本日は晴天なり――とまではいかずとも、悪い天気では無い。冬場目前を控えたこの季節特有の空気を肌で感じながら、蒼はほうと息を吐いて窓から校門付近を見下ろした。入り口と出口を兼ねるそこには、アーチ状の飾り付けに大きく文化祭と銘打たれている。安っぽいが、精々中学の行事などそういうものだ。むしろ躓きかけていた自分達の方がおかしい、と改めて己のリーダーシップの無さを自覚しつつ、腰に着けたインカムのボタンを押す。
「あー、聞こえる? こちら委員長。どうぞー」
『――A班聞こえます。どうぞ』
『B班同じくーどぞ』
『C班ばっちし。文明の利器ですなあ、どうぞう』
『D班、ちっちゃいけど聞こえまーす。……ってボリュームが最小だったわ』
一通り返事が来たのを確認して、隣の一夏へこくりと頷いた。彼女は蒼の言いたい事をたったのそれだけで理解したらしい。口に咥えていたお茶のペットボトルを離し、体勢を整えてひっそりと待機する。ともあれ、通信は良好。四班ともに連絡が無事とれるのなら、心配は要らないだろう。よし、と呟いて再びこちら側のマイクをオンにした。
「今朝集まった時も言ったように、各班は担当の範囲で適当にぶらついて居れば良い。何か揉め事とか起きそうなら仲裁に入って、何事も無いなら普通に楽しんでくれ。あと、人手が欲しいなら俺らを呼ぶこと。どうぞ」
『ここに来て委員長の手は煩わせません。どうぞ』
『了解でーす。ま、それなりに見ておきますどぞどぞ』
『オッケー。ようし、頑張るぞみんな! あ、どうぞーう』
『はいはーい。理解理解、うん、いけそうじゃん』
しかしながら、我が中学の文化祭は至って普通の文化祭で、「地域密着型様々なところと提携して色んな事します!」と言うようなものではない。土曜日に学校を開放して行われるこのイベントに参加するのは、休暇を取れた父兄あたりとOBOGぐらいだ。会場をざわめかせるような大事件など普通なら起きようも無いが、終わるまで安心は出来なかった。インカムのマイクを切ると同時に、蒼は襟元をぐいっと人差し指で引っ張る。
「という訳で、俺たちは校内をお散歩しながら緊急時に駆けつける係だ。まあ、殆ど仕事は無いと見て良い」
「油断してるとドデカいの喰らうぞ? 実行委員長。その腕章似合ってるぜ」
「……ちなみにこれ、今日一日は外したら駄目だからな」
「そりゃそうだろ。俺たちは実行委員なんだし」
からからと一夏が笑う。一応、名目上では本日に限り、文化祭実行委員は平の生徒より一つ上の役職として認識されていた。無論、役員全員にクラスごとの出し物とステージの予定は頭に入れて貰っている。校内図は覚えるまでも無い。外部から来た方への対処も仕事のうち。その辺りの準備は万端、対応も余程で無い限り文句は言われない筈だ。
「で、どうする蒼。どこに行く?」
「一先ず俺たちの教室に行こうか。何か、面白いことやってるみたいだし」
「……時間帯的にセーフなあれか?」
「ううん、多分アウトの方」
くすりと笑って蒼が答えた。うえー、と一夏が露骨に嫌な顔をする。それもまあ、仕方がないと言えば仕方のない事で。内容を知らされた蒼ですら、あの修羅場を経験しておきながら「自分は文化祭実行委員に立候補しておいて良かった」と心の底から思った程である。光景的には地獄か天国かの二つ。今の時間帯では恐らく前者。
「何を思ってあいつらはあんなコトをしたんだろうな……」
「多分、君から発想を得たのは確かだ」
「マジか……本当にロクでもねえなこの身体」
「違いない」
流石の彼もこれには同意だ。もし一夏が女の子にならなかった未来を考えると、現状よりずっと平穏なのだろう。もしくは別の世界線ならば、全てが緩く上手く綺麗に進んでいたかもしれない。けれども現実は目の前、たしかに生きている世界のみ。彼らは揃って三階まで長い階段を上り、がらりと自教室の扉を勢いよく開けた。
◇◆◇
「「「――お帰りなさいませご主人様ァ! お嬢様ァ!」」」
「……これは酷い」
「うわあ……」
本気でドン引く二人の目の前には、可愛らしい意匠を施されたメイド服の生徒が歓迎するように立ち並んでいる。三年A組の出し物は所謂一般的な「ご奉仕喫茶」というもので、各人が普段とは違う“そういった”格好で接客する内容だ。が、彼らは何を血迷ったのか、そのまま出せば良かった良策をたった一つの味付けで奇策へと変えてきた。それこそが視界一杯に映るメイド服を着た
「ご注文は何にいたしますうぅ?」
「コーヒーなんてオススメですよぉ?」
「こちらのお席までどぅーぞぅー」
「当店ではお触りは禁止となっておりまーす」
「いや誰が触るって言うんだ……」
思わず頭を抱える。悪夢だ。およそこの世のものとは信じられない悪夢が広がっていた。客足が全く無いのも頷ける。そも、文化系の男子は大抵が華奢なこともあり、それなりに見られるものとして仕上がっているが、問題は体育会系。本来ならば白くて綺麗な肌が覗く、構造上露わになった二の腕辺りから手首までの領域が、日焼けで黒くなった筋肉を輝かせていた。間違いなく男子特攻。一部の物好きは気に入るかもしれないが。
「お、なんだ蒼と一夏じゃねえか。見回りか?」
「弾、君は……」
「おう。どうだ? 俺様の完璧美少女ムーヴメントはッ」
くるりとその場で弾がスカートをつまみながら回る。赤髪バンダナメイド、という字面だけ見れば素敵な存在であろうとも、実際が男性であればこうまで酷くなるというのか。蒼はこの時、イケメンもモノによるなと始めて知った。どうせなら妹である五反田蘭の方を見てみたい。深い意味はなく、彼にとっての好奇心だけだが。
「はっきり言ってナシだ。一夏を見習ってほしい。ほら、骨格まで変えてきてる」
「好きで変えたんじゃねえよ、馬鹿蒼。まあ、それはともかく、俺ならお前らの百倍それを上手く着こなせる自信がある」
ふふんと一夏が胸を張って宣言した。当たり前だが今の彼女は正真正銘の女の子。阿呆な男子共がノリと勢いで変身したコレとは比べものにならないほど、綺麗なメイド姿を見せてくれるだろう。
「なら着て貰おうか実行委員殿。……ちょうど一着ずつ余ってたんでなあ!」
「はっ? いや、待て、一夏じゃ無く俺? それは本気で勘弁――」
「問答無用だ。一夏も女子に着替えさせて貰え」
「ささ、織斑ちゃんこっちへどうぞー」
「ええ……いや、まあ、あっちよりは忌避感無いけど……」
ずるずると弾に引き摺られていく蒼と、女子に手を取られて歩く一夏。詰まるところ、彼らのクラスが企画したのは性別逆転のご奉仕喫茶。一時間毎に男子がメイド服を、女子が執事服を着て接客する新鮮な内容である。勿論、どちらの時間帯が多く集客出来ているのかは明白だった。
◇◆◇
「さ、肝心のお披露目タイムね! 先ずは織斑ちゃんから!」
ばっ、と一夏を隠していた女子の壁が割れると同時に、向き合う形で同じように固まっていた男子陣営から「おお」と声が上がる。一言でいえば様になっていた。黒を基調とした燕尾服と、両手に嵌められた白い手袋。膝裏まで伸びる長い髪は、後ろで一房に括られてポニーテールとなっている。流石は元イケメン筆頭と言うべきか。
「はは……なんか、恥ずかしいな」
ぽりぽりと頬をかく一夏。困った表情もまた申し分ない。
「……いや、これは素直にすげえ」
「俺らでもあんなにバシッと決められないよな……」
「美少女は何着ても美少女だけど、一夏だから尚更なあ……」
「いいやお前ら、まだうちの秘蔵っ子を見せてねえだろ?」
その言葉に、こくりと男子一同が頷く。着替えたのは一夏だけではない。実行委員長である彼も無事、被害に遭っていた。男子共の群れがぞろぞろと移動する。囲うみたいに組んでいた陣形の前方がすっきりと捌けて、自然と中央の様子が見えるようになる。そこに立って居たのは――
「……蒼?」
「……見ないでくれ。こんな姿、正直、穴があったら入りたい」
かあっと頬を赤く染めながら、きゅっと蒼は腕ごと自身の身体を抱き締めた。ひらひらとフリルのついたカチューシャに元々つけていたヘアピン、女性用の胸を強調するかのようなデザインでミニスカートのメイド服。おかしなことに、男子がおおよそ似合わないであろう格好なのだが。
「いや、案外可愛いなお前。うん。似合ってるぞ」
「やめてくれよ……本当にもう、恥ずかしいんだ」
「あ、記念に一枚撮っておくか。ほれ、ここに備品のデジカメが」
「……後生だ、許してくれ」
とまあ、一夏は悪く無い反応。さて、クラスメートの方はというと。
「う、うちの看板娘よこれは! みんなのアイドル上慧蒼ちゃん!」
「似合ってる……! 上慧っちの女装凄い似合ってる……!」
「あ、駄目だ俺新しい扉開けそう」
「それ禁断の扉だから慎重に扱おうな……」
と、こちらも概ね高評価。蒼としては複雑な気分だが、絶望的に酷いものよりかはマシか、となんとか割り切って溜め息をひとつ。余談だが、ばっちり激写されたせいで卒業アルバムにすらこの格好が載ることを、蒼は現時点で知る由もなかった。