が全く信用されてないのは何故なのか。