『もしもし、ワタシ束さん。今、あなたの部屋を隠しカメラで覗いてるの』
「……不味い一夏、俺も被害者だった」
「ええ……?」
通話を繋げた途端にもたらされた思わぬ情報に、蒼はちらりと室内を見回しながら肩を落とす。一夏の事態をなんとなく把握した瞬間、まあ、恐らくなにかはやっていてもおかしくない、という直感が彼の中にはあった。図らずもそれは的中してしまったワケだが、個人的には一切嬉しくない。というより、本当にどこにあるんだろう、と蒼は首をかしげながら携帯に向かって。
「篠ノ之さん」
『
「……盗撮は犯罪ですよ」
『ぶーぶー。いけず。これもそれも全部蒼くんが私と顔を合わせてくれないのが悪いんだからね! あ、寝顔は可愛かったよ~、えへへ。こいつは束さん一生の宝物だぁ……』
「――――」
蒼の顔に僅かながら残っていた表情が死んだ。前述のとおり、彼は電話の相手――希代の天才もとい“天災”篠ノ之束を苦手としている。それは彼女の対人スキル的な問題とか、彼自身の女性に対する苦手意識だとか、そういうものを抜きにしても色々とあったりするせいなのだが、それはまた追々。とにもかくにも、蒼としては今すぐ通話を切りたい気持ちでいっぱいだったが、側で成り行きを見守っている一夏のためにもそうはいかなかった。衝動的なナニカをぐっと堪えて、ひとつ深呼吸。
「篠ノ之博士」
『あれぇ!? さっきより距離感が離れてない? ちょっと蒼くん~? お姉さんをからかっちゃダメなんだぞ~?』
「………………ええ。それで、一体どういうことか、説明してもらえませんか」
『つれないなぁ、数年ぶりの会話だっていうのに』
ぶつくさと電話越しに文句を垂れる束をよそに、蒼はほうと盛大なため息をついた。がっくりと肩がこれでもかと下がる。会話時間はおよそ一分にも満たない。まとめれば二言三言交わしたぐらいだ。だというのに、かつてない大きさの疲労感を、彼は現在進行形で覚えていた。そんな中、一夏はというと。
――すげえ、蒼がむくれてる。
なんて、結構どうでもいいところに着目していたりする。実際この男、転生してからこの方、怒ったことが両手の指で足りるほど、という周りから見れば超特異人物だった。それもその筈。元来人と接するのが苦手でマイペースのきらいがあった彼は、一度目の死を切っ掛けに半ば悟り気味の思考回路へワープ進化。真のさとり世代とは俺のことだ、と名乗り上げていいぐらいである。閑話休題。
『じゃあじゃあ、ひとつだけお願いがあるんだ。聞いて蒼くん』
「なんですか」
『“愛してるぜ、束”ってさっきいっくんにやったみたいな声で言って欲しいな~』
「すいません、ご要望にはお応えできません。では失礼します」
完全に事務的な対応だった。蒼は躊躇いなく通話終了のボタンを押すと、何事もなかったかのように一夏の方へ顔を向けて。
「無理だ一夏。俺にはちょっと荷が重い」
「……蒼でも怒るコトってあるんだな」
「当たり前だろう。俺のことをなんだと思ってるんだ」
そんな聖書に出てくるような聖人でもあるまいし、なんて言いながら蒼は握っていた携帯をテーブルの上に置いた。一対一での意思疎通は不可能である。主に“こちら”と“あちら”の感覚がズレすぎていて会話どころの問題ですらない。かといって、篠ノ之束との連絡をすっぱり絶つという選択肢も蒼の中にはなかった。皮肉なことに、彼女が仕組んだことは彼女以外の殆どが対応できないのである。故に天災、と呼ばれるのだが。
「スピーカーにする。一夏、その状態で悪いけど、ごめん。手伝ってくれ」
「え。でもお前、さっき思いっきり電話切って――」
「愛してます篠ノ之博士」
物凄い棒読みだった。しかし。
「うおっ!? 超早えな!」
「……なんで俺、この人に好かれてるんだろう……」
初めて会った時は存在すら無視されたのになあ、なんて呟きながら、ぱちりと再度通話ボタンを押した。
◇◆◇
束の言い分はこうだった。
『いやー束さんってばふとした思いつきで行動しちゃうところがあるからねそりゃあやっちゃうともそうともっていうことで先ず移動用のニンジン型ロケットでいっくんの家にひっそり降り立って束さん渾身のピッキング技術により潜入&お注射! その後タクシーで蒼くんの家まで来たあとに約五十カ所に隠しカメラを設置&寝顔鑑賞! そうして乗ってきたロケットでダイナミック帰宅ってことだよ! あ、あとでカメラ配置図はメールで飛ばすから気に入らなかったら処分してねー』
とまあ、なんとも反応に困る説明。一先ず蒼はほっと胸を撫で下ろし、一夏はさらに頭を抱えた。なにせ肝心の行動理由が思いつきである。どうしろというのか。どうにもならない。
「ちなみに、注射の中身は」
『見てのとおりだよ? いっくんが美少女になっちゃうお薬。もとい性転換剤。製法は秘密だよ、なんたって口にしたらいっくんがぶっ倒れるようなものも使ってるからね!』
「……篠ノ之さん。それ秘密にした意味が無いです」
一夏の顔からさっと血の気が引く。気持ち悪いなら吐いてきたらいい、と蒼がジェスチャーでトイレの方を指すと、しばらくしてぶんぶんと首を振った。どうやらまだ限界ではないらしい。隠されると気になるのが人の性と言うが、この時ばかりは蒼も一夏も知りたいとは一ミリも思わなかった。
「……あの、束さん」
『ん? なんだい、いっくん。女の子の姿、実に似合ってるね!』
「いえ、ありが……いやそもそもお礼言う場面じゃねえだろコレ……じゃなくて。はい、色々と言いたいことはありますけど、そこは置いておいて……」
ごくりと、唾を飲みこみながら。
「――これって、元に戻るんですか?」
それは、一夏にとって、もっとも重要な部分だった。一連の事態に陥って、一番聞きたかったこと。何がどうなっているかという現状把握より、ずっと気になっていたこと。女の子の姿になっただけならまだ良い。良くないが。それでも一応は、なんとか、頑張れば許容範囲内で収まるかもしれない。多分。――けれども、一生このままだったら?
「――――っ」
想像して、一夏はぞっとした。このまま、文字通り死ぬまで、女として生きていかなければならなくなったら。そんなの自分には到底耐えられそうにない。十四年間男として生きてきたのだ。今更性別が変わりましたこれからそれで過ごしましょう、なんておかしいにも程がある。どうか、それだけは、勘弁してくれと。祈るような気持ちで待つ一夏に、束はああと答えて。
『うん、戻るよ、ただし一年後』
「い、一年後……?」
『そう。一年経てば綺麗さっぱり男のいっくんに元通り。今はないアレも、今だけあるソレも、全部チェンジってことさ。……まあ、無事で居られたらだけど』
「…………嫌な予感がする」
ぽつりと蒼が呟いた。一夏としても同じ心境である。なんせ、向こうは篠ノ之束。女性専用パワードスーツ、インフィニット・ストラトスの制作者。希代の“天災”、世界を根底から変えた人間。ただ性別を変えるだけ。それで満足するような相手じゃないのは、二人とも分かりきっていた。
『そうだねぇ。簡単なところだとキス。もっといくのならゴム無しでのエッチ。自分の意思であろうと無かろうと、男の人とそれをやっちゃったら――』
「たら……?」
『――晴れていっくんは女の子として生きることになるよ』
天災は、いつもより静かに、くすくすと笑いながらそう告げた。
◇◆◇
これが、物語のはじまり。なんでもない春の一日、雨が降る朝に起こった、ありえないような事件の内容。
彼らの関係が決定的に変わる、およそ数ヶ月前の出来事である。
知人からリメイクは人気でないからゆっくりやれると聞いて軽く構えていたのですが、想像以上の方に読んでいただけているようで困惑しております。おかしい、更新速度を落とすつもりだったんですが(白目)