君が可愛く見えるまで。   作:4kibou

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十一月二十一日。

「あ」

「……、」

 

 それは数日経ったある日の事。休み時間に飲み物を買おうと教室から出た蒼と、たまたま(・・・・)何処かへ出歩いていた一夏は、珍しくも廊下でばったりと顔を合わせた。本当の偶然、予期せぬ事態に口から思わず一声漏れるというもの。が、特別反応したのは彼の方だけ。一夏は数度目を瞬いて、直ぐにさっと視線を逸らす。直接原因を尋ねたあの時以来、二人の関係はより酷くなっていた。

 

「あの、一夏――」

「……悪い」

 

 一言、謝るように呟いて、するりと彼女は蒼の横を抜ける。感情を最大限まで削ぎ落としたような声音。何かを見たくないかのように伏せられた顔。そうして平時よりも若干速くなっている足並み。どれもこれもが、蒼にとって良い意味に取れるものでは無かった。

 

「……なんでこんなことになるんだろう」

 

 真偽は別として、嫌っているかという質問に一夏は首を振っている。似た系統のものにも全て、明確な否定の意思を示してはいた。なればこそ、彼女には不可思議な態度をとり続ける意味があるはずなのだ。が、正直なところそれもどうか。たしかに質問にはきちんと答えていたが、終いにはまるで耐えられなくなったように逃げられている。引っ掛かる部分、なんてかわいい話ではない。

 

「……どうして黙ったままなんだ? なにか言ってくれれば、俺も動きようがあるって言うのに」

 

 傷付けることを言ったのなら素直に謝ろう、接する対応が悪かったのなら改善もする、気に入らない部分があれば隠さずぶつけてくれれば良い。けれど、話し合う機会さえまともに与えられず、ただ淡々と避けられていてはどうしようもないのだ。せめて、納得のいく説明でもあれば変わっただろうが、それも無し。

 

「分からないよ、一夏。俺には君の考えている事が、さっぱり分からない」

 

 苦虫を噛み潰したように顔をしかめて、蒼は静かに言葉を溢した。二度目の人生、ある程度の事は何でも出来る彼だが、対人経験については平等どころか人よりも拙い。十数年を丸っきり棒に振った代償がそこまで軽いわけもなく。こういう場合にどう行動するべきか、どのような判断をすれば良いのか、蒼にはさっぱり分からなかった。

 

「……友達と思ってたのは、俺だけなのか?」

 

 自分で口に出しておきながら、衝撃を受ける。ずきりと心臓に杭が刺さったような感覚。異様な動悸がまるで痛みが如く主張して、ぐっと胸を押さえつけた。たったの一瞬、ほんの少しだけ過ってしまった想像だ。呼吸が乱れる。もしもそんなことがあれば、自分は――己は、どうやって立ち直れば良いのだろうと、頭がぐちゃぐちゃになりかけて。

 

「――落ち着け、落ち着け。……平常心だ」

 

 既の所で、バラバラになる思考回路をかき集めた。らしくもない動揺は弱っている証拠だ。深呼吸を一つして、全身から余計な力を抜く。身体の方は無事でも、精神の方に影響が来ている。滅多に無いコトだった。けれども、そのぐらいならば問題ない。仕方がないと割り切って受け入れるのは彼の得意とするところだ。

 

「……うん。きっと、今は駄目でも、何時かはまた」

 

 一緒に並んで、笑い合える日が来ると。根拠も無く信じて、微笑みながら蒼は窓から空を見上げた。

 

「……それでもって、晴れてたら一番なんだけど」

 

 あいにく、目に映ったのは灰色の重く分厚いカーテン。見える範囲一面を覆う雨雲。本日の天気は曇り、ところにより雨だ。冬場の雨には良い思い出がない。蒼は嘆息しながら、ゆっくりと止めていた足を動かし始める。

 

「……ああ、何だったっけ。何か忘れてる気がするけど」

 

 まあ、所詮は忘れるようなこと。割とどうでも良いかと切り捨てた。もしも微塵でも覚えていれば、少しは未来も変わったかもしれない。しかし現実は残酷で――だからこそ、“彼”にとっての悲劇は起こったのである。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 片手に鞄、首元にマフラー。学ランとワイシャツの間には学校指定のセーターを着込んで、上慧蒼は真冬の空気に入りつつある街中を歩く。もう既に十一月も半ば、風景は未だ秋の香りを残しているが、朝夕の気温だけは立派に一桁。この分ではしばらくしない内に、教室へストーブが置かれるだろう。蒼としてもいい加減制服のボタンを留めるべきか。窮屈で堅苦しいのは嫌いだが、流石に気温の変化に対抗してまで貫き通す気は無かった。

 

『……そうか。もう、こんな時期か』

 

 ふと思い返して、感慨に耽る。一年は長いようであっという間だ。特に今年は波瀾万丈だったこともあり、息つく暇も無い数ヶ月であった。友人が女になったという大事件からも、もう随分な時間が経つ。生きているうちは何が起きてもおかしくない。明日の自分がどうなっているかなど、予測は立てられても確信はできない。分からない事を楽しむ。それも恐らくは、一つの人生の楽しみ方なのだろう。

 

「…………、」

 

 ほう、と息を吐く。曇りの日というのは、いつもより街の喧騒も少なく聞こえる。晴れている時のような活気も、雨が降っている時のような雑音も無い。意識しだすと余計に感じてしまう。なんとも静かだ。まるで、街全体が元気を無くしてしまったみたいで、皮肉な事に現状の自分とうっすら重なった。

 

「……不器用なんだろうな、俺」

 

 緩く、柔らかく、落ち着いて、冷静に。何度も言うように、蒼の割り切り方は途轍もなく緩い。簡単に受け止めて心に仕舞えるのに、僅かな弾みでまた顔を出す。その度に同じようなことをして、時間が経てば元に戻って、決着がつくまでループする。頻度はモノによって様々だ。一度で済むこともあれば、いつまでも引き摺ってしまうことも当然あった。

 

「…………」

 

 交差点を前にして足を止める。信号は赤。行き交う車の姿は疎らで、平日の昼過ぎであれば当然だった。交通量がピークに達するのはおよそ一時間後だ。十七時以降は会社から解放された多くの労働者によって、この場も埋め尽くされる。文字通り一足先といった感じか。待っているのは向こう側も含め己一人しか居なかった。

 

「――っ」

 

 と、不意に肌を何か小さいものが叩いた。触れてみると若干冷たい。指先に分かるほどの水分、どこから来たのかなんてのは明白で、よもや目をやるのも嫌になる。

 

「……雨、だ」

 

 小降りから本降りへと、移行するまでに一分も掛からなかった。気付いた次の瞬間には立て続けに雫が落ちてくる。最悪だった。雨は苦手だ。こんなタイミングで降られるのは面白くない。何よりも、蒼は傘を持ってきていなかった。近くで雨宿りも考えたが、どうせもう少し待てば信号も切り替わる。濡れるのを承知で、彼はその場に居る事にした。

 

『……運がない。本当に、この頃は』

 

 何となく思いながら、目に入った商業施設の電光掲示板をぼうっと見詰める。テレビでよく見る番組のコマーシャルが流れている下に、ひっそりと今日の日付と最高・最低気温が表示されていた。十一月二十一日、最高十六度、最低五度。何気ない情報を、彼はすんなりと頭に入れて。

 

「――あ」

 

 びりっ、と。脳内に電流が走ったような衝撃。

 

『今日、俺の誕生日だ』

 

 すっかりと忘れていたことを思い出す。本来ならば忘れられない自分が生まれた日。蒼にとっては忘れられる筈もない、印象的な日時。それを記憶から消してしまっていたのは、平静で居られなかった自分か、それとも。

 

「――――、」

 

 曇りということで何かを悟った、冷静な自分か。

 

『痛い』

 

『苦しい』

 

『息が出来ない』

 

『熱い』

 

『寒い』

 

『動けない』

 

『赤い』

 

『黒い』

 

『あつい』

 

『つめたい』

 

 

『つめたい、つめたい』

 

『ああ、そうか』

 

 

 

『――ひとりって、さびしい(つめたい)んだ』

 

 

 

 十一月二十一日。それは多くの人々にとって、なんでもない一年のうちの一日。休みでも平日でも構う事無く過ごす日。けれども、少なくともこの少年にとっては違う意味を持つのだ。それは奇しくも彼がこの世界に生まれた日であり――同時に、彼がこの世から去った日でもあった。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 時間をずらしての帰宅途中、傘をさした一夏が見たのは、交差点で立ち尽くす一人の少年だった。

 

「――っ」

 

 ばっと物陰に隠れて傘を折りたたむ。判断は瞬時に且つ行動は迅速。上手い事に雨は屋根が遮ってくれていた。そっと、顔だけ出してもう一度よく見る。

 

「……間違いない、あれは蒼だ」

 

 本人に自覚は無くとも、今一番意識している相手を見間違う筈も無い。そも、長年連れ添った友人である。雰囲気や体勢で判断がつくのだ。にしても。

 

「……なんであいつ、傘さしてないんだ?」

 

 僅かに手を出して手のひらに雨粒を受ける。小雨というものでもない。そのままで居れば、一分もしないうちに全身がびしょ濡れになるぐらいには強い雨だ。どうにも変だ。様子がおかしい。正面から斜め上に顔を向けたまま、じっと動かないで居る。

 

「おいおい、風邪ひくぞ。ただでさえ体弱いってのに」

 

 出来る事なら自分が駆け付けて叱りの文句でも言ってやりたいところだが、可能なら先ずこのように隠れはしない。どうしようもない己に呆れる。校内で会った時も急な出来事で頭がオーバーフローし、とりあえず先日の件を謝ろうとした結果、素っ気ない態度になってしまった。離れてから死ぬほど後悔していたのはお約束。言葉が出て来なくなる、という現象がこれほどまで厄介だとは想像もしなかった。

 

「マジでこれさえどうにかできりゃ、蒼とも普通に話せるってのに……誕生日も今日だろ、たしか。祝ってやれもしねえよ」

 

 言いながら、一夏は蒼に視線を戻して、信じられない光景が目に入る。

 

「…………え?」

 

 ふらりと、唐突に彼の体が不自然に揺らいだ。見方によっては、風に吹かれて飛んでいく布のようにも思えただろう。もしくは散って落ちた木の葉か。だが、敢えてイメージするなら土に立てた一本の棒。人の力を加えず傾いた後、重力に従い地面に叩きつけられるみたいに。

 

「――蒼ッ!!」

 

 ばたんと、上慧蒼は人形染みた動きで倒れた。

 

「っ……なにが、どうなってんだよ、くそッ!」

 

 傘も鞄も放り投げて、一夏はだっと真っ先に駆け寄って抱きかかえる。雨に濡れている所為か、それとも意識を失っていたからか、若しくはそのどちらもか。彼の体は気味が悪いほどに重かった。

 

「おいっ、蒼! しっかりしろ! 大丈夫か!?」

 

 大声で呼び掛けるも、返事は無い。

 

「蒼! 頼む返事をしてくれ! 蒼! ああちくしょう、こういう時は……救急車か!? ええい、なんでもいい! とにかく、なんとかしないと――」

 

 静かな街、不幸にも人影は見当たらなかった。右往左往する一夏の足元、蒼は死んだように眠っている。雨は当分、止みそうにない。

 


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