君が可愛く見えるまで。   作:4kibou

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この夏が遠い夢になることを願う。

 篠ノ之箒逃走事件から数週間経った、夏真っ盛りの八月半ば。空は綺麗な青、浮島のように佇む白い雲、遠方の景色を歪ませるほどの熱気、五月蠅いぐらいに響き渡る蝉の声。日常の何もかもが暑さを伴う今日この頃、蒼と一夏はそうめんを啜りながらぼうっとテレビを眺める。画面には今年大ブレイク中と噂の人気芸人が、並々に張られた熱湯風呂へ飛び込まんとしていた。ここでも“アツさ”を感じるとはなんとも、これが昨今よく耳にしなくなった地球温暖化というヤツか。心底どうでも良さそうなことを考えながら、蒼はぬるくなった麦茶を飲み干す。

 

「……暑いな」

「暑い。……というかなんでクーラー付けないんだ?」

「節電。寝る時はふんだんに付けてるから、せめて起きてる時はと」

「それでぶっ倒れたら本末転倒……つかうちわだけじゃこの夏は乗り切れないって」

 

 一夏がシャツの胸元をぐいっと広げながら、ぱたぱたと片手に持った団扇で風を送り込む。全くもって目に毒な光景だった。蒼はすっと目を逸らしながら、無心で残りのそうめんを只管啜る。啜る。まだまだ啜る。目の前の人物がその行動をやめるまで啜る。麺が無くなった。仕方なく彼は目を伏せて、そうめんの束に箸を突き刺しながら口を開く。

 

「一夏、はしたないぞ」

「別に良いだろ……千冬姉みたいに硬いコト言うなって。いや千冬姉も家ではだらしないけどさ」

「それ、千冬さんに聞かれたら大目玉じゃないか? 否定できない事実、っていうのが特に」

「ほう。そういうお前らは毎日きちんとしている、と?」

「そうそうこういう風に千冬姉がキレたらこわ――」

 

 リビングから見える庭の方を指差しながら笑っていた一夏が固まる。内と外を遮るガラスの引き戸は、風を取り入れるために開けられていた。どちらからも向こう側の様子は丸分かり。そこそこ広くも、なにか複数人のスポーツが出来るほど大きくはない庭先に、黒い髪の毛を長く伸ばしたつり目の女性が立っている。蒼はご馳走様と手を合わせて、ゆっくりと腰を上げた。

 

「お久しぶりです千冬さん。一夏に何か用でも?」

「蒼、お前ちょっとこっちに来い」

「すいませんこれから洗い物を――」

「来いと言っている」

「はい」

 

 威圧感なんて可愛らしいものでは無かった。あれは覇気だ。王者の覇気だ。しかも恐らく百獣の王者。食うか食われるかではない。間違いなく絶対的捕食者である。震える体を必死に抑えながら、千冬の元へと歩みを進める蒼。一夏の脳内には不思議とショロム・セクンダ作曲の「ドナドナ」が流れていた。さながら、自ら食われると察しながら虎へ近付く仔牛である。

 

「土産だ、受け取れ」

「へ? あ、これはどうも……」

 

 が、意外な事に予想通りとはいかず。そう言って千冬が差し出したのは、まん丸に太った西瓜だった。この時期では大して珍しいものでもないが、一人暮らし故にあまり買おうとも思わなかった夏の風物詩。素直に嬉しい。蒼はまじまじと手元の西瓜を見詰め、改めて千冬の方を向く。彼女は笑っていた。それはまるで聖母のような、全てを優しく受け止める笑み。思わず惚れそうになる。無論、能ある鷹は爪を隠していたワケで。ばちんと正面からでこぴんを受けて、一瞬彼の視界には星が回った。

 

「いたっ」

「これで勘弁してやる。あまり私の悪評を広めるような真似はするなよ?」

「……しませんよ、そんなしょうもないこと」

「だろうな。お前はそういうヤツだよ。……ついでに一夏、お前も来い」

「ん、なんだよ千冬姉」

 

 そんな事前の光景もあり、一夏は完全に油断していた。彼女は爽やかな笑顔で団扇片手に真っ直ぐ歩いてくる。手招きする千冬も微笑みを浮かべ、先の異様な迫力など欠片もない。ともなれば、誰であろうと警戒を解く。蒼だって警戒を解く。……それが甘い罠だとも知らずに。

 

「――ふっ!」

 

 見事な手刀。綺麗に脳天へ突き刺さっている。ビューティフォー。

 

「いっ!? てぇえぇぇええぇぇ……な、なにすんだ千冬姉ぇ……」

「お前は身内だ。容赦はせん。人の隠している部分を堂々と言いおって」

「俺、こういう時ちょっと一夏が羨ましく思う」

「代わるか? 代われるよな? この痛み思い知れよ蒼? 俺の脳細胞が今一体幾つ死んだと思う?」

 

 涙目で頭を押さえながら訴える一夏は、しかしどこか嬉しそうである。蒼は両親の都合で、長らく家族と一緒の時間を過ごしていない。例え転生という経験をしていようとも、人並みに寂しさは感じるのだ。記憶や心の在処はどうであれ、血の繋がった親子であることに変わりはない。ほんの少しだけしんみりとした気分になりながら、蒼は千冬から預かった西瓜を冷蔵庫まで運ぶのだった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「そう言えば、今日は夏祭りらしいな。お前らは行かないのか?」

 

 ふと、注文を承って蒼が出したアイスコーヒーを口にしながら、千冬は思い出したように呟いた。毎年近くの篠ノ之神社で行われるお盆祭り。小さい頃は二人もよく足を運んだものだが、箒が転校してからはめっきりその回数を減らし、今となっては目に見る事すら少ない。祭り自体も蒼はあまり好んで参加するタイプでは無く、一夏も一夏でそこまで拘る性格をしていない。結果として、彼らの心は一つの答えに集約する。

 

「いや、受験生だろ、俺ら。夏祭りなんて行く暇ないぞ千冬姉」

「花火ならここからも見えますよ、千冬さん。少し風情は欠けますけど、でも十分綺麗です」

「……いや、遊び心がないというよりは、面白くないやつらだなお前らは」

 

 頭を抱えながら、やれやれと千冬は首を振る。

 

「そも受験生。ここでのんびりだらけている場合か馬鹿者」

「ごもっとも、だけど俺は一応志望先にA判定を貰ってるから」

「藍越なら俺もA判定だったけど」

「むしろお前がA取れなかったら絶望するわフツーに考えて」

 

 普段の態度で忘れがちになるが、こうもふわりとした雰囲気とは言え蒼は学年で一番の成績の持ち主だ。その彼が手こずるような内容であれば、一夏にとっては正しく難問中の難問だろう。なんてことは無い。精々が高校の途中までしか記憶の無い彼からしてみれば、専門分野に片足突っ込んだような問題だけで直ぐにボロが出る。

 

「勉学に余裕があるのなら遊んでこい。息抜きも努力のうちだぞ」

「今が息抜きだよなー……。蒼と居ると落ち着く」

「むしろ祭りに行った方が息が抜けませんよ、千冬さん」

「…………まっっっったくもってつまらんなお前らは」

 

 人を測る尺度は面白さだけではない、というのを蒼も一夏も理解しているため、千冬の言葉をなんでもないかのようにスルー。見方によっては自堕落な生活とも言えるが、彼らにとってはいつも通りの休日である。ご飯を食べて、適当な話をして、時には騒ぎ、時にはぼうっとして、一日の終わりに眠って次を迎える。

 

「でも、夏らしいこと、っていうのを一切してないのは勿体ないかな。前に言ってたみたいに、ここで簡易プールでも膨らまそうか?」

「あー、良いな、それ。蒼の庭って昼過ぎは日陰になるし。暑いのも凌げそうだ」

「ちゃんと水着は着けてくれよ。上半身裸とかやばいぞ。主に俺が」

「鼻血出すんだな知ってる。このむっつりスケベめ」

 

 強ち間違いとも言い切れないのが蒼にとって辛かった。殆どの事態に落ち着いて対処できる思考回路の彼だが、残念なことに“そういうもの”への悟りは開けていなかった。かと言って弾や数馬のようにオープンにするのもどうかと思うので、結局は基本的に隠しつつも我慢できなければ出る感じなのだが。

 

「……ふむ。面白そうだな」

「千冬さん?」

「千冬姉?」

 

 ぐいっと飲みかけのコーヒーを一気に呷って、千冬が勢いよく立ち上がる。

 

「私も久しぶりの休暇で暇を持て余すところだった。やるぞ」

「……ええっと、今から、ですか」

「無論。ああ、心配するな。一夏の水着は既に見繕っている」

「……やべえ、俺もなんか陰鬱とした気分になって来たぞ」

 

 がくりと一夏が肩を落とす。夏祭りなのに自宅でプール。そんな一風変わった状況を作りつつある上慧家は、今日も変わらずいつも通り。きっと、多分、平和である。

 

「ちなみにビキニだ。良かったな一夏」

「良くねえぞ千冬姉!?」

「……ああ。大きいもんな、君」

「どこ見て言った? それどこ見て言った蒼? おい、目を逸らすな」

 

 胸以外にないだろう、と蒼は窓の外を眺めながら内心で吐き捨てた。 




夏祭りに行くかどうかというアレは時期的な問題で全部吹き飛ばされたとかはしらぬい。一夏ちゃんの好感度に落ち度しか無かったとかぬいぬい。

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