君が可愛く見えるまで。   作:4kibou

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すれ違う心が跳ねた。

 

 ――昔から、一人で居るのが好きだった。たった一人で、誰に気を遣うでも無く、自由に過ごすのが好きだった。周りなんて関係無い。世界は己の内だけで完結している。求めるモノがなければ、他者と接触する理由すら皆無。自然と、周りから人は居なくなった。冷たい人だと誰かに言われる。だからなにか(どうでも良い)。無神経な奴だと誰かに言われる。それでなんだ(どうでも良い)。気の利かない人間だと誰かに言われる。それがどうした(どうでも良い)。人は人、己は己だ。幸いな事に、世界は必要最小限の交流で何とかなるようになっていた。少なくとも当時の自分にはそう見えたのだ。

 ――故に。

 

『……なんで、こんなに寒いんだろうなあ……』

 

 まさかそんな人間が、独りになる事を嫌だと思う日が来るとは、想像もしていなかった。尤も、他人との関わりが大切だと気付いたのは死んだあと。そのくせ、経験が無いからロクに友人も作れない。そんな仲で数少ない識っている(・・・・・)存在であり、身近だった彼らは。

 

『えーっと……上慧、だったっけ?』

『……え、あ。俺のこと?』

『いやこの場におまえしかいねえじゃん……。俺、織斑一夏な。掃除がんばろうぜ』

『……ああ、そうだね。うん、がんばろうか』

『? なんでそんな笑ってんだ……? ヘンなやつ……』

 

 きっと、紛れもない救いだったのだろう。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 正直なところ、蒼はかなり参っていた。

 

「元気出せよ、ほらオレンジジュース」

「ありがとう数馬……」

 

 友人に一夏のことを相談してからしばらく経つ。文化祭から数えるともうそろそろ二週間というところ。ここまで来ると一過性の怒りや何かではない。弾の方はなかなか一夏の空いた時間を狙えず、躍起になって隙を窺っている最中だ。二人とも居ない休憩時の教室はどこか静かに感じられて、目の前の御手洗数馬が居なければ受験勉強も捗ったことだろう。蒼にとっては殆ど必要の無いもので、素直に嬉しいのだが。

 

「弾から全部聞いたぜ。一夏にフラれたんだって?」

「違うよ。避けられてるんだ。……って言うか下手したら嫌われてる」

「まあお前天然畜生なところあるし。無意識に人のこと煽るし。正直嫌われたところで自業自得としか」

「……そう、なのか。知らなかった。だとしたら最低じゃないか。どうしよう、土下座でも許して貰えないだろうし、数馬。俺はなんて謝罪すれば……」

「あああ悪かったすまんかった言い過ぎた! そんなことはないから! 落ち着け蒼。この程度の言葉で平常心を崩すようなお前じゃないだろ!?」

「よ、良かった。てっきり取り返しのつかないことやってるかと……」

 

 珍しく動揺がほんの僅か顔に表れていた蒼に、これは深刻な問題だなと数馬は溜め息を吐いた。共通の知人である弾からの話ではそこまで堪えていないと聞いていたが、なんてことはない。親しい友人から距離を取られれば、誰だって心を乱されるのだ。蒼も例外に漏れず、時間の経過と共にいつも通りの冷静さを失ってしまうぐらいには思い詰めているということか。

 

「大体、嫌われてると決まったワケじゃないだろ? ほら、もしかしたら“やだ蒼クン格好良すぎない……? こんなんじゃあたし恥ずかしくて顔も合わせられないわ!”とかいう照れ隠しの可能性も」

「あの一夏が?」

「……ねーな。微塵もねーなそりゃあ。ま、そいつは置いといて、具体的にはどんな感じの態度なんだ?」

 

 聞けば蒼は、うぅんと唸りながら顎に手を当てる。弾と一夏の接触が成功してない以上、彼との関係性も依然変わらぬまま。徹底的と言えるほどの彼女の行動を、蒼は眉尻を下げながら思い返した。

 

「先ず、家に来ない。電話に出ない。メールは一応、辛うじてって感じ」

「ふんふん」

「学校では見ての通りで露骨に居なくなる。休み時間は基本的にずっとこうだ。授業が終わっても一人でそそくさと帰ってる。話し掛ける暇も無い」

「ほうほう」

「あとキツいのが出会った直後に逃げられたり、スキンシップに過剰な反応されたり、プリント後ろに回す時とか意地でもこっちを見ようとしなかったり……」

「……もういい、やめろ。聞いてて俺も悲しくなるわ」

 

 予想以上に酷い惨状に数馬が顔を覆った。何があったのかは知らないが、そこまでのものだと目の前の人物にやや同情してしまう。先ほど述べたような無自覚の悪意など、蒼が発揮したとして余程のものではない。精々が笑い話で済むレベルだ。人並み程度の気遣いと優しさを標準装備している彼が、誰かに嫌われるまでのコトをするのはごくごく稀。……一部の人間に対しては、まあ、言い訳の余地も無く凄まじい発言を繰り返していたりするのだが。

 

『……こりゃあ、友情の何たらがお前の肩にかかってるかもだぜ、弾』

 

 数馬はぼんやりと窓の外を眺めながら、校内のどこかで奮闘しているであろう友人を思い浮かべる。理由を考えるのは勝手だが、真実は本人より聞くのが一番だ。若干元気を無くしている蒼のためにも、それが少しはマシな内容であることを願いつつ、彼は手を振って別れの言葉と共に教室を後にした。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「ふう……」

 

 ぱっぱっと手を洗って、短く息を吐きつつトイレから出る。一夏が校内で使用しているのは、諸々の緊急事態につき職員用トイレだ。流石に女子の姿で男子トイレに入るというワケにもいかず、かと言って女子トイレに入るのは精神的に辛かった。対策としては応急処置のようなものだが、正直なところ人の行き交いが少ないこともあり非常に助かっている。だからこそ、油断もして当然。

 

「――やっと隙を見せたな一夏ァ!」

「……は?」

 

 声のした方は真横。振り向けば、何やら巨大な影がこちらに向かって勢いよく飛びかかってくる。炎のように赤く揺れる頭部、額に巻かれた布、更にはぶわりと着ている衣服を盛大にはためかせていた。もしや不審者か、と身構える一夏だが、よく見ればなんてことは無いただの馬鹿である。幽霊の正体見たり枯れ尾花。が、最初から気付いていたならまだしも、動き始めた頃には既にがっしりと羽交い締めにされていた。

 

「ふはは! ようやく確保したぜ此奴めぇ!」

「なっ、ちょっ、は、離せおい! 弾! 聞いてんのか!」

「離すワケねえだろバーカ。さあて、ちょいと任意同行をお願いしようか織斑クン?」

「く、クソ、これはどう見ても任意同行じゃなくて強制連行だろ――!?」

 

 ヒトフタヨンゴ。織斑一夏はずるずると、必死の抵抗も虚しく弾が向かう方へ引き摺られていった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

びゅおう、と一際強く風が吹き抜ける。見上げればいつもより近い空が拝めた。雲は所々にふわりと浮いて、我関せずといった模様。数歩進んだところで、背後の弾がばたりと扉を閉める。鍵までかける丁寧さに首を傾げながら、一夏は最も気になった点を彼に尋ねた。

 

「……屋上?」

「おう。ああ、安心しろ、蒼は居ねえよ」

「っ」

 

 びくり、と名前に反応して一夏の肩が揺れる。分かりやすいことこの上ない。弾はにやりと笑いながら、どかりと柵に背中を預けて地べたに腰を下ろした。

 

「どうした? お前も座れよ。言っとくが、この距離なら鍵開けてる間に追いつけるぜ」

「……はいはい。座れば良いんだろ、座れば」

 

 やれやれといったように目を伏せながら、彼女は静かに弾の隣で胡座をかく。見た目からは想像も出来ない男らしさ。弾は事情を知っているというのに、思わず「うへえ……」と微妙な気分に陥った。電車で見かけた物凄く清楚な雰囲気の女の子が、どぎつい方言で喋ったのを見てしまった時に勝るとも劣らない。だがまあ、彼女が織斑一夏であると認識出来るのはその辺りなので、別段悪いことでもないのだが。

 

「で、わざわざここまで連れて来た理由は?」

「とぼけんな、分かってんだろ。お前と蒼のことだ」

「……別に、弾には関係無いだろ」

「いいや、関係あるね。あいつ、俺に相談してきたんだ」

「相談?」

 

 怪訝な表情で首を傾げながら、一夏が真横の弾に問い掛ける。彼はぼうっと、流れ行く雲か、はたまた広がる青空を見詰めていた。

 

「最近、お前に避けられてる気がするんだとよ。実際見てりゃ丸分かりだな。意図的としか思えないほど蒼と接触する機会を潰してやがる」

「……それは」

「ま、俺はお前らのコトなんかどうでも良いけどよ。隣の席の秀才くんが辛気臭い顔してちゃあ受験勉強に身が入らないってモンだろ」

「いやお前身が入るも何も元からやる気ないじゃねえか」

「ばっ、う、うるせえ! 細かい事は良いんだよ今は! ……それより、何があった。本気で蒼のやつ心配してたぞ」

「う…………、」

 

 じろりと睨まれて、一夏はそっと視線を逸らした。あれだけあからさまな態度をしておいて、今更存じ上げておりませんという筈がない。そこは双方分かりきっている。誤魔化すという手段が取れるほど、目の前の友人は頭の回らない人間ではない。勉強に関してならまだしも、変なところでの鋭さは一級品。事前知識込みの蒼を除けば、鈴の恋心に感付いている人間の一人だ。尤も、あれはあれで分かりやすいのもある。

 

「やっぱりあれか? 蒼のことが嫌いになったとか」

「い、いや、それは違う! 全然、嫌いになんかなってない。ただ……」

「ただ……?」

「……ただ、えっと、その……」

 

 どうも、一夏にしては歯切れが悪い。弾は眉間に皺を寄せながら、俯き気味で座る彼女を見た。長く伸ばされた黒髪が鬱陶しいほどに揺れている。が、最早慣れっこなのか、思考に集中しているからか、特に気にした様子は無い。数ヶ月を乗り切った織斑一夏は最早“女になってしまった男”ではなく、“女の体に慣れきった男”だ。その状況が心をどう傾かせるか。弾はよもや、きっと彼女の近くに居た誰もが考えてなどいなかった。

 

「――変、なんだ」

「……変?」

「ああ。あいつの……蒼の近くに居ると、変な感じになる」

「ああ? なんだ、そりゃあ」

 

 予想外の台詞に、飲み込む事無く本音が漏れた。変、というのは理由として途轍もなく曖昧だ。それだけで納得しろ、と言われても無理である。

 

「一体どこがどう変になるんだ。お前の髪型でも変わるのか?」

「な訳ないだろ。そういう外見的な部分じゃ無くて、なんというか……落ち着かない、というか……」

「……はあ?」

「こう、心臓がすっげえ跳ねて、顔が滅茶苦茶熱くなってさ。まともに考えられなくなる、っつーか……頭が真っ白になるっつーか……」

 

 そんな馬鹿な、と弾は脳内で呟く。一夏の言い分は随分と変わったものだ。それこそまるで、恋に落ちた女子のような思考回路だと――

 

『……あれ? えーと、うん? ちょっと待て。ちょっと待てよ』

 

 弾は一瞬、なにか、恐ろしいことに気付いたような感じがした。

 

「だからこう、反射的に逃げ出しちまって。いや、俺も蒼には悪いと思ってるんだが、こんな状態でまともに会話できる気もしなくてな……」

「……なあ、一夏、お前、織斑一夏だよな? 男だよな?」

「は? 何言ってるんだいきなり。そうに決まってるだろ。体は女だけど」

 

 体は、女。

 

「……は、はは。ははは……」

「? ど、どうした弾? 急に笑い出すなよ。不気味だぞ」

「ああ? これが笑わないでいられるか。おいおい、マジかよホント……」

 

 彼は一つの結論に辿り着いた。当の本人すら自覚していない答えに、易々と、当たり前のように手をかけた。それもその筈、ここまでヒントを出されて気付かないのは、ヒロインの好意をスルーする鈍感系ラノベ主人公か、はたまた誰とも関わりを持たなかったぼっち系ラノベ主人公だけだろう。

 

『もしかしなくても、やべえんじゃねえかこれ。お前、どうするんだよ。蒼――』

 

 この場に居ない友人に問う。ふと見れば空には鴉が一羽、まるで現状を嘲笑うようにカアと鳴きながら、どこまでも優雅に飛んでいた。

 


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