君が可愛く見えるまで。   作:4kibou

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当初は二話で消化するつもりだったのが何故か増えた行事です。


開催宣言は既に終っている。

 ――地を蹴る。呼吸は正しく、視線は前に。只管に足と腕を振り回して、気持ちよく風を切る。見える背中は二人だけ。追い付けるかは少々難しかったが、彼としては最後まで必死で走りきれば十分だった。残り二十メートルを過ぎる。息が荒い。心臓が苦しい。貧弱な己の体では、恐らくこれが限界。残り滓程度の体力を振り絞って、ゴールテープまで一気に駆け抜ける。

 

『続いて紅組三年生、上慧くん三着でゴールです! なんか盛大にぶっ転んでますけど大丈夫でしょうかー!?』

「へーき、へーき、ぜんぜん、へっちゃら……」

「うへー。上慧っちマジ(まんじ)。倒れるまで走るとかヤバくない?」

「情けないけど、体力が、無いだけで……」

 

 限界ギリギリの全力疾走を披露し、見事三位に輝いた蒼は大の字に寝転がりながら肩で息をする。声を掛けて近寄ってきた女子は、“3”という数字の書かれた旗を持っていた。帰宅部にしてこれは上出来だ。彼はにへらとらしくもない笑顔を浮かべ、よっと最後のひと踏ん張りで立ち上がる。

 

「でも、一応、少しは点数取れたかな。ごめん、着順に並ぶんだろう?」

「――――、」

「……あの、えっと。有守木(うすき)さん……?」

「え、あ、うんうん。そゆことだけど。……いやー上慧っちのあんなだらしない表情初めてみたわーちょっとやばいわー」

 

 あーやばやば、と呟きながら彼女はぱしっと蒼の腕を掴み、トラック内側の完走した生徒が並ぶ場所へ連れて行く。見ればちょうど残りの二人もゴールしたところのようで、膝に手をついて喘ぐ姿が視界に入る。本気で走ったのならば辛さは同じ。かく言う蒼も乱れた呼吸はまだ収まらない。心臓がばくばくと激しいリズムを刻む。倒れていたのもあって、これでは誰が最下位なのか分からなかった。蒼は苦笑して、手を引かれたままの状態で真ん中に立ち、

 

「……ところで、もう離しても良いと思うんだけど」

「や、あたしが離したらなんか上慧っち倒れそうで」

「倒れない、倒れない。ほら、この通り全然大丈夫」

 

 ひらひらと顔の横で手を振り、蒼は彼女に柔らかい笑みを向ける。勿論、本当は今すぐにでも倒れたい。というかここで倒れたい。倒れる。一瞬視界が回りかけた。根性で耐えて平衡感覚をしっかりと保ち、空いた片方の手で見えないように拳を握り締める。最早彼は大勢の人前で心配させるようなことをしたくない、という意地だけで立っていた。腐っても男の子。それぐらいの我慢強さは標準装備というもの。

 

「すんませーん。あたしちょっとこの人送っていきますねー」

「え」

「バレバレすぎ汗ヤバすぎ演技下手すぎ。応援は良いからテント入って休んでなよ」

「……そんなに露骨なのか……」

 

 蒼自身としてはかなり上手く誤魔化したつもりだったのだが、どうやら他人からすると下手な芝居らしい。まさか一目で見破られるとは予想外である。驚きつつも思い返せば、なるほど箒や鈴にも一切効かなかった。残念なことに、役者としての才能は無いようだ。深く息を吐いて件の彼女に連れられながら、蒼はなんとなく空を見上げる。天気は快晴、雲一つ無い青、響くのは声援とスタートの合図であるピストルの音。九月中旬の週末日曜日、いよいよ始まった体育祭当日。

 

「一種目でこれって、先が思いやられるな」

「それはこっちのセリフっしょ。あ、織斑っちこの男預かってー」

「え? あ、うん。なんかよく分からないけど、とにかく分かった」

「送迎完了。んじゃあたし係の仕事まだあるからー」

「……ありがとう。助かったよ、有守木さん」

 

 適当に投げ渡されて一夏に支えられつつ、蒼は小さく手を挙げて感謝の言葉をかけておく。彼女はこちらも見ずに二、三度手を振って歩いていった。その後ろ姿を見送って、彼は一夏から離れるように勢いを付けて体勢を立て直す。

 

「――と、あれ?」

「うおっと危ない。……フラつき注意な。こっちで俺と休むぞ馬鹿野郎」

「……願っても無いけど、格好付かないのはどうにかならないか」

「ならないならない。百メートル本気で走ったぐらいじゃ駄目だろ」

 

 何はともあれ、二学期を代表する盛大な行事だ。今日も一日元気に過ごそう、という目標は競技開始僅か十数分で達成出来なくなりそうだが、せめて余すこと無く力は使っていきたい。全身全霊をかける。やるからには蒼としても、優勝するぐらいの気持ちでいた。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「ま、初っ端からこの調子じゃアレだけどな」

「出る競技が少ないから、これで良いんだよ」

「お前がぶっ倒れるような真似が駄目ってことだ。ったく、分からず屋め」

「分かってる。分かってる」

 

 あぐらを組んだ一夏の足を枕に、ぱたぱたとうちわで扇がれながら、蒼は遠目にグラウンドの様子を眺める。種目は変わってリム転がし。よく見れば他のチームが悪戦苦闘している中、五反田弾が華麗なリム捌きを披露していた。カーブ、ジグザグ、折り返し、何が来てもお手の物。観客席からは拍手と称賛の声。変なところで人は才能を発揮するんだな、と蒼は友人の活躍に微笑みながら思う。

 

『紅組ダントツ! いやこれは五反田くんがダントツです! 凄い! まさにリム転がし界の神童! コンビニでエロ本を手に取っていた男とは思えません!』

「おい待て何故それを知ってやがる!? どこ情報だ! どこ情報なんだそれは!」

 

 実況席に座る女子からの精神攻撃に動揺するも、彼の手には一切震えが伝わっていない。まさにプロの妙技。そのまま他を突き放しての一着ゴールに、紅組テント内から歓声が沸き上がった。当の本人も調子に乗ったのか、転がし終わったリムを棒でくるりと回しながら、格好付けてはにかむ。普段なら一蹴されるものだが、今日は年に一度の祭り。クラスメイトは心を広くしてそれを受け入れた。

 

「流石だぜ五反田ァ!」

「いいぞいいぞー赤髪イケメン!」

「カッコイイよー!」

「あんなに格好いい男に彼女が居ないワケねえよなあ!?」

 

 ふっと笑って、弾はすうっと息を吸い込み。

 

「――居ねえよバァァアカ! 彼女募集中でぇす! 誰か立候補お願いしまぁぁあす!」

『……えー、五反田くん。競技に関係ないことはあんまりしないようにー。あとさっきから妹ちゃんらしき人に睨まれてますよー』

「……蘭ちゃん、来てたのか」

「おう、最初からな。ほら、あそこ」

 

 一夏が指差した方を見れば、たしかに赤髪の女の子がじいっと弾へ視線を送っている。しかもこれまた鋭い。近くに行って確認するまでもなく、五反田蘭なのは明白だった。放送を聞いた弾もばっと振り向いて直ぐさま発見し、無言でサムズアップ。気のせいで無ければ冷や汗が滝のように流れている風に見えるが、きっと事実なのでそっと見ないことにする。身内がああも馬鹿をやっていれば、まあ、諫めたくなる気持ちも分からなくは無い。

 

「……というかこの体勢、もうそろそろやめないか?」

「却下だ。顔色がまだ悪い」

「……勘弁してくれ。本当に、ちょっと恥ずかしいんだ」

「恥ずかしがることなんて無いだろ? 俺はただ介抱してるだけで」

 

 にいっと笑いながら一夏が言う。その仕方が問題なんだ、という言葉を蒼は飲み込んで、代わりにため息をひとつ。去年にも似たような状況を経験している。相手は一夏でなく鈴だったが、彼女はもう一段階上げてなんと膝枕という凶器を使ってきた。あれを一夏に出来たのなら関係も進展したハズだというのに、話を振ってみれば顔を赤くして恥ずかしがるのだからまた分からない。なぜ蒼には良くて一夏には駄目なのか。女心は複雑だ。

 

「それともあれか? 蒼のお母さんがこっち見てるから恥ずかしいのか?」

「……は? ちょっ、う、嘘だろう……?」

「いやー俺もさっき気付いた。マジで。ほら、手ぇ振ってきたぞ」

「その前になんで母さんがここに居るんだ朝は居なかったのにっ」

 

 がばりと飛び起きて、周囲を見渡す。――居た。蒼と一夏の待機する紅組テントから見て右斜め前、若干茶色の混じった長い黒髪を揺らしながら、手を振っている女性が一人。間違いなく彼の母親だった。

 

「蒼のお母さん美人だよなー。千冬姉とは違った方向で」

「……母さん、ああ見えて人を弄るのが好きなんだ。絶対、からかわれ、るぅ……」

「っと。早速リターンかよ。この体勢はまだ続きそうだな?」

「やめてくれ……ああ、母さんがニヤついてるよ……」

 

 急に起き上がったせいか、立ちくらみに似た症状でばたりと一夏の方へ倒れる蒼。割と悪戯好きな母親の一面を思い出しながら、彼は静かに天を仰いだ。体育祭はまだ、始まったばかりである。

 


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