君が可愛く見えるまで。   作:4kibou

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何をすれば上手くいく。

 昼休みももうすぐ終わるかという頃、五反田弾は重いため息と共に教室へ帰ってきた。蒼は読みさしの本に栞を挟んで、がっくりと肩を落とす友人に目を向ける。一夏を探してくると勢いよく飛びだして行った時とは大違い。あの気迫はどこへやら、すっかり意気消沈といった具合である。よもや今日も失敗か、と苦笑しながら彼は声をかけた。

 

「お疲れさま。駄目だったみたいだね」

「……いや、駄目じゃ無かった。話は出来たぞ」

「……それ、本当か?」

 

 ああ、と短く弾が答える。乱暴に引いた椅子に、これまたどかりと粗雑に腰掛けて、彼はゆっくりと天井を見上げた。ぼうっと見詰める先にあるのは、節電で昼間は基本消されたままの電灯。綺麗な模様もなければ、面白い工夫もされていない。眺めていても楽しくないだろうに、と蒼が考えていれば、弾はにへらと奇妙な笑みを浮かべた。

 

「……弾? 大丈夫か? 話、出来たんだろう?」

「ああ、出来たよ。しっかりと出来た。事情も大体把握した」

「なら――」

「その上で、言わせて貰うが」

 

 ぎろん、と両の瞳が動いてこちらを向く。よく見れば、弾の顔は若干の疲れを含んでいるように見えた。普通に考えれば、それは一夏を探していた為に体力を使ったから、と捉えられるだろう。だがしかし、どうも疲れ方としては違うようだ。恐らく純粋な体力の問題では無い。心労、というやつだろうか。直感しながらも、蒼は弾の言葉に黙ったまま耳を傾ける。

 

「今回の件、俺は一切協力しねえ」

「……それはまた、どうして」

「どうもこうもねえよ。単純に手に負えねえ」

 

 呆れるように言って、ぐったりと弾は身体から力を抜いた。もたれ掛かった教室用の椅子がぎしりと音をたてる。蒼としては彼からの情報を期待していたのもあり、なんとなく複雑な気分だ。ともあれ、この友人が放り投げるようなモノにまで事態は発展しているのか、と。

 

「そこまで不味いのか?」

「ああ。途轍もなくマズい。そんでもってこれは俺がどうにかできるコトじゃない。つーかお前らの問題だ」

「俺たちの……問題?」

「そうだ。俺が首突っ込むには、どうにも話がデリケート過ぎる。……てか信じられねえ。まさかあの一夏が、とは」

 

 世の中何があるか分かったもんじゃないな、と呟いて弾はこれで終わりとばかりに机の中へ手を入れた。次の授業に使う教科書でも適当に引っ張り出しておくのだろう。断片的な言葉ではよく分からなかったが、要するにこの事態に関しては友人の協力を仰げないということである。考えるまでも無く、かなりの痛手だ。そも、彼が投げ出したという案件を蒼一人で何とか出来るとは思えない。

 

「とにかくそういうこった。俺は手を引く。あとはお前らでなんとかしろ」

「……結局丸投げってことじゃないか」

「当たり前だろ。こんな状況をどうにかできるのは、お前ら自身しか居ねえっての」

「どうにも出来ないから困ってるんだって」

 

 先ず初めに原因が分かっていない。本人に聞こうにも避けられて話もままならない。おまけに頼みの綱だった友人の助力も駄目ときた。まさに八方塞がり、手の打ちようがないワケでは無いが、無理を通さなければいけないものばかり。

 

「……強引にでも一夏から話を直接聞いた方が良いのか?」

「あー、それが良いかもな。成功率は保証しねえけど」

「うん。問題はそこだ。直ぐ逃げられてちゃどうしようもない」

「……そこだけでもねえんだよなあ、この場合」

 

 一夏から全てを聞いた弾は知っている。故に、想像も簡単だ。今の一夏と蒼が対面で会ったとしても、上手くいく未来が見えない。彼女の精神的にも、彼の考え方的にも、例え話し合う場面まで進んだとして、すれ違って何も変わらぬまま終わる。

 

『……ま、当然だよな』

 

 弾は一人、胸中で納得する。

 

『あの鈍感野郎が、まさかコイツに恋してる、なんて。誰も予想すらできねえよ』

 

 なによりも残酷な真実を、己の内に秘めて。ずっと両者が気付かなければ、元通りとはいかずとも平和だろうと、そんな甘い考えを抱きながら――。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「……あれ?」

 

 本日の授業終了後、ひっそりと昇降口まで抜けてきた一夏は、自分の下駄箱を見て首を傾げた。

 

「待て、なんで……どういうことだ?」

 

 ――革靴(ローファー)がない。本来ならそこに入れていた筈のものが、跡形も無く消えている。否、物が消えるというのは有り得ない。お化けや妖怪といったオカルトとは違うのだ。可能性としては、誰かが勘違いしてそのまま履いて行ってしまったか、もしくは。

 

「……隠された、とか?」

 

 確率としては前者よりも高い。一夏に余程の恨みを持っている、いないに拘わらず、そういうつまらない事をする輩はどこにでも居るのだ。小学生時分は嫌悪感と向こう見ずな性格が合わさって幾度か大乱闘も繰り広げたが、流石に現状では色々と難しい。どうするか、先ずは靴を見付けるところから、とスイッチが入りそうになっていた一夏を止めたのは、聞き慣れた男の声だった。

 

「――探し物はこれかな」

「……っ!?」

 

 ばっと、そちらを振り向く。堂々と前を開けた学ラン、間から覗く白いワイシャツ。首には寒さ対策かマフラーを巻き、片手に学生鞄、もう片方の手に一足の革靴を見せびらかすように胸の高さで掲げながら、上慧蒼はゆるりと笑みを溢した。

 

「ごめん。ちょっと拝借させて貰った。今返すよ」

「…………盗みは、犯罪だぞ」

「うん。分かってる」

 

 一夏がどうにかやっと絞り出した一言を、彼は何でもないように答えた。最近は落ち込みつつあった蒼が普段通りのトーンで話すということは、事実気分が上がっているということでもあるのだが、関わりを絶っていた彼女が気付く筈もない。若干警戒したまま、蒼から革靴を受け取ろうと近付いたところで、不意にがしっと手首を握られる。

 

「なっ……お、おい、お前。どういう……っ」

「そんなに怖い顔しなくても良いじゃ無いか。全く……」

 

 俺だって傷付くよ、と言いながらするりと手を外して。

 

「偶には一緒に帰ろう。少し、話したいこともあるし」

「…………、」

 

 じいっと、黙ったまま何とも言えない表情を浮かべて、一夏はぱしりと革靴を奪い取り踵を返す。反応は曖昧。どころか、下手すると拒否とも取れる。が、蒼は次の瞬間、ちらりと彼女がこちらを確認したのを見逃さなかった。

 

「うん。それじゃあ、ご一緒させてもらうよ」

 

 にこりと笑って、彼も同じように下駄箱から靴を取り出す。一夏とは真逆の方向を全力疾走で駆け抜けて、先回りしておいた甲斐があった。お陰で気分がほんの少し優れないのはご愛敬。乱れた息が収まっているだけマシだ。なにはともあれ、折角もぎ取ったチャンス。無駄にする気は毛頭ない。蒼はふうと一つ息を吐いて、一夏の隣へ並ぶようにスタスタと歩いて行った。

 

 

 ◇◆◇

 

 

「一夏」

「……、」

 

 反応が無い。試しにもう一度呼ぶ。

 

「……一夏? 一夏ってば」

「……なんだよ」

 

 今度は言葉が返ってきた。少しの進歩だ。だが同時に、大きな進歩でもある。蒼は笑顔を保ったまま、彼女に問い掛けた。

 

「なんで俺の事、避けようとするんだ?」

「…………、」

 

 また逆戻り。どうやら道程は思った以上に長いらしい。

 

「……何か君を怒らせるようなことしたから、とか?」

「…………違う」

「じゃあ、俺に愛想が尽きた?」

「……違う」

 

 ならば、一体何なのだろうか。蒼は考える。他人の心は複雑怪奇で一切不明だ。経験の浅い己なら尚更、まるで解の無い式を必死に解いているような感覚に陥る。分からないのは当たり前。むしろ分からないの()当たり前だ。何せ蒼は上慧蒼であって、織斑一夏でない。自分自身以外に、本心など完璧に理解は出来ないのである。

 

「俺と一緒に居るのに、嫌気がさした、とか」

「違う。……違うんだ、蒼」

 

 ざりっと、俯きながら一夏が立ち止まった。

 

「俺は……俺は、その」

「……?」

「ただ……なんて、いうか。あの……なんだ」

 

 言葉に詰まりながら、一夏はしきりに視線を泳がせていた。以前、学園祭の終わり際にもあった、如何にも落ち着かないという様子。気のせいか、蒼の確認出来るところでは耳が赤い。よもや熱でもあるのでは、と蒼は少々心配になってそっと額に手を当てる。

 

「――――!?」

「あ、熱はそんなに無いのか。ごめん。ちょっと赤かったから」

「な、なにをが、だっ!?」

「耳が、だけど。……そこまで動揺することかな」

「……っ」

 

 ドン、と力強く押されて後方によろける。

 

「……すまん、やっぱ無理だ」

「え?」

「本当に悪いっ、許してくれ蒼ーーーっ!」

 

 だっ、と一夏が凄まじいスピードで走り去る。真面目に全国を狙えるレベルの脚力だ。流石は織斑千冬の弟と言うべきか、基本スペックは相当高い。一年前は同年代の男子と比べても、頭一つズバ抜けて居た。無論、帰宅部という括りではあったが。とは言え、一夏も心はただの中学生。変に達観していたり、ズレた価値観を持つ事も無く。

 

『なんだこれなんだこれなんだこれ!? いや本当になんなんだよこれは!! ああもうマジで落ち着けよどうかしてるぞ俺ぇ!』

 

 人並みに、ちょっとした混乱で逃走もしてしまうのだ。

 


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